唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(32)識食の体について・結び(3)

2017-09-22 23:53:24 | 阿頼耶識の存在論証
 
 第二は、示現を以て有情とするということを説明します。
 第一では仏は有情ではないと説明したのですが、文献によっては、仏もまた有情であると説いていることがあります。それは何故、仏有情であるのかを説明しなければなりません。それが本科段になります。
 「説いて有情と為し、食に依って住すというは、當に知るべし、皆示現に依って説けり。」(『論』第四・三左)
 示現とは、仏・菩薩が衆生救済のため、神通力を以て、いろいろ姿を変えてこの世に現れることですね。
 「説いて有情と為し、食に依って住すというは」、まさに知るべきである。仏を有情とし、食によって生存していると説いているのは、みな示現によって説いたものである。
 『雑集論』等に「仏をば是れ示現依止住食と説けり」と述べられていることを証として挙げているのです。
 四食を四種に分けて説明されているのですが、世親菩薩は、如来の意図は有情に布施をさせ、浄信を発させしめ、福徳を増長させ、ついには菩提を証させるために四食を受容しているように見せていると云う。これが示現の内容になりますね。
 四種とは、
 (1) 不浄依止住食
 (2) 浄不浄依止住食
 (3) 清浄依止住食
 (4) 示現依止住食
 『雑集論』巻第五の説明によりますと、
 (1)の不浄依止住食とは、「欲界異生なり。具縛するに由るが故に」。欲界の異生の食は、具縛によるからである。
 何か考えさせられますね。段食だけになりますと、生きる為に食するということなのでしょうね。しかし食しても死ぬわけですから、欲界の異生は、生死を考えない存在なのでしょう。
 (2)の浄不浄依止住食とは、「有学と及び色無色界の異生なり。余縛有るが故に」と説明されます。物質的な執われは離れても、まだ纏縛ですね、己に対する執が残っているんですね。三界は虚妄といわれる論拠になりますね。
 (3)の清浄依止住食とは、「阿羅漢等なり。一切の縛を解脱するが故に」と説かれています。つめり、分別起・倶生起の煩悩障を断じた位が清浄といわれるのです。それ以前は不浄ですね。
 (4)の示現依止住食とは、「諸仏と及び已に大威徳を証得せる菩薩なり」と云われています。此の位は「唯示現の食の力に由りて住するが故に」と。
 このところの説明は『世親摂論』巻第十(大正31・716c)にも、同様のことが述べられているということです。
 「唯示現食は但だ説けり、唯仏なりと。世尊は実に食を受けず、亦食を仮らず、彼は四食に約して論を作す故に。菩薩を説かず、異熟識食は彼示現に非ざるが故に。」
 諸仏及び大威徳菩薩(八地以上の菩薩のこと)の食は示現住食である。ただ示現の食力によってのみ存在するからである、と、説かれます。つまり、仏は自らが示現させた四食によって生存しているとされ、此の時には、仏も亦有情であると示されます。
 異熟識のみが勝れたる食の性であり、食というのは第八識のことであると結ばれるのです。
 私たちが知る、知らないにかかわらず、第八識によって「いのち」は保たれているのですね。

 
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