唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(28)無色界には身無し。

2017-09-05 21:38:08 | 阿頼耶識の存在論証
  
 「又、無色には身無きを以て、命いい能く持すること無くなんぬべきが故に。衆同分の等きは実体無きが故に。」(『論』第四・三左)
 また、無色界には身が存在しないので、存在のしない身が命根を保持し、相互に食となることはできないのである。また、衆同分は実体がないから、実体のないものは食とはなり得ないのである。
 本科段は、経量部の主張を一応認めたとしても、理に合わないと論破しています。
 「設ひ、身は是れ食と許すとも、理いい亦然らず。無色界には身無し、汝が命根は能く持するもの無くなりぬるが故に、若し衆同分能く命根等を持すと言はば、皆実体無きが故に亦是れ食に非ざるべし。」(『述記』第四末・十一右)
 『述記』の説明は的を得ています。
 衆同分(シュドウフン)とは、同分ともいいます。同一種類、同類性、相似性という意味で、人間なら人間としての相似性があり、猫なら猫としての相似性があるということです。有部はこの相似性について実体(体が有るという意味)があるという立場です。唯識は、仮立衆同分という立場をとります。
 また実体の無い衆同分もまた食とはならないとして、有部の主張を退けます。
 次科段は識食の体についての結論を述べます。

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