唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 煩悩の心所 諸門分別 (79) 第七、三界分別門 (16)

2015-04-03 20:36:42 | 第三能変 諸門分別第七 三界分別門
仏教徒は、釈という一字をいただいています。姓名と法名をもっているんですね。釈迦の弟子になることは、僧伽の一員になることを意味します。「普共諸衆生 往生安楽国」(普く諸々の衆生と共に安楽国に往生せん)という願いに生きる存在になることですね。人間として、いのちの尊厳を知り得る存在として、畢竟成仏道路を教えて下さいました尊き存在、お釈迦様。今年で生誕何年になるのでしょうか。『教行信証』化身土・本から伺いますと、「三時教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘うるに、周の第五の主、穆王五十一年壬申に当れり。その壬申より我が元仁元年甲申に至るまで、二千一百八十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説に依るに、已にもって末法に入りて六百八十三歳なり。 」と。
 「周の第五の主、穆王五十一年壬申」は紀元前949年(穆王 紀元前976年 - 紀元前922年 在位55年)にあたり、我が国の元仁元年は1224年、親鸞聖人52歳の時になります。お釈迦様が入滅され、今年で2974年になります。お釈迦様は80歳で涅槃に入られていますので、今年が3054歳ということになりましょうか。(但し、通説ではお釈迦様の誕生年は紀元前463年とされていますから、今年が2478歳として、今現在説法されていることになります。)。 
 この「三時教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘うるに、周の第五の主、穆王五十一年壬申に当れり。その壬申より我が元仁元年甲申に至るまで、二千一百八十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説に依るに、已にもって末法に入りて六百八十三歳なり。」
 こういうふうに今の時代は末法の時代であるとはっきりと二千一百八十三年経ったと。これは親鸞聖人が五十二歳の時で、この年は親鸞聖人の先生である法然上人の十三回忌に当たる年です。この十三回忌に当たる年に親鸞聖人は今自分が救済されることがなかったならば、仏法は龍宮に入ってしまうと言いきっておられる文章ではないかと思います。そしてその次に最澄の『末法燈明記』、これはほとんど全文を引用されて、末法というものの時代相を明らかにされておるわけです。それでちょうど親鸞聖人五十二歳の時、法然上人が著されました『選択集』が改版されまして、批判の書が高弁という栂ノ尾の明恵上人が『摧邪輪』という書物を著されて法然上人の『選択集』を破斥・批判をされているわけです。二つの視点で批判をされているわけですが、菩提心撥無、法然の言っている菩提心はいらないということはどういうことなのか、仏教は菩提心が一番だろうと、菩提心が一番なのに法然は菩提心はいらないというのはどういうことなのかと。それと聖道門の仏教を別解別行と、群賊悪獣に喩えている。これは二河白道に出てきますけれど。聖道門は群賊悪獣呼ばわりするのはどういうことだと。それは間違っていると。これら二つの視点で『選択集』を批判してくるわけですけれども、この批判にこたえる形ではなかったかとも思いますけれども、ちょうど明恵が『摧邪輪』を著してすぐに反応するように、親鸞聖人52歳の御年に教行信証の制作をされた年ではないのかなと言われております。それで時期相応の教法を明らかにされたということが親鸞聖人のお仕事であったと思うのです。時と機を外してしまうと教も龍宮に入ってしまう。末法というと今の世代に生きておられるみんなは今の時代は末法、末法というよりも法滅の時代ですね。末法の時代は過ぎてしまい、法が龍宮に入ってしまったという法滅の時代だと自覚が持てない、そういう時代相ではないかなと思います。しかしそういう時代相というものをはっきりと自覚しなかったら、仏法というものを聞いてもただ単に学問として聞くとか、教養学として聞くとか、そういう聞き方になってしまうのではないかと思います。私は時と機が相応して初めて親鸞聖人は「浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萠、斉しく悲引したまうをや。」(聖典p357)とこういうふうにおっしゃっておられるのです。
 私たちの学びというもの、『成唯識論』に入って逐一学んでいますけれども、この学びというのが、時と、時とは時代ですね、そして機と、機とは自分ですね、時機を外しては教法は生きて働かない、と言いたいわけです。
 唯識は、法相宗の学問なのですけれども、ただこれは学問と言いましても、唯識というのは瑜伽行唯識派という要するにヨーガ、yogacaraと言うのですけれども、そういう行ですね、行を通して自分の心の深層を見出してきたもの、ということでただ単に頭で考えたというわけではありませんから、非常に実践的なところから生まれてきたというように理解しています。それでですね、学問、問いを学ぶということですけれども、仏法を学ぶということ、道元禅師は「仏法を学ぶというは自己を学ぶ」こと。「自己を学ぶとは自己を忘るるなり」、「忘るるなり」と言うのは無我ということ言っているわけですけれども。自分ということを問うということが学問だと。清沢先生は「自己とは何ぞや、これ人生の根本問題なり」、と問題提起されておられますが、仏法を学ぶということは自分ということを明らかにするための学びである、ということですね。
 親鸞聖人の歴史の逆算から言いますと、親鸞聖人当時は2100年ですから、現在からいうと2850年、お釈迦さまが涅槃に入られて仏滅後2850年になっているわけです。お釈迦様は八十年の歳月を生きておられますから、大体生誕2930年、『教行信証』とは多少の差異はありますが、ほぼ同じですね。

 
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 「余の五は上を縁ずという其の理成せり。」(『論』第六・二十一右) 
 他の五(癡・疑・邪見・見取見・戒禁取見)も上地を縁ずるというその理は極成している。即ち下地の十煩悩はすべて上地を縁じるということを明らかにしてきたのです。
 また、総縁と別縁という観点からも説明されています。我見と辺執見と慢は総縁(対象を全体として認識する)であり、瞋恚は別縁(対象を別々に認識する)である。貪と癡は、総・別に通ずる。

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