世川行介放浪日記

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融けていく社会に思うこと

2017年05月05日 18時51分37秒 | 自選 時々への発言


    融けていく社会に思うこと




 これまでも何度か書いたが、
 僕は、日本の歴史を繙いて、
 その当時の政治状況や庶民意識などから、
 平成社会は、江戸期の文化化政時代に似た<溶解の時代>に向かうように思ってきた。


 そうした<溶解の時代>というのは、
 その始まりの拮抗の時と、中期の爛熟する文化と、末期の混沌、
 それらは、
 例えば、末期の引き金を引いた「大塩平八郎の乱」のように、
 丁寧に検証すると、案外魅力的だが、
 前時代の意識との拮抗が終わって融け始めた時期というのは、
 これは、ただ加速度をつけて融けるだけの状態で、
 そこに身を置いた人間というのは、
 自分たちが融けていることすら気づかずにただ融けているわけで、
 面白くも何もない。
 その面白くもなく融け始めているのが今現在ではないのか?
 そう認識して、ここ数年の日本社会を眺めてきた。


 民進党という野党最大政党があって、
 その政党に、蓮舫という「馬鹿」としか言いようのない無教養女が党代表の座について、
 それからの滑稽と言えばいいような融けようを見ていて、
 そこに森友学園騒動が起きて、
 融けかけた民進党が週刊誌情報を頼りにして関与していく光景に、
「これが溶解初期の光景の極めつけだな。」
 という思いを強くした。


 今の野党というのは、
 国民に提示すべき経済政策も国家構想も持っていないから、
 「敵失」によって政権転覆を願うしかなくなっている。
 小沢一郎あたりが、馬鹿の一つ覚えの「野党共闘」を叫んでいるが、
 国家構想もなく共闘して、それが何になるというのか。
 過去に、それで2度も、「数合わせ政権」を瓦解させた事実を忘れたのか、と言いたい。 
 老いてこそ一歩一歩の歩みを着実にこなすべきだったのに、
 老いの焦りで手っ取り早い手法にばかり向かう。
 もう、どうしようもない。


 そうした「融けていく野党」だらけになった社会現状では、
 知的大衆は「反体制」姿勢の論理的足がかりを見失うから、
 崩れてそして融けていく状況が加速される、と思われる。
 そうした意味では、
 この時期に出てきた安倍晋三の「改憲」発言が引き起こすであろう社会現象は、
 僕たちに<何か>を示唆してくれるはずだ。


 「改憲に教育無償化を入れるな!」なんて意見は、馬鹿の骨頂の意見で、
 改憲を成功させるためなら、
 教育の無償化どころか、もっと国民が「改憲賛成!」と言いたくなるようなあれこれを付加した国民投票に持って行くことは、
 誰が考えたって、政府としては当たり前の手法ではないか。


 そうした付属品付き国民投票を戦って、どう勝利できるか、
 そこに護憲陣営の力量が問われるのだが、
 統一した国家構想を持っていない反自民は、そういうことがまるでわかっていない。
 20年までに本気で戦うなら、
 くだらない野党共闘を言う前に、
 国民に、護憲内での国家構想を提示するしかない。


 改憲が成るのか成らないのかは、
 詳細が明示されていない今の段階では何も言えないが、
 仮に、
 国民投票にまで行ったとしたなら、
 国民投票にまで行ったという「事実」は、戦後日本の歴史において数段の重みを持つわけだから、
 そこから、更なる<溶解>が加速されるように、僕には思える。


 僕は、数年前から、<溶解の時代>に入るぞ、と思ってきたので、
 現在の融けていく社会状況を、悲しいとも寂しいとも思うことなく、
「進んでいるな。」
 と冷静に受け止めているが、
 この<溶解>がつまらないくらいの思いは持っていて、
「この歳になってからの<溶解>でよかったな。
 青年期にこんな状態に投げ込まれていたら、たまったもんじゃなかったな。」
 そう自分を慰めている今日この頃だ。




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