ブログ 「ごまめの歯軋り」

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中野麻美著 「労働ダンピングー雇用の多様化の果てに」 岩波新書 第二回/全六回

2007年04月07日 | 書評
規制緩和が生み出した労働環境の崩壊と低賃金化は持続可能な社会の崩壊へ

第二回/全六回
第1章 今何が起きているか

1986年に制定された労働者派遣法は1999年改正派遣法において、高度に専門職の政令指定業務以外の一般業務の仕事でも原則自由に派遣できるようになった。こうして規制のたががはずされるとダンピング競争が始まった。派遣・請負・委託であろうと、商取引が介在して雇用や労働条件が決められると労働も商品化されてゆく。低コストでダンピング可能、権利を保障した労働法上の規制を受けない「商品」としての労働の競争力は正規労働を値崩れさせた。正規労働の契約社員化やパート化も進んだ。経済分野でのグローバル化とともに激しい国際的コスト競争が展開され、国内産業労働者を保護してきた労働法の規制が見直され規制緩和で働く現状が一変した。最近景気が回復基調になり失業率も低下したが、しかし雇用された労働の質の低下は改善されず、労働の競争関係を激化させる経済社会構造が維持される限り労働環境は劣悪なままである。

小林秀雄全集第25巻「人間の建設」より

2007年04月07日 | 書評
常識について

デカルト(1596-1650)の「方法論序説」がもつ科学と形而上学の革命について述べたものだが、常識と言う言葉ははたして適切かどうか難しい問題だ。最初の四頁で、常識の定義(説明)を福沢諭吉、トーマス・ペイン「コモン・センス」を引用して展開しているが、この論は適切であろう。健全で尋常な理性と感情ということだ。

つぎにデカルトの常識(リーズン)を理性・分別と訳して、万人に備わった精神の働き「自然の備わった智恵」というものである。妥当であろう。さてデカルトの方法論序説に入ろう。デカルトは、1619年11月10日、ドイツのある村で天才的な方法論の啓示を得た。23歳であった。簡単に言えば疑い得ない公理(今日では仮説、約束事といってもいい)から出発して、次々と定理を導くことが出来るという数学・科学上の方法論である。これを小林氏は「直感と演繹という精神の基本的な誤まりようがない二つの能力を使用して」という。同じことである。私の説明が数学的で、小林氏の説明が論理学的な体裁だけの話である。今日でも科学嫌いはここでつまずくようだが、こんな簡単なことを容認すればこんなすばらしい証明法はない。具体的には解析幾何学に成長する幾何と代数の結合である。三角形の一辺の長さとは二つの頂点間の距離であるということだ(別に煙に巻いているわけではない。2点の座標を発明したことで幾何学は代数学で解けることをいった。ベクトルという幾何学は行列式という代数学で解けることと同意である)。デカルトはこの方法を敷衍し演繹し実証し確信するまで9年間を要したそうだ。実に用心深い。怪しげな実験結果を大発見にするため、偽ったり再試験で確認せずにネイチャ誌に投稿する科学者があとを断たない現状と比べていかにのんびりした時代であったことか。

そしてデカルトを天才にした決定的な第二の大発見がある。それは一言で言えば二元論である。神や自然とと一体化した人間ではなく、対象とそれに徹底的に質問する自我(他人も対象になる)の二つを明瞭に分別したことである。この二元論から自然科学の近代的研究方法が確立した。また疑う自己から「近代的自我」の発見があった。「「コギトエルゴスム」(我考える、ゆえに我あり)だけは疑えない。其処から出発してデカルトの認識学・形而上学が形成された。小林氏は形而上学の意義を力説されるが、私は科学者だから自然科学の近代的研究方法の確立を力説したい。それは趣味の問題ですが。デカルトの形而上学(形而上学といわれると私はなんか霞がかかってしまう)に関する業績として「省察」、「哲学の原理」、「精神指導の原理」、「情念論」がある。これらの考察に至るまでデカルトは20年をかけた。

最後の八頁を使って小林氏はこの常識に関する考察の展開として伊藤仁斎の「中庸」論を提起した。中庸は常識とならなんとかつながるかもしれないが、デカルトの近代科学方法論と近代的自我の発見と何の関係も見当たらない。さほど関係のない蛇足を入れて知識を誇るのは氏の悪癖だ。まあ儒学を勉強中の小林氏の勇み足と思っておくが、コメントはしない。