せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

江戸末期建築の民家生活を体験して-3『集落保存にみる志を貫く活動』

2017年07月23日 | 日本民家再生協会・伝統建築・造園

↑ブログ掲載の写真は日本民家再生協会のMさん撮影分も投稿に含みます。
一人でも多くの民家ファンを増やすために、使用許可をいただいてます。Mさんに感謝!


民家生活体験レポート最後のテーマは、
3)『集落保存にみる志を貫く活動』
残すことの意味とは?何を大事にして、何を切り捨てるのか
 〜保存活動家のお話を聴いて、勇気をもらったこと〜 です。

伝統的な建物を、当時の佇まいを、
なるべく忠実に、保存するということの大変さを、
二日目の夜、全員が集合しての席で
披露くださった、Hさん。

長年、活動にかかわってきてくださった方の真摯なお話に
会場の皆が、胸を撃たれました。



まず最初に、保存活動は、最初は一人の「水源を守りたい
の気持ちからだったというのには、驚きました。

開発行為を避けるのが目的だったそうです。
水と木と暮らしを結びつけて活動していくうちに
古民家に関わるようになった私自身も
森と樹と暮らしを繋ぐ活動を始めた頃は、

「柿本は建築をやめたのか?」
という人まで、実は現れていた数年前。
自分への迷いがなかったか?というと嘘ではありません。

この方の存在を知った今、民家へたどり着いた流れは
環境を守ることに通じる、
だから必然だったのかもしれない
と思えました。

とても勇気をいただきました。

現在、その方は亡くなられ、ひっそりと藪の中に
残された有志で石碑を建てられたそうです。

お名前は、表舞台には出てきません。
活動を通じて、多くの反対者や敵もいたとのこと。
語り手のHさんは涙ぐんでおられます。

元の住民ではないその勇者は、遠くは飯田市から
バイクで木や畳を運び、
民家の修復をコツコツとなさっていたそう。

日本でも稀な民家含んだ周辺環境の保存活動。
何事も最初に行う方の勇気と行動力には頭が下がります。

誰かに褒められるわけではなく、
誰かに疎まられる方が多かったかもしれないその人生に、、
想いを馳せるひと時でした。

実際は、建築家も調査で入っているのですが、
保存方法の折り合いがつかなかったとか。

専門家は、耐震や、快適さ、美しさも求めますからね〜。
費用面も高く見積られたのかもしれません。

民家は、耐震改修はなされていません。
傾きもあり、朽ちている部分もあります。

建築の理想的なカタチにエネルギーを注ぐよりも
むしろ、環境に溶け込む風景としての住まい、
昔ながらの営み、生い茂る草草も環境の一部
という人が造りきれない部分も大切にしている様が
こよなく人に愛される所以なのかもしれません。

素人や地域の工務店の援助を借りながら
人の手で、少しづつ修復を行っている様子が、
私たちの宿泊時にもありました。

自分たちも少しでも役に立てたらと、
屋根の枝払いや、床磨きなど行いました。

↓ぬかで磨くとツヤツヤになった床板


この一連の活動は、民家の持つノルタルジー的な保存ではない、
環境すべてを含んでのことであったのです。

その根気のいる活動と、水源が守られたことに
私たちは感謝仕切れないほどです。

 最後に、個人的にHさんに「志の貫き方」を教わりました。
上から諭すのではなく、心の中に秘めていなさい。

下まで降りて行って(活動賛同者ではないコミュニティのことですね)
そこから、仲間を、人を巻き込んでいくのだよ、とのことでした。

私が、建築の専門分野だけではなく、
全く別の分野、ビジネスの世界に飛び込んでみたり、

地域コミュにテー活動に関わる時間を多く取ったりすることは
あながち、間違っていないかもしれないと思えてきました。

(一説には、成果が出ないのは、やり方が違うからという説もあり、、、
萎えることもしばしば)

遠回りかもしれないけれど、やはり自分を信じて
導きのまま、与えられる機会のままに、
素直に活動していくことも、方法としてあると思えてきました。

言い聞かせているだけかもしれませんが、笑。
(あの世でしか、結果はわかりませんから)

具体的な建築の保存方法とは、また違った、
一人の志を持った勇気ある活動の話。

建築や良き環境が残るのは、一人の孤軍奮闘から、、、
そんなことを教わりました。

何を生かし、何を捨てるのかも、志の貫き方であると、、、
自分軸をしっかりと持つことも、ぶれない活動の継続性につながることも
学びました。

民家を通じて、人生哲学をまなんだ夏の宵です。
長文、お読みくださりありがとうございます。

↓天井が高い空間だと、背の高い私も違和感なし⁉︎ 
鴨居には頭ぶつけそうになりますけどね、笑



下記、NPO法人公開の、保存活動年表抜粋です。

歴史を紐解くと、
昭和45年の集団離村の後、中京の開発業者が大平宿での別荘開発に着手したのを受けて、
大平の自然保護、大平宿の保護のため「マスヤ会」が発足し、
「大平宿を残す会」に名称変更。
その後、全国歴史的風土保存連盟・全国町並み保存連盟に加盟、大平保存再生協議会発足したとあります。
さらに昨年、管理母体、NPO法人「大平宿をのこす会」から、飯田市の観光公社が管理しています。

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