できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

もう一度、ここから「反対」の動きを創り出そう。

2011-06-04 17:00:29 | いま・むかし

とうとう大阪府議会は昨日、大阪維新の会などの賛成多数により、公立学校教職員への君が代(国歌)の起立斉唱を義務付ける条例を可決成立させました。以下のとおり、毎日新聞のネット配信記事を掲載しておきます。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110604k0000m040033000c.html

http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/06/04/20110604ddm001010033000c.html

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110604ddm041010175000c.html

また、たぶん毎日新聞のネット配信記事よりも長くネット上で配信されると思いますので、朝日新聞のこの件についての記事も、下記のとおり掲載しておきます。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201106040017.html

正直なところ、「なにするねん橋下知事!?、こんなんでほんまえにええんか、大阪府議会!?」というところでしょうか。もう一回、これを争点にして府知事選挙と府議会議員選挙のダブル選挙をやって、府政への信を問うくらいのことしてほしいです。

まず、この「君が代」起立斉唱義務付けの条例案、そもそも、先日の統一地方選挙での大阪維新の会の公約に掲げていたものでしょうか? 私の印象では、毎日新聞の上記「解説」の記事のとおり、5月に入って急に案を練って出してきたように思えてなりません。

だいたい、そもそも橋下府知事は、こういうことをやりたくて府知事選挙に出たのでしょうか? 彼は「子どもが笑う大阪」ということを実現するという、そのキャッチフレーズで府知事選挙に出たはずです。こんな「君が代」起立斉唱義務付けの条例で公立学校教職員への締め付けを強めることで、「子どもが笑う大阪」が実現するとは思えません。

また、上記の毎日新聞「解説」の記事によると、大阪維新の会でも5月25日に条例案が出されてから、十分な内容の検討をしていないとか。しかもこの条例案の中身には、その判決の中身がいいか悪いかにはいろんな議論の余地があるにせよ、公務員の思想信条の自由と職務命令の関係など、最高裁の判決が先日出るくらいの憲法上の難問に触れるところが随所にあるわけですよね。あるいは、弁護士会の側からこの条例案に対して「憲法違反の疑い」も指摘されるような、そんな条例案なわけですよね。

なぜ、大阪維新の会は、時間をかけてじっくりと、この条例案の中身について審議しようとしないのでしょうか。それは条例案の中身の審議をじっくりとすれば、自分たちの案のボロがでるからでしょうか。また、府議会で多数派をしめた地域政党・大阪維新の会と、その地域政党と首長たる橋下知事がタッグを組めば、府政はどのように動かしてもかまわないのでしょうか。そして、大阪府の有権者はこんな形で動くことを望んで、今の橋下知事と大阪維新の会に府政を託したのでしょうか。ほんと、次々に疑問がわいてくる条例案可決です。

ただ、昨日の府議会で可決成立してしまった以上、今までのように「条例案成立反対」ではなく、「条例廃止」を求める動きに、今後はさまざまな取り組みを切り替えていかねばなりません。また、今後次の議会に向けて、起立斉唱をしない公立学校教職員への罰則規定の整備など、あらたな動きが起こり始めます。それに対する抗議の動きをつくっていかねばなりません。

そして、これも前々からずっと言っていることですが大阪の人権教育や子どもの人権関連の運動関係者、研究者は、いったい、何をやってるねん、いま?????ここであんたらがもの言わなかったら、いつ言うねん!!!!!!!」ということを、この場を借りてあらためて伝えておきたいです。

大阪維新の会や橋下知事がこういうことができる背景には、大阪府民の有権者が彼ら彼女らに投票し、議会で多数を得たり、知事選挙で当選させたりしたことがあります。ということは、テレビのワイドショーで「橋下劇場」を見てるような感覚で、「なんか、おもしろそう」くらいの気持ちで、ムードにのせられて大阪維新の会や橋下知事を支持している層が、大阪府内のあちこちで多数をしめている、ということの現れです。

あるいは、過去に学校生活のなかで何かつらい体験をしてきた層が、まるで学校への恨みをはらすような感覚でこの手の府政対応を支持するとか。ほかにも長引く経済的な困難や生活状況の苦しさの中で、「あの人ばっかりめぐまれているのはずるい」というような感情を抱いた人々が、そのうさばらし的に公務員バッシング、公立学校教職員たたきのような政策を支持するとか。そういうことも、このたびの大阪維新の会や橋下知事の動きのなかに見えているのかもしれません。

とするならば、これから橋下知事や大阪維新の会の具体的な動きのひとつひとつに反論したり、異議申し立てをしつつも、同時に学校現場や大阪府内のそれぞれの地域社会において、あらためて生活困難な人々(特に子ども)をきっちりと支え、維新の会などの動きにまきこまれないようにするはような、そんな取り組みをしていく必要があるはずです。

だから、今ここで黙っていたり、立ち止まっていたりする余裕も時間も、私たちには「ない」のではないでしょうか。「できることを、できる人が、できるかたちで」という原点に立ち返って、あらためて今日、ここから、ほんとうに生活困難な子どもたちを支えつつ、学校や地域社会のレベルで本当に「人権を大事にする社会」をつくっていく取り組みをする。そのなかで、維新の会や橋下知事の動きに批判的な意識を高めていく。そんなことがいま、求められていると思います。

<追記> この条例案に対して「反対」する人々のなかには、「職務命令でできるじゃないか」という観点から反対理由を述べている人もいます。ただ、「そもそも、ひとりひとりの公立学校教職員の思想信条の自由を制約しうるような職務命令を校長が出しまくったり、あるいは、それを出すように地方教育行政が促しているということ自体、『そんなこと、やっていいのか?』と問う」必要があるのではないか、と思います。もしも「学校現場に思想信条の自由を尊重する風をふかせたい」という観点からこの条例案に反対するのであれば、そもそも、「職務命令で教職員に君が代起立斉唱を求めていく」ということ自体、徹底的に「ほんまにそれでええんか?」と言わなければいけないのではないか・・・・と思ってしまいます。

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