ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 中村桂子著 「科学者が人間であること」(岩波新書2013年8月 )

2014年04月24日 | 書評
デカルト的二元論の科学文明から、人間が自然のなかにある生命論へ 第1回

序(1)
 上の図は扇型色紙に描かれた生命誌絵巻である(円形の生命誌マンダラも考案されている)。 宇宙の誕生が137億年前、太陽の誕生が55億年前、地球の誕生が45億年前、生命の誕生が38億年前、アフリカ中東部で人類〈ヒト)の誕生が20万年前、人類が森から出て農業村落生活を始めた人類史の誕生が1万1000年前、チグリス・ユーフラティス川流域にシュメール文明という都市国家のはじまりが3500年前だと推測されている。ローマ文明が世界帝国となったのは2000年前といわれている。その根拠は他書に譲るとして、生命の誕生からヒトの誕生までに膨大な時間を要している。生命は地球に生まれた(他の惑星に生命があるかどうかは分からない)ことは事実である。丸山茂徳・磯崎行雄 著 「生命と地球の歴史」(岩波新書 1998年1月)は地球の変動の歴史と生命の進化を統一的に解明できる日は近いと述べている。中村桂子氏がイラスト化している「生命誌絵巻」は生物の進化系統図(時間軸と遺伝子系統の遠近関係である生物相互関図)と言ってももいい。単細胞生物(バクテリア)から多細胞生物へ、動物と植物の分離、無脊椎動物と脊椎動物の分離、海から上陸し、さらに陸から空へ鳥類が飛び立ち、哺乳動物が生まれた歴史を相互関係を重視しながら(進化系統を原則として)述べるのが生命誌絵巻のイラストである。そこで中村 桂子氏のプロフィールを述べる。氏(1936年東京生まれ )は、1959年東京大学理学部化学科卒 、渡邊挌教授の指導下で1964年東京大学大学院生物化学を修了 して国立予防衛生研究所に入所(7年間在席)、1971年三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究所に移籍(18年間在席)、 1989年早稲田大学人間科学部教授 となる。1991年日本たばこ産業に入社、1993年に設立されたJT生命誌研究館の副館長となる。 それから東京大学先端科学技術研究センター客員教授 や大阪大学連携大学院教授 を経て2002年JT生命誌研究館館長 に就任した。専攻は遺伝学であったが1980年代半頃からしだいに科学史に転向したようだ。生命誌とは生命科学史ともいうべき内容であろう。2013年で御年77歳となる。私は中村桂子氏の著書は、中村桂子著 「自己創出する生命」 (ちくま学芸文庫 2006年7月)を読んだ。DNAや遺伝子ではなく、ゲノムで考える必要があるというのが「生命誌」からの提案である。ゲノムの中に発生分化や進化の仕組みが隠されている。それが普遍性から多様性へアプローチするということだ。「自己創造する生命」という著書において、中心課題である「スーパーコンセプト」とは「時代を支える基本概念」あるいは「次代を貫く知の体系」という意味で用いられている言葉である。中村桂子氏の興味は1980年代中頃から科学研究から生命誌に変わった。時の分子生物学は遺伝子組み換えの時代からゲノム研究に移ってきていた。中村桂子氏は微細にゲノム構造を解析してゆくことが生命の理解に近づくのかどうか疑問に思う頃であったという。遺伝子DNAの示す普遍的構造から直線的に生命の多様性に行くことはできないのではないかという疑問である。「科学」が不変、分析、還元、客観、論理を旨とするなら、それに多様性、全体、主観、直感、関係、歴史性などを付加したものが「生命誌」である。多様性や全体、関係は科学で究明できるとして、主観、直感、歴史性は科学とは異質なものである。中村氏が生命誌家として本書を書くことを導いた人に、1970年度のノーベル賞受賞者J・モノーがいる。1970年に書いたJ・モノーの「偶然と必然」という本が、本書の出発点である。モノーは「生物学研究から生物圏以外に通用する一般法則が見出せることは無いだろうからその意味では生物学は周辺的である。しかし科学が人間と宇宙の関係を究極の目標とするなら、生物学は中心的な位置を占める。生物学は人間の本性に迫るものであり、現代思想の形成に寄与するものである。」、「科学者が自分の仕事に哲学(自然哲学)という言葉を使うことは軽率といわれそうだが、自分はこれを正しいと考える。なぜなら科学者は現代文明の中で自分の学問を考え、科学から生まれる思想によって現代文明を豊かにしなければならないからだ。」という。モノーの時代は「大腸菌での真実は、象でも真実だ」という分子生物学の哲学の果たした役割は偉大であった。モノーは普遍性の基盤はDNAのセントラルドグマにあり、合目的性の基礎は蛋白質であると確信した。生命は合目的的であり、よりよいもの、より高次なものに向かって進むという前提がある。本書の題名「自己創出する生命」という言葉は、細胞の中のゲノムの働きを解明するということである。受精卵細胞は進化の名残を持っており、1個の細胞から多細胞となり、DNA発現型の異なる組織細胞を形成しながら、成体にまで創生される。これは人類発生のドラマである。ゲノムにその仕組みが埋め込まれているはずである。「知の体系」として生命を見ると、全体として生命は理性の力で分解され、物質化され還元されて今日の生命科学が出来上がっている。これを再度全体、創出(自己組織化)、多様性で捉えなおそうという。その中心にゲノムがあるというのが本書のミソである。なお自己創出(自己組織化)という言葉は、発生分化という個の創出という意味に限定されている。複雑系の科学から見たスチュアート・カウフマン著「自己組織化と進化の論理」(ちくま学芸文庫 2008年)とは違うのである。

(つづく)