世川行介放浪日記

日々の雑感。
昔話。
時事問題への言及。
歌謡曲篇。文学篇。
漫談。
たまに女篇。
2年に1度は愛欲篇

北野武監督『アウトレイジ』シリーズ雑感

2017年07月01日 11時10分36秒 | 自選 映画感想文


    北野武監督『アウトレイジ』シリーズ雑感




 僕は、世評高い映画監督北野武のいい観客ではなかった。
 初期の作品である『この男、凶暴につき』を観て、
 退屈で途中でやめてから、
 彼の作品を観ようと思わなくなった。


 僕は若い日から深作欣二のアップテンポの映画に慣れ親しんできたため、
 意味のない光景をさも意味があるかみたいに長回しで撮る手法を、退屈な無意味、と思うようになっていて、
 それでも感心してみたのは、コッポラの作品群だけだった。


 彦根に来てから、
 彦根のTUTAYAには邦画の在庫が少ないので、
 北野武の作品を1~2本借りてみたが、
 権蔵と何とかという作品も、期待したほどの面白さを感じず、
 『アウトレイジ』も続編の『アウトレイジ・ビヨンド』という作品も、それぞれに借りて観たが、
 大勢の人が路上やビルの屋上でバタバタ殺されるシーンに、
「この平成日本で、路上で人が大量に殺されて、隠し通せるわけがないじゃないか。
 今はやりの青年向け漫画の映画化だな。」
 執筆のバックミュージック代わりに声だけ聴いて終わった。


 先日、
 思うところあって、『OUTRAGE』シリーズ2巻を借りてきて、
 少し真面目に鑑賞してみた。


 結論から言うと、
 2巻併せて観ると、非常によくできた暴力映画だった。
 役者も、
 僕の好きな三浦友和を筆頭に、
 一味もふた味もある役者たちが配置されていて、
 その役者たちが、バッタバッタと殺されていく。
 まあ、見事に、何の感傷も無念も与えられずに殺されていく。
 人情やくざ映画の旗手中島貞夫には死んでも撮れない、カサカサに乾いた暴力映画だ。
「これは、魅力だな。」
 と思った。


 このシリーズで、北野武は、
 登場人物の誰にも、特別の力点を置かない。主人公のビートたけしにも力点を置かない。
 特定の誰かに力点を置かないことを自分に戒めて撮った、
 そう思わせるような2作だった。


 そして、
 死に意味を持たせない。
 登場人物たちの死は、どれもこれも、
 死の間際のセリフを与えられない無言の死ばかりだ。
 つまり、この暴力映画で描かれる死は、「人の死」ではなく、「物の最後」にすぎない。
「ふ~ん。」
 一つの死を眼にする度に思わずうなった。


 北野武の描く暴力映画は、
 アンチ東映任侠映画を貫いた深作欣二のやくざ映画よりも、もっともっと遠い場所にまで駆け抜けたのかもしれないな。
 そう思った。
 深作欣二のやくざ映画よりも、もっともっと遠い場所
 それは、言葉を換えると、
 暴力の無化、
 ということになる。
 東映任侠映画から始まった暴力映画を、この地平にまで独力で引っ張った映画監督北野武の力量に、感心した。


 しかし、
 <無化された暴力>映画などいうものは、
 観客の側から言うと、
 一作目は、映画史的意味合いから鑑賞の価値があるが、
 2作からは、鑑賞に値しない。
 そこには、「感情」の入り込む余地がないからだ。
 作品が観客の「感情」の侵入を拒絶している。

 無数の個体の意味のない死の光景の連続、
 観客にとって、それは、面白くもない光景のつなぎ合わせでしかない。
 しかし、
 現代社会での暴力映画は、そこに帰着点を求めるしかない。
 それを北野武はこのシリーズで描き切った。


 やくざ映画は、
 このシリーズを最後に、すたれていくにちがいないな。

 そんなことを、思った。






『映画・DVD』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「空売り屋」への感謝 | トップ | 『篠崎・進士法律事務所』の... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自選 映画感想文」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL