朝6時過ぎに目覚め、
タバコを買いに行って、戻ってテレビをつけたら、
『時事放談』という番組をやっていた。
この番組を見なくなってから久しいが、
テレビのスイッチを入れたら、それが出たので、とりあえず見たら、
そこに、藤井裕久というじいさんが出ていた。
僕は、以前、小沢一郎の番頭をやっていたこのじいさんが大好きだった。
藤井裕久という人物は、
恬淡(てんたん)とした感じで、しかも、大蔵官僚出だけあって、かなり博識であった。
僕は、テレビでしか彼の発言を聞いたことはないが、
僕が耳にする彼の話は、いつも論理が明快で、政治の素人にもわかりやすく、
しかも、人に反論をためらわせる<明るさ>があった。
つまり、
同じ論理を展開しても、
それが小沢一郎なら思わず「ノー」と言ってしまうのを、
それが藤井裕久であると、思わずうなずいていしまう、
そんな処世上において得な面があった。
そんな人物が、世間から袋叩きにあっている小沢一郎を徹底的にかばい、
しかも、その弁護が極めて論理的かつソフトだったから、
小沢一郎はずいぶん彼に救われているような、そんな気がしていた。
遠い昔、田中角栄に番頭であった二階堂進という政治家が、
「趣味は田中角栄」
と答えて、話題になったことがあったが、
自由党時代に政治の表舞台に出てきた藤井裕久の小沢擁護の姿勢は、
言葉にこそ出さないが、
二階堂進の言葉を真似るなら、「趣味は小沢一郎」と言っているように、僕には見え、
「小沢一郎はいい番頭を持っているなあ。
この男が側にいる間は、小沢一郎は大丈夫だ」
と思い、
彼への好感が、僕がこの『時事放談』を見る理由になっていた。
自由党時代の藤井裕久の、
「うちの党首(小沢一郎のこと)が・・・、」
という言い方には、
小沢一郎に対する愛情がにじみ出ていて、
聞いていて、実に心地よかった。
藤井裕久に対する僕の印象は、
この放浪日記を書き始めた頃、つまり、5年ほど前に、
書き留めておいたように記憶している。
藤井裕久には、高級官僚出身者とは思えない<存在感>があった。
しかも、
小沢一郎がどうしても持てない、
一般世界から好意的に受け入れられる<陽の存在感>、
があった。
小沢一郎周辺には、羽田孜と袂を分かってから<陽>の匂いが薄くなったから、
自由党時代の、理の小沢党首と陽の藤井幹事長というコンビは、
理想的なコンビだった。
藤井裕久が、小沢一郎の元を去ったのは、
僕が『泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい』を取材していた頃で、
それは、去ったというよりも、追われた、という印象が強く、
「小沢一郎の側近」を自称する人物に彼のことを聞くと、
「あいつは極度のアル中だ」
「もう認知症で、思考力がない」
といった排除の言葉が返ってきて、
一つの集団での勢力争いの凄まじさを痛感させられた。
だが、僕は、
内部的にはどうかはさておき、
世間においては、
藤井裕久という存在が、小沢一郎にとってどんなに重要かを知っていたので、
内部のくだらない力関係で追われていく藤井裕久に、かなり同情したのを覚えている。
当時、信頼していた人に、
「何故、あの人は、あんなに藤井さんを毛嫌いするのですか?」
と質問したら、
「人の学歴コンプレックスってのはどうしようもないんだよ」
という答えが返ってきて、
そんなことかよ、と呆れた記憶がある。
その藤井裕久が出演している今朝の『時事放談』は、
僕がスイッチをひねった時は、もう終わり間際で、
小沢一郎批判で食っている御厨某が、
「最後になりますが、
またあの人が、」
と、小沢一郎の「消費税増税反対」に話題を向けて、
(僕の侮蔑してやまない)武村正義と藤井裕久に意見を求めたところだった。
感心したのは、
元大蔵官僚でもあることから財務省の後押しを受け、
現在「消費税増税」を推進する立場ではありながら、
藤井裕久が、一言も小沢一郎批判の言辞を口にしなかったことだ。
消費税増税は必ずやるべきだ、と言いながらも、
それに真っ向から反対する小沢一郎への批判は、一言も言わなかった。
ここが、政界の漫談師渡部恒三とは一皮違うところだな、と思った。
僕は、この20年間くらい、
遠くから小沢一郎という政治家を眺めてきたわけだが、
小沢一郎の現在的不幸は、
新進党時代に盟友の佐藤守良を病死で失ったことと、
自由党時代を支えた藤井裕久を引き止められなかったこと、
その二つではないか、
と思ってきた。
この二人が残って側にいたなら、
小沢一郎から政治家が離反するのは、
あるいは、一般大衆が小沢支持から転じるのは、
かなり止められたのではないか、
と思ってきた。
佐藤守良は病気だったから、引き止めようもなかったが、
藤井裕久は、背中を抱きしめてでも引き止めるべきであった。
それは、小沢一郎の間違いであった。
この時期に藤井裕久に好意的な文章を書くと、
「小沢信者」からは、また罵声を浴びることだろうが、
しかし、
僕だけでなく、
この20年間小沢一郎を好意的に遠望してきた人間の多くは、
僕と同じ印象を持っているはずだ。
と、僕は思っている。







