地球浪漫紀行☆世界紀行スタッフの旅のお話し

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終わらない添乗員物語

2008年02月24日 09時31分14秒 | 添乗員のお仕事

添乗員のお仕事①「ツアーを現地で手配する」の3
前回のつづき----


ツアー5日目(カンボジア2日目)、プノンペン市内観光へ。
午前の観光中に軽い感じで、
ガイド「バンコク行きの航空券を貸してください。
    リコンファーム(予約再確認)しますので。」
私「えっ、何を言っているのですか。そちらで用意しているはずですよ!
  オフィスに確認してください。」
ガイド「・・・・・」
何となく嫌な予感・・

ガイドは昼食中、一度オフィスに戻り、午後の観光中、
ガイド「本当に持っていないのですか?」
私「バンコクのA社から、プノンペンで受け取ると聞いています。
  A社にも確認してください!!」
ガイド「・・・・・」

携帯電話など無い時代。今では想像できぬ程、不便だ。


翌朝、カンボジア3日目。
いよいよシュムリアプへ出発。
プノンペンの空港まではガイドが同行する(シュムリアプはシュムリアプのガイド)。
ガイド「やはり航空券はバンコクで受け取ってくることになっています。」
私「それは私の責任ではありません。
  でしたらあなた方が航空券をもう一度購入してください。
  費用の件はA社とあなた方のボスとで話し合ってください。」
ガイド「・・・・・」


はじめてのアンコールワットは、プロペラ機による午前中の日帰りで(午後の空港は危険)、
短い滞在であったが感慨深いものだった。
道も無く、ポルポト派のゲリラや地雷の危険があったので、
行けたのはワット、南大門、バイヨンだけ。
近くの象のテラスや王のテラスは危ないので行けないと言われた。

このときのシュムリアプで一番印象深かったのは、
扇風機も一台しか無い、ものすごい湿気の中、
メニューはトンレサップ湖の魚のスープとご飯だけだったが、
旧グランドホテルで昼食を取ったことだった。
食事のサービスだけで、水道が未だ流れていないので宿泊はできない。

この建物だけはポルポト時代に彼らの司令部として利用され、
他のホテルがほとんど全て破壊されてしまった中、唯一残されていた。
従業員は外国人と接触していた敵性人民ということでほとんどが処刑された。

解放後、生き残った3人がシュムリアプに戻り、このホテルに集まった。
ルームメイクとウェイトレスだ。
彼女たちが若い人たちに、観光客がきたら、挨拶のあと、すぐに冷たいおしぼりを出しなさい
とか、一つひとつ一所懸命に教えている。

サービス業のイロハ以前のことかもしれないが、
物凄く伝わってくるものがありました。
いつかこのホテルに泊まりたいと思った。
(幸いにも、その秋にすぐに実現した)


閑話休題。

プノンペンへ戻ると、ガイド氏が気難しいそうな表情で待っていた。
明日のバンコク行きの飛行機は予約されておらず、しかも満席で空席が無いと言う。
ゲッ、最初に「リコンファームします」なんて言うから、
予約は当然入っていると思ってしまったではないか!
(日本でもA社から、そう聞いていたし)

話は再び逸れるが、確かにこの飛行機はプロペラ機で小さい。
その秋に乗ったが、旧ソ連空軍のロシア人パイロット2名が操縦していた。
カンボジア人パイロットは皆ポルポト時代に殺されていた。
スチュワーデスのカンボジア人は英語が話せない。
自動装銃、ロケット砲、手榴弾・・・・
ロシア人パイロット2名は映画「ランボー」ばりの武器を持ち込む。
聞いてみると、タイ国境のジャングルに不時着してしまったとき、
ポルポト派と戦わなければならないからだと言う。
心強いぞ。これは確かに安心だ。


話を戻すが、バンコク行きは週2便。
しかもお盆なのでバンコクからの日本行きも変更できないだろう。
お客さんも用事や予定があるだろうし。
なんとしても明日バンコクへ行かなければならない。
「あなたたちとA社で何とかしなさい!」

午後のプノンペンの観光後、ガイドと彼の上役が
日本のA社から来たテレックスを持ってきた。
当時のカンボジアにはファックスは未だ無い。
そのテレックスには、業界のアルファベットを使った略語で、
航空機の予約がされていなかった簡単な詫びのあとに、
代案として、プランAとプランBが書かれていた。
(つづく)



もうひとつ、この年のこととして、夏にはなかったのですが、秋に旧グランドホテルで、日本語のガイドブック「アンコールの遺跡・カンボジアの文化と芸術(昭和44年 霞ヶ関出版)」を販売していたことです(日本ではもう出版社もありませんでした)。
一部が、ポルポト時代にも焼かれずに、どこかに保管されていたらしいのです。
数が少なく、すぐに売り切れ。
その後は、カンボジアで勝手にコピーして販売。
そのうち表紙がカラー(上の写真)になって・・、上下逆さのものまであって・・。
唯一といえる日本語観光案内であり貴重なものでしたが、何分古く間違いも多い。
問題はこの本を使って、Y日本語学校が日本語ガイドを養成したため、日本語ガイドの知識が他の言語のガイドたちとずれてしまったことです。
さらに、その日本語ガイドの説明を聞いて「地球の歩き方」が書かれたために、こちらも解説部分が的外れの内容になってしまいました(宿紹介だけにしておけばいいのに)。
アンコールワットの塔が、開く直前の蓮の花をかたどっている、というような基本的なことを日本語ガイドが案内するようになったのもここ4~5年のことではないでしょうか?
[照沼 一人]

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1 コメント

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海外旅行ガイドブックのお仕事 (jnhppp)
2008-02-26 03:06:32
ブログ「海外旅行ガイドブックのお仕事」と申します。トラックバックしていただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

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