せんしんのブログ ~統合失調症を捉えて20年~

かつて精神・心を病んだ筆者が強く勇ましく生きた、経験に則って生きる意味を補うための『心のブログ』。

自己を正す

2017-05-20 02:53:06 | 日記
自己を正す


性格を変えることは二十歳を超えると一般に困難とされている。

だが、私は昔から妙な意識があった。

それは、パンドラの箱のようにも思える。どんな物事にも

「希望」を抱き続けていた。

つまり、とある元力士が「やってやれないことはない」という

優しい口調で語った姿を見て以来、その言葉がそういった希望に

つながったものだった。。

これは今も変わらない。そう「どん底人生」だったからこそ、

それがたとえ、薄暗い隔離室の中であっても、何日も不眠で精神的にも

苦しいような状態であっても、なぜか希望だけは捨てなかった。

ヒトは諦めたら、それで終わりだと思う。

よくしぶといと私は言われるが それが功を奏したことがあった。

それは「自己を正す」ことにつながっていく。

つまり、メディアなどを見ていてつい、「気に入らない」といった

感情に支配され 嫌な自分に嫌悪感が指す場合が希に有る。

こんな時、「自分を変えたい」と、いったどん欲さが出る場合がある。

どうすれば相手に好かれるか、でなく、相手の事を好きになることを

どうしたら、できるのかという事に自問自答した。

そこで、対象がヒトだった場合、そのヒトの「良い面」をみることにした。

ところが、これが家族のような近い存在だと、遠目にみないと

良さが発見できない場合が多かった。

結局のところ、相手を、本来苦手な人を好きになれないまでも、普通以上

に見えるようになるには、その対象に対して寛容になる努力をする以外に

方法が無いと私なりに悟った。

その中のひとつが、「待つ」ことと、そして「素直になること」のふたつ。

恐怖の裏には怒りあり、怒りの裏には恐怖がある。

不安の陰には哀しみがあり、哀しみの陰には不安が潜む。

ヒトは感情の生き物であり、これは普遍なので、理屈云々より

感情のコントロールをするために、嫌な部分と直面しても 目をそらさず、

できないことはできないと、素直に受け入れる。

約束は守り、同じ失敗は二度としないように努めて。

これらは、自分へ課すのではなく、自分への意気込みだ。

不安や恐怖と闘ってはいけない。闘うではなく、Face to Face(直面する)

たとえ、目や気持ちをそらしてしまっても、お腹(自己)まではそらさず、

躰に身をまかせる そう、むやみに自分を変えようとふんばるのもいいが、

それよりも、自分自身にもっと寛容になれれば、他人のそれなど

可愛いものだと思えるようになる。

誰も見ていないところで、自分の心臓に手を当ててさすってあげよう。

「生きていてくれてありがとう」
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