とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 76 ありの実

2017-01-16 17:01:33 | 日記
ありの実

 十二月を迎えると、来し方一年を振り返りたくなってくる。と同時に「あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云ふ」という詩人中原中也の「帰郷」の詩句の韻律が心の奥底に流れてくる。そして、中原家四男思郎氏の奥さん中原美枝子氏をすぐに思い出す。夫君が亡くなられた後、山口市湯田温泉の中原家を守ってこられたお方である。
 昭和五十八年の夏に高校の文芸部の生徒たちと文学散歩と称してアポなしで中原家を訪ねた。しかし、美枝子夫人は嫌な顔をせずに私たちを温かく迎えてくださった。母屋が焼けたため広い敷地の隅の平屋の小さい家に住んでおられた。そこの一室に我々を通し、「それではここにある物を全部お見せしますからね」と言って皮製の旅行鞄を持ち出し、惜し気もなく全部見せてくださった。詩作ノート、所持品、そして写真で見たことのある洋服等が所狭しと並べられた。まことに圧巻であった。
 特に印象に残っているのは、ノートに書かれた文字が女文字のように小さく丁寧で几帳面な感じがしたことだった。自由奔放に生きた中也の意外な一面を覗き見たような気がした。続いて、近くの高田公園にある「帰郷」の詩碑を見に行った。小林秀雄が書いたという黒御影石に刻まれた文字に一陣のさやかな風が吹いてきた……。
 島根に帰ってから、美枝子夫人に二十世紀梨をお礼に送ったところ、毛筆で書かれた丁重なお礼状をいただいた。「有の実は仏前に供えさすが名産と美味しく戴きました……」と書いてあった。「梨」とは書かれていなかった。私はさすがと思って美枝子夫人への尊敬の念を深めた。しかし、近年不帰の人となられ、あの敷地内には立派な中原中也記念館が建っている。(2004年新聞コラム投稿)




100分名著 中原中也  1回目


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