ブログ 「ごまめの歯軋り」

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東日本大震災と医療問題:住民放射線説明会で求められることは

2011年07月30日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年7月29日)「放射線説明会を通じて」 坪倉正治 東京大学医科学研究所 より

 去る5月15日から7月19日にかけて、相馬市及び南相馬市の依頼で、述べ約2500人の住民が参加した放射線説明会を行なった。そこで得られた教訓は、「放射線の問題に関して、不安な状況は各個人で異なる、個別具体的にじっくり相談に乗ること」であった。農業者か漁業者か、住むところは山間部か海岸部か、市街地か、仕事はデスクワークか野外か、肉体労働かなどなど個人の状況に応じて必要な情報は違うのである。質問の内容は、自分の畑で作った野菜は食べられるか、野菜や食物の線量を下げる洗い方や調理法、子供の登下校の際のマスクは必要か、窓を開けていいのか、室内の掃除の仕方、ヘドロの処理、エアコンのフィルターの洗浄、風の強い日は塵を吹き飛ばしてくれるので、洗濯や野外活動は大丈夫だという知恵、水炊きに近い料理で水を捨てるのが内部被爆をすくなくするという意見など、ノーハウなども紹介されている。どうしたらいいのかという具体的な被爆量を下げるノーハウが要求されている。  

読書ノート 室田 武著 「原発の経済学」 朝日文庫

2011年07月30日 | 書評
高コスト、石油を多消費し、核兵器並みの危険性を持つ原発 第1回

 全世界で原発の出力は3億9212万Kwhで 435基が稼働中である。アメリカは1億Kwhで 104基稼動、  フランスは 6602万Kwhで 59基稼動、日本は 4946万Kwhで 55基稼動であり、日本は世界第3位の位置にいる(2008年データ-)。さて本書に入る前に2011年7月20日時点での日本の原子力発電所の最新情報を確認しておこう。現在19の発電事業所で全55基の原発が存在し、2011年3月の大震災とそれに伴う福島第1原発の余波を受け運転を停止したのは東通原子力発電所、女川原子力発電所、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、東海第二発電所、浜岡原子力発電所の18基であり、定期点検で運転停止中を含め関西電力大飯原発1号機のトラブルで、2011年7月16日現在で稼働中の原発は18基(日本全体の1/3)に過ぎないという異常事態となっている。

 去る2011年7月13日菅首相は国民向けに記者会見を行い、個人の見解と断って、「原発に依存しない社会を目指す」と言明した。1950年以降の首相の中で、「原発を見直し原発に依存しないエネルギー政策を!」を掲げたのは菅首相が始めてである。菅首相は3月の福島第1原発事故を受けて、静岡県浜岡原発の全面停止、九州玄海原発など定期点検中の原発運転再開に対してはストレステストの追加実施を求めて浮き足立った地方自治体(県)の動きを止め、そして今回の「原発に依存しない社会を目指す」発言となった。菅首相はなかなかの粘り腰である。それに対して財界はカンカンに怒っているので、あるいは菅さんの引き摺り下ろしを早めるかもしれない。さて本書は実は結構古い本である。1981年に日本評論社より「原子力の経済学」として発行され、1986年に同社より「新版 原子力の経済学」が刊行され、1993年4月に朝日文庫より「原発の経済学」として発行された。データなどは1991年までのデータが追加されているので、約20年前の本である。私はこの本を1994年に読んだ。東日本大震災による福島第1原発事故が起きて、長年の「原子力安全神話」は誰も信用しなくなり、かつ東電や経済産業省・原子力安全保安院の権威は失墜した。恥の上塗りのように九州電力の公開テレビ番組原発賛成メール指示事件がおきて、電力会社の卑劣な体質も露呈した。この時点で原発やエネルギー政策に関係する本がこれから沢山刊行されるだろうが、いまいちど室田 武著 「原発の経済学」を読み直そうと考えた。原発の仕組みや機構はそう変わっていないだろうから、本書は時代遅れになっているのか、案外本質は変わっていないのか、勉強の原点として本書を紹介する。

 著者室田武氏は実は私と大学の同級生であった。略歴を紹介しておく。1943年群馬県生まれ、1967年京都大学理学部卒、1969年大阪大学大学院経済学修士課程修了、1976年ミネソタ大学経済学博士号取得。1973年イリノイ大学専任講師、1975年國學院大學専任講師、1978年一橋大学助教授、1987年教授、1996年同志社大学経済学研究科教授だそうだ。私は京都大学理学部時代までしか知らない。彼は物理学科にゆき、私は化学科にいった。彼は大学卒業後経済学を勉強してアメリカで博士号をとったという変わり者である。本書を読めば経済学者というよりは物理学者としての面が如実に現れている。彼とは教養学部生の時代にマルクス「資本論」勉強会をやったことが懐かしく思い出される。まじめで勉強家だった。室井氏はじめエントロピー理論を研究し認められ、その後反原発運動に加わり、エコロジストとして活動、現在はコモンズ理論を唱えるという。その彼が原発の経済学という本を著わしたのだ。原発の核反応と廃棄物処理の困難さとその経済学的偽装は、結局国家権力化した電力会社と経産省の協同謀議によるものである。そこを見事に暴いている点はいまでも十二分に主張できる。なにか彼の論調までなつかしい。一度お会いしたいものだ。
(つづく)

読書ノート 朱建栄著 「毛沢東の朝鮮戦争」 岩波現代文庫 

2011年07月30日 | 書評
中国義勇軍が鴨緑江を越えるまで 第10回

5)1950年10月1日-5日 政治局での大論争と毛沢東の勝利(1)

 金日成は「国連軍は仁川に上陸後、凄まじい勢いで北上中であり、人民軍は38度線以北では守備する兵力を持っていない」という窮状を内相朴一兎に中国へ伝言させた。9月28日の朝鮮労働党の中央委員会は、ソ連と中国に直接の軍事支援を求めた。スターリンは大使を通じて毛と周に電報を送り、自分は出兵しないが中国に出動を勧めた。そして金日成に対しては自分が中国に援助するよう働きかけたという姿勢を維持したかったのだ。9月30日マッカーサー国連軍総指揮官は金日成に無条件降伏を勧告し、その日に38度線を越えて北上した。金日成の出兵要請が届き、スターリンからの出動要請が届いた10月1日からが、中国首脳の参戦問題を巡る政策決定がいよいよ大詰めを迎えた。10月1日国慶節祝賀大会で朱徳解放軍総司令官は総司令部命令を発した。10月1日夜、毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩来、任粥時の書記局会議が行われた。ここで何が話されたかは分らないが、10月2日午後の拡大書記局会議にはさらに高崗、聶栄秦らが参加して出兵問題を協議した。前夜の会議では恐らく毛沢東の参戦方針が示されたが、周恩来慎重派が関係者全員の参加の席で決めるべきだと抵抗に出たのであろう。毛沢東の参戦構想と反対論の対立はそのまま内部論争として残ったようだ。ここに毛沢東がスターリンに打った2通の矛盾する内容の電報が存在する。1通は参戦の決定をしスターリンに通告する内容で、最初は防衛戦に徹し、ソ連の武器装備の支援を待って反攻に転じる計画が示されている。もう1通の電報は参戦反対派の内容である。拡大書記局会議の討論の行方によっては、毛沢東の参戦構想が支持されるか、反対意見が大勢を占めるかが不明であった。さてどちらの電報をスターリンに打ったのだろうか。10月2日の会議の結論は早期参戦を見合わせることであった。その反対派の中心人物が周恩来であった。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「山中銷夏」

2011年07月30日 | 漢詩・自由詩
雨過茅亭蝉翼軽     雨は茅亭を過ぎ 蝉翼軽く

一双飛燕遠山晴     一双飛燕 遠山晴れる

松風駆暑炎威去     松風暑を駆て 炎威去り

満耳渓聲涼意生     満耳渓聲 涼意生ず


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(韻:八庚 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)