さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

小さな町の小さな駅の午後1時

2017-11-18 | 日記
私は駅の跨線橋の上に立って駅構内を眺めていました。



ふるさとの訛り懐かし停車場の・・・啄木
私はそんな啄木の歌を心に口ずさんでいました。昨日古里只見の小学校の同級生から友の訃報の電話があって心寂しくてJRの駅を訪れ跨線橋の上に立って古里への思いにひたっていたのです。

会津若松行きの上り列車が発車して間もなく下りの列車が到着しました。土曜日の午後です会津若松方面からの高校生がいっぱい列車を降りました。部活などが終わって帰る生徒さんたちなんでしょうか。




乗客を降ろすと3両編成の列車は次の駅塔寺に向かって警笛を鳴らして発車していきました




この列車の線路は私の古里只見に通じているんです。JRの線路は6年まえの新潟福島豪雨で多くの橋梁や線路が破壊され川口駅から只見駅までは代行バスで運行されています。

いくつになっても、いいえ年をとるほどに古里への思いは深くなるんですね。69人ほどいた小学校の同級生は女の人はわりあい多く残っているいみたいですけど、男で連絡が取れるのは私を含めて僅かに4人になりました。そのうち古里只見に残る男の友人は僅かに1人みたいなんです。その友から女の同級生の訃報の電話があったんです。心寂しく古里が懐かしくなってしまったんです。

亡くなった同級生の女の人の中には密かに心をよせ心ときめかせていた人もおりました。もちろん片思い、遠くからときめいてちらと眺めては顔を赤くするばかり、でも相手の女の人には決して気づかれないようにしておりました。その人も亡くなって3年ほどになるんです。

10年ほど前だったんでしょうか、家内と一緒に町の病院行ったとき偶然にその人と会ったんです。当然80歳のおばさんになっていました。でも私には純粋な思う心があります。どっきりして佇立していました。女の人には私などたんなる懐かしい同級生なんですからわだかまりはありません笑顔で懐かしそうに近づいてきました。佇立している私を家内は見て「懐かしい同級生にあってなにぶすっとしてるん。握手ぐらいしなさいよ」と背中をドスンと押しました。なんとも言えないおかしな気分の握手でした。でも3年後の爺いのおかしな思い出のひとつになってはいるです。

今は古里の訛りといいますけど、テレビや幼稚園から高校までの学校教育や他地方との交流が盛んになったことなどでほとんど訛りは消えているんです。たとえばおたまじゃくしのことを私の子供の頃は「けいれご(かえるこ)」といっていました。でも今の古里只見の子供には「けいれご」は通じないと


かつて私が若い頃古里に帰省すると、近所のおばさんはこんな言葉で迎えてくれました。
「しなた よくきゃったなむ まめそうで はあ よっかったでえ ゆっくり泊まっていんぎゃれやあ」

これって最上の丁寧語なんですよ。
「あなた よくおいでになりましたね ほんと お元気そうでよっかったと心から思います。ゆっくりと泊まってからお帰りなさい」

これっていまの若い只見の人たちにはたぶんおかしな方言に聞こえると思います。


私は跨線橋の上に独りで立って古里只見に向かう列車を見送りながら心うちに啄木の歌をつぶやきながら古里を懐かしむ心でいっぱいでした。

「ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみのなかにそを聞きにいく 啄木」 
 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
思い深く (kei)
2017-11-19 17:34:19
何時も拝読させていただきながらご無沙汰しております。
この線路の先、そのずっと先にあるの古里へ、一途に思いが向かいますね…。
お気持ちが届くような気がしてまいります。

3歳だった孫娘が日本にやってきて覚えたオタマジャクシでしたが、
思わず出た言葉が「あたまじゃくし」でした。もう12歳です。
寒くなりました。お風邪など召されませんようにお身体大事にお過ごしください。
Keiさん (さんたろう)
2017-11-20 11:47:43
コメントありがとうございます。
こちらこそご無沙汰申し上げたことお詫びいたしします。

あれ・・ご無沙汰申しあげているうちにJessieちゃんもう12歳ですか。綺麗で可愛い女の子になっているんでしょうね。早速お伺いして楽しませて頂きます。
コメントが・・ (sasanoha7920)
2017-11-21 13:59:40
さんたろうさんの投稿の速さと上手さについていけません。跨線橋はさんたろうさんの古里回帰展望のスポット、未だ私がブログを始めた初期に、さんたろうさんの跨線橋からの写真をみて感動し、何度も見て高校生、駅員さん、駅長さんの事をお訊ねしたりして、思い出すと厚顔の至りで・・当地方にも跨線橋は有りますが撮影スポットにはならないのか・・・
思い出しました、常磐線南柏の跨線橋の透かし壁面の破れから夕焼けに浮かぶ遠い富士山の写真は年賀状の背景に使った記憶が有りますが、1年程前に今度は破損されない様に細かい穴の開いた壁面で覆われていてカメラでは写せなくなりました。近頃は此処から遥かに富士山が望めると気の付く人もいない様で・・
小学校(私の場合国民学校ですが)に初恋の人がいたのですがクラスの一番の美人で成績も良く、後で訊いたら陸軍中将のお嬢さんとか、クラスの友達が私に「ささっぱよう、アレが1号、誰々が2号・・へっへっへっ」私は1号2号の意味も解らず、只恥ずかしかったのだけは覚えているのですが、今思えば、その友達もその子に憧れていたのだと思います。卒業してから男女83歳10数人年1回の同窓会に顔を合わせますが、その子の消息だけは、とうの昔から不明です。さんたろうさんは幸いにも初恋の人に巡り会えて本当に良かったですね。私も国民学校の遠足の写真に小さく写っている彼女の写真を虫眼鏡で見て、懐かしい子供時代を振り返る事が有りますよ。
sasanaha 7920さん (さんたろう)
2017-11-22 20:17:04
あらっ・・ほんと、このブログの投稿二番煎じでした。でも私の古里只見を思う大事な場所なんです。前にどんなことを書いたのかも忘れましたけどその頃から見ていただいているなって感激です。

壁面の破れから見える富士山の写真,ふと北斎の富岳百景を思い浮かべました。さぞかしすばらしい写真だったろうと思っています。壁面の破れがふさがって残念ですね。

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