京都ぶらり女の1人旅

京都社寺散策・観光祭他

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京都紅葉シリーズ  京都御所

2016年10月17日 | 京都ぶらり女の1人旅

京都御所は、延暦13年(794年)に桓武天皇が都を平安京に遷した際に、今のJR二条駅の北側一帯に造営した大内裏(だいだいり)の中に造られた天皇の住まいである内裏が始まり。

遷都後は、幾度となく火災に遭い、そのたびに天皇は摂関家の邸宅などを里内裏(仮皇居)として利用していた。

平安時代後期になると里内裏が通例化し、大内裏の諸施設の利用頻度は減少する。

その後、安貞元年(1227年)に火災で内裏が焼失したが、再建されなかった。

現在の京都御所は、正元元年(1259年)に皇居閑院が焼失した際、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と呼ばれた里内裏を改築したもので、元弘元年(1331年)に光厳天皇(こうごんてんのう)がこの地で即位して以降、明治2年(1869年)まで皇居とされた。

なお、現在の建物の多くは安政2年(1855年)に再建されたものである。

 

参観予約について

参観には事前に予約が必要になります。

参観は無料です。

予約方法は、はがき、窓口へ行く、インターネットと全部で三つありますが、当ホームページをご覧頂けているのでしたら、インターネットで予約するのが手軽です。

 

アクセス

地下鉄烏丸線 今出川駅から徒歩5分

市バス 烏丸今出川から徒歩5分

 

 


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京都広隆寺 弥勒菩薩

2016年10月17日 | 京都ぶらり女の1人旅

まだ 紅葉には少し早い 混まない時に 散策ぶらり女の1旅も良い事です。

今秋に 紅葉の京都 おこしやす!!

”弥勒菩薩半跏思惟像”(戦後国宝第一号に指定)で特に有名な寺院です。

京福電鉄・嵐山線「太秦広隆寺」すぐ近く、電車は広隆寺の前の路面を走っています。

広隆寺  真言宗 別格本山。

別称太秦寺・蜂岡寺。

 

『広隆寺由来記』には,広隆は秦河勝の実名とされますが、寺名の成立時期は不詳。

秦河勝が、推古11年(603)聖徳太子から仏像を拝受し蜂岡寺を造営し、推古31年(623)に新羅から送られた仏像を葛野秦寺に安置したと記されます。

広隆寺という寺名が文献に現れるのは、承和5年(838)ですが、飛鳥時代にさかのぼる仏像が伝わることや、出土瓦からその起源が飛鳥時代にあることをうかがわせます。

太秦の地は、秦氏が葛野郡に拠点を築いた五世紀以降特別な地として重要視されたものと思われます。

度々火災にあい、現在の建物は平安時代末期以後のものです。

新霊宝殿に安置されている「弥勒菩薩像」(国宝)の写真が門前に。


講堂
 
永万元年(1165)再建された京洛最古の建物で俗に赤堂という。(重文)


薬師堂


地蔵堂 


平安時代に我国繁栄の為に弘法大師が諸人安産、子孫繁栄の御祈願に基き制作された「腹帯地蔵尊」を安置。

本堂は「上宮王院太子殿」という。

享保15年(1730)再建、入母屋造の堂。本尊に聖徳太子を祀る。

こちらは旧霊宝殿 新霊宝殿は隣にあります。

「弥勒菩薩半跏思惟像」 (みろくぼさつ はんかしいぞう)

弥勒菩薩は須弥山の弥勒浄土といわれている兜率天(とそつてん)にて菩薩の行につとめられ、諸天に説法し、お釈迦様にかわってすべての悩み、苦しみをお救いくださり、正しい道へと導いてくださる慈悲の仏さまです。

この「半跏思惟像」は「一切衆正をいかにして救おうかと考えている」お姿を表しています。

広隆寺「宝冠弥勒」

 

 

 

■拝観時間………9時~17時(12月~2月は16時30分まで) ※無休

■拝観料…………境内は自由、霊宝館700円、桂宮院本堂200円

■駐車場…………50台

■住所……………京都府京都市右京区太秦蜂岡町32

■交通アクセス… 京福電鉄「太秦(うずまさ)駅」下車すぐ


●紅葉の見ごろ時期……11月中旬~12月上旬

 

 

 


 


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京都 紅葉 化野念仏寺 (明日出航の為お休み)

2016年10月15日 | 京都ぶらり女の1人旅

寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。


「あだしの」は「化野」と記す。

「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。


この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。


境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。

何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。

明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。

賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。

本尊阿弥陀如来像 西院の河原

 


8月23日・24日「千灯供養(せんとうくよう)」

明治時代、無縁仏を弔う行事として始まったのが、「千灯供養」です。

地蔵盆の時期に行われ、この2日間には地元の方々をはじめ、参拝者が手を合わせに訪れます。

陽も落ち始める頃、数千体もの無縁仏にろうそくが供えられます。あかりと石仏が織りなす幻想的な光景が、あたり一面に広がります。

 

 

アクセス

JR嵯峨野線 京都駅から嵯峨嵐山駅下車

京都駅から

京都バス 72号系統『嵐山・清滝』行き

→四条烏丸-四条大宮-鳥居本下車(約40分)

*バス停『鳥居本』より 徒歩約5分

開門9:00~16:30(受付終了)

入山拝観料

大人

500円

中学、高校生

400円


〒616-8436 

京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17 あだしの 念仏寺

電話:075-861-2221 Fax:075-881-9800

詳しくは:http://www.nenbutsuji.jp/ 
 

 

 


  


 


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京都紅葉シリーズ 将軍塚/青蓮院門跡 別院「大日堂」

2016年10月15日 | 京都ぶらり女の1人旅

大日堂の御本尊は平安時代に作られた石造の胎蔵界大日如来で、付近の山中から発見された花頂院の遺仏と伝えられる。

碑のあるところに埋もれていたものを、お堂を造り安置しています。

京都の夜景スポットと言えば「将軍塚」っていいますが、東山ドライブウェイ頂上の無料駐車場の小さな展望台は「将軍塚」ではありません。

本当の将軍塚は駐車場から北へ100m程行くと、青蓮院の飛地境内の「将軍塚大日堂」があります。

その中の大展望台から京都全市街が一望できます。

 

将軍塚

794年(延暦13)桓武天皇が平安遷都に際し王城鎮護のため造られた、直径約20メートル、高さ約2メートルの塚です。

 

高さ8尺(約2.5メートル)の土人形に鉄の甲冑を着せ、弓矢を持たせた将軍を京都の方を向けて埋めてあると「保元物語」「平家物語」などにあります。

また征夷大将軍坂上田村麻呂ゆかりとする伝説も。

平安末期以後、天下に異変があるときは必ずこの塚が鳴動して前兆をあらわすという伝説が生まれ、「源平盛衰記」によると、源頼朝挙兵の前年、治承3年7月には、三度にわたってこの塚が鳴動し、ついでまもなく大地震が起ったといいます。

 


  
また、延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を敗り、また近くは太平洋戦争にここが高射砲の陣地にもなりました。


 


拝観時間: 9:00~17:00 (16:30受付終了)

※春・秋に夜間ライトアップを開催しています

拝観料 : 500円

アクセス :地下鉄東西線『蹴上』駅から徒歩30-40分。

 

 

 

 

 

http://www.e-kyoto.net/

 

 

 

 

 

 

 


 


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京都 先斗町「水明会」( 2016年10/27(木)~/31(月)(予定) )

2016年10月15日 | 京都ぶらり女の1人旅

先斗町歌舞練場は大正14年(1925年)に着工し、昭和2年(1927年)に完成しました。

設計は大阪松竹座(大正12年)東京劇場(昭和2年)などを手がけて劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎氏です。

鉄筋コンクリート造り、地上四階、地下一階で、当時「東洋趣味を加味した近代建築」と賞賛されました。

 

もともとは芸妓さん、舞妓さん達の日頃の稽古のおさらいの会だったとはいえ、その粋なあでやかさは見物です。

明治28年(1895)に京都が平安京遷都千百年記念祭を開催するにあたり、先斗町あげての復興事業策として現在の歌舞練場の用地を取得し、「翠紅館」(すいこうかん)と名付けられた歌舞練場が建てられました。

現在の歌舞練場は、昭和2年(1927)に新築改装されたものです。

鴨川をどり(5月開催)や水明会(10月開催)など先斗町歌舞会主催の行事が行われたり、また一般にも貸し出され、邦楽や日舞の発表会、展示会、お稽古場、講演会、コンサートなど様々な催しにも利用されています。

 

水明会

先斗町歌舞会の代表的な行事のひとつ「水明会」は昭和5年3月15日に第1回目の公演がもたれました。

これはそれ以前にあった伎芸研究会として催されていた「長唄千代栄会」(明治40年2月発足)と「土曜会」(昭和2年9月発足)との両会が発展的併合したものであります。

その名も鴨川の清流にちなんで「水明会」としております。

当時は特別基準以上の伎量を有する芸妓のみで構成されていました。

昭和16年10月の第36回公演までは毎年3月、6月、10月の年3回の定期公演が続けられます。

当時は1枚の切符で年間を通して鑑賞できる「通し切符」も発行されていました。

戦後になり、昭和24年9月に復活され、28年までは毎年3月、9月の年2回公演がもたれます。

その後は年1回昼夜2部制が採用されましたが、平成11年より「秋の鴨川をどり」が廃止となったのを機にそれまで3月に行われていたものを10月に開催することとなりました。

 


歌舞練場の鬼瓦


歌舞練場の屋根には中国の蘭陵王の舞楽面を型取った鬼瓦が、先斗町の繁栄を祈念して守り神として据えてあります。

是非御覧下さい。

 


■場 所: 先斗町歌舞練場

■期 間: 2016年10月27日~30日

■時 間: 開演:16時~

■観覧料:  指定席/8,000円、7,000円

             自由席/3,000円 

■アクセス: 市バス5、205「河原町三条」
 
■お問合せ: 075-221-2025

■ 公式ホームページ:http://www.kamogawa-odori.com/

 

 

 

 

http://www.e-kyoto.net/


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京都を代表する紅葉スポット 神護寺

2016年10月13日 | 京都ぶらり女の1人旅

京都に住む人に「紅葉の名称は?」と尋ねればほぼ必ずあげられるのが、この神護寺。

嵐山、嵯峨野のその奥、清滝川に架かる橋からは急な石段を15分ほど登らなければならないが、あたりの紅葉を楽しみながらのんびりと進もう。


途中には茶店もある。

お参りを済ませたら、紅葉に染まる谷をめがけて厄払いの「かわら投げ」を楽しむのも。

神護寺は高尾山寺と、河内国石河郡にあったといわれる神願寺が、824年(天長1)に合併、神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改められ、その略名を神護寺と呼んだものとされる。

高尾山寺は、781年(天応1)僧慶俊を本願とし和気清麻呂(平安京造営の最高責任者)を奉行として草創された愛宕五坊の一つで和気氏の氏寺であった。

809年(大同4)弘法大師(空海)が入山して14年間常住し、初代住職となる。

一方神願寺は、政争が頻発する奈良時代末に和気清麻呂が創建した。

時の怪僧、弓削道鏡が太政大臣禅師となり、法王の地位を得たのち、さらに皇位をねらおうという野望を、769年(神護景雲3)豊前国宇佐八幡宮の神託を受けた和気清麻呂が打ち砕き、そして道鏡は失脚するという政争が起こる。

その八幡神の神願を果たすため、和気清麻呂は延暦年中(782-806)に神願寺を創建した。

神願寺は薬師如来を本尊とし、怨霊の、特に道鏡の怨霊の調伏を祈る薬師信仰的な意味合いも込められたと思われる。

824年(天長1)神願寺はその地勢が沙泥で道場に適さないため、清麻呂の子真綱(まつな)の上表により、和気氏の氏寺である高雄山寺と合併して、定額寺(国が公認した寺院)となし、神護国祚真言寺と名を改めることになった。

空海は812年(弘仁3)に灌頂(密教で秘法を伝授するもっとも重要な儀式)を修した。

このとき灌頂を受けた者の名前を空海自身が控えた記録が寺に残されており、この灌頂歴名の筆頭に上げられているのが最澄であった。

空海はその後何度かこの寺で灌頂を修し、神護寺は真言密教の重要な道場となり、平安新宗教の一拠点として栄えた。

合併の2年前には最澄が没し、前年には比叡山寺が延暦寺と改称し、同年には東寺を教王護国寺と改め、空海は高野山に移り、空海にかわって弟子の真済(しんぜい)が神護寺に入り、真言密教化をさらに進めて空海の影響力が強大となっていったときであった。

しかし、994年(正暦5)、1149年(久安5)と二度の大火により神護寺は衰退する。

その後、那智の滝をはじめ全国各地の行場で超人的な荒行をつんだ文覚上人が1168年(仁安3)高尾に来て神護寺を訪れ、荒廃を嘆いて再興を大願する。

文覚上人は出家前は遠藤盛遠(もりとう)という武士であった。

芥川竜之介の短編小説「袈裟と盛遠」、衣笠貞之助の映画「地獄門」でも描かれたように、盛遠には、横恋慕をした源渡の妻、袈裟御前に夫を殺してくれと頼まれ、殺してみればそれは実に夫の身代りになった袈裟御前であり、それに愕然として出家したという高名な話が伝わる。

弟子には文覚上人を師として生涯離れることのなかった学僧浄覚上人、高山寺をおこした高僧明恵上人らがいる。 

平家物語によれば、文覚は後白河法皇のところにおしかけ、管弦が行なわれている席でむりやり勧進帳を読み上げ寄進を強要する。

居合わせた武士と格闘のすえ追い払われて罪を負う。

それにも懲りず寄進を求めて止まなかったため、伊豆に流された。

伊豆流罪5年後の1178年(治承2)に赦されて神護寺に帰り、ふたたび後白河法皇に訴え、同じく伊豆に流されて知り合っていた源頼朝の後ろだてもあって、寄進を受けるのに成功し、大規模な伽藍の復興を実現した。

しかしそれもふたたび、応仁の乱(1467-77年)で大師堂を残して焼失、1547年(天文16)の兵火によってことごとく炎上した。

1623年(元和9)龍厳上人のとき、楼門、金堂(現在の毘沙門堂)、五大堂、鐘楼を再興、1935年(昭和10)山口玄洞の寄進で金堂、多宝塔が新築され現在の形になった。

 

アプローチ

市中からはなれた街道から谷間に降りて清滝川にいたる。

清滝川を結界とし、参道を経る過程は山中から寺域にいたる感をつよくする。

寺域にいたれば、林屋辰三郎の言うように、京都にあっては稀な鎌倉文化の匂いがたちこめる。

約20万平方キロ(6万坪余り)の山内は木々の緑と紅葉におおわれている。

 

見所

金堂の本尊薬師如来像、多宝塔の五大虚空蔵像、現存日本最古の両界曼荼羅(いずれも国宝)

絹本著色伝平重盛像、源頼朝像、藤原光能像。

弘法大師文書「灌頂暦名」など、絹本著色山水図六曲屏風二双(いずれも国宝)高雄山腹にあり、錦雲峡と呼ばれる地蔵院の庭から眺める千仞の渓谷、清滝川の眺めがすばらしい。

 

アクセス

京都バス高雄終点下車徒歩20分。

JRバス山城高雄下車すぐ。


拝観

9:00-16:00

大人300円、小学生150円


寺宝公開:毎年5月1日-5月5日:9:00-16:00:700円

 

場所

京都市右京区梅ヶ畑高雄町:TEL 075-861-1769

 

紅葉状況(11月上-中旬)

コメント

「高雄嵐山パークウエイ」の高雄側入口すぐのパーキングに車をとめ、歩くこと約20分で神護寺につきます。

この20分の歩きのほとんどが石段で、往復すると足がパンパンになります。

神護寺にいちばん近い有料パーキングに車をとめるとすこしは楽ですが、いずれにせよ石段は登らなければなりません。

観光シーズンに車で行かれる人は歩く距離は少し長くなりますが、必ず駐車できる「高雄嵐山パークウエイ」のパーキングを利用することを勧めます。

 

 

 

 

 


http://www.e-kyoto.net/

 

 


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京都魚山大原寺寂源上人 勝林院

2016年10月13日 | 京都ぶらり女の1人旅

今年の猛暑から抜け出し ようやく秋が駆け足でやって来て 木々も色好き始め さわやかな風の中を散策如何ですか(もう長袖が必要です)。 

梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)のふるさと・洛北大原にある魚山勝林院。

梵唄声明とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽のこと。

この記念法要では、仏教を通して日本文化の素晴らしさを発信すべく、天台宗以外の多くの宗派も出仕して法要を執り行い、勝林院本堂を中心に繰り広げます。

 

梵唄声明とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽です。

その起源は古代インドに求められ、中央アジアを経て中国に伝えられ、そして仏教伝来とともに日本へも伝えられました。

平安時代初め、第三代天台座主・慈覚大師円仁は唐へ留学した折、多くの声明曲を日本へ持ち帰りました。

それが今日天台宗に伝えられる魚山流声明です。

魚山流の声明は鎌倉時代以降、日本仏教の各宗派に伝えられました。

そして日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしたのです。

謡曲や長唄も、そして演歌に至るまで、声明にルーツがあるといわれています。

10月の慶讃法要では、仏教を通して日本文化の素晴らしさを発信すべく、天台宗以外の多くの宗派にもご出仕をお願いして法要を執り行います。

勝林院本堂を中心に、梵唄の粋を1000年目の時空間に繰り広げて頂きます。

 

大原を涼やかに流れる、呂川と律川。

「呂律が回らない」との表現は短調の呂曲・長調の律曲からなる声明から派生したものですが、大原の二つの川にこの名を冠していることからも、この地が声明の本拠であることがわかります。

ここ勝林院は、声明の根本道場として1023年に大原に初めて開かれたお堂。天井の高い本堂の中は、ひんやりした空気が漂う厳粛な雰囲気です。


 

 

 

拝観時 間:9~17時、

 日中法要:10時~、

 逮夜法要:14時~


■アクセス

京都駅から京都バス17, 18系統「大原」下車

四条河原町から京都バス16, 17系統「大原」下車

京阪三条から京都バス16, 17系統「大原」下車


駐車場 周辺に有料駐車場あり(普通車300~500円程度)

 
■お問合せ: 075-744-2409(宝泉院内)
 
■詳細ページ:http://blogs.yahoo.co.jp/shorinin_millennium


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京都紅葉シリーズ 三尾名刹の西明寺

2016年10月12日 | 京都ぶらり女の1人旅

 

真言宗大覚寺派の寺院。

山号は槙尾山、本尊は釈迦如来。

高雄山・神護寺、栂尾山・高山寺とともに三尾の名刹として知られる。

寺伝によれば、天長年間(824年~834年)に空海(弘法大師)の高弟 智泉大徳が神護寺の別院として創建したと伝える。

その後荒廃したが、建治年間(1175年~1178年)に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。

正応3年(1290年)神護寺より独立した。

さらに兵火により堂塔は焼亡したが、慶長7年(1602年)に明忍律師により再興された。

現在の本堂は、元禄13年(1700年)桂昌院の寄進により再建されたもの。

本堂-元禄13年(1700年)に徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建。

桁行7間、梁行4間。

堂内に釈迦如来像(重要文化財)ほかの仏像を安置する。
 
客殿-本堂の左方に建つ。

本堂より古く、江戸時代前期に移築された。

当時は食堂と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用された。

表門-一間薬医門で、本堂と同じ元禄13年(1700年)の造営。

西明寺は京都市右京区にあり、元々は神護寺の別院として出来たものです。

三尾の古刹のひとつとして知られる槇尾(まきのお)の西明寺は、真言宗の寺。

天長年間(824~834)に空海の高弟、智泉が神護寺の別院として創建したという。

鎌倉時代に再興され、後宇多天皇より西明寺の名を賜り独立したが、室町末期に兵火にあって荒廃し、慶長7年(1602)、明忍に再興された。

現在の本堂は元禄年間に桂昌院の寄進により再建されたもの。

本尊の釈迦如来は運慶が彫った清凉寺式の立像で、重文。

千手観音、愛染明王とともに安置されている。

新緑、紅葉、雪景色と、四季折々の豊かさにつつまれた静かな山寺である。

西山槇尾平等心王院とも呼び、1290年に神護寺別院から独立しました。

神護寺のあるところを高雄、西明寺のあるところを槇尾、高山寺のあるところを栂尾と呼び、三尾の名刹と呼ばれていて、いずれも高尾の紅葉の名所です。

開基は弘法大師の弟子の智泉法師で、真言宗に属する寺院です。

天長年間の824年~834年頃に建立されたと伝えられています。

本尊は釈迦如来で、本堂に安置されています。

戦国時代の永禄年間(1558~1570)年ごろ戦火のために焼失してしまったものを1602年に明忍法師によって再建されたものだそうです。

現在の本堂は1700年に徳川綱吉の母である桂昌院の寄進による再建と伝えられています。

今回は西明寺の表門(一間薬医門)からではなく、横にある入り口から入っていったため、表門や参道は行っていません。

神護寺参拝の後、清滝川沿いに歩いていると西明寺へ向かう斜めに上がる分岐があり、そこから登ってゆくと偶然本堂隣の勝手口みたいな所へ出てゆきました。

槇尾と聞くと、大阪和泉市にある槇尾山施福寺と何か関連がありそうですが、共通しているのはどちらも弘法大師所縁の寺であること(但し開基は違う)あと、西明寺が荒廃していたのを再興したのが建治年間(1275~78)に和泉国槇尾山寺の我宝自性上人であるという記録が残っているそうです。

その後1290年に平等心王院の号を後宇多法皇から賜り、西山槇尾平等心王院として神護寺より独立していることから、もしかすると槇尾の名前は西明寺を再興した槇尾山施福寺の当時の住職我宝自性上人によってもたらされたものかも知れません。

もちろん歴史は槇尾山施福寺の方が圧倒的に古い(行満上人・538年)ため、槇尾の元祖は間違いなく施福寺のほうですが。

また現在では施福寺が天台宗、西明寺は真言宗という宗派の違いはありますが、もともとは施福寺も江戸時代までは真言宗であり、その後天台宗に鞍替えした歴史を持っているようです。 

 

アクセス

市バス 高雄下車 徒歩約10分 JRバス 槙ノ尾下車 徒歩約5分

料金  

一般 団体割引 障害者       (30人以上) 割引

大人  400円 350円  200円

大学生 400円 350円  200円

高校生 300円 250円  150円

中学生 300円 250円  150円

小人  無料  無料  無料
         (付添人無料)

拝観

開館時間 9:00 - 17:00

見学所要時間 約 20 分

休日・休館 12月31日~1月1日

住所

右京区梅ケ畑槙尾町1

電話番号 075-861-1770

 

 

 


http://www.e-kyoto.net/

 


 


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京都 二条城祭り 2016年10月23(日)~12月11(日)

2016年10月12日 | 京都ぶらり女の1人旅

秋の二条城(京都市中京区)で多彩なイベントを繰り広げる「二条城まつり」が開幕。

爽やかな青空の下、城内に京都の老舗の出張店舗が並び、毎年大勢の観光客でにぎあう。

世界遺産に登録されている二条城の魅力発信と、文化財保護に役立てる「一口城主募金」のPRを目的に毎年開かれている。


アクセス

JR京都駅から

地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」から地下鉄東西線に乗り換え

「二条城前駅」下車

市バス 9・50・101号系統  ⇒ 「二条城前」下車


駐車場

バス 30台 2,500円

乗用車 216台 2時間まで 800円 以降1時間ごと 200円

小型・大型二輪 400円

自転車 200円

〒604-8301 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

TEL 075-841-0096 FAX 075-802-6181


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京都紅葉100シリーズ寺社 禅刹の天龍寺

2016年10月11日 | 京都ぶらり女の1人旅

天龍寺


紅葉静かなる禅刹の魅力があふれる庭

嵐山のにぎわいを遮断するように、天龍寺は静寂に包まれる妙智院の前を通り、放生池を過ぎると、参道に、法堂へと延びる、室町幕府を開いた足利尊氏が、後醍醐天皇の冥福を祈るため、夢窓疎石を開山として「1339」年創建した。

正式には[霊亀山天龍資聖禅寺]なお天龍寺は8度の火災に遭っている。

最後は1864年7月19日の事で、蛤御門の変により火を受け消失した。

以後再建され、禅刹の歴史を刻んでいる。

現在の諸堂は明冶以後の再建であるが、禅宗寺院の主要の建物である三門、仏殿はまだ再建されていない。

釈迦は東に向かって東西一直線に並び、その両側に塔頭八ヶ寺が立つ。

夢窓疎石が築いた庭園は、嵐山を借景にした池泉回遊式庭園で州浜形の汀と島を配した方丈前庭は白砂と松のコントラスが鮮やかだ。

この方丈庭園は史跡・特別名勝に指定された第一番目である。


[世界遺産に登録]


見どころ


宝厳院

2003年に140年ぶりに特別公開となつた天龍寺塔頭。

嵐山借景とした枯山庭園には220本を越える楓があり穴場的紅葉の名所。

天龍寺のご案内

拝観時間

 8:30~17:30(10/21~3/20は~17:00) 

拝観料

 庭園500円 諸堂拝観100円増

P  有り

電話     075-881-1235

アクセス

JR山陰本線「嵯峨嵐山駅」下車徒歩10分

京福電鉄嵐山線「嵐山駅」下車徒歩3分

 

天龍寺を訪ねたら行ってみるべき寺

常寂光寺「じょうじゃっこうじ」

二尊院・祇王寺・滝口寺

 

 

 

 

 

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京都 鞍馬・石座の 火祭( 10月22日)

2016年10月11日 | 京都ぶらり女の1人旅

鞍馬の火祭: 22日(※毎年同じ日程です)18時~ 雨天決行

石座(いわくら)の火祭: 24日(10月23日に近い土曜日)

 
◆鞍馬の火祭(由岐神社)


●天狗のお里が火の海に


勇壮でダイナミック。

一度見たら来年も絶対!!と思わせる火祭りです。

鞍馬は、京の都と丹波とを結ぶ街道筋で、家々でたかれるかがり火と無数の松明(たいまつ)の炎で里中が燃えます。

由岐神社: 京都市左京区鞍馬本町

日時:10/22 雨天決行 18時~24時半

 

アクセス:出町柳より叡山電鉄鞍馬線「鞍馬駅」
お問合せ:075-741-1670

075-741-1670(鞍馬の火祭テレフォンサービス 9/1~10月末)

 
 

 

◆進行スケジュール


18時 篝火(かがりび)に点火。幼児・少年・青年松明と次々に点火。

20時 お練りが山門に直行。

21時 300本もの大松明が山門に集合。

21時20分 注連伐りの儀式を行うと由岐神社へ駆け登り
2基の神輿は町内を巡りお旅所に向かいこれを7回半回って安置。

24時終了。


 
◆アドバイス1


問題は交通機関で、車で行くのはまず無理です。

また叡山電鉄が通じていますが、行きも帰りもかなりの混雑の覚悟が必要です。

神事も見たいなら午前中に現地入りをお勧めします。

また、見とれていると終電に乗り遅れますからご注意ください。


☆終電は鞍馬駅を22日24時22分発(臨時運行)

☆車は22日15時~通行止め。


 
◆アドバイス2


山間部なので夜はかなり冷え込みます。

暖かい上着をお忘れなく。


 
◆石座(いわくら)の火祭(石座神社)


石座神社は実相院と言う門跡寺院の一角にあります。

なんとここの松明は、明け方の2時半ごろからボツボツ始まります。

朝神事は雨天決行、昼神事は雨天中止です。

石座神社:京都市左京区岩倉上蔵町302


日時:10/24(10月23日に近い土曜日 ) 午前3時~6時半

アクセス:叡山電鉄「岩倉駅」北1km 岩倉実相院北側

(※早朝のため、電車がありません。タクシーの利用をおすすめします)

お問合せ:075-791-3576 
 

◆進行スケジュール

2時~  朝神事が行われる。

3時~  大松明に点火される。

5時半  大人神輿が担がれ、出発。

7時  大人神輿が御旅所に到着。

14時半  昼神事。御旅所を出発する。

16時半  神事が行われる。


 
◆大蛇が火祭に!?

むかし、石座に雄と雌の大蛇が住んでいて住民に大きな危害を加えていました。

神前の灯火で退治せよとのお告げの通り、松明に神火を点すともう2度と大蛇は現れなかったそうです。

お社の左右に雄、雌の松明がありその背に一直線に縄の結び目があります。

結び目の数は12、閏年(うるうどし)には13個になります。

宮座に横たわる松明は大蛇に見立てたもので、全長12メートルという大きな松明で頭のほうは、大人が4人抱えぐらいの太さです。


 
◆身も心もほっか、ほっか。

神前できり出された火が小松明に移され、そして大松明に・・・ちょうど辺りは、明け方3時ごろ。

火があかあかと燃え上がり、今まで震えていたのがウソのように頬も火照って、昼間のように明るく活気が帯びてきます。

石座神社では神社と氏子たちが楽しむ祭で見せる為ではないというところが、素朴でひなびた心のそこから温まるお祭です。

 
 
◆アドバイス1

あたりは真っ暗ですから懐中電灯は必需品です。

鞍馬と同じく暖かい上着はあった方が良いでしょう。

 


 
主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。

 

 

臨時交通規制:http://www.pref.kyoto.jp/fukei/kotu/kisei_k/rinji_kisei/index.html

 

 

 

 


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京都紅葉100シリーズ寺社 天竜寺宝厳院

2016年10月10日 | 京都ぶらり女の1人旅

天龍寺

大亀山 宝厳院(だいきざん ほうごんいん)は、臨済宗天龍寺派・大本山天龍寺の塔頭寺院です。

室町時代に細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。

ご本尊は十一面観音菩薩、脇物には三十三体の観音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三ヶ所巡りに等しいと伝えられています。

また、庭園は室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭されています。

嵐山を借景として巧みに取り入れ、また「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園です。

 

宝厳院の歴史

宝厳院は、寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。

創建時は、現在の京都市上京区の位置にあり、広大な境内を有した寺院でした。

応仁元年(1467)から文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した応仁の乱により京の都は灰燼と化し、宝厳院もまた焼失します。

その後、天正年間(1573年 - 1591年)において豊臣秀吉より再建され、御朱印料三十二石を付与、徳川幕府も明治に至るまで外護いたしました。

その後変遷を経て天龍寺塔頭弘源寺境内に移転後、2002年現在地(旧塔頭寺院跡)に移転再興いたしました。

 

天龍寺宝厳院公開とライトアップ

江戸時代の名所案内「都林泉名勝図絵」に記された寺院庭園が一般公開されます。

この庭園は「獅子吼(ししく)の庭」と命名さ れ、今春と同じく、拝観できます。

夜は、昼間とは違った姿を見せてくれるかもしれません。

※本堂襖絵は、法要等により拝観出来ない場合が有ります。

 

料金:拝観料:500円 夜間:600円 (本堂襖絵拝観の場合は別途500円)

アクセス:市バス28「嵐山天龍寺前」

     JR嵯峨野線  嵯峨野嵐山駅 徒歩 10分

駐車場:天龍寺駐車場  有料天竜寺宝厳院

お問合せ:075-861-0091

詳しくは:http://www.hogonin.jp/

 

 

 


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京都「時代祭の後は鞍馬で火祭!はしご案内」10月22日

2016年10月10日 | 京都ぶらり女の1人旅

どちらも同じ日にあるので、時代祭行列を見た後に、鞍馬の火祭に向かわれる方も多くおられます。

そんなアナタにアドバイス!

 

●移動時間に注意!


行列を見たら、早めに移動するべし!

行き帰りで道が込み合います。

渋滞に巻き込まれないためには出来るだけ早く出町柳駅に到着しましょう。

 
<時代祭の見学スポットからのおすすめアクセス>

京都御苑堺町御門(丸太町通り沿い)付近→京阪電車「丸太町」駅→「出町柳」駅→乗換→叡山電鉄「鞍馬」駅

三条通り→京阪電車「三条」駅→「出町柳」駅→乗換→叡山電鉄「鞍馬」駅


 

●もちろん、混みます!


切符売り場は混雑します!

券売機に並ばずに改札を通るには、京都市バスや市営地下鉄、京阪電車、叡山電車等で使用できる「スルっとKANSAI」カードを前もって用意しておくのがオススメ。

これで行き&帰りも切符買いの行列をスルーです。

当日は臨時列車増便があるものの乗車までに1時間はかかることも。

安全のため、出町柳駅で乗車制限、規制される可能性もあります。
 
電車はひたすら混みます!

火祭りは18時から始まりますが、15時頃から電車は混み合ってきます(車は15時から周辺で通行止め)。

鞍馬への鉄道は叡山電車しか無く、1~2両編成のワンマンカーに多くの人が乗り込んでいきます。

乗車時間は出町柳駅~鞍馬駅間で約30分。


 
●最終電車が心配な帰り道(終電:24時22分鞍馬駅発→24時51分頃着予定)


早めに出るのが無難!

祭は24時過ぎに終わります。

鞍馬駅前はすさまじい長蛇の列。

1~2時間待ちの可能性は十分にあります。

22時頃に祭を後にしても、約30分以上待つことも。
 
出町柳からの交通機関の時間帯に注意!

出町柳駅まで戻った後の交通機関は、

☆京阪電車(通常)の最終電車0:19発の淀屋橋行き(普通)

(京都駅へは、「七条」駅下車、徒歩約15~20分、)

(京都駅まで電車で移動するなら、24時前には「出町柳」駅を出発→「東福寺」駅でJR奈良線に乗り換え→「京都」駅着)


☆タクシー。

出町柳駅にたくさん停まっています。


 
●より快適に火祭りを楽しむために


観覧場所はあらかじめ決めておいて、早めに行くのがベスト!

祭のために道路はかなり狭まっており、移動は困難です。

観覧場所を確保したら、動かない!

もちろんトイレは済ませてから!

仮設トイレはありますが、神事が始まると、歩行者の通行規制のために身動きできません。

水分は控えましょう。
 
少し離れた駅周辺にトイレは集中していますが、鞍馬寺山門付近は、混雑防止?に殆ど設置されていません。

防寒具の用意を・・・鞍馬は山中で特に夜は冷え込みます。

火の粉が服に着く事もあるので注意が必要です。


 
●裏ワザ!


タクシーで貴船口まで行き、そこから鞍馬まで徒歩で約15分。

帰りはその逆。

(あらかじめ貴船口まで迎えに来るタクシーを手配しておきましょう)。

 

 

 

 

 

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京都紅葉100シリーズ寺社  知恩院

2016年10月09日 | 京都ぶらり女の1人旅

知恩院

浄土宗総本山の寺院。

山号は華頂山(かちょうざん)。

詳しくは華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)と称する。

本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。

浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。

将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」と呼ばれている。

四条天皇から下賜された寺号は「華頂山知恩教院大谷寺」という長いものであるが、この名称は、寺の歴史を説明する時などを除いて通常は使われておらず、法人としての寺院名も「宗教法人知恩院」であることから、本項では「知恩院」と表記する。

 

知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のある下段、本堂(御影堂)など中心伽藍のある中段、勢至堂、法然廟などのある上段の3つに分かれている。

このうち、上段が開創当初の寺域であり、中段、下段の大伽藍は江戸時代になって徳川幕府の全面的な援助で新たに造営されたものである。

 

本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建つ。

元和7年(1621年)の建立(平成の大修理で同年の墨書が発見されている)。


五間三戸の二重門である。

(「五間三戸」は正面柱間が5つで、うち中央3間が通路になっているもの。

「二重門」は2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがあるものをいう。)高さ24メートルの堂々たる門で、東大寺南大門より大きく、寺院の三門(山門)としては日本最大のものと言われている。

組物(軒の出を支える構造材)を密に並べるなど、細部の様式は禅宗様であり、禅寺の三門に似た形式とする。

門の上層内部は釈迦如来像と十六羅漢像を安置し、天井には龍図を描くなど、やはり禅寺風になっている。

日本三大門のひとつとされる説がある。

 

 

本堂

三門をくぐり、急な石段を上った先の台地に南面して建つ。

寛永16年(1639年)徳川3代将軍徳川家光によって建立。

宗祖法然の像を安置することから、御影堂(みえいどう)とも呼ばれる。

入母屋造本瓦葺き、間口44.8メートル、奥行34.5メートルの壮大な建築で、江戸幕府造営の仏堂としての偉容を示している。

 

建築様式は外観は保守的な和様を基調としつつ、内部には禅宗様(唐様)の要素を取り入れている。

柱間は正面11間、奥行9間で、手前3間分を畳敷きの外陣とし、その奥の正面5間・奥行5間を内陣とする。

内陣の奥には四天柱(4本の柱)を立てて内々陣とし、宮殿(くうでん)形厨子を置き、宗祖法然の木像を安置する。

 

徳川幕府の造営になる、近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例であり、日本文化に多大な影響を与えてきた浄土宗の本山寺院の建築としての文化史的意義も高いことから、2002年、三門とともに国宝に指定されている。

屋根の上、中央に屋根瓦が少し積まれているが、これは完璧な

物はないことの暗喩だとされる。

2007年から屋根の修復作業が行われている。

 


重要文化財

経蔵

本堂の東方に建つ宝形造本瓦葺き裳階(もこし)付きの建物。

三門と同じ元和7年(1621年)に建立された建物で、徳川二代将軍・秀忠寄進による宋版大蔵経六千巻を安置する輪蔵が備えられている。

 

大鐘楼

宝仏殿裏の石段を上った小高い場所に建つ。

延宝6年(1678年)の建立。

ここにある梵鐘(重要文化財)は日本有数の大鐘で、寛永13年(1636年)の鋳造である。

この鐘楼で除夜の鐘を突く模様は年末のテレビ番組でたびたび紹介されている。

 

 

大方丈(おおほうじょう)

本堂の右手後方に建つ。

寛永18年(1641年)に建立された檜皮葺き・入母屋造りの華麗な書院建築で、54畳敷きの鶴の間を中心に狩野一派の筆になる豪華な襖絵に彩られた多くの部屋が続く。

 


 
小方丈(こほうじょう)

大方丈のさらに後方に建つ。

大方丈と同じ寛永18年(1641年)に建立された建物で、襖には狩野派の絵が描かれているが、大方丈に比べ淡彩で落ち着いた雰囲気に包まれる。

東側の庭園は「二十五菩薩の庭」と呼ばれ、阿弥陀如来が西方極楽浄土から25名の菩薩を従えて来迎する様を石と植込みで表現したものである。

 


 
勢至堂
 
境内東側、急な石段を上った先の小高い場所にあり、本地堂とも呼ばれる。

付近は法然の住房のあった地である。

入母屋造本瓦葺き。

寺内の建物では最も古く、室町時代享禄3年(1530年)の建築。

建立当初は本堂(御影堂)であった。

内陣厨子内に安置する本尊勢至菩薩坐像は鎌倉時代の作で、2003年に重要文化財に指定されている。

 

勢至菩薩を本尊とする堂は他にほとんど例を見ないが、浄土宗では法然を勢至菩薩の生まれ変わりとしており(法然の幼名は「勢至丸」であった)、法然の本地仏として造立されたものと思われる。

前述の山亭は勢至堂の客殿として建てられたものである。
 
以上の他、唐門、集會堂(しゅえどう)、大庫裏(おおぐり、「雪香殿」とも)、小庫裏(こぐり)が重要文化財に指定されている。

いずれも寛永復興期の建築である。

 

アクセス

JR京都駅から

市バス206系統 知恩院前下車 徒歩5分

地下鉄東西線(烏丸御池駅乗換え) 東山駅下車 徒歩5分

 


拝観時間 

午前9時から午後4時 (午後4時30分閉門)


庭園拝観料

方丈庭園のみ 友禅苑のみ (2庭園)共通 備考

大人 400円 300円 500円 高校生以上

小人 200円 150円 250円 小中学生
 
団体 360円 270円 450円 30名以上 大人のみ

 


三門前駐車場 
 
乗用車 約45台(9:00~16:00の台数)

1時間以内500円、以降30分ごと200円

※9:00以前、16:00以降は約20台のみ駐車可能です。
 
バス 約10台

2時間ごと2,000円、泊料金5,000円

バイク 1回400円
 


〒605-0062

京都市東山区林下町400

 

 

 

 

 

 

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京都 時代祭り行列の見どころ(10月22日)

2016年10月09日 | 京都ぶらり女の1人旅

 

 

 

【維新勤皇隊列(明治)】


幕末の遺臣が反乱を起こしたとき、山国村(現在の北桑田郡京北町)の有志が山国隊を組織し官軍に加勢した際の行列を再現。

 


【幕末志士列(明治)】

桂小五郎、西郷隆盛、坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作ほか。

明治維新の頃に活躍した重要人物がたくさん登場するのがこの列。

見どころ満載です。

 


【徳川城使上洛列(江戸)】


大礼や年始等、朝廷で重要な儀式等が行われる際、徳川幕府は将軍の名代として諸藩または普代の大名を上洛させて、皇室に対する礼を尽くしました。

その行列は、一般の大名行列よりずっと豪華盛大で格式の高いものであったといいます。

時代祭では、先頭の槍持、傘持、挟箱持の掛声と動作で当時の行列を偲ばせます。

 


【江戸時代婦人列(江戸)】

和宮、蓮月、吉野太夫、出雲阿国ほか。

孝明天皇の皇妹・和宮が輿入前の宮廷女房装束・十二単姿で先頭を進みます。

黒無地の小袖を着ているのが豪商・中村内蔵助の妻です。

衣裳比べで「粋」を体現させたエピソードにちなんでいます。

また、女流歌人のお梶、池大雅の妻の玉瀾、名妓の誉れ高い吉野太夫、「かぶき踊」を演じ歌舞伎の創始者とされる出雲阿国などが続きます。

江戸時代婦人列、中世婦人列(鎌倉)、平安時代婦人列は、各花街(祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町・上七軒)が参加します。

京のきれいどころ大集合ですね!

女性の衣装はやはりきらびやかで見ていてうっとりしてしまいます。

大勢で行列する男性陣に比べ、女性は一人ずつ看板付きなので誰が誰か分かりやすくなっています。

 


【豊公参朝列(安土・桃山)】

豊公の参朝のうちで、慶長元年5月の豊臣秀頼の初参台や同2年9月の元服の時が最も盛んであったと伝えられ、この列はその様子を表したもの。

お供をする大名は「一日晴れ」という規定外の華麗な衣冠装束に武家風の太刀を付けています。

 


【織田公上洛列(安土・桃山)】

応仁の乱より衰微した京都の復興ため、上洛する織田信長を表したもの。

永禄11年、織田信長は正町天皇のお召しを受け、兵を率いて上洛。

京の復興に尽くしました。

信長は当世具足の紺絲で小札をとじた胴丸に総覆輪筋兜、鎧の上には拝領の端袖大領蜀紅金襴の胴服という華麗な装い。

出迎えた立入宗継は烏帽子に緑地の狩衣姿で、羽柴秀吉は縹糸日の丸胴丸に三ツ鍬形前立の兜を被っています。

織田信長、羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益、柴田勝家の馬印に歴史ファンは興奮するかも!?

 


室町幕府執政列(室町)】  

足利将軍と補佐役等が参列します。

 

 

【室町洛中風俗列(室町)】  

傘持ちを先頭に笛や鉦、音頭取り、子役による太鼓打ち等の「中踊り」と、小袖姿で竹製のささらを持って踊る「側(がわ)踊り」の47人で構成されます。

藤森神社の藤森太鼓保存会、深草郷神輿会、女神輿会の中から、有志が「深草室町風俗列保存会」を結成し、室町中~後期に男性が女装して踊り、庶民の間に流行したという「風流踊り」を再現します。

 


【楠公上洛列(吉野)】

1333年に後醍醐天皇が配流先の隠岐からの環行されるにあたり、楠木正成が一族を率いて兵庫に出迎え先駆して上洛しました。

楠公一代の盛事と言われたこの様子を表した行列で、多種に渡る華麗な甲冑や武具が見ものです。

楠木正成の紫裾濃の大鎧、籠手、脛当、太刀、軍扇。

楠木正季は沢瀉威大鎧や膝鎧、銀蛭巻太刀。

侍大将は卯花威胴丸、直垂、空穂、空穂袋など、衣装一式を観るのも楽しみです。

 


【中世婦人列(吉野)】 

大原女、桂女のほか、淀君、静御前など。

豊太閤の側室・淀君の打掛や、静御前の白拍子時代の水干姿などが、ファッションチェックポイントです。

 


【城南流鏑馬列(鎌倉)】

流鏑馬は平安朝以来行われた騎射の技で、武者のたしなみとして盛んに行われていたと伝わります。

この列は、承久3(1221)年5月に、後鳥羽上皇が朝廷権力の回復を図るため流鏑馬に託して城南離宮に近畿10余りの国の武士1700名余りを集め、北条義時追討の挙兵準備をした一場面を表しています。

射手武士は、綾藺笠の中央の巾子に髷を差し込んだ姿で、水干に奴袴を履き、綿の居籠手を左手に通しています。

腰には鹿皮の行藤を巻き、物射履いています。

背に箙を付けた射籠手を付けた射手装束姿で、童・弓袋差し等の郎党を従えています。

 


【藤原公興参朝列(藤原)】

藤原氏の最盛期の文武両様の姿を表したもの。

遣唐使が廃止され日本独自の国風文化が成熟し、強装束が起こって大きく容儀が整えられました。

列には宮中の儀式に参加する位の高い貴族の文官、武官の夏の正装姿や警護をする随身、童等の様々なお供も加わってとても華やか。

石帯をしている文官・武官の束帯は、よく見ると文官のは冠の後に纓が下がり、武官は巻き上げた纓の冠を被って黒の藻勝見文の袍の腋は開いています。

 


【平安時代婦人列(平安)】 

小野小町、紀貫之の女(むすめ)、紫式部、清少納言、常盤御前、横笛、巴御前など。

この300年は女性の服装が大きく変化しました。

遣唐使の廃止頃から日本文化は国風化の道を辿ります。

奈良時代の様式の百済王明信から常磐御前・横笛・巴御前といった歴史に名を残す女性を通して、時代風俗の変化を示した構成です。

巴御前は、透彫りの天冠に胴丸を付けた出陣の姿。

横笛は袿に市女笠の旅姿、紀貫之の女は袿、単小袖に濃紅の切袴、小野小町は平安初期の女官の礼服姿です。

和気広虫は唐風を色濃く残す平服姿、百済王明信は平安初期の女官の正装姿をしています。

 


【延暦武官行進列(延暦)】

東征を終えた坂上田村麻呂が平安京に凱旋する様子を表現しています。

主将や副将など身分に順じた衣装や武具は、正倉院御物や古墳の出土品等による考証がなされています。

鍬形兜や星兜をはじめ金小礼沢瀉威挂甲、銀小礼挂甲、纛旛(とうばん)など価値のある行装の数々を鑑賞できます。

平安時代や江戸時代の衣装というのは、テレビ等で目にする機会がありますが、この時代(延暦)の衣装は普段はめったに見ることができません。

時代祭ならではです。

武官行進列の大将、坂上田村麻呂は清水寺を建立した人物。

衣装はどちらかというと奈良時代風で、これは見逃せない!

 


【延暦文官参朝列(延暦)】

延暦15年朝賀の儀式のため公卿諸臣が参朝する様子を再現したもの。

平安遷都当初の藤原百川、継縄、和気清麻呂らの文官を想定しています。

 


【神饌講社列】

時代祭当日の神饌物を奉献する人たち。

京都料理組合がその役を担います。

 


【前列】

御神幸列の直前を行くので前列といわれます。

迦陵頻伽や胡蝶等の優美な衣装や楽人等の狩衣が見られます。

 


【神幸列】

前の御鳳輦(ごほうれん)が西本殿の孝明天皇、後の御鳳輦東本殿の桓武天皇。

時代祭の中で主たる意義を持つ列です。

御鳳輦の御剣、弓や楯、矛、紫御翳、管御翳、神馬用馬具が見られるほか、白川女献花列も練り歩きます。

 


【弓箭組列】

桓武天皇の平安遷都のとき、列の警護にあたり、維新に山国隊とともに活躍した弓先の術にたけた弓箭組の様子。

 

 

 

 

 

 

 

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