さんたろう日記

 90歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジ持って残りの日々を楽しもうと思っている爺いです。

田植え前 圃場に春が輝いて

2017-05-15 | 日記
湖みたいになった圃場に集落の影が映ってきれいでした。
鮮やかな緑の西金上の集落です。



今日は思い立って早朝に散歩に出ました。田植え前の圃場は静かでした。いつも見慣れていた散歩道が美しく輝いていました。嬉しかったんです。
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9 コメント

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サルナシ (M .H)
2017-05-16 05:55:39
サルナシは、村の下の河原で採った記憶があります。キュウイと似ていました。安越又沢の先で、春から雪の降るま出作り小屋で畑を耕して暮らしていた年寄の人がいたような気がします。杓子小屋は、ブナ沢辺りでしょうか?徳男さんは若い頃、結婚はされ子どもはありましたが、山の事故で亡くなられました。奥さんは、晩年子どもさんのところで(福島市?)で過ごされたようです。
高校の先生 (M・H)
2017-05-16 06:50:24
小立岩の教員住宅兼学校で昭和9年生まれ、現在83歳の方が磐梯町にお住まいです。
私が高校生の時に国語の教師でした。
何回かお手紙を交換しました。
その方をご存じでしょうか
徳男君のこと (さんたろう)
2017-05-16 09:52:24
徳男君は若い頃山の事故で亡くなったんですか。知りませんでした。合掌

とてもだいじなことを教えていただいて感謝いたします。
私は小学校1年になったとき初めて小立岩の大川小学校に転入しました。言葉も風習も違っている環境にとまどっている私を親切に優しく教え導いてくれたのが徳男君でした。

先に開墾の所でサルナシを食べたことを書きました。
小学校3年の時でした。徳男君は美味しいものがあるといって開墾に案内してくれました。じつはそのサルナシは徳男君の秘密の場所だったんです。そこに私を案内してくれたんです。

サルナシの蔓は子どもには登れない太い木の梢にありました。そこにいくのには近くにあった細い木に登って太い木に移らなければなりません。徳男君の後についてやっと太い木に移って木の股にまたがり枝にしがみつことが出来ましたけどとても枝先のサルナシの所まではいけません。徳男君は軽々と枝先のサルナシのところまで行ってたくさんサルナシの実を採ってきて私に食べさせてくれました。私にそれは天に昇るような美味しいものでした。

さて、帰ろうとして下を見るとすごい高い所にいることに気づき私は恐怖のあまり泣き出してしまい身動きが出来なくなりました。そんな私をなだめ導き支えて下に下ろしてくれたのが徳男くんでした。一事が万事時徳男君は私の友人というより私の兄貴のような存在でした。あごしま沢でイワナを捕っても私は一匹も獲れないのに徳男君はいっぱい捕って私に分けてくれるのでした。

徳男君、そのうち私もいくよ、そのときもまたきっと私を優しく導いてくれると思っているよ。また会える日を楽しみにしているよ徳男君。 合掌
高校の先生のこと (さんたろう)
2017-05-16 10:19:39
たぶんそれは私の弟忠のことだと思います。もしそうでしたら生前お世話になりましたこと深く御礼申しあげます。

忠は1925年12月病で亡くなりました。
http://art21.photozou.jp/pub/545/2472545/photo/247843509_624.v1494897122.jpg
伊南川物語 (M.H)
2017-05-16 12:38:24
さんたろうさんが、忠先生のお兄様でいらっしゃるとのこと、不思議なご縁に驚愕しています。忠先生のことは、先生の「伊南川物語」が福島県文学賞受賞記事をインターネットで見てご連絡を差し上げました。貴HP もインターネットで偶然知りました。私は、実は、昭和30年代の村を舞台にした小説を書いています。HP 農民文学に紹介されている昨年度の作品が最終候補に残りました。今年度受賞すべく苦闘していました。そこで貴HP さんたろうさんまた、恩師との出会いです。この素晴らし出会いに感謝します。忠先生、さんたろうさんありがとうございます。
大桃の橋から落ちたトラック (M・H)
2017-05-16 18:47:31
忠先生が亡くなられたとは信じられません。私の脳裏には、若い元気な溌剌とした先生の顔しか浮かんできません。残念です。心よりお悔やみ申し上げます。
 私への手紙の中で、長男の背中に背負われて見た、
大桃の橋から落ちたトラックのことを思い出として書かれていました。長男とはさんたろうさんの事ですよね。水屋の流れにはイワナが泳いでいたともありました。
 封書のスタンプが不鮮明ですのではっきりは分かりませんがH4年にいただいた封書が手元にあります。秋頃ざ農民文学に掲載される拙作をお届けしようと思っていました。残念でなりません。
M.Hさん (さんたろう)
2017-05-16 19:47:03
生前の弟忠との温かいご厚誼心から感謝申しあげます。

長道橋から落ちたトラックのことは記憶にありませんけど私が小学校3年から4年にかけて忠はいつも背中におぶさっていました。友とサナズラやアケビを野に求めるときもスキーを友と楽しむときもいつも背中にいてオシッコをなんどもされました。80歳で逝きましたけど逝くまで可愛い弟でした。

そんな弟です、私にコメント頂いて私以上に懐かしく嬉しく思っていると思います。それに農民文学に掲載された.M.Hさんの作品について心から喜んでいると思います。忠に変わってお祝いと喜びとそして御礼を申しあげます。
サナズラ (M.H)
2017-05-16 20:20:22
サナズラという言葉を思い出しました。ありがとうございました。忠先生の手紙には、電気が初めて点いた時のことも書かれていました。村の青年達に高い高いをされ、電気つけ電気つけと叫んだと。また、卒業後何十年も経っている私の封書の文字を見て、すぐに私だと分かったとありました。こんなに有り難いことはありません。お墓の画像をブリントアウトさせていただきました。
M.Hさん (さんたろう)
2017-05-17 01:26:44
忠の墓の写真をプリントアウトしていただきましたこと、忠も心いっぱい嬉しく感謝していると思います。忠に代わって深く御礼申しあげます。有り難うございました。

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