せきねりゅうしの誤字脱字展 (物語ブログ、ゆるいキャラクターを目指しています。お師匠さん、募集中です!)

せきねりゅうしの作品展および生活記録です。
面白いはずなので読んでください。効能には個人差があります。

スポーツをやる意味

2016-12-07 18:07:15 | 21世紀の歩き方
「スポーツをやる意味」

アニメ「ハイキュー」をまとめて見た、今年の夏だったかな。

バレーボールの描写はよくできていたのだが。

登場人物の多くが勝つことに執念を燃やし過ぎている気がした。

勝ちにこだわるのはよいのだが、動機が全く描かれていないのだ。

バレーボールって勝つためにやるのか?

まず、楽しむためにやるんじゃないの?

学問もさ、理解したいという欲求はあるけど、○○大学に入るためにあるものでもない。

このあたりはスポーツでも学問でも共通する傾向なのかね。

結果至上主義、とでも言うのかね。

いや、成果主義って言葉があるか(笑)

ハイキューに話を戻すと、主人公、その他の登場人物がものすごい勝利にこだわってる。

確かに勝つ気でやらなければゲームはつまらないし、勝ち負けにこだわるのは人間の本能の部分ではある。

でも違和感があるんだよな。

なんだろ?

怒ってるからかも。

勝ちたい気持ちと怒りは、あんまり関係ない。

むしろ、感情をコントロールできなければ逆効果だ。

なのに、やけにピリピリしてる。

何かに追い詰められたように。

ああそうだ、自分もいつも感じている。

見えない何かに気をとられている、あの感じ。

時代の空気なのかな。

機械との共存に対する疲れかもしれない。

海を見ていると癒される、そこには人工物がないから。

職場も家も、人工物と記号だらけだ。

スポーツだって、始める動機はほどよく運動するためなはずなのに。

バレーボールのルールやスコアという記号がプレイヤーや観戦者を縛り付ける。

学問だって、生活を便利にする道具のはずなのに。

人と争うことを強いられる。

そう、強いられるんだ。

勉強というのは、つとめるをしいる、と書く。

自主性の有無はあまり問われない。

勉強っていい言葉のように使われることが多いけど。

実はとてつもなく、悪いことなんじゃないかな。

だから勉強をしたりさせたりするのではなく、学問に向き合うと表現しようかと思う。

なんだかとりとめのない話になっちまった。
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