世川行介放浪日記

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氷川きよしの時代的意味

2012年08月19日 03時20分48秒 | 自選 歌が呼ぶ思い出

              氷川きよしの時代的意味


 僕は、いま、嫌われ者小沢一郎のために「街角遊説」に汗を流している男ではあるけれど、
 昭和歌謡詞については、ひとかどの探求家である、と自負している。

 先日、新の日記に掲載する文章を、しばらく文章を掲載していない旧の日記にも掲載したところ、
 僕の5年間の「放浪日記」史上初めて、
 検索キーワードが「氷川きよし」というアクセスが殺到した。
 「小沢一郎」以外の人名がこんなに来て、正直言って、驚いた。
 「コメント」もいくつか来たので、
 御礼代わりと言っては何だが、氷川きよしファンたちのために一筆したためることにした。


 氷川きよしは、平成演歌の旗手である。
 これは誰しも認めざるを得ない。
 60歳70歳のジジイたちが、昔のおつりで食いつないでいる演歌界で、
 若い氷川きよしは、果敢に毛色の変わった新曲を出し、停滞気味の演歌界の活性化を促した。
 この功績は高く評価すべきである。


 僕が氷川きよしを初めて意識したのは、
 ご多分に漏れず、世紀末にヒットした、「箱根八里の半次郎」というデビュー曲だった。
 当時の僕は、島根県から東京に舞い戻った頃で、
 福山雅治の『桜坂』という楽曲と並んでヒットチャートの上位を走るのを見て、
 クスリ、と微笑んだのを覚えている。

 「箱根八里の半次郎」という歌のヒットの要因のひとつは、
 「は」という語が、タイトルに3回出てくる、その韻の踏み方の面白さだった。
 これは、「やだねったら、やだね」というサビの歌詞の奇抜さを十二分に支援した。

 もっと深く言うと、
 この歌の最大の魅力は、<奇妙な軽さ>だった。
 当時、この国は、経済バブル崩壊の真っ只中にあって、世相は暗かった。
 政治的に言うと、「平成的だらしなさ」がスタートした時期で、
 大衆の多くが、まさに白け始めた、<軽い時代>の幕開けの時期だった。
 そうした時期に、
 それまでの演歌歌手に比較して、いかにも軽そうな笑顔の若い演歌歌手が、
 コミカルな軽い演歌をうたい、
 「やだねったら、やだね」と、
 他者に対してなのか、自分に対してなのか、どちらか判別しかねる軽い歌詞を口にする。
 平成大衆が、その<奇妙な軽さ>に耳を止めたのは当然だった。


 だから、
 氷川きよしは、この<奇妙な軽さ>を手放してはいけなかった。

 スタッフたちもそれは十分心得ていたようで、
 『きよしのズンドコ節』なんて作品まで出してきた。
 僕たちは、その元歌である『アキラのズンドコ節』も『ドリフのズンドコ節』も知っているから、

            向こう横丁のラーメン屋
            赤いあの娘のチャイナ服
            そっと目くばせチャーシューを  
            いつもおまけに2~3枚
                             (作詞・松井由利夫)

 という歌詞が、
 昭和後期に大ヒットした『ドリフのズンドコ節』の、

            飲んでくだ巻き噛みついて
            つぶれた俺の耳元で
            身体に毒よささやいた
            飲み屋の娘がいじらしい
                              (作詞・なかにし礼)


 の歌詞ほどの哀愁を持っていないことはすぐにわかり、
 しかし、だからこそ、この意味のない軽さがいいのだ、と思ったのだった。


 僕が、氷川きよしの歌で一番好きだったのは、
 『虹色のバイヨン』という楽曲だった。
 <小悪魔>と愛欲にまみれていた時期に、よく聴いた。

             逢いたくなったら 夜空に呼んでみて
             いつでも夢で もどってくるからね 
             思い出いっぱい 虹色シャボン玉
             淋しい気持ちは同じさ 同じさ僕だって
                                      (作詞・水木れいじ)


 これは、歌詞の面からの「好き」ではなく、
 ロシアっぽいメロディに惹かれての「好き」だった。
 ただ、
 聴きながら、「多分、この歌は、大ヒットしないだろうな」、と予感した。
 「この歌手は、大きな曲がり角にぶつかっているかもしれないぞ」と危(あや)ぶんだ。

 何故そう思うのか。
 理由は簡単だ。
 氷川きよしは、いつの頃からか、その歌に「哀調」を盛り込むようになった。
 それが本人の希望なのか、ファンと呼ばれる女性たちの要望なのか、
 そんなことは僕は知らないが、
 事実として、彼の歌には、「哀調」が強く混じり始めた。
 そして、新曲を出す度に、彼の歌は中ヒット止まりとなっていった。
 それが危険な兆候であることに、周囲は誰も気づいていないように、僕には見えた。


 たとえば、五木ひろしや前川清が、哀調のある新曲をうたったとしたら、
 それは彼らにとっては、ひとつの脱皮の契機となるかもしれないが、
 これまでの製作スタッフで氷川きよしが哀調演歌をうたっても、脱皮にはならない。
 それは、この数年間の彼の作品が、如実に証明している。
 前述の『虹色のバイヨン』の歌詞が何よりの証拠だ。
 何故こんな歌ばかりになるのか。
 それは、作詞家も作曲家も、彼のスタッフは、古典的演歌の概念に慣れきった人間ばかりだからだ。

     作詞家  松井由利夫、仁井谷俊也、里村龍一、水木れいじ、
     作曲家  水森英夫

 彼らは、歌詞の発想も古典的であるし、「哀調」に抱くイメージも古典的である。
 だから、ここ数年間の氷川きよしの曲は、どの歌も、
 出だしを聴けば、後が想像できる類の作品ばかりだった。
 僕の知識の中では、『浅草パラダイス』という作品だけが、少し解き放たれていた。


       花が咲き花に酔う お江戸の名残の仲見世は
       ホラ今宵も更けてく 提灯(あかし)に揺れて
       ウキウキとカラコロと 駒下駄鳴らして石畳
       アア 今宵もあなたに逢いに行く
       どうせこの世は夢ん中
       泣いちゃダメダメ 浮かれて踊れ
       雷門 浅草寺 馬道 千束 花川戸
       ああ 浅草パラパラ パラダイス
                         (作詞・下地亜記子)


 歌謡詞というものは、かつてのフォークシンガー三上寛の歌詞を借りて言うなら、
 「7に2を足しゃ9になるが 9になりゃまだまだいい方で 9に9を足しても4になって」
 という意外性が求められる。
 この数年間の氷川きよしの作品の歌詞にもメロディにも、そうした意外性はうかがえなかった。
 おそらく、彼の女性ファンたちが、「これ。名曲ね」と褒める歌は、
 古典的情緒を前面に出した作品であろう、と想像しても、あながち的は外れていないだろう。


 僕は、何が言いたいのか。

 氷川きよしが、その出発点に抱きしめていた<奇妙な軽さ>を失いつつあることの危惧を言いたいのだ。


 ただ、
 それを失うことを悪いと言っているのではない。
 それを失っても、代わりに得るものがあれば、それはそれでいいのだ。
 『櫻』という重すぎるくらい重い作品は、その勝負に出た意欲作だな、と僕は理解していて、
 自分としても好みの作品であるし、時代的な課題も背負った作品だと感じているから、
 大ヒットしてもらいたい、と願い、
 先日、あのような小文を書いた。
 あの作品の製作経路がどうであったとかこうであったとか、
 そんなことは、本当のところは、どうでもいい話だ。
 そんなことは、
 橋下徹ファンが、
 橋下徹と握手をして手を洗わずにいたら、手が臭くなった、
 と言っているのと同じ程度の話にすぎない。


 僕の関心は、
 いくらなかにし礼が凝りに凝った詞を書いて、平尾昌晃がこねくり回した哀調演歌に仕立て上げても、
 あの重さを、果たして、平成の大衆は受け入れて大ヒット曲にまでしてくれるのだろうか?
 という一点だ。
 僕には、
 「だらしなさの坂」を下る一方の平成という時代は、
 あの重すぎる歌をすんなりとは受け入れてくれそうにもない、
 と思えてならないからだ。

 どうか。氷川きよしと時代のために、
 僕の不安が杞憂で終わりますように。
 

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