世川行介放浪日記

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舟木一夫『夕笛』

2016年10月13日 19時42分29秒 | 彦根放浪篇



       舟木一夫『夕笛』





 遠い昔、
 そう、
 もう、50年くらい前になるか、
 舟木一夫がうたった歌に、
 『夕笛』
 という歌があった。
 作詞は西条八十だったが、
 これは、三木露風の『ふるさとの』のパクリで、

    ふるさとの
    小野の木立に
    笛の音の
    うるむ月夜や

    十年経ぬ
    同じ心に
    君泣くや
    母となりても


 これを、


    ふるさとの青い月夜に
    流れ来る笛の音きいて
    君泣けば 私も泣いた
    初恋の夢のふるさと

    ふるさとへいつの日帰る
    屋敷町 ふるいあの町
    月の夜をながれる笛に
    君泣くや 妻となりても


 こんな風に変えたわけだ。
 今なら、「パクリ!」と叩かれるところだが、
 もう50年も前の話だし、
 当時の西条八十は、歌謡界の天皇だったからね。


 僕は、
 この『夕笛』の、


    屋敷町 ふるいあの町


 この一行が、何故か、大好きだった。


 彦根に来て、愛車「グリーンタンク」で堀沿いの道をすっ飛ばしながら、
 その間、唇の端からこぼれるのは、「屋敷町ふるいあの町」というフレーズばかりだった。
 きっと、僕は、
 このフレーズを口ずさむ時、
 「松江の淑子」が言っていたように、
 50年前の松江の街の光景を、知らずに思い出しているのかもしれない。


 僕は42歳の時に、
「過去は全て捨てる。
 過ぎた時間を一切振り向かない生を生きる。」
 そう決めて、
 それから、ずっとそうして生きてきた。
 自慢ではないが、
 それから先の20余年間、
 ただの一度も、過去に縛られたことがない。
「過去は過去。
 生きているのはいま現在。」
 自分にそう言い聞かせてきた。

 だから、
 「望郷の念」などいうものは、僕にはまったく無縁な感情だ。
 たとえ、いまわの際を迎えても、望郷の念の言葉など、絶対に発しないだろう。
 これは胸張って断言できる。


 最近、僕の「~備忘録」の会員読者諸氏もわかって来てくれたが、
 僕は、
 一度、「こうだ。」と決めたら、誰が何と言おうとそれを撤回しない、
 それに向かっての道を真っ直ぐらに進む、
 鋼(はがね)のような「頑固さ」を生きていて、
 卑近な例を言うならば、
 山谷彰宏という、若い身空でヤクザ顔負けの恫喝行為をやる弁護士に対して、
「こいつとは死ぬまで戦い続けてみせる。」
 と決めてからの闘争姿勢が、まさにそれだ。

 だから、
 これから先も、過去や周囲の思惑に恋々とすることはない。
 時々、古い歌謡曲を聴いて、
 3分間だけ、形のない「淡い郷愁」に浸るだけだ。


 自分では、自分のこの靭さを誇って生きているのだが、
 ひょっとしたら、
 この生というのは、
 とっても哀しい生なのかもしれない。
 しかし、僕が固く意志して選んだ生の角度なので、
 今さら変えようもない。


 そんな「乾いた僕」だが、
 彦根という城下町は、何故か、僕を柔らかく包んでくれる、
 そんな気がする。
 それが何なのか、今の僕にはまだよくわからないが、
 この彦根の街の細道や無人踏切を歩いていると、
 フッと心に湧き上がる懐かしい感情があって、
 それが、僕をこの街にとどまらせる。

 不思議だ。




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