乗った後の景色

電車・気動車・バスに乗ることが好きな乗りマニアによる旅行雑ネタブログです。

彰化三宝

2011-07-31 | 台湾
 台湾中部、台中のちょっと南にある彰化には扇形車庫があります。幸い一般にも開放されているので鉄道マニアのみならず彰化を代表する観光地のひとつになっているのが面白いところです。また大仏さんなんかもあり、廟参りで有名な鹿港に行くバスがたくさん出ている地点でもあります。
 さて先月その彰化に泊まったところ宿に「彰化三宝」なる地図が置かれていました。なんだか大仰な字面ですが、食べ物の彰化三大名物は猫鼠麺・肉円・爌肉飯の3つ、という割と可愛らしい話です。ならばとその3つを食べに行きました。

 まず「猫鼠麺」から見ていきます。別に猫や鼠の肉が入っているというわけではなく、お店を始めた人が痩せぎすでちょろちょろ動き回る鼠のようだったので「老鼠」と呼ばれていたのが由来とのことです。さらに台湾語(ホーロー語)の「老(lau)」の音が中国語の「猫(mao)」の音に似ているので字を当てて猫鼠になったそうで、こういう発音と字の当て方が重なって言葉ができていく話は台湾ならではという感じですが言葉がわからない私にはイマイチ面白さがわかりません。
 では現物の話です。彰化駅前を出ると左右に走る中正路を右に歩き、陳稜路に入って進むとまもなくお店があります。


 「猫鼠三宝麺」がお店の看板メニューとのことです。三宝のなかにまた三宝とはちょっと面白い気がします。頼んでみるとシイタケつみれ、海老団子、鶏のつくね風のものという3つの具が載った麺でした。スープは豚と魚の味でわりとあっさりしています。


 3つの具と麺を楽しんだら次は肉円です。肉円の店は猫鼠麺のすぐ近くの四つ角に3つも集まっていました。同じ料理の店が集まっているのは台湾によくあるパターンですがどれにしようか迷います。


 とりあえずそのとき一番お客が入っていた「阿璋肉円」に入りました。厨房のある表玄関は割と古風な店構えですが隣には冷房つきの客室がしつらえてあります。


 出て来た肉円です。もっちりしたデンプンの皮の中に豚肉やシイタケ、タケノコなんかをこねた具が入っています。日本にはあまり似た食べ物がないのでああ肉円だなあと言うしかないのですが、ここの肉円は食べ応えはあるものの比較的上品な食感でした。


 猫鼠麺に肉円と続くとだいぶお腹がもったりしてきますが三宝というからには残りの一つも食べなくてはなりません。お腹に余裕ができるまでちょっと時間を空けたいのでやや離れたところにある「魚市場爌肉飯」という店に足を伸ばすことにしました。彰化駅からだと中正路を右に歩き、員林客運の乗り場を過ぎてさらに歩いた先です。8時半過ぎに店に着くと夜9時40分開店と看板にあり真っ暗なので、なんだか変な時間からだなあ本当に開くんだろうかとちょっと不安になります。


 まだお腹が空いてなかったのでちょうどいいやと1時間つぶしてから戻ってくるとこの通り行列ができる混雑ぶりでびっくりしました。店員さんもお客さんもいったいいつ集まったんでしょうね。


 爌肉飯は要するに豚の角煮飯ですからボリュームがあります。やや弾力を残した煮込み具合なのでふるふるとろとろの角煮よりはくどくないのですが、三宝の最後に脂肪がドカンと来たのでさすがに満腹です。


 そんなわけで炭水化物系の彰化三宝でした。どれもおいしいのですが続けて食べるとさすがにくどいのでサイドメニューとともに一宝ずつ食べた方がいい気がしたのも正直なところです。
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宜蘭のバスターミナル「宜蘭転運站」

2011-07-18 | 台湾
 台北から台湾北東部の宜蘭に行こうというとき、以前は道路事情が悪かったので鉄道が有利でした。しかし2007年にこの間をショートカットする「雪山トンネル」経由の高速バスが開業してからは高速バスも有力な移動手段になっています。
 この高速バスが絡む変化が2010年に起こりました。それはバスターミナル「宜蘭転運站」が開業したことで、宜蘭発着の各社高速バスがこのターミナルに集まるようになっています。この宜蘭転運站を先月初めて利用しました。

 宜蘭転運站の位置は宜蘭駅の裏口(宜蘭後站・東口)から「林森路」を右(南)に進み200mほどのところです。林森路に面してバス降車所があり、降車客をあてこんだ数台のタクシーが客待ちをしていました。


 転運站の敷地にはバイク置き場も設けられかなり広く、降車所から乗車所の建物までは100m以上あります。この乗車所は校舎路に面していて出札口や待合所が設けられています。


 この建物に乗り入れている高速バスは台北への高速バスを運行する葛瑪蘭客運・台北と基隆への高速バスを運行する首都客運・首都客運と共同で基隆への高速バスを運行する国光客運の3社です。出札口と乗車口は赤い色の葛瑪蘭客運側と青い色の首都客運に分かれていて、国光客運の基隆行きの切符は共同運行している首都客運側の窓口で扱っています。


 なお高速バスのみならず宜蘭を通る一般路線バスの多くもこの転運站に集まっていますが、乗り場は校舎路の路上にあり停留所の標柱が立っているだけでした。ただ停留所に通るバスの行先と時刻表が掲示されていたのであまりこの辺りの情報が詳しくないことも多い台湾のバス停の基準で考えれば詳しい方です。


 という具合に転運站の降車所と乗車所を見てみましたが、この転運站がある位置は駅の裏口側にあり、宜蘭の街の中心は台鉄の線路を挟んだ反対側にある駅の表口(前站・西口)側なので表口~裏口間の移動はどうするかという問題が残ります。通り抜けのために駅の入場券買うのもくやしい話ですし。
 その辺りを駅で聞いてみたら、転運站利用者には改札口で駅構内の通行証が渡され、これで表口~裏口間を無料で通り抜けることが出来るとのことでした。(通行証は通り抜けた側の改札口で返却)嘉義のターミナルで行われていた方式と同様です。

 無料で通り抜けできるようにしているのはとりあえず親切でありがたいのですが、宜蘭駅表口からそもそも遠い宜蘭転運站のそれも乗車所まで行こうとなると駅表口→地下道→裏口→降車所→乗車所、と駅構内の階段の上り下りをしつつ500mは歩くことになります。地元の人は広いバイク置き場にバイクを停めてバスに乗り換えるパーク&ライドとか、あるいは家族などに送迎してもらうという手も使えるでしょうが旅行者からするとタクシー利用が現実的になってしまいそうです。その意味では正直あまり便利ではない気もしました。

 宜蘭転運站の話はこのくらいにして以下宜蘭駅表口側のターミナル事情について少し付け加えておきます。まず宜蘭駅の表口です。


 表口を出ると左右に伸びる宜興路を渡るとすぐに雪山トンネル経由で台北まで行く乗合タクシーの看板が出ています。

 これも台北行きターミナルと言っていいのかもしれません。


 駅から宜興路を左(南)に300mほど歩くと国光客運の「旧宜蘭站」停留所があります。

 ここはその名の通りかつて国光客運のバスターミナルがあったところで、閉鎖されたターミナルの建物が残っていました。国光客運の前身「台湾汽車客運」「台汽」の文字が見え一昔前の雰囲気があります。


 というわけで宜蘭転運站・台鉄の宜蘭駅・乗合タクシー乗り場・旧宜蘭站と4つのターミナルの様子を見てみました。
コメント (6)
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抗日記念碑と第四原発

2011-07-17 | 台湾
 臆病なので原発にはなるべく近寄りたくないのがホンネではあるのですが、台湾の第一原発第二原発と稼動中の原発を見物したら毒食らわば皿までで建設中の第四原発にも寄っておこうという気になりました。

 第四原発は正式名を龍門核能発電廠といい、第一・第二原発と同じ新北市の海岸にあります。ただ広い新北市域の中で第一・第二とはだいぶ離れていて、台北北部の海岸線にある第一・第二に対し第四は台北駅の東約40kmのところにありあまり同じ市内という感じがしません。また比較的近距離の著名な観光地だと例えば九份から直線距離で11kmくらいです。最寄駅は台鉄東部幹線の貢寮駅か福隆駅で、どちらからも歩くにはやや遠いので貢寮駅で(福隆始発の)基隆客運バスに乗り換え塩寮停留所で降りると楽ができます。また福隆から貢寮を通らずに直接塩寮に向かう羅東・宜蘭~台北間の国光客運バスもありますが本数はわずかです。ちなみに福隆駅は弁当の立ち売りがあり、福隆から塩寮まで歩く場合途中吊橋があったりするので天気がよくて元気があるなら福隆で降りて徒歩(4km弱)というのも悪くないかもしれません。

 さて寄っておく、というくらいでそもそもは「乗りバス」が目的です。台湾路線バス最東端を走る国光客運に乗って海沿いの省道2号を走っていくと塩寮を通り、降りるとすぐ原発の原子炉建屋で、そのまん前に「塩寮海浜公園」があります。実はこの路線に乗ろうと予定を立てるとき沿岸の地図を見ていて最初はこの公園の方に目がいったのですが、あまりに間近に第四原発があったので結局原発見物もくっついちゃったという流れでした。

 ちなみにこの原発は元請けがGEでその下請けは原子炉が東芝と日立、発電機は三菱、土木工事は清水建設と日本企業が目白押しだというので興味がわくところですが、どっちみち中まで見られませんしそもそも見たところでシロウトにはどうせ何もわかりません。まあとりあえずどんなところにあるのかくらいはわかりました。

 塩寮海浜公園は有料なので門のところで入園料60元を払わねばなりません。


 門の先は広っぱになっていて、目の前に「抗日紀念碑」(「紀念」は日本語の「記念」と同じ意味)が立っています。

 ここ塩寮の海岸は日清戦争の結果清から台湾を得た日本軍が台湾を占領するため上陸した地点の一つなのでこの碑のほか当時の状況や情景がガラスに描かれ展示されているというわけです。


 抗日紀念碑に近づいてみました。1895年5月29日に北白川宮能久親王率いる近衛師団がここから上陸したことを記念し日本の手によって上陸記念碑が立てられたものが中華民国時代になって抗日紀念碑に立て直されたというものです。この上陸ののち台湾各地で多くの人々が日本軍に抵抗し死傷した悲惨な歴史を思い出させられます。


 抗日紀念碑前の海岸、すなわち日本軍が上陸してきたところには黄色みをおびた砂浜が広がり「黄金海岸」という呼び名がついているのでまあキレイと言いたいところですが、北は原発関連施設で行き止まり、裏はすぐに原子炉建屋がどーんと迫っていますから正直あまりのんきにたたずんでいたい感じでもありません。



 公園内にはそう大きくないもののプールや喫茶コーナーがありました。

 公園の周りは原発以外何もないようなところですから喫茶コーナーなど飲食施設は重要です。

 という具合に一回りした塩寮海浜公園ですが、これで有料とはなあというのも正直なところでした。ことさらに見る気がなくても原発ばかり見えちゃいますし。ということは公園に来ると自動的に原発見物にもなるというわけです。

 公園からではなく正門側からも一応第四原発を見ておきました。もともと激しい反対運動や完成前から事故ったりで運転開始が延び延びになっていたところへ福島第一原発の事故が起こったのでさらに延期になったそうですが今後いったいどうなるのでしょうか。

 台湾では福島第一原発の事故のあとすぐに大規模な反原発デモが起こり、また馬英九総統はこの第四原発の運転延期と既存の原発の運転期間延長申請を認めず順次廃炉すること、さらに新規原発は建設しない方針を明らかにしたそうです。来年総統選挙を控えていることもあるのでしょうが素早いものですね。他の国が他山の石と反省するのに大事故起こした当事者の国民であることをつい忘れそうになるのは一体どういうわけなんだろうと改めて思ってしまいました。
コメント (2)
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野柳と第二原発(後編)

2011-07-16 | 台湾
(前編の続きです。)
 前編で見た「北部展示館」という原発PR館の先にある第二原発の正門は休み時間らしい職員さんたちがそぞろ歩きしていたりなんとなくのんびりしたムードです。


 正門はどん詰まりになっているのでいったん海沿いを走るバス通りの省道2号沿いに戻り、ここから水蒸気をあげている原子炉建屋を見ることにしました。基隆客運や国光客運など結構頻繁にバスが行きかう省道の近くでこうやってでかい原子炉が稼動してるんだなあと思うと背筋がゾクっときます。1981年営業開始なので前に見た第一原発よりは新しく、またやや高台にあるのですが地震大国の台湾で付近には断層もあると聞けばあまり安心もできません。はるばる日本から自分で近づいておいて勝手な言い草ですが。ちなみにこの第二原発から台北駅まではの直線距離は22.6kmと第一原発~台北駅より近く、台北駅を東京駅とすると海芝浦駅とほぼ同じ距離になります。(第二原発~基隆駅の直線距離で11km)


 原発の正面、省道を渡った向かいにある排水口を見に行きました。かなりの水量の排水が原発から出ています。

 ここの排水はいったん地下を通って省道をくぐってから出てくるので突然かなりの水量が出ているように見えちょっと不思議な雰囲気です。


 排水口の周りがよい釣り場になるのはここも同じで駐車場には軽食の屋台まで出ています。

 「レジャーや釣りでいらしたみなさん、北部展示館にお立ち寄り下さい。入館無料でステキなお土産も差し上げます。」というようなことが書いてあり、そういえば私はステキなお土産もらってなかったかもと思ったもののさすがに後からお土産くれと言いに戻るのは恥ずかしいのであきらめました。


 驚いたのはなぜかこんなところで着飾った女性の写真を撮っていたことです。プロのモデルさんという感じでもなかったので香港やマカオ、中国、韓国などでも時々見かける結婚するとき作る記念アルバムの撮影かと一瞬思いましたが、それにしては旦那が見当たりません。いずれにしても妙な光景でした。


 というところで第二原発の見物は終わりにし、観光地の野柳風景区に向かいます。原発前の臨海橋バス停で基隆客運(または淡水客運)の基隆行きか国光客運の台北行きに乗って海岸線を走ると10分弱で野柳停留所です。ここから野柳観光の中心地までは600mくらいなので歩いても大したことないのですが無料のコミュニティバスがすぐ出るというので乗って行くことにしました。


 漁港を通って野柳観光の中心地に到着すると、海岸の侵食された複雑な岩が名物の「野柳地質公園」の料金所、水族館「野柳海洋世界」・飲食店やお土産屋が並ぶアーケード「野柳特産街」が集まっています。

 では野柳観光、というのがあるべき流れなのですが、原発で時間を使いすぎここで時間切れです。結局野柳地質公園には入らず野柳バス停まで歩いて戻ったので何のために寄ったのかわかりません。遠目で地質公園を眺めたのみです。


 この野柳地質公園一帯は第二原発から半径5km以内にすっぽり入っているのでこの通り緊急避難の案内板がありました。第一原発と同様に原発事故の退避指示サイレンは1秒鳴って1秒休みの90回繰り返し(解除は180秒連続で切らずに鳴らしっぱなし)とのことです。サイレンが鳴ることがないといいのですが。
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野柳と第二原発(前編)

2011-07-15 | 台湾
 前回台湾第一原発を見物した話のつづきで、今回は第一原発からバスに乗って東へ向かいます。第一原発前から海岸沿いの省道2号線を13kmほど進むと第二原発(第二核能発電廠・新北市万里区)があり、原発から直線距離で3kmのところには「野柳風景区」という観光地もあるのでちょっと寄ってみようという気になったわけです。

 第二原発の最寄バス停「臨海橋」は淡水~三芝~石門~金山~野柳~基隆とバスが続くうちの金山と野柳の間にあります。バス停を降りると山側の目の前に第二原発の敷地がひろがっていて、その入口近くには「北部展示館」という原発のPR館があり無料で見物できるというのでこれに入ってみることにしました。北部展示館の公式サイトを見ると日本の博報堂がプロデュース・乃村工藝社がディスプレイ設計・守谷商会が展示設備を施工とあったのでそんなところも興味がわくところです。


 中に入ると正面にまずロボットみたいなやつが目に入りました。「原子機器人」だそうです。こういう「原子力→輝く未来→ロボット」みたいな高度成長期だか万博っぽいヤツって見ているとやがて悲しき、みたいなわびしさがありますね。


 のっけからしんみりしつつ進むとエスカレータが左右対称に配置され、奥の真ん中には堂々たる原子炉の2分の1模型が目に入ります。なんだかご本尊みたいで手を合わせたくなる感じです。


 配電の展示を見ると台鉄の画像が自強号じゃなくて電機牽引の復興号でした。渋いチョイスですね。


 台湾に3ヶ所ある原発はみごとに北と南に寄っています。


 世界の原子炉の数です。日本の運転中の原子炉の数は56とあり実際より2つ多いのは浜岡の1・2号機(2009年運転終了)のデータが反映されてないからでしょうか。勘定のうち福島第一が「運転中」ということになるのは仕方ないにしても悪い冗談のようです。


 「わが国の原発は西側国家が設計した軽水炉を採用しているから安全です」という説明書きは日本でもおなじみの(?)「チェルノブイリと違う」という主張でしょうか。スリーマイルや福島の例もあり違うなら違う事故が起きる可能性があるだけじゃんと思ってしまいますが。「原爆のように爆発しないのはアルコール度の低いビールが高粱酒のように燃えないのと同じリクツだから」というのは台湾らしい例えで面白いところです。


 お次は原発PR館につきものの(?)「石油がなくなるぞ」展示です。発電だったら石炭や天然ガスをまず出さないとと思うのですが。

 こうやって見ていたら以前見物に行ったことがある静岡の浜岡原発内にある「浜岡原子力館」を思い出してしまいました。富士山を例えに出す辺りが静岡県らしさあるいはニッポンらしさでしょうか。


 放射線なんて原発がなくても浴びてるんだよ、という展示です。自然界の放射線はどうにもならないしレントゲンやCTスキャンは医療のために仕方なく浴びるわけだけど、だからってなんで電力会社が人に放射線浴びせていいわけ図々しい、と余計な疑問を思い起こさせちゃう気がしますが。

 
 ジャガイモの芽が出ないようにしたり植物の品種改良に利用したりと放射線は生活に役に立ってるんだよ、みたいな展示です。原発って放射線を利用するために放射線出す装置だったっけ、とかこういう関係ない話を持ち出されても「だから何」という気がします。論点逸らしにはなるのでしょうか。

 ちなみにこれの「浜岡版」はこんな感じです。


 ここのはウラン235に中性子をぶっつけて核分裂を起こさせるというなかなかシュールなゲームがありました。


 館内にはミニシアターがあり、展示を見終わると立体アニメを見せてくれます。こういう客寄せのエンターテイメントに凝るところなんかも浜岡や(今はなき)渋谷の電力館と似ているなあと思いました。


 日本の原発と同じようなロジックの繰り返しはさすが日本各社によるものというべきでしょうか。その中で浜岡と違っていて「おっ」と思わせられたのがこれです。

 ごく小さな展示ではありましたが、最悪の事態、つまり事故で放射性物質が外界に出てしまったときの計画について書いてありました。たしか浜岡は「事故があっても外に影響があるようなことはない」という前提だけで、出ちゃったときどうするかにまで踏み込んでなかったような気がします。(もし見落としていたらごめんなさい。)破局的な事故が何度も起きてしまっている以上何よりも事故の時どう逃げるか逃がす予定かをこれでもかとデカく詳しく展示・説明してこその原発PR館ではと思いました。

 長くなったのでここまでを前編とし、続きは後編とします。
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