とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 258 懐かしい ダイアナ妃 来日

2017-12-07 22:27:11 | 日記
この皇太子妃ダイアナは今も世界の人々の心の中に生きています。永遠に生き続けます。


懐かしい ダイアナ妃 来日



ウェールズ公妃ダイアナ(Diana, Princess of Wales、全名: ダイアナ・フランセス(Diana Frances)、旧姓: スペンサー(Spencer)、1961年7月1日 - 1997年8月31日)は、イギリスの第1位王位継承権者ウェールズ公チャールズの最初の妃。
イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢として生まれ、1981年にチャールズ皇太子と結婚し、彼との間にケンブリッジ公ウィリアム王子(第2位王位継承権者)およびヘンリー王子(第5位王位継承権者)の2子をもうけた。しかし後にチャールズ皇太子と別居状態になり、1996年に離婚した。1997年にパリで交通事故による不慮の死を遂げた。


ダイアナの来日

ダイアナは生涯に3度来日している。最初は1986年(昭和61年)の公式訪問、2度目は1990年(平成2年)の今上天皇の即位の礼への出席、3度目は1995年(平成7年)の英国赤十字社副会長としての来日である。この来日時には第二次世界大戦のコモンウェルスの無名戦士墓地に献花をしている。20年後、長男ウィリアムが来日献花をしているが、亡き母の献花を報ずる日本の新聞のスクラップが記帳の際に用意された。初の2回の来日はチャールズ皇太子とともに、3度目の来日は一人でだった。
とりわけ1986年(昭和61年)の最初の公式訪問は、日本に「ダイアナフィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こしたことで知られる。最初の公式訪問は以下の通りだった。

5月8日午後7時40分、英国王室機で大阪国際空港に到着したダイアナとチャールズ皇太子は、英語が得意な浩宮徳仁親王の出迎えを受け、その日の宿泊先である京都の大宮御所に案内された。

翌5月9日にダイアナが着た衣装は訪日用に作った日の丸の水玉ドレスだった。同日午前に徳仁親王の案内で大宮御所を見学したダイアナは、「大宮御所のインテリアも修学院の庭園も美しい」と感想を述べた。午後には二条城を訪問し、裏千家家元の第15代千宗室、元皇族の千容子(三笠宮崇仁親王次女。第16代千宗室に嫁いだ)らとともに茶道を楽しんだ。東山の料亭「つる屋」では懐石料理を箸を使って食べた。ダイアナも皇太子も接待の舞妓の化粧や髪形を面白がっていたという。

5月10日午前に大阪や神戸を訪問し、午後には大阪国際空港から東京・羽田空港へ飛んだ。羽田では皇太子明仁親王と秩父宮妃勢津子の出迎えを受け、元赤坂の迎賓館に案内された。迎賓館で中曽根康弘首相らを引見した。午後8時には東宮御所に入り、皇太子明仁親王、皇太子妃美智子、浩宮徳仁親王、紀宮清子内親王との内輪の晩餐会に参加した。晩餐を終えて別れる際に美智子皇太子妃はダイアナにキスをしており、ダイアナもお礼に皇太子妃美智子にキスをしている。

5月11日午前に東京観光したチャールズ王太子夫妻は、お昼に訪問先の青山のホンダ本社から元赤坂の迎賓館までの2.3キロの道路をオープンカーでパレードした。沿道には王太子夫妻を一目見ようと9万人もの日本人が殺到した。この10日前に王太子夫妻の訪日に反対する過激派が迎賓館に向けて迫撃砲を撃ち、その弾が青山通りのカナダ大使館の近くに落ちるという事件が発生していたが、王太子夫妻はその曰くつきのカナダ大使館前の地点ですっと立ちあがって観衆に向かって手を振っている。迎賓館でダイアナは秩父宮妃や高円宮妃久子から生け花を教わった。市松人形をプレゼントされた際には「For me?」を3回繰り返すなど嬉しそうであったという。夕方には寛仁親王夫妻の案内で両国・国技館を訪問し、大相撲を観戦をした。観戦後には大関大乃国と関脇小錦を引見したが、この際にダイアナは大乃国が「体重199キロです」と述べたのに驚いている様子だった。また小錦のお腹を突きながら「これは本物?」とジョークを述べて場を和ませた。

5月12日には皇太子とともに国会や歌舞伎座などを訪問。歌舞伎座では『勧進帳』を観劇した。観劇後には市川團十郎や尾上菊五郎らを引見している。

訪日のフィナーレを飾ったのは5月13日夜に皇居・豊明殿で行われた昭和天皇主催の宮中晩餐会だった。チャールズ皇太子夫妻は公賓として来日していたが、日英両国の歴史的に深い絆から国賓待遇での接遇となった。皇太子夫妻は、晩餐会に先立って昭和天皇と会見しており、その席で昭和天皇は皇太子夫妻に九谷焼の壺を、皇太子夫妻は昭和天皇が好きな海洋生物学の本をそれぞれ贈呈し合った。ダイアナは宮中晩餐会にロイヤルブルーのイブニングドレスで出席した。

そのドレスについてダイアナは昭和天皇に「ロンドンでユキ(ロンドン在住の日本人デザイナーの鳥丸軍雪)に日本の絹で作れ、と言われて高い物になりました」と説明している。晩餐会の料理を手がけた宮内庁大膳課は、京都でダイアナが日の丸をモチーフにした水玉ドレスを着用した返礼をと考え、デザートのブラマンジェに丸くくりぬいた赤いゼリーをいくつか貼り付けた。供されたものを一目見たダイアナは、その意趣返しに手を叩いて喜んだという。晩餐会を終えた後の午後9時27分に羽田空港から帰国の途についた。6日にわたる訪日だった。(Wikiより)

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