唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(33)識食の体について・結び(4)

2017-09-27 19:38:02 | 阿頼耶識の存在論証
 
 第三・総結』
 「既に異熟識のみ是れ勝食の性なり、彼の識という、即ち是れ此の第八識なり。」(『論』第四・三左)
 「異熟識のみ是れ勝食の性なり」について、『述記』は「識食は第八識に通ずと云うことを知ると雖も、唯だ異熟識のみ是れ勝れたる食の性なり。彼の食と云うは即ち是れ此の第八識なり。」(『述記』第四末・十二右)
 (すでに異熟識のみが勝れたる食の性(本質)である、彼の識と云うのはこの第八識である。)
 ここで、何を指摘しているのかといいますと、識食は第八識であるということを明らかにしたわけです。このことは、私たち有情が知る由もないことではありますが、私たちが生存しているのは、第八識に依っているのですね。
 つまり、第八識のみが、間断することなく、変化することなく相続している。無間断恒相続が勝の内容になります。
 先の科段で説かれていましたが、三義を具えているわけです。
 三義とは、
  「一類」(無覆無記が性である)
  「恒」 (恒に相続していること)
  「遍く」 (三界に遍く存在していること)
 識食の體は、「諸の転識とは別である異熟識が存在しており、この異熟識が一類に恒に遍く三界に存在し、身(五根)と命(命根)を執持して壊断させないようにしているということを、知るべきである」ということなのです。
 もし間断する識を、食の體としますと、間断している時に、有情は食を摂取することが出来ず、生存が不可能になります。「二無心定及び極睡眠・悶絶」の時にでも身命を支えつづけていけるのは、第八識が存在するからなのです。
 以上で四食証を終えます。
 次回より、第九理証である滅定証に入ります。
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