唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(29)識食の体について

2017-09-12 21:37:07 | 阿頼耶識の存在論証
 
 「此れに由って定んで知んぬ、諸の転識に異にして異熟識有り、一類に恒に遍して、身命を執持して壊断せざらしむということを。」(『論』第四・三左)
 以上述べてきたことに由って、必ず知ることができるであろう。
 諸々の転識とは別にして、異熟識が存在していることを。この異熟識は一類に恒に三界に遍在して、身(有根身)と命(命根)を執持して壊断させないようにしているということを。
 本科段は第三に、識食の體を結ぶ段になります。
 『述記』の釈には、
 「異熟識は三義を具するに由る」ことが識食に體となるという理由を挙げています。
 ここで云う三義とは「一類に」・「恒に」・「遍く」ことが条件になっておるのですね。この条件に適うのが異熟識であって、転識は除かれるということになります。
 一類は、第八識は三性にわたるということではなく、ただ無覆無記としての存在であり、変化しないということです。
 恒は、相続ですね。一類・恒で一類相続を表します。
 遍は三界に遍く存在するということです。
 転識をみてみますと、以前にも述べましたが、
 六識の中で前五識はしばしば間断し三性が善であったい、悪であったり、無記であったりと変化します。
 また、前五識の中で、鼻識と舌識は欲界のみにしか存在しません。あとの眼識・耳識・身識も欲界と色界初禅までにしか存在しないのです。
 従って、欲界の有情が色界に生じたり、無色界に生じたりした時には、前五識は色界定・無色界定の有情の身命をささえることは出来ないのですね。また第六識は、三界に遍く存在はしますが、二無心定などの五位無心の時は存在しませんから、第六識もまた識食の體とはなり得ないのです。
 詳細は先に説明されていますので振り返って学んでください。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加