とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 79 『緋牡丹博徒』 山下耕作監督 藤純子、高倉健

2017-01-24 23:52:32 | 日記
『緋牡丹博徒』 山下耕作監督 藤純子、高倉健、若山富三郎、Japanese Yakuza Movie


藤純子を初めて映画で見たのは確か近衛十四郎主演の「柳生武芸帳」だったと思います。ああそうでした。お亡くなりになった松方弘樹さんのお父さんです。お父さんは素晴らしく存在感のある時代劇俳優でした。「柳生武芸帳」では親子共演でした。

柳生武芸帳 剣豪乱れ雲(1963年8月7日公開)

監督:内出好吉
脚本:高田宏治

出演

柳生十兵衛:近衛十四郎
飛鳥井大納言時光:松方弘樹
松平伊豆守:北龍二
板倉重宗:徳大寺伸
柳生但馬守:永田靖
登世:藤純子

『緋牡丹博徒』では打って変わって藤純子は今までにない気風のいい女渡世人を演じていて、しかも高倉健と共演していましたので、もう簡単にノックアウトされてしまいました。

富司 純子(ふじ すみこ、1945年12月1日 - )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺島 純子(てらしま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章。

1967年(昭和42年)、『尼寺(秘)物語』で初主演。1968年(昭和43年)、『緋牡丹博徒』で本格的な主演で主題歌も歌い、ヒット。主人公・緋牡丹のお竜(矢野竜子役)でシリーズ化され、若山富三郎・菅原文太と共演した1970年(昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった。『緋牡丹博徒シリーズ』の他に『日本女侠伝シリーズ』、『女渡世人シリーズ』もヒットし、東映スターの仲間入りをした。背に彫った緋牡丹の刺青を見せる『緋牡丹博徒』については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし『緋牡丹博徒』の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。(Wikiより)

(参考)「柳生武芸帳」

1961「柳生武芸帳 夜ざくら秘剣」 近衛十四郎


あちこち「SYOWA」 78 夢千代日記  吉永小百合

2017-01-23 00:07:57 | 日記
Aはこの映画を見ると胸が締め付けられるような哀しい気持ちになります。吉永小百合の千変万化の姿の中でも切ない姿です。舞台になっている温泉にも行ったことがあります。今にも夢千代が現れてきそうな気持ちになりました。
原爆症。夢千代はその影を引きずって生きている。周辺で起こる人間臭いどろどろした事件。やり切れなくなる。Aはふくよかでたおやかな彼女の姿が全編のストーリーを包んで温かくしていると思いました。映画としては稀有な何度見ても奥が見えない、どんどん深くなっていく作品。・・・昭和の代表作の一つだと信じている。

夢の中から   吉永小百合   ~ 夢千代日記 ~


『夢千代日記』(ゆめちよにっき)は、NHKの『ドラマ人間模様』で放送された3部作のテレビドラマである。吉永小百合主演。作・脚本:早坂暁、音楽:武満徹。後に映画化や舞台化もされ、舞台では数々の女優により主人公夢千代が演じられている。
夢千代日記:1981年2月15日 - 3月15日放送、全5話
続 夢千代日記:1982年1月17日 - 2月14日放送、全5話
新 夢千代日記:1984年1月15日 - 3月18日放送、全10話
物語の舞台は兵庫県美方郡温泉町(現:新温泉町)。同町の湯村温泉はこのドラマ放送後、「夢千代の里」として脚光を浴びた。現在、温泉街の中心部である荒湯のそばに吉永小百合をモデルにした「夢千代の像」が建てられている。また平成16年11月に資料館「夢千代館」がオープンし、館内には湯里銀座や煙草屋旅館内部などが再現されている。物語中で芸者たちが度々舞う「貝殻節」は山陰地方でのみ知られる民謡だったが、このドラマで一躍全国的な知名度を得た。

あらすじ

湯里の置屋「はる屋」の女将・夢千代は神戸の病院からの帰りに山陰線急行列車の中で川崎からやってきた山根刑事と知り合う。山根は殺人容疑で「はる屋」の元芸者・市駒を追っていると告げ、「はる屋」で張り込みを続ける。そんなとき、湯里警察署捜査課長・藤森警部の許に、6年前に湯里の海岸で金魚と心中した橋爪信之の母と妻が訪ねてくる。ふとしたことから生き残った金魚に女の子(アコちゃん)がいると知り、亡き息子の子供だから引き取りたいと金魚に談判する。しかし、おスミさんの話から女の子は金魚の実子ではなく、木原医師のところからもらわれてきた赤ちゃんだったと判ってしまう。そこに木原医師が父を亡くし身寄り頼りがなくなった足の不自由な少女・時子を伴って、芸者にしてほしいと「はる屋」を訪ねてくる。
また、山倉の縄張りだった湯里に広島の暴力団・サン商会の沼田が勢力拡大のため子分を引き連れ乗り込んできて、夢千代に「はる屋」の面倒を見たいと申し出るが拒絶されてしまう。沼田は広島で被爆した際、夢千代の母に助けてもらったと言って、仏壇に線香をあげて去っていく。一方「はる屋」で張り込みを続けていた山根が胃潰瘍で吐血し、木原診療所に担ぎ込まれる。その晩「はる屋」に市駒から電話がかかってくるが、夢千代は山根が湯里に来ていることを知らせ、いま「はる屋」に来てはいけないと告げる。千代春は子宮癌の末期症状で寝込んでしまい、木原医師に睡眠薬をねだる。翌日、菊奴からの情報で浜坂のスナックに訪れた夢千代は市駒と再会し、市駒は藤森に自首する。
木原診療所で療養していた山根は親切で評判のいい木原医師が事情のある赤ちゃんを斡旋していることを知り、藤森に調査を勧める。藤森は医師免状の提出を求めるが、木原は明日にしてくれと言う。翌早朝に木原は千代春に睡眠薬を届け、自分がニセ医者であることを告白し、町から出て行くと言うと、千代春は一緒に連れて行ってくれと懇願し、二人は湯里を後にする。一連の出来事を見ていた山根は人間の弱さや優しさに打たれ刑事を辞めてしまう。数日後、湯里で時子の芸者・小夢としてのお披露目がささやかに行われた。長く厳しい山陰の冬ももうすぐ終わりを告げる。

10_貝殻節踊夢千代

日本髪姿が素晴らしくよく似合っています。

続 夢千代日記
あらすじ

夢千代は神戸の病院からの帰りに山陰線の列車の中で家出少女・俊子と出会う。夢千代は俊子に「はる屋」に来ないかと誘う。すると「はる屋」ではアコちゃんが誘拐されたと大騒ぎ。湯里にオープンする葵ホテルの従業員としてやってきた曽根佐和子が誘拐犯と間違われ湯里警察署に連行されるが、人違いとわかり釈放される。金魚は若い女とアコちゃんが白兎に立ち寄った話を聞き、女がアコちゃんの実母だと確信する。夜になってアコちゃんは湯里ヌード劇場に隠れているところをアサ子に発見される。葵ホテルのオープンで大量の客を皮算用している山倉は新人の踊り子ミッチー・ギャルソンを雇い、ヌード劇場に裸の背景画を描かせるため鳥取から商業画家を招く。芸者姿の夢千代を見た画家はこの人を描きたいと申し出るが山倉に却下されてしまう。
家出してきた少女は夢千代に好きな人を探しにきたと語り、夢千代は協力すると約束する。そこに藤森刑事がやってきて夢千代たちに少女の過去を暴露する。一方、ヌード劇場で背景画を描いている画家は何度描き直しても夢千代になってしまい、挙句の果てに山倉に塗りつぶされるのは見るに忍びないと逃げ出して「はる屋」に夢千代を訪ねてくる。画家が貴方を描かせてくれと懇願しているとき、俊子が帰ってくる。この画家こそが俊子が探していた上村洋一という先生だったのだが…
その夜、突然佐和子がコンパニオン姿のままで「はる屋」に駆け込んでくる。佐和子は閨の世話までしなければならないコンパニオンがイヤになって逃げ出してきたという。佐和子と奈美絵は一先ず煙草屋旅館に落ち着いた。上村は俊子に帰るように説得するが、なかなか承知しないので夢千代が好きだと言ってしまう。夢千代は俊子に「優しそうな人が一番酷いことをする」と言われショックを受ける。
翌朝、俊子は母親に引き取られ帰っていく。同じ頃クビになったミッチーとアンちゃんが駆け落ち同然に逃げていった。一方、小学校に奈美絵を取り返しに父親の矢口がやってきた。アコちゃんから知らされた佐和子は追いかけることを断念する。夢千代は原爆症の病状が重くなり寝込むが上村に会いたいと言って呼び出す。しかし、上村が「はる屋」を訪ねると会えないと言い出す。上村は障子越しに春まで待つと告げ鳥取に帰る。
その後、上村から毎日のように手紙が来るが、夢千代は返事を書かなかった。おスミさんに勧められようやく上村に手紙を書くが、翌日藤森がイカ釣り船で遭難した上村洋一の悲報を知らせに来る。夢千代が上村の居室を訪れると一日違いで届いていた自分の手紙があった。夢千代は上村に描いてもらおうと思っていた芸者姿で鳥取砂丘に一人佇み、自分の書いた手紙を波に向かって読み聞かせる。春になれば、春になれば…。(Wikiより)



あちこち「SYOWA」 77 地獄の黙示録特別完全版 日本版予告編

2017-01-20 21:36:29 | 日記
フランシス・コッポラ。この監督は黒澤明監督に強く影響されていると言われています。Aは就職して間もないころこの映画を見て、ベトナム戦争はかくも熾烈に戦われたのだ、と素直に感じることができました。本筋はベトナム戦争から外れていくが、却ってその狂気を描き出していると思いました。画面構成等随所に黒澤映画の影響を強く感じました。

地獄の黙示録特別完全版 日本版予告編 Apocalypse Now Redux Japan Trailer


地獄の黙示録

『地獄の黙示録』(じごくのもくしろく、原題:Apocalypse Now )は、1979年公開のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラによる戦争映画。日本では1980年(昭和55年)2月23日に公開された。
ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作に、物語の舞台をベトナム戦争に移して翻案した叙事詩的映画(エピックフィルム)。
1979年度のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得。アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。それ以外にもゴールデングローブ賞の監督賞と助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞、英国アカデミー賞の監督賞と助演男優賞などを受賞している。
2001年に、コッポラ自身の再編集による『特別完全版』(英語版)が公開された。

1970年、ベトナム戦争後期。アメリカ陸軍空挺将校のウィラード大尉は、妻と離婚してまで再び戦場に戻ってきた。彼は、MACV-SOGの一員として、CIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事してきた経験が豊富だった。その実績を買われて、サイゴンのホテルに滞在中、アメリカ軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺指令を受ける。カーツは、アメリカ軍の命令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。
ウィラードは、海軍の河川哨戒艇に乗り込み、乗組員に目的地を知らせぬまま大河を遡行する。そして、一行は戦争の狂気を目の当たりにする。サーフィンをするために、ベトコンの前哨基地を襲撃する第一騎兵師団の指揮官。ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ。指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士。そして、麻薬に溺れ、正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。やがてカーツの王国に近づくにつれて、ウィラード自身も少しずつ心の平衡を保てなくなってゆく。
哨戒艇の乗組員を何人も失いながらも、何とか王国にたどり着いたウィラードは、王国の支配者カーツと邂逅し、その思想や言動に動揺する。一時は監禁されたものの、改めて自由を与えられたウィラードは、水牛を生贄にする祭りの夜にカーツの暗殺を決行する。
作品序盤におけるウィラードの独白から、本作品は、ウィラードの任務での体験とカーツに纏わる物語を紡いだ構成となっている。(Wikiより)


あちこち「SYOWA」 (番外)映画 2011 瞬 またたき 北川景子

2017-01-17 15:38:44 | 日記
この作品の背景には『古事記』の黄泉の国の物語が取り入れられています。そういう意味でAはこの映画を見たい、見たいと思っていました。島根県東出雲町も出てきます。ここの地に黄泉の国への入り口があります。

映画 2011 瞬 またたき 北川景子、大塚寧々、岡田将生 FC2 Video


『瞬 またたき』は、2010年6月19日公開の日本映画。磯村一路監督作品。北川景子主演。配給はS・D・P。
キャッチコピーは、あなたは,一瞬で、愛する人を守れますか

概要

園田泉美は、事故で恋人・河野淳一を亡くしたショックから記憶を喪失し心的外傷後ストレス障害(PTSD)になってしまう。恋人との大切な記憶を取り戻そうと真実を知る恐怖と闘いながら泉美が再生していく過程を描いた物語。
北川景子演じる園田泉美の恋人・河野淳一役には、2008年、『太陽と海の教室』(フジテレビ系)で共演した岡田将生。
2009年5〜6月にかけて北海道、島根県東出雲町(現・松江市)などで撮影が行われた。
2010年6月19,20日初日2日間の映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)は初登場第9位となった。
菅井きんにとっては本作が事実上の女優引退作となった(芸能界にはその後も籍を置いているが、健康上の理由もあり2014年女優復帰を諦めていることを本人が語った)。(Wikiより)

『古事記』


島根県松江市東出雲町の黄泉比良坂

黄泉国には出入口が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか)といい、葦原中国とつながっているとされる。イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、黄泉国に入ったという。古事記には後に「根の堅州国」(ねのかたすくに)というものが出てくるがこれと黄泉国との関係については明言がなく、根の国と黄泉国が同じものなのかどうかは説が分かれる。黄泉比良坂の「坂本」という表現があり、これは坂の下・坂の上り口を表しているという説と、「坂」の字は当て字であり「さか」は境界の意味であるという説とがある。また古事記では、黄泉比良坂は、出雲国に存在する伊賦夜坂(いぶやざか)がそれであるとしており、現実の土地に擬されている。(Wikiより)


Aはこの映画を見ながらいろいろなことを思い出しました。自分のことを物語にしているとも思いました。地獄を体験した園田泉美が再生する、しかも、河野淳一は事故の瞬間に身代わりになって死んでいった、・・・その真実。
私を庇って死んでいった数々の人。Aはたくさんの命に支えられながら生きている、そういう実感を体験して身震いしているのです。

あちこち「SYOWA」 76 ありの実

2017-01-16 17:01:33 | 日記
ありの実

 十二月を迎えると、来し方一年を振り返りたくなってくる。と同時に「あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云ふ」という詩人中原中也の「帰郷」の詩句の韻律が心の奥底に流れてくる。そして、中原家四男思郎氏の奥さん中原美枝子氏をすぐに思い出す。夫君が亡くなられた後、山口市湯田温泉の中原家を守ってこられたお方である。
 昭和五十八年の夏に高校の文芸部の生徒たちと文学散歩と称してアポなしで中原家を訪ねた。しかし、美枝子夫人は嫌な顔をせずに私たちを温かく迎えてくださった。母屋が焼けたため広い敷地の隅の平屋の小さい家に住んでおられた。そこの一室に我々を通し、「それではここにある物を全部お見せしますからね」と言って皮製の旅行鞄を持ち出し、惜し気もなく全部見せてくださった。詩作ノート、所持品、そして写真で見たことのある洋服等が所狭しと並べられた。まことに圧巻であった。
 特に印象に残っているのは、ノートに書かれた文字が女文字のように小さく丁寧で几帳面な感じがしたことだった。自由奔放に生きた中也の意外な一面を覗き見たような気がした。続いて、近くの高田公園にある「帰郷」の詩碑を見に行った。小林秀雄が書いたという黒御影石に刻まれた文字に一陣のさやかな風が吹いてきた……。
 島根に帰ってから、美枝子夫人に二十世紀梨をお礼に送ったところ、毛筆で書かれた丁重なお礼状をいただいた。「有の実は仏前に供えさすが名産と美味しく戴きました……」と書いてあった。「梨」とは書かれていなかった。私はさすがと思って美枝子夫人への尊敬の念を深めた。しかし、近年不帰の人となられ、あの敷地内には立派な中原中也記念館が建っている。(2004年新聞コラム投稿)




100分名著 中原中也  1回目