心の意伝詩

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甘えを受け入れる事と甘やかす事

2013-05-28 12:08:10 | 生まれ来る子供たちのために

    甘えを受け入れる事と甘やかす事について考えてみます。

”甘えを受け入れる”という事は、”受け入れてほしい何か”があるという事になります。

 

例えば

子供が”ママ、アンパンマンのお菓子買って!”と言ったとします。

その時、子供の脳裏には、すでに

アンパンマンのお菓子を手にしている自分の姿が映像としてあります。

そして、

”アンパンマンのお菓子ね。いいわよ!”とママが言い、

実際に自分がアンパンマンのお菓子を手にしている現実の姿と脳裏の映像を照合し、

現実と脳裏の映像が一つになり、合っていれば、

喜びとなります。

自分は、受け入れられている愛されているという事の確認が出来るまで

何度も要求してきます。

満足すれば次のステップに進めます。

 

または”ママ、ハンバーガー10個買って!”と言ったとします。

その時、子供の脳裏には、

ハンバーガーを10個、目の前に並べている自分の映像があります。

”ハンバーガー10個ね。いいわよ!”とOKし、10個のハンバーガーが目の前にあれば

食べる事が出来ても出来なくても、

子供は、脳裏の10個のハンバーガーと目の前の10個のハンバーガーを照合して

合っていれば、自分の要求は受け入れられたわけですから喜びとなります。

 

この時、ハンバーバーが好きだからという理由や以前、要求したからという理由で

今、子供が要求しないのに、ハンバーガーを10個与える事は、甘やかしです。

大事なことは、子供が要求したことに応えるという事。

 

そんなに食べられるわけないからダメ!とか

お腹壊すからダメ!とかは言う必要はありません。

そうなった時に子供がどう感じるかです。

大けがをするかもしれないとか命にかかわるという以外は、子供の要求に応える。

そして、見守る。

 

甘えを受け入れるという事は、子供の脳の映像が現実化するという

成功体験なわけです。

これを毎日毎日繰り返す事は、仕合せを毎日毎日作っていることになります。

 

今からでも大丈夫!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ホームレス

2013-05-24 11:42:26 | 生まれ来る子供たちのために

路上文学賞というものがある事を初めて知りました。

全国の路上生活者を対象とした文学賞です。

 

大賞になった鳥居さんという方の

          「エンドレス・シュガーレス・ホーム」

という作品に出会いました。

 

・・・・「家」や「家庭」というものを思い浮かべるとき、ぐらぐらと 急に足許が おぼつかない 

 

     不安定な気持ちになります。

 

   もし 「帰ることができる”家”がない」ということも、ホームレスに含めるのであれば

   

    幼い時から 私はホームレスでした。

        

        中略

 

・・・・危険な目に 遭わされる心配が ない、 ということは、 こんなにも 自由です。

 

   家がないことは

   

   こんなにも のびのびとした 自分自身の心を 取り戻すことができます。

 

                    今夜は 月が とてもきれいです。

 

 

この方は、自分の感性や気持ちを表現する自分自身の言葉を持ち、

ホームレスでいながら自分の世界をもっています。

 

自分の感性や世界観もあいまいで

家に居ながらにしてホームレス・・とは、私の事?と思ってしまいました。

 

エンドレス・・・終わりがない

シュガーレス・・・甘くない・・・甘えがない

ホーム・・・家

続けると、

ずっと甘えられなかった家・・・。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「しあわせ」を探す

2013-05-08 11:17:53 | 生まれ来る子供たちのために

新聞広告コンテストの広告を見つけました。

テーマは、「しあわせ」

審査委員も「探しつづけています。」と書いてありました。

 

探し物をする時、私たちは、どうするのでしょうか?

どこに置いたのか、最後に使ったのはいつだったのかの記憶や

色や形、大きさなどを思い浮かべながら探します。

探し物に意識を集中して探しています。

という事は、仕合せを探すにはイメージが必要。

仕合せのイメージと合致したときが仕合せに成った時。

 

以前、我が家での出来事。

まだ1歳になったばかりで、やっと歩き始めた幼な子が、

座卓に思いっきり顎をぶつけてしまいました。

ゴンッと音がしたので、相当痛かったはずです。

その場にいた誰もが、凍りつきました・・。

 

でも母親は、すぐに駆け寄り「痛かったね~」と言いながら、子供を抱き上げ、

大丈夫だよというように抱きしめ・・・

そして「イタイノ、イタイノ、トンデッチャエ~」と言いながら、身体をゆっくりゆらし、

幼子は母親の胸元に、頬ずりするように顔をうずめ・・

二人だけの静かな静かな時間が流れました。

 

幼子は、ちょっとぐずりましたが、すぐにおさまり、しばらくは母親の胸元に顔をうずめ、ピッタンコ。

部屋はシ~ンと静まりかえり、そこだけ光が射したかのような柔らかい空気が流れ

ほんわかとして、そばで見ていた私を含め、そこにいた大人たちみんなが、

ちょっと仕合せな気持ちになりました。

まるでマリア様の像を観ているようでした。

 

その後、その子は、よほどその時のピッタンコが気に入ったのか、

ちょっとぶつけてもピッタンコをねだり

さらには、わざとぶつけてはピッタンコをねだるようになったということでした。

ほほえましい様子が浮かんできます。

それに応えてあげる母親もステキだと思いました。

 

その子の欲望は、抱っこしてほしいという事です。

そして、その母親は受け入れました。

受け入れるという事は、抱っこも含め

痛い事を否定せず、痛かったね~と、痛いという事を認めてあげて受け入れたのです。

これが、痛いという事なんだと、幼子の中で言葉と知覚が合致します。

痛いのに、痛くない痛くないと言われると、知覚が混乱し、

無理に我慢しようとして、痛い事を感じなくしようとしたり、感じなくなったりします。

そして、「わざと~する」事も、受け入れたのです。

そんな事しちゃいけないなんて、言わずにピッタンコに付き合ってあげたのです。

 

甘えている。

甘やかしは、いけないという方もいます。

そうでしょうか?

抱っこしてもらっている子供は、満足すれば、気が済めば、

抱っこしている手をほどいて自ら出ていきます。

その抱っこが、15分、30分、もし1時間だとしても、人生100年として

1日24時間×365×100=876,000時間分の1です。

 

大事な事は、自分の肉体の感覚をありのまま感じられる事や

自ら出ていくというように、行動を進めることです。

大人が何かをさせる事ではなく、自らの気持ちに沿って行動出来る事。

 

仕合せを感じられる時間が一度でもあれば、

それは、親から子供への贈り物。

なぜなら、幼子の満足体験は、幼子の仕合せ!!

 

今の時代、仕合せ探しが難しければ難しいほど、

せめて幼い時に、仕合せを体験できるならば、仕合せをすでに知っている!!

わけで、すごいと思ってしまいます。

その気になれば、親になった誰でもが出来る事。

 

仕合せというものが、「こういうもの」と言える為には、それを少しでも

見たり、聞いたり、触ったり、感じたりしていなければ、探せないわけで、

仕合せを一瞬でも、味わっているという事は、仕合せの核を持っているという事になります。

そして、その今ある仕合せの核を元にさらなる仕合せを求めて発展、進化していけるのです。

 

自分は、こういう仕合せが欲しい!と言えるのは

受け入れられた経験があるから。

それは、わがままというもの!などと、いつもいつも否定されていたら

こういう仕合せがほしい!なんて、とても言えなくなってしまう・・。

 

子供の要求には、敏速・適格に応えてあげましょう。

オールOKで。

今からでも大丈夫!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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