第三は、上座部等の説を論破します。
「有るが執すらく、滅定等には、猶第六識有るを以て、彼の有情に於て能く食事と為ると云う。彼が執ずること理に非ず、後に當に広く破すべし。」(『論』第四・三右)
初めには、上座部の説を論破し、後に経量部及び有部の説く所を論破します。
注意するところは「猶第六識有るを」です。「猶有」は細を表しますから、ここは細意識ということになります。微細な意識で、行相・所縁に覚知されない細やかな意識で、生死の間ずっと保ち続けているから細意識というのですが、これは上座部の説で、後にこの説を踏襲して唯識は阿頼耶識を立てることになります。
この上座部の主張は後の滅定証に於て論破すると言っているのです。
概説としては、細意識が滅尽定に入っている行者の識食の体となると主張しているのですが、唯識派それは理にかなわないと破斥するのです。
意訳としては、上座部や経量部の論者は執着して、滅尽定等にはなお第六意識という細意識が存在するので、この細意識が行者の食の事になると主張している。しかし、彼が執着していることは理にかなわない。このことについては後の滅定証に於て詳しく説き、論破するであろう。今日はここまでにします。