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京都精華大学人文学部・住友剛のブログ。
関西圏に関することを中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

今日(7月16日)のプリキュアの話です。

2017-07-16 09:32:31 | プリキュア話

つい先ほど、今日のプリキュアおわりました。

いよいよ今日から新しいプリキュア・キュアパルフェ登場ですね。そのためにエンディングの歌と動画が変わりましたし(来週あたりからオープニングも動画だけは変わるかと)、さっそくCMではキュアパルフェのつかうレインボーリボンがおもちゃとして売り出されました。相変わらず、商売上手です(笑)

それから、秋の劇場版映画プリキュアの告知も今回から開始。キュアパルフェの正体は妖精キラリン、人間の姿のときは天才パティシエ・きら星シエルです。そのきら星シエルの姿で、パリでパティシエの修業をしていた頃の秘密を明かします・・・という物語で、劇場版映画をつくるようですね。まあ、こういう細かいしかけもよくできてますねぇ、毎年毎年・・・(笑)

あと、来週からはきら星シエルが、いちか=キュアホイップたちの通う中学校に転校してくるようですね。予告編ではそうなってました。

さて、本編のストーリーですが、今回はキュアパルフェ登場だけでなく、敵のボスともいえる「ノワール」と、キラキラルなるものの正体も明らかになりました。その物語をつくったのが、今回でしばらく消えることになる妖精ピカリオ、つまり敵になっていたジュリオですね。キラリンの双子の弟です。

まず、キラキラルは「スイーツにこめられた思い」で、その思いにはうれしいとか、おいしいといった光かがやく思いだけでなく、苦しい、憎い、腹立たしいといった闇の思いがあること。また、そのスイーツに潜む闇の思いにパワーをあたえて、世界全体を闇の世界にしようとたくらんでいるのが、ノワールであること。そして、スイーツづくりの修業がなかなかすすまないピカリオの苛立ち、劣等感等々に力をあたえてジュリオに変身させ、憎しみのキラキラルに染めてしまったのもノワールであること。こうしたことが最初の方で明らかになります。

一方、ピカリオをジュリオに変え、ノワールの手先にしてしまったのは自分のせいだと、キラリン=きら星シエルは落ち込み、スイーツづくりをあきらめようとします。そんなキラリン=きら星シエルにも、ノワールは接近。ノワールはきら星シエルを闇の球=つまり、シエルの心の闇のなかに閉じ込めてしまいます。その心の闇に、いちか=キュアホイップと、「このままではいけない」と思ったジュリオが飛び込みます。

いちか=キュアホイップとジュリオは、シエルの心の闇のなかにとびこんで、スイーツづくりをあきらめようとしているシエルをなんとか、もう一度、もとの姿にもどそうとします。そしていちか=キュアホイップは、ジュリオにもう一度、ワッフルをつくるように頼みます。
闇の力に染まっているジュリオがつくるワッフルは、灰色にしかなりません。でも、そのジュリオのつくったワッフルをたべたら、シエルは復活します。なぜなら、ジュリオのなかに残っている「もう一度、復活してほしい」という願い、そこから光るキラキラルがあふれていたからです。

シエルが復活したその頃、いちご坂のまちにはビブリーが現れて、巨大人形のなかに入って大暴れしています。ビブリーはジュリオに対する嫉妬の気持ちを、ノワールによって暴れるエネルギーに変えてもらっていたのでした。そのビブリーに、ジェラート・マカロン・ショコラ・カスタードの4人のプリキュアは苦戦しています。

そこへちょうどシエルとジュリオ、キュアホイップが登場。シエルがキラキラルの力をつかって、空中でペガサスのかたちのパフェをつくりはじめます。そのパフェづくりを妨害しようとノワールが闇の大きな矢を放ったとき、ジュリオ=ピカリオがシエルの盾になって、彼女を守ろうとします。

ノワールの大きな矢がささったジュリオ=ピカリオは、シエルに「プリキュアになれ!」と言ったそのあと、ペガサスのかたちのパフェが完成。そのパフェを変身アイテムにつかって、キュアパルフェが登場します。

まあ、そのあとは、キュアパルフェがレインボーリボンをくるくるくる~ってやって、ビブリーを退治するわけですね、はい。

しかしまあ、この「光と闇」の対比といいますか、「一度、あるキャラクターが何か、どうしょうもなく落ち込んだり、悲しんだりするところを潜り抜けて、そこから光を放つ新しいプリキュアがうまれる」という展開といいますか・・・。毎年、そういう展開で夏場あたりから新プリキュアが登場してくるわけですが、このあたりのプリキュアシリーズの描き方って「ほんと、うまいなぁ」って感心します。このあたりは非行少年の立ち直りとか、ひきこもりから脱出するとか、そういう人たちの物語とも何か、似ているかも・・・。

今回、キュアパルフェ(=妖精キラリン、きら星シエル)が登場するときも、一度、自分こそが双子の弟・ピカリオを悪の手先・ジュリオにしてしまったことへの悔い、罪悪感に染まるところから話を始めてます。そういうキラリン(きら星シエル)が、「それでもなお、私は私。私はプリキュアになることをあきらめたくない、あきらめてはいけない」と思い直す。また、そういうキラリンに対して、ピカリオが「やっぱりプリキュアになってくれ~」と願う。そんなところから、新プリキュア・キュアパルフェが登場していますよね。

人の心のなかにある闇の部分、黒い・暗い部分をきっちりと描くからこそ、光の部分や明るい・白い部分も際立って描ける。そういうプリキュアの物語のなかにある対比構造、コントラストというものを、またまた今回も感じてしまいました。

実は「プリキュア」の物語というのは、一見、お子さま向けのキラキラのアニメのように見えて、ほんとうは私たちのもつ「闇の部分」との上手な向き合い方を考えている物語なのかもしれませんね。そこがひとつ、私がず~っとこの「プリキュア」にはまっている理由なのかもしれません。

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