まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ビックリハウス2(奥村・ハネモノ)

2011-12-05 00:06:13 | ハネモノ
1990年(平成2)年の規則改正をきっかけに、旧来の小銭で長く遊べるタイプから、ギャンブル性が高い大量獲得機へ趣を変えたハネモノ。
 
 
ニューモンロー(西陣)、サンダードラゴンGP(三共)、ニュートキオ&ニューヨーカー(平和)、たぬ吉くん2(京楽)、ジェットスキー(三洋)、サンフラワーE(ニューギン)、お笑い道場(マルホン)…
当時の各メーカーは、こぞって出玉の「ボリューム感」をウリにしたハネモノを出すようになった。
 
 
そんな流れの中、「我も続け」とばかりに奥村が1992年(平成4年)に送り出したハネモノ「ビックリハウス2」。やはり本機も、「Vまでは一苦労だが、一発当たれば大量出玉」タイプである。
 
 
 
 
 
 
ゲーム性は、正直「単純」そのものであり、当時「ハネモノの皮をかぶったデジパチ」ぐらいにしか思っていなかった。しかし、この間久々に実機と対面した時は、何ともいえない郷愁がこみ上げた。
 
 
賞球数が「7&13」の為、15発戻しの大量獲得機よりは甘釘の台が多く転がっていて、当時は勝たせて貰ったという記憶が強い。何だかんだで、結構相性は良かったのだ。
 
 
本機の場合、「ヤクモノ上部のデジタルに7が出るか」否か…これが、勝負のカギであった。
 
 
ヤクモノ手前ステージと奥の「LUCKY」と書かれたVゾーンの間には、中央に溝の付いた回転体が常時クルクルと回っており、手前からVゾーンへの「橋渡し」の役割を担っていた。
 
 
 
 
ただし、この回転体は非常に「クセモノ」で、玉をことごとくアウト穴に弾いてしまう。何発拾ってもVを落とせない、難攻不落の強者(つわもの)だった。ごくまれに、変なルートでVに入ってビックリすることもあった。
 
 
ヤクモノのアウト穴に玉が入ると、デジタルが1回転するようになっていた。この時、デジタルに7が表示されると回転体の動きが変わり、正面を向いた状態で一瞬停止するようになる
 
 
こうなれば、玉が回転体の溝を伝って、奥のVゾーンにたどり着くチャンスが一気に高まった。ただ、次に拾われた玉がアウト穴に入ると、デジタルは再び回り、回転体の動きも元に戻ってしまう。
 
 
(小さいながらも、存在感タップリの7セグ。7が出る確率は表面通り10分の1。)
 
 
大当り中は、停止した回転体の奥に玉が一つ貯留される。貯留解除後は、ほぼ間違いなく継続となり、最終ラウンドまで安心して打ち続けられた。たまにパンクした時は、やはりショックも大きい。
 
(普段は厄介な回転体も、大当りともなれば、V継続の立役者となる)
 
 
大当り終了後は、引き続きデジタルに「7」が出た状態で、回転体は一旦停止を継続する。つまり、大当り後の最初の一鳴きで、再びV入賞するチャンスが高かった訳だ。本機が「連チャンハネモノ」といわれる所以である。ただ、このチャンスタイムで玉がハズレ穴に入ると、デジタルが回ってしまい、ハズレ目が出れば回転体の動きも元に戻る。
 
 
さらに、本機では、朝一電源立ち上げ時にもデジタルに「7」が出た。つまり、モーニングが付いていたのだ。無条件でデジタルに7が出た状態から打てるのだから、大きなチャンスであった。
 
 
ただ、1992年という時代は、保留連チャンデジパチや爆裂権利物・アレパチが多数登場し、パチスロでも裏モノ3号機が幅を利かせていたので、かつての「ハネモノ大人気」という雰囲気は、既に消え去っていた。
 
 
もちろん地域差はあったのだが、少なくとも当時の地元店では、ビックリハウス2の朝一台に客が大挙したという記憶はない。朝一台のカニ歩きも、やり放題だった。今思えば、客側に有利な朝一サービスだらけの、実に良い時代だったと思う。