< 日本聖公会は解散せよ
教会は冤罪を作るのか
2011/9/21(水) 午後 5:00
教会は冤罪を作るのか
転送されたものを掲載するのも能がないが、余は年も取り、視力にも障害が出て書くのも大変である。考えるたびに、自分が命をかけて奉仕した日本聖公会はこんな教会だったのかと自責の念にかられる。
訂正箇所とあわせて知人が早々と余に送ってくれたものを、台風で散歩にも出られずにパソコンを開けたところ目に入った。こんなものを送る必要がないようにするくらいは誰にもできるだろう。
裁判がどうなるかわ知らないけれども、教会的に早く決着をつけよ。なすべき責任者は主教会だろう。
敬老の日に行事をしているだろう。そんなことをするよりも、教会をこんな情けない姿にして、へらへら顔で葬式をしないことこそが、敬老だということが分からぬか。
----- Original Message -----
From: "seiz2000" <axxxxxxxx@ybb.ne.jp>
Sent: Tuesday, September 20, 2011 6:30 AM
Subject: 目撃証言の重要性、重大な責任、糾す会1128号a
聖公会他関係者へ一斉メール,1128号
皆さん、傷害事件で裁判になり、被害者に一切 切傷、刺し傷、打撲等の痕跡がなく、本人の申告のみであるようなケースでは、近くに居た目撃者の目撃証言が非常に重きを成してくるということは誰でも分かりますね。
相手が憎い、罪に落とそうという動機がある場合は被害者は軽く当てられただけでも激しく殴られましたとか、重たい物が力をこめて首に落とされましたとか、頭に大きな衝撃を感じましたとか、捏造して届出をするかもしれません。
そして、目撃者も街頭で見ず知らずの通りすがりの人ではなく、身内同士で同じく相手に憎しみを抱き、普段から好ましく思っていなかったような場合は被害者に同調し、又は被害者と綿密に打ち合わせをし、
今回のように団体のトップが指示するような場合は上下関係でトップの意向に沿わなければ都合が悪いということもあり、トップの指示を断りきれず、撫でていたようでも、叩いていたとか 触っているようなだけでも、突き飛ばしていたとか、週刊誌で肩を押した程度でも、週刊誌で思い切り殴っていましたとか、布製のかばんを両手に持って頭に当てただけでも、片手でピッチャーがボールを投げるときのように、後ろに回してそれを頭上まで振り上げて瞬間的に振り下ろし、力いっぱい後頭部を殴ったのを見たというように証言することになるのではないでしょうか。
今回の証言では吉田・鈴木・高地は同一の敷地に住んでおり、しょっちゅう顔を合わせているでしょうし、身内も身内で吉田はウイリアムス神学館の館長であり、高地は理事長であり、鈴木は卒業生であり、しかも現場、アグネスの教会守りの身分です。三者は一体であり、被害者とも一体なのです。
一方、井田司祭は証言では「自分は加害者(訂正;被告)のやり方のすべてを賛同しているわけではなく、また、証言するのはどっちに味方するということではなく、吉田証言は事実とは違うので、自分が近くで見ていたありのままを証言するまでです」とわざわざ断ってから証言されているのです。
さて、皆さん、八海事件をご存知ですか、60歳以上の人なら記憶あるでしょう。今井正監督の映画「真昼の暗黒」で有名ですね。
単独犯なのに知り合いの4人を共犯として証言したためにぜんぜん関係のない無実の人が有罪となり死刑判決を受け、その後無罪釈放まで17年の月日を要した事件です。
昨年釈放されましたね。これは嘘の証言を採用され、最高裁まで争われた有名な冤罪事件です。
警察、検察は証拠以外に目撃証言を重視して起訴に持ち込むのが通常です。
フランスの冤罪事件は無実の青年が間違った証言(むしろ正しい証言を隠蔽)で死刑判決を受け、わずかな時間差で無罪を果たせず死刑執行(ギロチンですよ)されてしまったのです。最高裁での結審が3月で7月には執行されました。
日本では考えられないようなスピードですね。
フランスが世界で始めて死刑廃止をしたきっかけになった事件なのです。
証言者が自家用車の車種をルノーとプジョーを誤って証言したり、赤いプルオーバーを着ていたかどうかとか、証言が犯人の決め手になっているのです。
証言によって一人の人間を犯罪者にしてしまうのです。
日本でも死刑廃止論議の時にはかならずフランスの近年最大のこの
冤罪事件(フランス、ラニッチョ事件)が教科書として使われるのです。(日本評論社発行「赤いセーターは知っていた」ジル・ペロー著、Le PullーOver Rouge)
私が言いたいのは目撃証言の重要性です。
おぼろげな話ししかできないのに、「刑事さん、私ははっきりと見ましたよ。確かに片手でかばんの取ってを持ち、頭上まで振り上げて振り下ろしたところを見たのです。」と証言すれば、警察も検察も相手が神学校の校長さんだから絶対の信用をおくでしょう。
その他免田事件、財田川事件、狭山事件等が有名ですね。聖公会の京都教区の出口創君が教区の研修で狭山事件の現場に出向き、被告に面談したと報告していました。
それなら、吉田鈴木にも面談し、本当にかばんを片手で振り上げたのを見たのかどうかを厳しく確かめるべきではないか。
君ら聖公会というのは事実でないことを平気で証言し、一市民を犯罪者に仕立てることをなんとも思わず、平気で行える人種か。
きみら聖公会の聖職者は何をしても、うそをついても、猥褻しても、性犯罪を 犯しても、少女を陵辱しても、何をしても、神様に許される特権人種だとでも思っているのか。
真実は一つなのに、どうして片手と両手に分かれるのか。
事件発生は11月16日です。古賀が2回目の診断書を手に入れたのが11月20日、 そして刑事が京都教務所に目撃証言調書を取りに来て、吉田鈴木が両手でうんぬんの 証言をしたのが12月4日、事件の後、記憶がまだ生々しい鮮明な時期だ。
5メートルの近さで片手と両手を見間違うことがあるのでしょうか。
上京の刑事は吉田証言を作成し、かばんを頭上まで振り上げて思い切り殴ればこれはまさしく傷害事件だと判断し、翌月、千葉県の教会に事情聴取の電話をしたのです。
皆さん、今度アグネス教会に行かれたら、中央通路の横の長いすから出口付近を3時15分頃、曇りの日に見てください。
こんな明るさで、こんな近さから見て、見間違うことがあるでしょうか。 つづく、
糾す会 2011年9月19日
----- Original Message -----
From: "seiz2000" <assxxxxx@ybb.ne.jp>
Sent: Wednesday, September 21, 2011 1:54 PM
Subject: 1128号で訂正あり、糾す会1131号A
聖公会他関係者へ一斉メール
【訂正】
皆さん、1128号で重大な表現ミスをいたしました。
鎌田司祭より指摘があり、私も理解しましたのでここに訂正をいたします。
原文
「身内も身内で吉田はウイリアムス神学館の館長であり、高地は理事長であり、鈴木は卒業生であり、しかも現場、アグネスの教会守りの身分です。三者は一体であり、被害者とも一体なのです。 一方、井田司祭は証言では「自分は加害者のやり方のすべてを賛同しているわけではなく、また、証言するのはどっちに味方するということではなく、吉田証言は事実とは違うので、自分が近くで見ていたありのままを証言するまでです」とわざわざ断ってから証言されているのです。」
訂正箇所
上から4行目の加害者を被告と訂正します。
その理由
井田証人は、加害者と表現していませんので、訂正します。被告人あるいは、鎌田さんと言ってます。
糾す会より、
ご指摘はもっともだと思います。
裁判は本当に加害者なのかどうかを審理しているわけです。
被告の方に対してはお詫びいたします。
糾す会 2011年9月21日(水)朝
追伸
傍聴報告の後半が完成しましたので、まもなく配信します。
大変お待たせしました。