13年ほど前、
新宿歌舞伎町に身を投じたばかりの頃は、
毎晩、マージャンをして過ごした。
もちろん、その頃の僕は、一冊の本も出してもおらず、
自分の<明日の姿>がまるで見えなかったから、
躰の内から溢れてくる放埒への激しい思いに衝き動かされて、
毎晩、毎晩、憑かれたようにマージャンを打ち続けて暮らした。
徹夜を続けると、睡眠不足と疲労でボワーっとした感じになって、
ああ、俺はこうやってどこまでも堕ちていくのだなあ、
そんなことを思い、
それでもマージャンを打ち続けた。
不思議なことに、
その時期の一年間くらいのことは、
みんな夢の中、といった感じで、僕の記憶の中から欠落していて、
詳細はほとんど思い出すことができないのだが、
たった一つ、
島津ゆたか(名は後から知った)のうたっていた、
『つかれたわけじゃないの』
という歌だけが記憶に残っていて、
今でもその歌を聴くと、遠いあの頃を懐かしく思う。
大田区を出て、歌舞伎町に入った最初の夜、
知り合いの韓国焼肉屋のテーブルに座ると、
有線放送の歌謡曲が流れていた。
聴いたことのない歌だったが、
何故か心に止まり、
その歌に聴き入った。
つかれたわけじゃないの
忘れたわけじゃない
これ以上できることは なんにもないの
みんなあげたはあなたにだけは
裸になれた私の心
そむいたのはあなたね
傷ついたのは私
一人で散っていくわ 花びらみたい
(作詞 中村泰士)
別にどうって歌ではなく、
僕とは無縁の世界の平俗な歌詞だったが、
少しだるそうなメロディに乗った「疲れたわけじゃないの」という一言だけが、
やけに耳にこびりついた。
今は名前も場所も忘れたマージャン屋にも有線放送が流れていて、
ある夜、
偶然この歌が聞こえてきた。
僕が小さく鼻歌をうたうと、
一緒に打っていたそこの女店主が、
「それ、いい歌よね」
と声をかけてきたのを覚えている。
その女店主がどんな顔の女だったのかは、いまは記憶にない。
本当にその一年間くらいの時期の事は、
僕の記憶からすっぽり抜け落ちていて、
その時期のことは、どんなに努力しても思い出すことができない。
いま記憶をたぐり寄せるに、
僕に『歌舞伎町ドリーム』を書かせるきっかけになった、
オーバーステイの<ユキ>という韓国女が、
突然僕の視界から歌舞伎町の<闇>の場所に姿を消し、
若い<セイ>に出逢うまでの間だった、
ような気がする。
その前後の僕は、「マージャンで食っていこうかなあ」、と真剣に考えていたから、
あちこちのマージャン屋で開催される賞金付きのマージャン大会を探して、
わずかな賞金をもらいに、都内をうろつき回っていたのではないのだろうか。
野良犬のような毎日だった。
疲れ果てると、
サウナの大部屋のベッドかネットカフェの硬い椅子に身を投げ出し、
ひたすら眠りをむさぼった。
このままで死んでいくんじゃ、俺も少し哀れだなあ、
そんなことを思ったりしたが、
マージャン打ちでぼろ切れのように果てるのも悪くないか、
とも思った。
マージャン屋からの帰り道に、
昔鶴田浩二のうたっていた、
月も疲れた小窓の空に
見るは果てない闇ばかり
『赤と黒のブルース』の一節を、よくくちずさんだし、
サウナの簡易ベッドやネットカフェの椅子に沈みながら、
大好きだった中原中也の、
これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。
『盲目の秋』の詩句を、自分に何度も何度も聞かせたりした。
振り返って言うならば、
この詩句にはずい分と励まされ救われたような気がしている。
それから様々なことがあって、
有為転変の果てに、
僕は、いまこの場所にいるのだが、
時々、『つかれたわけじゃないの』という歌を耳にすると、
あの頃を思い出す。
僕は、数年前から、
小沢一郎という政治家を媒介にした<戦後知性>論を書くのが、
自分に与えられた責務である、
と認識して、それをやってきているのだが、
僕の心の奥底には、
もう、この国から本物の<知性>は失せた。
この国は、もう、斜陽の中にある。
という苦い思いもあって、
そういう作業をしながら、時々、言うに言われぬ<徒労感>を感じる。
それを一番感じさせられたのが、僕の言うところの<悪態幽霊>の存在だったが、
彼らを見るにつけ、
自分はいま、どうしようもない<虚しさ>の中を生きているのではないのか?
と嘆息をつくことが度々だった。
ただ、
この<虚しさ>も、あのマージャン打ち時代の<虚しさ>も、
二つの<虚しさ>は等価なのだぞ、
と、僕にささやく声があって、
その声が、かろうじて僕を支えているのだが、
『つかれたわけじゃないの』という歌を耳にする時、
単独で破天荒を生きていたあの頃の自分が、
やけに恋しくてたまらなくなる。
もう、僕は、野良犬には戻れないのだろうか?







