とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 101 舟木一夫 修学旅行

2017-02-22 00:58:05 | 日記
Aの青春がここにまだいてくれました。
中学の修学旅行。京阪神でした。山陰線を鈍行の列車に乗って行きました。京都の街のネオンサインが見えたとき、どっと歓声を挙げました。みんなお米持参の旅行でした。宿に着くと、それぞれ持ってきたお米を大きな袋に入れました。その時の宿の女将さんの笑顔を忘れることはありません。夜になると布団の上で枕投げをしました。先生がやってきて笑顔でコラコラと言いました。
この唄、橋幸夫の「潮来笠」とほぼ同じころのヒット曲ですね。お二人の唄が映画化されて、見に行ったものです。・・・ははっ、青春してましたですね。

修学旅行 舟木一夫


デビューまで

1944年12月12日、愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)に生まれる。父親は石川県河北郡津幡町笠谷の旧家の出で、父方の祖父は「立山伊次郎」の四股名で雷部屋に所属した力士であった。高校2年であった1961年夏、名古屋で行われた「松島アキラショー」で、ステージ上の松島アキラが『湖愁』を誰か一緒に歌わないかと客席に声を掛けた所、前列に居た高校生が勢いよく手を上げた。少年は隣に居た同級生に手首を掴まれての事であった。狐に摘まれた表情で舞台に上がった少年は、見事松島と共に「湖愁」を歌いきった。この少年こそ、後の舟木一夫である。 偶然そこに取材に来ていた「週刊明星」の記者恒村嗣郎が目を付け、上田少年に氏名と住所を聞き、東京に帰ると、早速ホリプロの会長だった堀威夫に名古屋での出来事を話し、興味を持った堀は、電話で上田少年に歌のテープを送ることを依頼。そのテープを聴いた堀は、翌年5月上田少年を上京させ、日本コロムビアのディレクターだった斎藤昇に紹介。斎藤は作曲家遠藤実にレッスンを受けさせることにし、上田少年は、愛知高等学校から転校した自由ヶ丘学園高等学校へ通いながら、遠藤実のレッスンを受けることとなった。 上田少年は芸名を舟木一夫とし、ホリプロに所属することになった。社長の堀は、当時デビュー2年目で全盛期を迎え、舞台で時々学生服を着て歌っていた橋幸夫の対抗馬として、当時現役高校生だった舟木を学生服デビューさせると決定した。

デビュー

1963年6月5日、デビュー曲は恩師遠藤実作曲、日本コロムビア専属だった丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。4月で高校を卒業していた舟木だったが、「学生服で行け」という遠藤実の指示で、歌謡界異例の学生服デビューとなった。なお、「高校三年生」のレコードジャケットで舟木が着ているのは当時の母校の制服である。
「高校三年生」は、発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、舟木は第5回日本レコード大賞新人賞を、丘は作詞賞を受賞した。デビューから2ヵ月後、本人が主演した同名映画も大ヒットし、舟木は一躍スター歌手になった。それに続き、学園三部作と言われた「修学旅行」「学園広場」もヒットした。(Wikiより)
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