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ヘンな中国、おもろい中国、アホなこと・・・ 思いついたままに写真で発信します。(只今休眠中)

10年前の思い出メシ By天津泰達開発区

2016年11月20日 16時18分43秒 | グルメ

今日は、昔の私の出張滞在状況をご紹介いたします。

2005年の1月の在りし日の休日。。。

最近、朝ご飯は食べずドリップコーヒーのみですが、
10年前は、朝食を食べていました。

揚げパン、キュウリの浅漬け、塩卵、そして
右上のお粥。。。

人間の食べるものではない。
と、当時は思いました。

小鳥のエサのような穀物が底に沈んでおります。


【お昼ご飯】

だいたい、こんなもの。
初めて出てきたメニュー。。。

私、甲殻類が元々だめなのです。
よって、今日のお昼は、「にんにくの芽炒め」 と、ご飯だけになりました。


【夕ご飯】

あっと驚くことに、具の無い饅頭かと思いきや、餡饅とは!
非常に取り合わせが悪いのです。

料理人は相当気を使って考えたんだと思いますが。

入れ代わり立ち代わり来る出張者の好みをしっかり学習し、10年も経った今では下手な外食するくらいなら会社の食堂のおばちゃんの料理の方が 「はずれが無い」 ようになりました。(笑)



そして、1ヶ月間、寝泊りしている部屋は、

工場の事務所内の奥に、ドアを隔てただけの1坪程度の 隠し部屋 小部屋。

身の回りの備品を置けるところはなく、スーツケースがクローゼット代わりで、ここで1ヶ月間を暮らすのです。

そして正面の壁の向こう側には荷物移動のエレベーターがあり、24時間稼働の状況で2~3時間おきに、その轟音 が夢に出てくるのです。 で、眠れない劣悪な環境なのです。


中国の法律で、住民登録していない外国人は身元保証できる人の家、またはホテル以外は宿泊できないのです。

でも、うちのような零細企業では出張者のホテル代も捻出できないのです。

このままでは、街で公安に職務質問を受けた時に、しょっぴかれてしまいます。
その辺は対策済みなのですが、その方法に関しては、ここではちょっと公開できません。(汗)

そして、その部屋から見える景色は、、、

天津の真冬は昼間で、マイナス10度を下回る日が多いのです。

平日は出勤社員も多いので、中国式ハンバーガーのお店も繁盛しているのですが、


土日は本当に寂しい状況です。
動画で見る寂しい休日なのです。

土日は通訳はいません。 そして当時、中国語での一般人との会話はできないたった一人の日本人。
よって、1人ではバスにもタクシーにも乗れません。
マイナス10度以下の気温で、1時間も歩いて日本料理のお店に行くのも不可能です。

工場は、旧正月、5月のメーデー、10月の国慶節(建国記念日)の3回しか機械が止まりません。
よって、24時間対応の出張者の私にとって、冬場の出張はほとんど事務所にこもりっぱなしの30日間なのです。

当時、天津出張が決まると、同僚からこのように言われるのです。 「天津刑務所に服役が確定したか。」
懐かしい思い出です。(苦笑)

当時、毎月30日間を5人のローテーションで出張し、それから何年かして3か月滞在、1ヶ月おいてまた3ヵ月のローテーションになり、今では監査対応の時だけ品管が行き、機械メンテナンス状況の確認に私が時々ビザ無し2週間コースで行く程度になりました。

今は法律が厳しくなり、さすがに会社には泊まれない状況になりホテル暮らしです。
出張に来る日本人なんか絶対使わないローカル安ホテル○江之星ですけど(爆)


10~15年前、この界隈には気の利いたお店なんか無かったのですが、今ではイオンや伊勢丹、スタバにケンタッキー、味は別としてピザハット、マックに、吉野家(なぜかこの店は去年撤退)などなど、日本の我が町より発展しております。

大変住みよい街になりました。
PM2.5を除けばね。

10年前の空は毎日こんな綺麗な空だったなぁ

生活用語の会話ができるようになって自由自在に動けるようになった今が良いのか、昔のきれいな空の下で、見るものすべてにドキドキした新鮮な気持ちがよかったのか、思いにふけっている今日この頃です。


本当は来週から2週間、天津に試作立会に行く予定でしたが、日本側で重要な仕事が舞い込んでしまい、中国行きをキャンセルすることになってしまいました。


天津ホームシックにかかっちゃったな。

と、思った方は
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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ごーさん)
2016-11-22 17:13:55
それにしてもよくぞ食堂の食事で耐えてこれたのは私からすればすごいことだと思います。
私は食堂の食事が食べられなくて毎日昼はビールで腹を膨らませていました。

10年前でしたら私が北京を離れて日本に帰ったところです。だけど、北京ホームシックにかかり再度中国に帰ってきました、日本では仕事ができない体になってしまったんです(笑)
お返事 (わんばぁだん)
2016-11-23 01:32:32
・ごーさんサマ
お疲れ様です。 14年前に初めて中国に渡った時は、何も喉を通らなくて、1ヶ月間の出張で毎回5kgはダイエットできました。
今では、出張するたびに食い過ぎて5kgは太ってしまうので食事制限しています。(笑)
最初はみんなこんなもの! (黒鬼子)
2016-11-23 20:29:52
最初は皆こんなものですよ。監獄か独房に島流し。
泊まるとこの心配は、中国サイドの総経理の党のコネで何とでもなるんでしょう。

なんと言ってもコネ社会ですからね。
顔つなぎに少しばかり経費がかかりますけどね。

以前拝見したオバちゃんの包子と餃子は、美味しそうに見えますがね、あれらは日本では生地がダメなのでちょっと味わえない物のようですが。
お返事 (わんばぁだん)
2016-11-24 00:29:44
・黒鬼子サマ
刻み唐辛子掛けの醤油ごはんで生き延びてきた大先輩のお言葉には重みがありますねえ。
全部見透かされてしまっています。 (汗)

そうなんです。  黒竜江の味を継承した肉まんと水餃子は絶品です。 ほんと日本では味わえない美味しさです。
お盆の出張時、総経理の自宅に招かれて総経理が直々に作ってくれたメニューは・・・
14年目で初めて食べた、黒竜江式蒸し餃子です。
もう、「南昌小籠包」 を追い求めなくても済みました。
すごいうまみのあふれる肉汁で至福のひと時でした。

Unknown (fuyong37)
2016-11-24 12:51:09
わんばぁだんさま、こんにちは。

住環境が厳しいと活力が一気に削がれますよね。
わたしめが20数年前に北京へ行ったときは留学生という身分だったのですが、薄暗くてすきま風の入る寒~~い宿舎でした。
教室も例にもれずダウンジャケットを着ていないと風邪を引きます。

それでも、習い事をしていた先でいただく老師の手作りごはんに救われましたね。
この老師宅では、沢山稽古をして沢山食べるのが「好学生」とされていたおかげで、問答無用の強制ダイエットをせずに済んだことに感謝しています。


お返事 (わんばぁだん)
2016-11-25 01:51:44
・fuyong37サマ
当時、ホントに受刑者気分でした。(泣)
20年前の中国って、日本人にとってさぞかし生活しにくい環境だったと想像されますね。

ウチの工場の窓は密封嵌め殺しですが、事務所と例の小部屋は大陸恒例のスカスカすきま風ぴゅーぴゅーでした。

お国は違っても、食事に招待されれば心が和みますよね。 
喉を通るメニューなら。(汗)
Unknown (客桟老板)
2016-12-01 23:06:02
便利で安全快適な日本国からこんな修羅の国に飛ばされたら、そりゃ日カラにハマって、
ハニトラの餌食になりますよね。天安門事件の頃の中国は、もっと寒々としていました。
それはそれで楽しかったものですが、我ながら若かったのでしょうね。
お返事 (わんばぁだん)
2016-12-04 18:02:18
・客棧老板サマ
日カラと言えば、ニイハオしか喋れず聞き取りは全く出来ないのに、初めての中国出張初日の夜に総経理に中カラに連れて行かれた事を思い出しました。
いきなり置き部屋から好きなやつを選べって言われ、「旅の指さし会話帳」を片手に必死に勉強!?していましたねぇ。
もう歳なのか、楽しめなくなり、かれこれ5年前くらいから自分からは行こうとは思わなくなりましたがね。
独身で世間知らずの状態で駐在者になっていたら、向こうで永住していたかも知れません。
(爆)

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