まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

新宿「ニューミヤコ」でチューリップ台三昧

2012-04-12 01:02:58 | 思い出のパチンコ店

1990年代、ドップリとパチンコ漬けの日々を送っていた私は、ハネモノ、デジパチ、一発台、権利物、一般電役、アレパチ…と、あらゆるジャンルの機種を打ってきた。

 

そんな中で、ある一時期ハマっていたのが、「普通機」(チューリップ台)である。

 

デジパチのように絵柄を3つ揃えるとか、ハネモノ宜しくVゾーン入賞を目指すといった必要性はない。ただ、盤面に配されたチューリップやヤクモノに玉を入れるだけの、シンプルなゲーム性である。

 

短時間でワッと玉が出る事もなく、ジックリと腰を落ち着けて出玉をジワジワ増やしていく。元手は大抵数百円~千円程度なので、ドル箱7分目の1500発も出れば御の字だった。

 

マッタリとした展開は、どちらかというとお年寄りに人気があったが、私は、チューリップ台のシンプルかつ奥深いゲーム性に、ある時期すっかりハマってしまった。

 

もちろん、回収台に座らぬよう、慎重に釘読みを行った事は言うまでもない。ただ、出たり入ったりの「遊び台」に捕まり、長時間粘った挙句に全て飲まれてチョン…のパターンもあった。

 

思い返すと、今は無き、新宿「ニューミヤコセンター」(現・カレイド)で、1992年~93年に掛けて、このチューリップ台を頻繁に打っていた。

(夜のネオン輝く新宿「ニューミヤコ」)

当時、ニューミヤコでは、チューリップ台を2シマ・3機種設置していた。「タッチダウンI」「ハイパーボールI」「トリプルパワーII」。いずれも、三共製の普通機である。

 

三共「トリプルパワーII」(1992年)…中央にスーパーコンビタイプの三つ穴クルーンがあり、手前穴に入ると全チューリップが開放する。「静かな湖畔」のメロディや「HIGH GRADE」のステラ枠も懐かしい。タッチダウンIとハイパーボールIも、ステラ枠を採用した92年の普通機である。温泉街の古臭いパチ屋なんかでも、良く見かけたものだ。

 

今回、画像は用意できなかったが、ニューミヤコで一番お気に入りだったのが、「タッチダウンI」である。中央ヤクモノが振り分け式になっており、左に入ると左+中央、右に入ると右+中央のチューリップが開く。一番アツイのはセンターに入った場合で、一気に5枚のチューリップが開放するのだ。ヤクモノとチューリップの絶妙な連動は、パチンコ本来のアナログな魅力に溢れていた。

 

釘の良さげな台を見つけた後は、チューリップ台と言えども真剣勝負である。ヤクモノに飛び込み易いストロークを探し出し、絶好の「ツボ」を見つけたら、そのストロークをひたすらキープするのだ。

 

まさに、「集中力」こそが、チューリップ台攻略の肝ともいえた。ブッコミ付近の釘をグッと睨み付け、自分が凄腕のパチプロになった気分で、台と向き合ったものだ。

 

しかし、油断すると、せっかく稼いだ上皿ギッシリの玉も、みるみるアウト穴に吸い込まれてしまう…。ミリ単位の微妙なハンドル調整でスランプを回避する事も必要で、実に根気がいる作業だったと思う。

 

悪戦苦闘しつつ、ドル箱に1500発程の玉が貯まれば、欲を張らずに「即流し」である。戦利品のレシートを持って店奥のカウンターに向かう時は、「今日はどんな景品を取ろうか」と、いつもワクワクしていた。

 

というのも、当時の「ニューミヤコ」の景品コーナーは、他店とは比べ物にならないほど充実しており、コンビニ顔負けの品揃えだったからだ。

 

チューリップ台でささやかな勝利を手にした時は、換金する事もあったが、書籍やCD、菓子、レトルト食料品など、思い思いの景品と良く交換していた。自転車や冷凍カニなんかも置いてあったが、流石にかさばるので交換はしなかったな…。

 

新宿「ニューミヤコ」の景品カウンター前(景品陳列棚側から撮影)…何を取って良いか迷うほど、実に豊富な品揃えだった事が判るだろう。画像の奥(右側)にパチンコシマがあった。個人的には、画像右上の「書籍コーナー」にある、小説の文庫本を良く取っていた。

 

「ニューミヤコ」の景品カウンター前(カウンター側から撮影)…景品棚の一番手前側には、スーパーマーケット宜しく「買い物カゴ」が積んであった(画像でも確認できる)。このカゴに、玉数計算用の「電卓」が付いていた事は、当時通った常連なら記憶しているだろう。

 

そういえば、この時期の「ニューミヤコ」で、チューリップ台以外にオイシイ機種があった事を思い出した。

 

奥村の3回権利物「スーパースター」だ。当時、ニューミヤコに置いてあった本機で、私は良く盤面右側の「回転体狙い」をやっていたのだ。7個戻しの回転体に、単発打ちで玉を乗せるだけの地道な作業である。店員に文句を言われる事もなく、ほぼ「店公認」の状態で攻略をやっていた。

 

とはいっても、せいぜい上皿に玉が一杯になると、通常のストロークに戻してデジタルを回していた。まぁ、元手は百~二百円で、大当りした事も2,3度あったので、戦績は上々だった。実に良い店だったな、新宿ニューミヤコ…。



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ピョン吉)
2012-06-12 12:54:11
当時ミヤコでアルバイトをしてました。
景品交換は等価だったので品物と交換する人も多かったですね。

当時としては珍しい、水の入った灰皿で、そこに100円玉を落とす人がけっこういて、朝の掃除で必ず何百円か拾いました。
高校卒業後、上京して初めてのアルバイトだったので本当に懐かしいです。
返信する