パロディ『石泥集』(短歌・エッセイ・対談集)

百人一首や近現代の名歌を本歌どりしながら、パロディ短歌を披露するのが本来のブログ。最近はエッセイと対談が主になっている。

2017年事件簿5 マスメディアの信頼度

2017-03-01 09:19:27 | パロディ短歌(2017年)
               マスメディアは信頼できるか?

 アメリカのトランプ政権がマスメディアへの対決姿勢を強めている。非公式の会見だとは言うが、スパイサー報道官は24日の会見からニューヨークタイムズとCNNテレビを締め出した。フェイクニュース(偽記事)を流すメディアには門戸を開かない、という言い分だ。

 日本では「なんと非常識な!」という反応が多いようだが、当のアメリカでは「よくやった!」という反応もあり、温度差は否定しようがない。理由の一つがマスメディアに対する信頼度で、国際的にみれば、日本は異常に信頼度が高いといわれている。現に80カ国以上が参加しているWorld Values Survey(世界価値観調査)によると、新聞・雑誌に対する信頼度は世界第1位で、テレビに対する信頼度は世界第3位という結果が出ている。(詳細を見たい人は、世界価値観調査をグラフにして「見える化」している http://www.garbagenenews.net/ を参照してください)下のグラフは、このサイトから転記したものである。

 このサイトで掲げている数値は、信頼している肯定派から信頼しない否定派を引いたパーセンテージである。第1位の日本は45.5%、2位のフィリピンが34.5%、3位の中国が34.3%で、以下韓国・シンガポール・チリ・ウクライナまでがプラスの数値、ほかは軒並みマイナス(つまり信頼しない人の方が多い)になっている。ちなみにアメリカ合衆国は-52.8%、ロシアは-30.7%、オランダが-28.0%、ドイツが-10.3%である。如何に日本が突出しているかがわかる。世界価値観調査を紹介しているサイトには、「信頼度」を「鵜呑み度」と注釈を付けているところもあるが、そうしたくなる気持ちはわかる。

 ただし、断っておかなければならないのは、この数値が2010年から2014年にかけての調査で、発表されたのが2014年の半ばらしい。ということは、朝日新聞の大スキャンダルが発覚する前の調査だった可能性が高いということである。朝日の罪とはまず、朝鮮における慰安婦狩りを日本軍が行ったというフェイクニュースを32年間にわたって流したこと、ついで福島原発爆発事故の際、東電社員が所長の指示を無視して逃げたというフェイクニュースを流したこと、である。(このブログでは、2014年事件簿6 朝日新聞大誤報の巻 で取り上げている)

 北朝鮮による拉致被害が明らかになったことで、もともとあった共産主義への嫌悪感と拒否感がぐっと上がったように、朝日新聞の恥知らずなニセ報道は、新聞ひいてはマスコミへの信頼感を失墜したはずである。個人的には、朝日新聞は廃業してしかるべきだと考えるが、まだいろんな特権と利益を手放したくないのだろう、面の皮を厚くして未だに「社会の良識」を気取っている。次回の世界価値観調査でマスメディアへの信頼度がどう出るか、日本の良識が問われているというべきだろう。

 少し脱線するが、なぜ朝日新聞があのような反日記事を書いたのか、その淵源(出発点と理由)から示したい。昭和10年ごろにはじまった軍国主義に、最大限の協力をしたのが朝日新聞だった。理由は販売部数を増やすためである。世の中の動きが反米・反英・反中でまとまると幹部はにらんだのだ。その狙いは当たって、朝日新聞は販売部数を飛躍的に伸ばした。ウハウハの時代である。しかし、戦争には負けてしまい、占領軍(GHQ)がやってきた。

 最高司令官ダグラス・マッカーサーは戦争に協力した新聞を一喝した。そして、時の政府批判をするのが、新聞の役割だといった。朝日を始め、新聞各社はこれに飛びついた。軍部が力を持った時は軍の意向を先回りして支え、GHQがやってきたら、その権力にひれ伏す。権力に這いつくばる性質は、まったく変わっていなかった。

 GHQは当初、容共的だった。つまり共産主義的な政策を推奨していたのだ。しかし、朝鮮戦争が始まって、方針を反共に一変した。レッドパージが行われ、労働組合のゼネストも禁止された。当然、日本政府も反共の政策を要求された。吉田茂総理が自由党の基礎を築き、のちに民主党と合同して現在の自由民主党が発足した。

 ここで新聞はマッカーサーの言葉を思い出したのだろう。新聞は政権に反対するものだと短絡して考えた。当時の世界はアメリカを盟主とする自由主義陣営とソ連を盟主とする共産主義陣営とに分かれていた。単純な頭で新聞界は考えた。政府が反共なら新聞は容共でなければならない、と。容共といっても、新聞各社で多少の色合いの違いはあった。最も左翼的だったのが朝日新聞で、北朝鮮を理想の国と宣伝して、大勢の朝鮮人を北に送ったのは周知の事実である。北へ渡った在日朝鮮人は、「帝国主義日本で育った最低の階級」の烙印を押され、財産を奪われて悲惨な境遇に落ち、しかも日本への帰国を許されない…という地獄を味わうことになった。しかし、朝日は口を拭ったままである。

 GHQの方針転換に戸惑いながらも、国民は慎重に共産主義や社会主義を避ける道を選んだ。だからこそ、いろいろな欠陥はあるにせよ、自由民主党の政権が続いた。政権批判をしていた新聞は、自由民主党の政権を支持する国民も気に入らない。国民を目覚めさせなければならない。そうそう、新聞人はエリート主義なのである。これが共産主義と微妙に呼応する。

 共産主義にはレーニンの有名なテーゼがある。「目的は手段を正当化する」。すなわち、共産主義革命という目的のためなら、どんな手段も許される…という腐敗臭ふんぷんたる基準だ。朝日新聞のフェイクニュースも、国民を教化する目的があってのことと考えれば納得がいく。保守政権を支持する国民が間違っているのだから、反日記事を書いてでも目覚めさせる必要がある…新聞社の編集幹部がそう考えたのは間違いない。一握りの先鋭的なエリートが社会革命を担う。この言葉の「先鋭的なエリート」を「共産党の前衛」といいかえれば、ソ連に加え、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国の成り立ちとは瓜二つである。

 このような偏向を持つのは朝日新聞だけではない。毎日新聞もそうだし、通信社なら地方紙に配信している共同通信もそうだ。地方新聞の雄、中日新聞京都新聞の記事が面白くないのは、もう画餅(失敗)に帰した左翼思想のまま、判断停止に陥っているからである。NHKもそうだ。彼らは未だに明治以降の日本は「悪」で、欧米や中共の連合国が「善」だという歴史を振りまいている。そろそろ、新聞やテレビのイカサマ性に気付く人が増えてもいいのではないか。

 経済評論家の高橋洋一氏は、霞が関での経験から次のように述べている。
 ――本当に知るべきことは新聞に書かれていない。国家予算は2000ページに及ぶ数字の羅列であるが、新聞記者がこれを読んでいるかといえば否である。役所がまとめた50ページほどの要約を記事にしており、実は役所にとって都合の悪い話は隠されている。霞が関では「マスコミの脳は小鳥の脳」にたとえている。
 痛烈な批判だ。確かに経済記事にはヨタ記事が多い。以上は『日本経済の真相』(中教出版、2012)から。

 実際にテレビのニュース解説を聞けば、簡単な事象をわざわざ難しく言い換えて、何が何だか分からなくしているケース、物事の本質をわざとぼかして焦点が合わないようにするケース、などがほとんど。池上彰もNHK出身者らしく、必ず留保をつけて(どっちつかずに、という意味)話の折り合いをつけている。

 また、岩瀬達哉氏『新聞が面白くない理由』(講談社、1998)の中で、日本には記者クラブという独特の閉鎖的な組織があり、このクラブは霞が関の役所を始め、県庁や市役所などから部屋を無料で与えられ、什器備品などの提供まで受けている…と指摘している。その利益供与を金額に直すと、驚くなかれ110億円にものぼるのだとか。各新聞社ごとの便宜・利益供与の試算額は2億5000万円から5億5000万円まで。官公庁が記者クラブに対して便宜供与をするのは、「報道の自由」への協力というより、新聞を「広報機関の一つ」として活用したいからだ、ともいう。その通りであろう。

 次回(2015-2019)の世界価値観調査で、マスメディアへの信頼度(盲信度)が改善されるのかどうか、予断は許されない。でも、筆者の希望を言えば、信頼度ゼロ(すなわち肯定派と否定派が拮抗する状態)にまでは行ってほしいと願っている。その程度の知性しかもっていないのがマスメディアである、といえば言い過ぎになるだろうか。

かつての新聞は中華人民共和国を過大に評価していた
●かにかくに革命思想は恋しかりおもひでの毛おもひでの周
(本歌 かにかくに渋谷村は恋しかりおもひでの山おもひでの川  石川啄木)
(蛇足)昔に発表した歌である。中国共産党の毛沢東と周恩来は、偉人中の偉人…という扱いだった。冷血そのものの毛、蛇に睨まれた蛙のごとく毛に仕えた周…という実像が伝わって、少しは反省したのだろうか?

マスコミは中立を掲げるが実態は八方美人
●中立は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
(本歌 白鳥は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ  若山牧水)
(蛇足)中立とはどの立場にも属さないことだ…という誤解(もしくは詭弁)が甚だしい。その別名を無責任という。

感情論の多いのも特徴
●智はあさく情は過剰に偽記事のながれてありぬ憂しやマスコミは
(本歌 瀬もあさく藍もうすらに多摩川のながれてありぬ憂しや二月は  若山牧水)
(蛇足)週刊誌は新聞の昔の姿である。大衆扇動の血筋は争えない。スクープを競うだけ、週刊誌の方が上かも。

新聞業界の望む姿はこれ
●父として幼き者は見上げ居りねがわくは社会の良識とうつれよ
(本歌 父として幼き者は見上げ居りねがわくは社会の良識とうつれよ  佐々木幸綱)
(蛇足)幼き者とは国民のことである。新聞がリードしなければならない愚民である。内閣も愚民の代表であるから、良識は新聞にのみ存在する。傲慢な新聞人は今も多い。新聞屋上がりのニュースキャスターを見ていると、傲慢さがにじみ出ているのが分かるだろう。

実態はエリートまではいかない
●新聞屋鳴きつるかたを眺むればただエリートの屑ぞ残れる
(本歌 ほととぎす鳴きつるかたを眺むればただ有明の月ぞ残れる  後徳大寺左大臣)
(蛇足)東京都知事選挙に出馬した鳥越俊太郎を思い浮かべれば、この歌がよく分かるだろう。結局、髪型だけを気にしていた爺さんという印象しか残らない。
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