Senboうそ本当

広東省恵州市→宮崎県に転居。
話題は波乗り、流木、温泉、里山、農耕、
撮影、中国語、タクシー乗務、アルトサックス。

別冊 課外授業 ようこそ先輩 (2000年)  KTC中央出版

2017年06月16日 | 毒書感想(宮崎)

国境なき医師団:貫戸朋子(かんと ともこ) の放送分を1冊にまとめた内容です。番組の準備に1年もかかってますが、その準備段階でのエピソードとか、番組では一部しか収録できなかった生徒たちのディベートの内容など、読み応えありました。 

以下は本文からの抜粋です。

 NHK「課外授業 ようこそ先輩」のこれまでの放送では、ほとんど著名な出演者であったが、今回はちょっと異質である。番組予告やナレーションでも、「貫戸朋子ってだれ?」と、その意外性を喚起していた。そもそも「国境なき医師団」というのも、当時は、どれほど知られているか、よくわからなかった。
 現代の小学生に、「戦争」や「生命」というテーマが関心あるものとは、とうてい思えない。そこで、番組制作者も貫戸さん自身も、本当に放送できるような授業と番組ができるかどうか悩んだ。そうして、一年間もかかった試行錯誤の準備の末に、いよいよ授業の本番が行われた。
 番組は、少なからずの視聴者の関心を呼び、番組自体も一九九九年度国際エミー賞(子ども・青少年部門)を受賞。「国境なき医師団」は、一九九九年秋、ノーベル平和賞受賞のニュースで新聞を飾った。
 その国境なき医師団の日本人第一号の派遣医師であった貫戸さんが、この番組でいろいろ悩みながら、母校の子どもたちといっしょに何を考えたかを、テレビ本放送と取材ビデオ74本をもとに、本書のための新たな資料取材も加えて、記録する。
(序文 より)


 ここに危険な橋があるとすると、それを渡る自由、渡らない自由があり、自分で決める。渡るときはなぜ渡るのか、渡らないときはなぜ渡らないのか、それをきちんと説明し、そしてお互いが理解し合う。それが個人主義なのです。学校とはもともとその組織に従いなさいという傾向が非常に強いと思います。組織の中で調和する、丸く収まるというかたちで・・・。
                ( 途 中 略 )
 わざわざ外国の組織に入って、外国人と働くっていうのは、そういう意味ですごく勉強になると思いました。外国対日本というかたちではなくて、サッカーの中田選手のように外国のチームの中に入って、しかも個人主義で力を発揮できれば、リーダーになれる人たちというのは、どんどん出てくると思います。
 だから、子どもたちにそういうものだって教えたい。国境なき医師団というのもそういうものを与えてくれると思います。それを紹介したい。そのことの真髄というか味というか、それを子どもたちに知らせたいと思います。
(自己責任ということを伝える より)


歴史は、当事者は口を閉ざすということを示しています。あるいはよっぽど時が経たないと語れない。苦しみを追体験するような、自分を拷問にかけるようなことだから、語れないんです。非常に時間が経って、例えば、五〇年後に初めてやっと語れる。また、語るべきことを語らないで死んでいった人もたくさんいるわけです。
(苦しんでいる人は語らない より)


例えば、日本人のわたしという人間が来ても、最初はいいと思っては受け入れてくれません。けれども、ものすごく彼らをぐっと言わせるようなことを言ったり、いいことをしたときに彼らは変るんです。自分は変らないけど、わたしに対する態度が変るんです。皮肉だった人が味方になる。そこで信頼感が生まれて、いい仕事ができるようになります。
 日本人には、こういうことは厳しいですよね。日本人は最初から、いっしょにやるという以上は協力してやろうという姿勢がありますが、あちらではそうではない。いっしょにいるけど敵対しているというか。そのことにショックを受けて、うまくいかない日本人はいるかもしれないですね。わたしも何度も頭にきて、帰ろうと思ったこともいくらでもありました。けれど、自分が正しいと思っていることはこれなんだと、ぐっと行くと、よっぽど相手が底意地悪いかひねくれている人以外は、人間というものは共感するものですね。それは、変えようと思うのとは、やはり違うと思います。
(信念の行動は相手を変える より)


 貫戸さんとのたび重なる話し合いは、ぼく自身の番組づくりに対する姿勢にも大きな変化を与えた。ある日、貫戸さんの人生について根堀り葉堀り尋ねているときに、突如、こう言われた。「わたしの方は自分のことを洗いざらい話しているのに、わたしはあなたたちのことを何も知らない。それって、変じゃあないですか?」
 強烈な一撃だった。確かに、貫戸さんの言う通りだ。一方的に相手のことを知るというのは、人間の関係としては、いびつだ。まさに、目から鱗の思いだった。
 それからぼくは貫戸さん相手に、自分の生きてきた道程を、どんな思いで今までテレビ番組をつくってきたかを、長い時間をかけて話していった。まるでこちらが取材されているような状況だった。それは、この番組づくりにとって、とても大切な行為だったと思う。
(番組の制作現場から より)


 学校の玄関の前で、「変らないですねえ。卒業してからは、学校に来たことは一回もないです。はっきり言って学校は嫌いでしたから。卒業したときに、二度と来るとは思っていなかったですし、来るつもりはぜんぜんなかったですね」と言いながらも、貫戸さんの顔に屈託はない。
(貫戸さん、課外授業に登校 より)


 わたし自身が平和な時代に生れて、平和な中で育って、拳銃とかも見たことなかったし、撃ち合ってるとかそういうのも聞いたこともなかった。
 そんなわたしが、戦争で追い立てられた人たちの病院で働いてみたんですね。それで考えたことは、戦争ってますますわからない、ぜんぜん何が何やらわからないじゃないか、というふうに思ったのです。
 だから日本にいると、みなさん、戦争って悪いもんだって、それはもう当たり前のことだ。戦争はやめましょう、戦いはやめましょう、って言ってるわけですよね。でも、わたしはそれさえわからない、わからなくなっちゃった。そんなこと言う方が、すごく身勝手で、無責任なんじゃないかという気もしたわけですよね。
(国境なき医師団で より)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もともと「国境なき医師団」に特別興味があったわけでなく、「課外授業ようこそ先輩」というTVシリーズに魅力を感じていました。もしDVDがあればネットで購入しようと調べていたら この別冊「課外授業ようこそ先輩」シリーズにたどり着きました。
学校教育の在り方、日本の特異性、ボランティア、戦争・・・ 貫戸朋子さんの口調は控えめですがズシリと深く突き刺さります。 1回の放送分で 準備に1年? 取材ビデオ74本? 民放には絶対真似できません。

注意: KTC中央出版が発行している「課外授業ようこそ先輩」の書籍ですが、わたしが今回紹介したものとは別で放送3回分を1冊にまとめているシリーズもあります。
←今回の紹介記事はこの本です。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 成都の住宅&道路事情(2006年) | トップ | サンタさんの住所(宮崎) »

コメントを投稿

毒書感想(宮崎)」カテゴリの最新記事