まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

フィーバーフェスティバルI(SANKYO・デジパチ)

2011-10-13 16:58:34 | 現金機デジパチ

今回はSANKYOから1993年(平成5年)に登場した「フィーバーフェスティバルI」というデジパチを取り上げる。



大当たり確率は1/240で出玉は約2400個。当時の新要件デジパチで連チャン性を持った機種としては、平均的な数値であろう。


それまでの三共のデジパチとは明らかに異なるその作りに、最初見たときはホント驚かされたものだ。特に、巨大なドットデジタルの存在感には圧倒された。パチンコ必勝ガイドの編集長だったスエイさんの当時の言葉を借りれば「世界で一番大きなデジタル」である。ちょっと離れたところから見ていても、どんな絵柄でリーチがかかっているか見えてしまうくらいの大きさであった。


そのためゲージ構成もかなり特徴的で、大きなデジタルの間を玉が流れるような変則的な作りになっていた。したがって、一見ヘソが大きく開いていて「おっ」と思わせるような台でも、中央への寄りがあまり良くない「ダマシ」釘になっている場合もあり、釘読みには注意が必要だった。


さて、この機種最大のウリであった「連チャン性」については、三共お得意の保留玉連チャンではなく、大当たり後20~30回転の早い回転数で再び当たる「数珠つなぎ連チャン」が仕込まれていた。では、ここでフェスティバルの連チャンシステムを軽く振り返ってみたい。


①初当たり判定は常に1/240。いわゆる「地獄モード」という低確率モードは存在せず、比較的良心的な確率で大当たりを引くことができた。


②大当たり時の連チャン判定には、1/7の1次判定と2/3の2次判定があり、双方をクリアーして初めて連チャンモードに突入した。つまり、トータルの連チャン突入率は2/21と決して高くはなかった。


③連チャンモード突入後は、大当たりを引くまで通常モードに落ちることはない。1/24という高確率で大当たりする「天国状態」に滞在した。


④連チャン大当たり発生時には、天国モード維持or転落の抽選が行われる。モード転落率は1/3。、即ち、2/3という高確率で天国モードをループする仕様であった。



さらに加えて、この台には朝一の特典である「モーニング」が存在。パチスロのモーニングの行列に並ぶのは当然の事、当時のパチンコは朝一のモーニング狙いが色々と美味しかったのだ。私自身、古くはフィーバーレクサスに始まり、アレキング、エキサイト、綱取物語、春夏秋冬、ロックンビートと、安ゼニで当りを取れるモーニングの恩恵を受けた機種は多い。


ちなみに、Fフェスティバルのモーニングは店側が仕込むタイプで、電源OFFからスタートチャッカーのコネクターを抜き、コネクターのセンサーを玉に感知させた状態で電源をONにするというやり方だ。その後は、ほぼ確実に連チャンモードに突入するというスグレモノだったが、店によっては仕込みを行わない所もあり、「必ず朝イチがオイシイ」ということではなかった。


最後に、この台にまつわるパチンコTV番組ネタを一つ。1993年に日本テレビで放映された深夜番組「DAISUKI」で「芸能人パチンコ対決」という回があったのだが、収録が行われたのが横浜の綱島だった。「ピア綱島」という店で、ゲストは渡辺正行と榊原郁恵というビッグネーム。実は当時、レギュラー出演者の一人である飯島直子の地元が綱島だったため、この綱島が選ばれたのだ。


実は、そのときの対決台の一つが、このフィーバーフェスティバルであった。30分という短時間の勝負だったが、リーチはかかれど大当たりせずという展開で、結局誰一人大当たりを引けずに終わってしまった。もしも店側がモーニングを仕込んでいれば、当然誰か一人くらいは当たっていたのだろうが、朝一からの収録ではなく、しかも店内には一般客も大勢いたために、何も仕込めずにガチンコ勝負となってしまったのだろう・・・。

加えて、2台あるTVカメラのうち一台が、フェスティバルのドット液晶に対応していなかった為、ドット画面が常に点滅している状態だった。これは明らかに撮影上のミスであったが、パチンコ店という一発撮りのロケで、事前のカメラテストも十分に行えなかったことが原因と思われる。