唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(25)経量部の主張を論破

2017-08-26 15:51:06 | 阿頼耶識の存在論証
  
 今回は、経量部の根本の主張(本計)のみを論破する科段になります。
 「亦、無漏の識の中に有漏の種有って、能く彼の食と為るに執すべからず。無漏の識等は、猶涅槃の如し、有漏の種を執持すること能わざる故に。」(『論』第四・三右)
 前段に於いて、無漏の識等は有漏を破壊するものであるから、彼(上二界に生まれて無漏心になっている有情)の身命に対する食とはならない。そして六識の中で前五識は上二界には存在しない。欲界の第六意識が、上二界に転ずると、無漏の識になり、無漏は有漏を破壊しますので、無漏になった第六意識は、有漏の身を持つ有情のための食とはならないと論破しているのですが、経量部はこの主張に対して、種子説をもって、上二界においても食となり得ると主張してくるわけです。
 簡単にいいますと、無漏に転じても、前滅の種子の習気が食となるというのですね。
 (また、無漏の識の中に有漏の種子が習気として残っていて彼(上二界に生まれた無漏心である有情)の食と為ると執着すべきものではない。何故ならば、無漏の識などは涅槃のようなものであるので、有漏の種子を執持することはできないからである。と論破します。
 「経量部の主張である、無漏識の中に有漏種が有って、それが無漏を以て彼の識の体となるんだというのならば、これも亦間違いである。無漏の識等は食と成ることはできないのである。無漏の識等は有漏の種子を執持することができないからであって、是は無漏であるから、涅槃等のようなものである。」(『述記』取意)
 〔宗〕 無漏の識は、有漏の種子を執持することができない。
 〔因〕 無漏であるから、
 〔喩〕 涅槃等のようなものである。
 なお、本有種子の依附という問題がありますが、論題は、現行に対して答えているので、未だ現行していない時の依附については問題はないとされています。
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