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山本周五郎『紅梅月毛』雑感



     山本周五郎『紅梅月毛』雑感





 正午前、
 彩雲出版の高山社長から、
 刷り上がったばかりの『世川行介放浪日記・愛欲上野篇』が5冊届けられた。

 前半部をサラサラっと流し読みし、
「これで、放浪時代の一つの総括は終えたな。」
 そう思った。


 山本周五郎の短編小説に、
 『紅梅月毛』というのがあって、
 ストーリーを簡単に書くと、


 江戸時代初期、各藩の馬術の腕比べがあって、
 どこかの藩の馬上手の武士がその役を仰せつかる。

 彼に乗ってもらおうと、藩重役の娘が駿馬を持ってくるのだが、
 その武士は、ある日、道端で百姓が引いていたみすぼらしい老馬を買い求め、
 人の誹謗中傷に黙って耐え、
 その駄馬を鍛え、
 試合に出て、三位か何かを得る。


 毀誉褒貶が相半ばし、
「何故、そんな駄馬に乗った。
 奇を衒ったのか?」
 との問いに、
 その若い武士は、
「これは馬比べなのですか?
 それとも、馬術比べなのですか?」
 と逆に問い返し、
 周囲を納得させる。


 彼に駿馬を斡旋した重役の娘は顔を潰されたと怒る。
 それを駄馬の世話をしていた娘から聞かされた武士が、言う。


「そうだろうな。
 怒って当たり前だ。
 だけど、
 私は、どうしても、もう一度、こいつを晴れの舞台で走らせてやりたかったのだよ。
 この馬はな、
 こいつは、
 以前の私を乗せて幾多の戦場を走り、
 いつか行方不明になっていた、
 あの紅梅月毛なんだ。
 今はこんな姿になっているが、
 私は、どうしても、こいつに、
 もう一度晴れの舞台で走らせてやりたかった。」


 「~放浪日記」を書籍化しようと考えた時、
 僕は、この短編小説を思い出した。
 この若い主人公武士の心情が、
 僕には、よくわかった。


 僕の放浪のことを何も知らない一般の読者たちに何を言われてもいい。
 どんな悪評を受けてもいい。
 僕のあの放浪時代を一緒に駆けた数人の人たちを、
 ささやかすぎるものではあるかもしれないが、
 僕のこさえた書籍の舞台に残してやりたい。
 僕にだって、それくらいのわがままは許されたっていいだろう。

 そう思った。


 思ったとおり、
 第一弾の『貧乏歌舞伎町篇』は、
 AmazonVINEメンバーとかいう平成小娘や平成小僧たちからは悪評で、
 さんざくさ言われたが、
 僕は、あまり気にならなかった。
 あんな小僧や小娘たちに簡単に理解されるような安手の放浪をして来たつもりはないし、
 あんな連中に簡単に理解されたりしちゃ、俺が可哀想だよ。
 と、笑っていた。


 僕の思いなど、
 二巻の本が実際に発売されまでは、
 僕だけの心の中にあればいいのだ。


 僕の、あの時点での「放浪16年間」の象徴は、
 <四駅先の女>だった。
 オーバーステイのあいつは放浪者の僕そのものであり、
 放浪者の僕はオーバーステイのあいつそのものだった。
 すでに書かれている日記文を編集して、 
 いかにあの女を描ききることができるか、
 それだけを考えて過ごした。


 それがうまく出来たなどと己惚れる傲慢などは、さらさら持ち合わせていないが、
 今は韓国のどこかで平穏にくらしているだろうあの女を、
 僕のささやかな舞台で、主人公として立たせてやれたことにだけは、
 僕は、満足している。


 皆さんも、小遣いがあったら、買って読んでやってくださいな。
 「愛欲」などとわざと書いていますが、
 この『世川行介放浪日記・愛欲上野篇』は、
 放浪者世川行介の<純情>の一冊です。





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