京都ぶらり女の1人旅

京都ぶらり女の1旅社寺散策・観光祭他

京都 夏季大祭・吉祥院六斎念仏( 8月25日)

2017年08月18日 | 京都ぶらり女の1人旅

六斎とは、仏教でいう六斎日のことで、月のうち8日・14日・15日・23日・29日・晦日の六日をいい、昔この六日を悪鬼が現れ人命を脅かす不吉な日として事を慎み「斎戒謹慎」し功徳を修し善心を発起すべき日であるとされた。
この観念は、空也上人が一般庶民に信仰を広める為、鉦・太鼓をたたいて「踊躍念仏」を始めたのが起こりで、民衆教化の宗教行事であったと伝えられています。
祭神は菅原道真公。
月例の縁日で、毎年8月25日にはこの地域に伝わる吉祥院六斎念仏が奉納されます。
 
夏季大祭で出店もたち、大にぎわいとなります。
 
六斎念仏は20:00から境内は観衆と踊り手の熱気に包まれていきます。
 
「発願」に始まり、締めくくりの「回向」まで、曲目が移りながら、演じられます。
 
■場 所: 吉祥院天満宮
■期 間:8/25(※毎年同じ日程です)
■時 間: 夏季大祭:10時か11時頃~
          吉祥院六斎念仏:20~21時半頃
 
■アクセス: 市バス208「西大路九条」、42「吉祥院天満宮前」
■お問合せ: 075-691-5303

<主な芸能六斎>
  梅津六斎念仏(梅宮大社 嵯峨天皇祭)
  小山郷六斎念仏(上善寺 六地蔵めぐり)
  桂六斎念仏(地蔵寺 六地蔵めぐり)
  吉祥院六斎念仏(吉祥院天満宮 夏期大祭)
  久世六斎念仏(蔵王堂光福寺 八朔祭法楽会)
  嵯峨野六斎念仏(阿弥陀寺 地蔵盆)
  嵯峨野六斎念仏(松尾大社 八朔祭)
  千本六斎念仏(引接寺 千本ゑんま堂 精霊送り)
  中堂寺六斎念仏(壬生寺 精霊送り)、(伏見稲荷大社 御旅所)
  壬生六斎念仏(壬生寺 精霊迎え)
 
 
 
 
 

http://www.e-kyoto.net/

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京都洛北 広河原の松上げ (8月24日)

2017年08月17日 | 京都ぶらり女の1人旅

京都市左京区広河原は、京都市街地から鞍馬(くらま)の山を越えて、さらに花背(はなせ)を過ぎた場所です。
ちなみに京都市中心部からは36kmほど離れた場所にあります。
 
 
 
下之元町の灯籠木場(とろぎば)に約1500本の松明が焚かれます。
威勢のいい掛け声とともに小松明(放り上松・ほうりあげまつ)を投げ上げて、高さ約20mの灯籠木の先の笠に点火するスタイル。
松上げの後、「ヤッサコサイ」とヤッサ踊りや江州音頭を踊ります。
露店もあり、小雨決行。
 
 
■場 所:広河原
■期 間:8/24(※毎年同じ日程です)
■時 間:松上げ点火:20時半
        終了:22時頃

■アクセス:京阪電車「出町柳」駅より京都バス32,34広河原行き「下の町」駅
(約2時間。路線バスでの日帰りはできません)
広河原松上げ鑑賞バス 同日(※7月上旬に決定予定)
出発・到着:17~18時に京阪「出町柳」駅にて受付→順次出発、松上げ鑑賞→23時15分同駅着予定。
大人:2500円、小人:1300円※電話申込予約制 申込先着順 300名

■お問合せ:行事について:075-746-0215(左京区役所花背出張所)
鑑賞バスについて:075-871-7521(京都バス(株)運輸部営業課)
 
 
詳しくは:http://www.e-kyoto.net/

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京都 雲ヶ畑松上げ( 8月24日)

2017年08月16日 | 京都ぶらり女の1人旅

 

交通の不便な為 自家用をお勧めします。
京都市街地から、山の谷間の一本道(府道61号)をひたすら走りました。
すれ違う車もなく、人里もない道です。
 
 
 
 
京都市北区の雲ヶ畑出張所という建物を見つけ、ようやく雲ヶ畑に約1時間程。
加茂川の源流で知られる林業の集落。
この地の愛宕山山頂2箇所に松明が同時点火され、愛宕明神に火災予防と五穀豊穣を祈願します。
空中に浮かぶ火の文字は毎年点火直前まで秘密。
若中会以外の者は、誰も点火時まで今年の文字がわからないのです。
平成25年は、出谷町が『千』中畑町が『中』の文字でした。
今年は、どんな文字が夜空に浮かびあがるのか 楽しみです。
 
 
高雲寺境内か、福蔵院境内で見学するといいでしょう。

※雨天順延
 
 
■場 所: 雲々畑 中畑町・出谷町(京都市北区雲 ケ畑中畑町176)
■時 間: 点火 20時頃~
■アクセス: ※交通についてはお問い合わせ下さい。
 「北大路駅前」より雲ヶ畑バスもくもく号 雲ヶ畑岩屋橋行(約30分)「高雲寺、出谷、福蔵院前。
  ※路線バスでの日帰りはできません。
■お問合せ: 075-406-2001(北区役所雲々畑出張所)
 

詳しくは:http://www.e-kyoto.net/

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京都 化野念仏寺・千灯供養とあたご古道街道灯し(8月23・24日)

2017年08月15日 | 京都ぶらり女の1人旅

嵐山電鉄の嵐山駅から歩いて、あだし野の念仏寺まで、約30分。
 
 
 
 
 
 
道の両側には竹の燈篭が飾られています。
 
 
 

数千体の無縁仏にロウソクをともす化野(あだしの)念仏寺「千灯供養」が行われます。
化野はかつて鳥辺野などと並ぶ葬送の地でした。
弘法大師空海が無数の無縁仏を供養するために開創したのが寺の始まりで、後に法然上人が念仏道場を開き、今の寺院名になりました。
千灯供養は明治時代に始まったもの。
1体1体ていねいに集められたのでしょう、8000体余の石仏に供えられたろうそくの火が風に揺れると、永劫の安息を得た石仏の安らぎに接する思いで、心落ち着きます。
 
2006年から予約不要となりました。
また、付近の町並みにも、お地蔵様に見立てたジャンボ提灯や子供達手作りの灯りが燈り、奥嵯峨にどこか懐かしい情緒を演出します。
 
 
 
■場 所: 千灯供養:化野念仏寺
街道灯し:愛宕神社 一の鳥居~祇王寺(約1.5km)
■期 間: 8/23・/24(※毎年同じ日程です)
■時 間: 千灯供養:17時半~20時半(受け付け終了)
街道灯し:8/23 18時半~21時頃
8/24・/25:19~21時頃

■料 金: 1000円(中学生以上・行事協賛費)
■アクセス: 京都バス72「鳥居本」
■お問合せ: 千灯供養:075-861-2221(化野念仏寺)
街道灯し:075-861-0051(松山様方嵯峨野保勝会)
 
■ 公式ホームページ: http://www.nenbutsuji.jp/
 
 
詳しくは:http://www.e-kyoto.net/

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京都 真夏の桔梗 廬山寺

2017年08月14日 | 京都ぶらり女の1人旅

夏に京都なんか行くもんじゃないけど、夏だから癒されるお寺も数々。
汗を流しながら散策も 思い出の心の1ページ。

廬山寺は寺町通を上って御所のある今出川通と丸太町通の間にあります。
 
元三大師堂
 
廬山寺は、もとは平安時代前期に創建された天台宗圓浄寺系の本山で、京都の北、船岡山の山麓にあったと伝えられます。
しかし、たびたび兵火に遭い、1573年、豊臣秀吉の都市計画に従って、現在の場所に移りました。
現在の廬山寺は、紫式部の邸宅跡として知られています。
名作ゆかりの史跡として、多くの人が訪れます。
約1000株の桔梗が、100カ所ほどにまとめられて散在する。
 
 
紫式部ゆかりの地らしく「源氏庭」と名づけられた庭には白砂が敷かれ、紫の桔梗の花が咲きます。
これが凛として、とてもきれいです。
 
 

境内にある歌碑には、紫式部の詠んだ歌が記されています。
 
 

   「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 
                 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」
                           紫式部
  「有馬山ゐなの笹原風吹けば
     
    いでそよ人を忘れやはする」
     
                         大弐三位
 
 
 
 
 

源氏庭
境内の庭園は源氏庭といい、平安朝の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭です。
「紫式部邸宅址」の石碑が立っています。
6月から8月にかけて桔梗の花が咲きます。
源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことで、庭のあちこちにすっきりと植えられている桔梗の花は、品のいい静かな印象です。
 
 
 
紫式部邸宅跡
源氏物語で有名な紫式部は、現在の廬山寺の境内に住んでいました。
紫式部の曽祖父 藤原兼輔(堤中納言)の邸宅で、紫式部はここで育ち、59歳くらいで死去したと言われています。
「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などは、ほとんどこの地で執筆されました。
境内には、紫式部の歌碑があります。
 
 
 
 
 
アクセス:
京阪鴨東線「出町柳駅」より徒歩15分 「丸太町駅」より徒歩20分
市バス1.3.4.17.37.59.205 「府立医大病院前」徒歩3分
拝観時間:9:00~16:00
参拝料:大人400円 小人300円
休観日:12/25~1/1

〒602-0852 京都市上京区寺町通広小路上る北之町397
TEL 075-231-0355  FAX 075-231-1357
URL  http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/
 

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京都 寂光院・秋海棠

2017年08月13日 | 京都ぶらり女の1人旅

朝夕ぐぐっと気温が下がり、すっかり秋めいて来た今日この頃は昨年の事。
猛暑の中 汗を拭き拭き。
大原の里まで出かけてきました。
 
大原まで1時間ちょっとで大原バスセンターに到着 右へ登って三千院か、左へ下って寂光院。
 
寂光院の入口に約10分程で到着、ここから石の階段を登ります 緑の癒しが迎えてくれます。
 
どちらも秋海棠のお寺だけに迷いましたが、寂光院に決定ですがまだまだ暑い 汗を拭きながら下り坂。
 
 
秋海棠(しゅうかいどう)は、境内の小さな池「四方正面の池」のほとりを中心に自生している。
厚めの葉が水辺で重なり合い、赤みをおびた茎が伸びて、先にピンクの花をつける。
ベゴニアによく似た花ですが、垂れ下がるように咲く姿は何とも可憐。
秋海棠は寂光院山門の楓に先立ち、茎までも赤く染まっていきます。
寂光院は、平清盛の娘で安徳天皇の母である建礼門院が、尼として余生を過ごしたところ。
大原草生のこの静かな佇まいに咲くこの花は、滅びゆく平家を見てきた彼女にとってほんの一時でも心の慰めとなったことでしょう。
これが本堂前のお庭。
中央の枯れた松は千年姫小松と言い。
平家物語にも出てきます。
今は枯れてるけど当時のまま。
今は御神木になって残ってる。
 
 
 
■場 所: 寂光院
■アクセス: 京都バス17・18「大原」
■お問合せ: 075-744-3341
■詳細ページ:http://www.jakkoin.jp/
 
■詳しくは:http://www.e-kyoto.net/

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京都 法輪寺 通称達磨寺(だるま寺)

2017年08月12日 | 京都ぶらり女の1人旅

ここ数日、夏本番の青空です。
頭がおかしくなくても、おかしくなるような猛烈の暑さ 京都の暑さは一人前。
猛暑が厳しすぎますね、だるま寺と親しまれる法輪寺さんへ到着するやいなや 休憩処 四阿でホッとひと息で生き返る。
法輪寺と言えば、渡月橋から見える多宝塔で有名ですが、こことは違うんです。
 
 
 
正式名は法輪寺ですが通称「だるま寺」としてよく知られています。
円町の交差点から西大路通り を上がって、最初の信号を右折して少し進むと右手に見えてきますが、駐車場は門前を通り過ぎて20mくらい行った右手に10台ほどのスペースがあります。
 
 
 
門を入ると左手にピンクの芙蓉の一群があり、本堂奥の庭には大きく形のよい百日紅が薄紅色の花 を咲かせています。
達磨大師をまつる法輪寺は、通称「だるま寺」と呼ばれるだけあって、だるまさんだらけです。
 
 
表門に始まり、本堂から庭に至るまで、なんと約8000体以上ものだるまさんが!
そのだるまさんが、この時期は芙蓉に囲まれます。
 
 

見頃:例年8月下旬~9月中旬
 

「達磨(だるま)寺」とも呼ばれ親しまれています。
境内の達磨堂には、さまざまな達磨を祀っています。
 
 
門を入ってすぐの参道脇に芙蓉が植えられ、ピンクの花が出迎えてくれます。
芙蓉は夕方には萎んでしまう一日花。
花を愛でるなら、午前中に訪れるのがお薦めです。
たくさんの繊細な花びらが次々と、朝に開いては夕暮れにはしぼんでいきます。
儚い夏の思い出と共に。
 

■場 所: 法輪寺
■アクセス: JR山陰線「円町」駅
■お問合せ: 075-841-7878
詳しくは:http://shunji.chu.jp/otera/daruma1.htm

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京都 三千院・万灯会   8/12(※毎年同じ日程です)

2017年08月11日 | 京都ぶらり女の1人旅

 

毎年14・15日です。
京都駅から約1時間    京都バス17・18「大原」

天台宗開宗1200年にあたる2004年に、世界平和を願う 「千年の祈り」として始められました。

大原のバスターミナルのあたりから 三千院まで、花灯路が続きます。

仏を祀る法会を万灯会といいます。

古くから灯明を灯して読経を行うことはありましたが、 744年、奈良の東大寺の前身、金鐘寺(こんしょうじ)で、1万杯の灯を灯したのが、万灯会の始まりです。
平安京遷都後の平安時代には、万灯会は東大寺で行事として定着し、奈良や京都の寺をはじめ、各地の寺に伝わり、室町時代後期には、 「長者の万灯よりも貧者の一灯」と、庶民にも献灯が勧められるようになりました。
今からおよそ800年前、三千院往生極楽院は建立されました。
 

一人の女性が、極楽浄土への祈りを捧げるために建てたものと、言い伝えられています。

それ以来800年あまりの歳月が流れ、今もその祈りが往生極楽院のみならず、大原の里に満ちています。

受け継いだ「いにしえ」の祈り、そしてこれから刻む数百年、いや数千年の祈りを目指し、三千院 万灯会を行います。
光に浮かぶ往生極楽院、献灯者の祈りに満ちた観音堂、それはまさしく現代の補陀洛浄土です。
 
 

「祈りの里 大原」に、未来への一灯、心の道標として蝋燭を灯し千年の祈りを捧げます。

功徳を積むことになる、というわけでしょう。
 

■場 所: 三千院
■期 間: 8/12(※毎年同じ日程です)
 
■時 間: 18~20時半
■料 金: 参拝:無料
 一灯:1,000円(万灯会参拝料無料)

■アクセス: ・京都バス17・18「大原」
・京都定期観光バス:料金:6,000円(大人、食事付き)
  出発:JR京都駅烏丸口に17時半
  075-672-2100(京都定期観光バス)

■お問合せ: 075-744-2531
■詳細ページ:http://www.sanzenin.or.jp/ 

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京都 六地蔵めぐり (8月22日)

2017年08月10日 | 京都ぶらり女の1人旅

法雲山浄妙院大善寺といいます。
通称「六地蔵」と呼ばれ親しまれています。
705年(慶雲2年)藤原鎌足の子、定慧(じょうえ)によって創建されました。
地蔵堂に安置された地蔵菩薩立像(重要文化財)は、平安時代の初め852年(仁寿2年)「小野篁」が作ったものと伝えられています。
篁公は849年(嘉祥2年)48才の時に熱病を患い意識を失って、地獄に落ちた人々の苦しんでいる姿を見ました。
その時一人の僧が人々の苦難を救っている場に出会いました。
その僧は「私は地蔵菩薩である」と名のられ「この地獄だけでなく、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上など六道の迷いの世界を巡りながら縁ある人々を救っている。
全ての人を救いたいが、縁のない人を救う事はできない。
私にとっても残念な事だ。
貴方はこの地獄の苦しい有様と地蔵菩薩の事を人々に知らしめてほしい」と聞いて蘇った篁公は、木幡山から一本の桜の木を切り出して、六体の地蔵菩薩像を刻み此の地に納めました。
それよりここを六地蔵と言います。
その後1157年(保元2年)後白河法皇の勅命により、平清盛が西光法師に命じて、京都の街道の入り口六ヶ所に六角堂を建て、一体づつご尊像を分置されました。
  
最初に六地蔵巡りをされたのが、西光法師と言われます。
これが六地蔵巡りの始まりです。 

市内の6ヶ所のお地蔵さんを巡り、授与されたお幡(おはた)を入り口に吊るして家内安全、無病息災をお願いする、800年も続いている伝統行事です。
また、お地蔵さんのある所は、それぞれ昔の街道の入り口にあたります。
1157(保元2)年、後白河天皇の勅命を受けた平清盛が街道の入り口に六地蔵を分置してから、庶民が六地蔵を巡拝するようになったといいます。
 
毎年8月22日~23日、「六地蔵めぐり」といって、京都の旧街道口に安置された六体の地蔵尊を回る風習があります。
各寺では「お幡(おはた)」と呼ばれるお札をいただき、束ねて護符として家の入り口につるしておきます
 
 
 

■場 所
大善寺(伏見六地蔵:奈良街道)
 
 
 
 
浄禅寺(鳥羽地蔵:大坂街道)
 
 
 
 
地蔵寺(桂地蔵:丹波・山陰街道)
 
 
 
源光寺(常盤地蔵:山街道)
 
 
 
徳林庵(山科地蔵:東海道)
 
 
 
 
 
上善寺(鞍馬口地蔵:鞍馬街道)
 
■期 間: 8/22・/23(※毎年同じ日程です)
 
■アクセス: 大善寺:JR奈良線「六地蔵」 駅
 
 浄禅寺:市バス18「地蔵前」
 
 地蔵寺:市バス33「桂消防署前」
 
 源光寺:市バス75「常盤・嵯峨野高校前」
 
 徳林庵:JR琵琶湖線「山科」 駅
 
 上善寺:地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅
 
■お問合せ: 075-611-4966(大善寺)
■詳細ページ:https://kanko.city.kyoto.lg.jp/travelroute.php?InforKindCode=7&ManageCode=3000006

詳しくは:http://www.e-kyoto.net/
 

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京都 大覚寺 宵弘法(万灯会)8月20日

2017年08月09日 | 京都ぶらり女の1人旅

華やかし王朝文化が薫る嵯峨離宮、京都嵯峨野の中ほどに位置する大覚寺。
平安時代、嵯峨天皇が皇后とのご成婚の新殿として建立されました。
嵯峨離宮として、華やかな王朝文化が生まれた舞台でもあります。
歴代天皇や皇族の方が住職に就かれてきた門跡寺院であることから、嵯峨御所と呼ばれていました。
広い境内には、五大堂、宸殿(しんでん)、勅封心経殿など、貴重な歴史的建物が見事な風格を見せています。
とりわけ素晴らしいのは、東に広がる大沢池です。
周囲1キロの日本最古の庭苑池で、中国の「洞庭湖」を模倣して造られたことから、庭湖とも呼ばれています。
この美しい地で「いけばな嵯峨御流」は、生まれました。
大覚寺はお花の寺としても親しまれています。
また、大覚寺は源氏物語の「源氏」姓の発祥の地だとも伝えられています。
そもそも、天皇をはじめ皇族の方々は姓を持ちません。

「万灯会」の法会は、弘法大師が除災招福を祈念し、毎年1回執り行なわれ、仏さまに多くの灯火をお供えするだけでなく、弘法大師の加持護念のありがたいみ心に対し、報恩の誠をささげ、暗き世を光で照らす真言宗の大切な法会です。
当山大覚寺でも、8月20日に皆さまに献灯していただきまして、万灯会の法会を厳修し、亡き人の追福菩提を祈り、施主のご家族のご多幸とご健康を祈念してまいりました。今では、「宵弘法」として広く全国に親しまれております。
8月20日、京都・嵯峨野の大覚寺では、王朝の薫り豊かな大沢池のほとりに施餓鬼棚を設けて、「お施餓鬼」の法会を執り行ないます。
提灯が連なり水面を美しく飾り立てた大沢池の中央には、丸太を何本も組み上げた「嵯峨の送り火」の祭壇が、今か今かと点火の時を待っています。
御影堂において門跡が修法され、施餓鬼棚の前では塔婆に記されたご先祖さまの名前や戒名を次々と読み上げ、ご真言をお唱えして、その菩提をお祈りいたします。
いよいよ大沢池の中央の送り火の祭壇に火が入れられますと、燃え上がる炎が池の周りを明るく照らし出します。
夜空に舞い登る火の粉は、まるで浄土に帰って行くご先祖さまたちの魂のようにも見えます。
宵闇に、み魂送りのために集まった人々は、亡き人々の菩提を祈り、そして燃え上がる炎に明日を生き行く勇気をいただきます。夏の終わり、人々の祈りの中で大覚寺の宵弘法の夜はふけていきます。
本年も8月20日にさまざまな行事をあわせて催しますので、皆さまご参詣下さいますようご案内申し上げます。
 
日 時  8月20日 午後5時より(※毎年同じ日程です)
  
場 所  大覚寺境内、大沢池一帯
  
参拝料  無料(ただし献灯には別途料金が必要)
  
献灯料  灯籠(経木塔婆一体付)2,000円
  
        経木塔婆一体1,000円

■アクセス: 市バス28「大覚寺前」
             京都バス71・81「大覚寺前」
 
■お問合せ: 075-871-0071
■詳細ページ:大覚寺公式ホームページ:https://www.daikakuji.or.jp/
■大覚寺周辺情報 http://www.e-kyoto.net/kyocourse/25
 

詳しくは:http://www.e-kyoto.net/
 
 

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上御霊神社・例大祭、小山郷六斎念仏(8月18日)

2017年08月08日 | 京都ぶらり女の1人旅

国の重要無形民族文化財に指定されている六斎念仏の中で、これは公家六斎と呼ばれるもの。
小山郷六斎念仏保存会による念仏踊りがにぎやかに行われます。
江戸時代中頃は干菜寺(ほしなでら)系でしたが、その後芸能六斎に変わり、江戸後期から明治にかけて空也堂から免状を受けるようになったとされます。
境内でフリーマーケットも。
 
 
上御霊神社の起こり
本殿八座の御鎮座年月は詳ならざるも社記によれば、桓武天皇の御宇延暦13年5月崇道天皇の神霊を現今の社地に祀り給ひしを始めとす。
其後仁明天皇、清和天皇両朝に至りて井上内親王、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫の神霊を合祀せられ貞観5年5月廿日神泉苑に六座の神座を設け悪疫退散の御霊会を勅修あらせられたるは史上明らかにして、当社御祭神を勅祭し給ひし始めなり。
後更に以上六所の荒魂、火雷神と吉備聖霊とを併祭されるに至り、俗に社号八所御霊又は八所御霊大明神と称へ奉り国家守護。
皇居御産土神、都民擁護の崇社として斯に長久に鎮座し給へるなり。
 
■場 所: 上御霊神社
■期 間: 8/18(※毎年同じ日程です)
■時 間: 例祭 狂言奉納:9時半~
          小山郷六斎念仏:20時半頃~
■アクセス: 地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅
■お問合せ: 075-441-2260
■詳しくは:http://kyoto6931.com/r/
■御靈神社(ごりょう じんじゃ):http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/
 
 

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京都 五山の送り火コラム(8月16日)

2017年08月07日 | 京都ぶらり女の1人旅

八月十六日、五山の送り火の時、もしあなたが「今日は大文字焼きの日ですね」と、言ったとしたら、あなたは京都人でないことがバレバレです。
京都の人は「今日は大文字さんの日どすなぁ」というような表現はしても、”大文字焼き”とはいわない。
「何とか焼き、やなんて、まるで饅頭みたいにいわんといて」なのである。
京都の人、とくに五山の送り火を支えている関係者にとっては、この行事、厳正な宗教行事。
軽軽しく扱われることに対しての、拒否反応は厳しい。
こんなことを覚えている人はいませんか。
昭和四十七年の秋も深まった十月三十日の夜、突然、大文字の火が点ったのです。
みんなびっくりしました。

 「何で今ごろ大文字さんなんや」

騒然となりました。大文字保存会の人などは、「神聖な宗教行事を冒涜した」とカンカンに怒りました。
この”事件”を取材した新聞記者から、話を聞いたことがあります。
地元紙の記者だった彼が、夜勤をしていた時にかかってきた電話が発端だったそう。
彼は一九七〇(昭和四十五)年前後に、全国で吹き荒れていた学園紛争を取材していた際、ノンセクトラジカルといわれたグループの学生たちに知り合いが出来ていた。
そのグループの一員から「銀閣寺近くのいっぱい呑み屋に集まってくる学生たちで、大文字に火をつけようやないか、という話が盛り上がって、今夜遅く、みんなで懐中電灯を持って大文字に登山、一斉に懐中電灯を照らして”大文字”を再現するんや」という話。
彼は慌てたそう。
六月ごろから話が持ち上がり、参加者を募ったところ、周辺に下宿するこの呑み屋の常連の京都大、同志社大、立命館大などの学生七十人ほどが参加することになったという。
 
「特ダネや」。
写真部員を伴い、今出川通と白川通の交差点東側にある疎水の橋の上にカメラを据えて、午後九時過ぎから約二十五分間、本物の三分の二ほどの小ささとなった「大文字の送り火」の撮影に成功。
これが、時ならぬ、秋の大文字送り火の真相だそうだ。

京の夜を炎に染める
8月16日に行われる、精霊を冥府へと送るお盆の行事。
午後8時、東山如意ケ嶽(ひがしやまにょいがたけ)に「大」の字が浮かび上がると、続いて午後8時10分に松ケ崎西山・東山に「妙」「法」、15分に西賀茂船山に「船形」、大北山(おおきたやま)に「左大文字」、20分には嵯峨鳥居本曼荼羅山に「鳥居形」が点る。
各山とも約30分間、火が灯り続ける。
よく見える場所としては、「大文字」が鴨川丸太町橋~賀茂川御園橋(かみがもみそのばし)、「妙」「法」は地下鉄松ケ崎駅付近、高野川堤防、「船形」は北山大橋~御園橋上流、「左大文字」は西大路通の四条~金閣寺、「鳥居形」は桂川の松尾橋や広沢池などが挙げられる。
 
また船岡山山頂からは鳥居形を除く四山が望める。
 

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京都 大文字の謎 (8月16日)

2017年08月06日 | 京都ぶらり女の1人旅

■なぜ、”大”の字なのか?

「大」はこの世を構成する「地」・「水」・「火」・「風」の四大要素(四大)の「大」であり、亡くなって四大へと戻ったご先祖の帰るところを表しています。
火は、古来から我々の願いを神のもとへと運んでくれるものと考えられてきました。
時の権力者に殺された町衆の姿を表しているという説も…(怖いっ)。
星を象り、悪魔退治の五芳星の意味を持つ!?
一年中位置が変わらない北極星(北辰)は神の化身とされ、その姿を象って、同じく動かない山に灯した!?
弘法大師が、護摩壇を大の字型に組んでいたから!
 
「大」の字は「一人」と書きます。
このことから人形ととらえ、無病息災を祈る火とのいわれも。

 
■起源は

俗説、諸説ありますが、確かな事は分かっていないようです。
平安初期に空海が始めた?説
 
”大”の字は、弘法大師が書いた文字とも。
「都名所図絵」等によると、往古山麓にあった浄土寺が火災にあった際、本尊阿弥陀仏が山上に飛来して光明を放ったことから、その光明をかたどって点火したものを、弘法大師空海が大の字に改めたそうですが、その他の記録に大文字が登場しないため、俗説とされています。
(「大文字噺」「山城四季物語」等空海起源説に関連)

 
室町中期に足利義政が始めた?説
大文字山の麓、銀閣寺にゆかりのある足利義政が、早くに亡くした子の足利義尚のために命じたとか。
足利義政の家臣・芳賀掃部(はがかもん)が、相国寺の僧・横川景三(おうさんけいせん)の指導のもとに設計したとの説です。
旧室町幕府跡(花の御所・室町殿。室町今出川辺り)に送り火の正面が向いている、という声もあります。
仏教が一般社会にも広まった室町時代以降に始まったのではないかというのが一般的な説のようです。
近年、銀閣寺から送り火に関する古文書や大文字山が銀閣寺の領地であったという資料が発見され、足利説が有力だという声も挙がっているそうです。
 
江戸初期に能書家・近衛信尹が始めた?説
近衛信尹、本阿弥光悦、松花堂昭乗と共に当時の三筆といわれた能書家でした。
江戸初期、寛文2年(1662)に刊行された「案内者」に「松ヶ崎には妙法の2字を火にともす。
山に妙法といふ筆画に杭を打ち、松明を結びつけて火を灯したるものなり。
北山には帆掛け舟、浄土寺には大文字皆かくの如し。
大文字は三藐院殿(近衛信尹)の筆画にてきり石をたてたりといふ」との記述があるそうです。

 
妙法もまた、鎌倉末期に日蓮宗の僧が妙の字を書いて点火し、法は近代になってから始まったととも、鎌倉末期 守寺の涌泉寺が日蓮宗に改宗した際に、題目の一部である「妙」と「法」を用いたとも言われています。
船形は、慈覚大師円仁が唐の帰路で暴風雨に見舞われ、南無阿弥陀仏を唱えた(海に投げ入れた)事によって無事に帰還することができました。
その船を形どったものと言われています。
左大文は、先の三山より遅くに始まり、如意ヶ嶽の大文字が室町御所の池に映った様子を見て大北山に「左大文字」の送り火を始めたのが起源といいます。
明治時代には大の文字に一画足して「天」とした事もあったとか。
鳥居形は、弘法大師が刻んだ石仏千体の開眼供養の際に点火されたとされています。
麓は愛宕神社の参道・鳥居本地区で一の鳥居が立っている事からこの形になったと思われます。

 
■昔は五山ではなく十山だった!?

江戸時代後期、享保2年(1717年)の『諸国年中行事』には、市原に”い”、鳴滝に”一”、”竹に鈴(「竹の先に鈴(竿に鈴))”、西山(北嵯峨)に”蛇”、観空寺村に”長刀”などがあったと伝えられ、明治以前には十山で行われていたそうです。
「竿に鈴」は大正初期まで点火されていましたが、その場所は一乗寺、静原、西山(松尾山)のいずれか不明確になってきています。
明治期に、急速に近代国家を目指した日本では、「大文字」や「祇園祭」の信仰を迷信として、明治初年から10年の間、双方を禁止していまいました。
その後再開はされたものの、昔ながらの日本の伝統が重視されなかった当時では、資金等の援助をなかなか受けられず、第二次世界大戦前までに送り火は次々と無くなり、現在では五山となりました。
 
 
 
 

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京都 送り火に願いを込めて(8月16日)

2017年08月05日 | 京都ぶらり女の1人旅

護摩木を納める

送り火の点火に用いられる護摩木に姓名・年齢・持病等を書いて納め、火床で最初の点火用として焚いてもらいます。
厄除け・病気平癒になるそうです。
 
護摩木は送り火の前から「大文字」(銀閣寺門前)「左大文字」(金閣寺門前)、「鳥居形」(化野念仏寺)、「船形」(西賀茂・西方寺)の志納所で受け付けています(各山によって日時は異なる)。
火床に組んで燃やす松割木は1本400円、護摩木は1本300円。
盃の水に送り火の大の字を映して飲む願い事が叶い、または無病息災に暮らせると言います。
ナスに穴をあけて大文字を見る目の病気にならないそうです。
翌日の早朝に消し炭を取りに行く消し炭を奉書紙に巻いて水引をかけ家に吊るしておくと、魔除け、厄除け、盗難除けのお守りになるそう。
 
銀閣寺参道の家並みには今も消し炭が吊されているとか。
また、消し炭を煎じて飲むと腹痛が収まり、病気封じになるという言い伝えがあります。
 
「大文字山に煙草の大看板」

日本初の両切り紙巻き煙草を明治二十四年に製造し、「東洋のタバコ王」と呼ばれた村井吉兵衛氏。
彼は明治28年、岡崎で開催される第四回内国観業博覧会にあわせて、五山の送り火で大文字が灯る大文字山に煙草の大看板を掲げたそうです。
 
 
送り火と煙草、なんとも大胆なPR広告です。
その看板は、数年後には撤去されてしまったそうですが…。

「8月16日以外の日にも点火!?」

明治時代以降、慶祝行事等の一環で点火されることがありました。例えば…
明治23(1890)年4/8 琵琶湖疏水竣工祝賀夜会で大文字山に点火
明治24(1891)年5/9 ロシア皇太子入洛で全山点火
明治28(1895)年5/15 日清戦争後の明治天皇の京都訪問で大文字山に「祝平和」の文字を点火
明治31(1898)年10/27 皇太子嘉仁親王(大正天皇)京都滞在により大文字点火
明治38(1905)年6/1 日露戦争祝勝で旧制三高生による大文字点火
昭和10(1935)年4/3 前年の室戸台風襲来で倒れた樹木を弔うため大文字点火
平成12(2000)年12/31 21世紀の幕開けを記念して全山点火
 

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京都 五山送り火説明 (8月16日)

2017年08月04日 | 京都ぶらり女の1人旅

連日35度を超す 毎日 体も悲鳴を上げている 夜の五山送り火を見て癒されて欲しい・・・

大文字送り火
東山・如意ヶ嶽の「大文字送り火」。
8月15日の正午ごろから16日昼ごろにかけ、ふもとの銀閣寺山門前に設けられた受付で一般市民によって護摩木(割木)に先祖供養や生存する人の無病息災が記される。
この護摩木は送り火の点火資材として当日山上へ運ばれ、当夜7時から山上の弘法大師堂でお灯明がともされ浄土院(大文字寺)住職及び保存会員並びに参詣者等の有志により般若心経があげられる。
その後、このお灯明を親火に移し、合図により一斉に送り火が点火される。
 
はじまり

送り火の代表格といわれている「大文字」のはじまりは平安初期・室町中期・江戸初期・その他と複数の説があると言われているが、最も注目されるのは江戸初期だと言われる。
また、地元では銀閣寺から発見された古文書により室町中期に始められたという説も根強い。
松ヶ崎妙法送り火
松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙・法」送り火。
16日朝早くから割木を山に運んで点火準備が行われる。
以前は麓の田に火小屋があり、その火を合図に点火が行われていたが、現在は簡易保険局の屋上からの合図によって点火が行われる。
点火の際には涌泉寺住職および松ヶ崎立正会会長による読経が行われる。
 
はじまり

寛文2年(1662)に刊行された『案内者』に「山々の送り火、但し雨ふればのぶるなり。・・・・・松ヶ崎には妙法の2字を火にともす」とあり、寛文2年以前の創始にかかることは明らかだが、正確な年代は不明。
湧泉寺の寺伝によれば、鎌倉末の徳治2年(1307)日像の教化によって天台宗から法華宗に改宗した際、日像が西山に妙の字をかいて点火したものだといい、法の字は、湧泉寺の末寺下賀茂大妙寺ニ祖日良が東山に書いたことがはじまりという。

点火資材
薪は松割木を使用。
井桁で約1mに積み重ねる。
薪数332束 松葉166束
 
 

船形万燈籠送り火
京都は西賀茂にある「船形」。
ここでは現在3ヶ所55軒の旧家により、18人の若中(17~25歳の男子)、36人の中老及び年寄約50人が送り火行事にたずさわる。
16日朝早くから若中と中老が割木を山に運んで点火の準備が行われる。
点火時刻には西方寺で鳴らす鐘を合図に点火する。
山上の送り火が点火されると山麓では西方寺住職の読経が行われ、このことからこの山を一名鐘打山とも呼ばれる。
はじまり
西方寺開祖慈覚大師円仁が、承和14年(847)唐留学の帰路暴風雨にあい、南無阿弥陀仏と名号を唱えたので無事帰朝できたことから、その船を形どって万燈籠送り火をはじめたと伝えているが、正確な時期は不明。

左大文字送り火
京都市北区にある「左大文字」。
15日と16日の午前中、金閣寺の前に設けられた志納所で護摩木の志納受付が行われる。
午後7時ごろに衣笠街道町・法音寺門前通り25ヶ所で門火の送り火を焚き、先祖の霊を導く。
この寺では送り火の親火点火台で護摩木が焚かれ、先祖の霊を慰める法要が行われる。
その火で親火松明1基と手松明(約40本)が山上へ運ばれ、山上の送り火が点火される。
 
はじまり

左大文字の始まりについては他の四山と同様に判然としないが、『洛陽名所集』(万治元年1658)には記載はなく『扶桑京華志』(寛文5年1665)には記載されていることから、江戸中期に始まったとみられる。
 
鳥居形松明送り火
京都市右京区嵯峨の「鳥居形」。
16日午前8時ごろ、山麓から山上の親火床へ松明が運ばれ、午後4時ごろ再び山上へ上がり親火床に使う薪を作り点火の準備が行われる。
 
午後6時ごろには親火に点火し松明をあぶってジン(松の根の部分)をふかしながら燃えないように監視し、午後8時20分の点火合図である太鼓の音を待つ。
 
はじまり

鳥居形は弘法大師が石仏千体をきざんでその開眼供養を営んだとき点火されたといわれている。
正確な時期は不明。
点火資材
薪は松明(ジンを小割にして束にしたもの)108束を使用する。
 
 
 
詳しくは:http://www.e-kyoto.net/
 
 

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