goo

「島根のI 君」のこと 2017



     「島根のI 君」のこと 2017




 今日、僕の『世川行介放浪日記・愛欲上野篇』が、製本されたそうだ。
 高山社長が送ってくれるそうだから、
 明日はその本を手にすることができるだろう。


 僕はこれまで、10冊近い本を出したが、
 どんな本にも、
 ささやかな献辞を刷った。
 その時々の人に対してのものだったが、
 僕が「島根のI君」と呼ぶ友人に対しては、
 一度も献辞を贈ったことがなかった。


 この度、
 「愛欲上野篇」などという反倫理的なタイトルの本に、
「これこそが、彼の30年間の温情に対して捧げる僕の本だ。」
 そう思い、
 彼への献辞を刷った。


 僕は、
 彼がいたから、今日この日この時まで生きてこられた。
 彼がいなかったら、
 とうの昔に、どこかの道端で、溝に顔を突っ込んで死んでいた。
 それだけは、確かだ。


 僕にとってはそういう彼だったので、
 僕は、他の誰でもない、ただただ彼の温情に報いるために、
 さしてありもしない文章才能を、血を絞りだすような必死さで絞り、
 20年間、書くことだけを考えて生きて来た。
 彼への思いに比べたら、女なんかめじゃなかった。

 明日生きるのが難しいような極貧に襲われると、
「まだ、何も、彼に見せるにふさわしいものを書いていない。
 ここではまだ死ねない。」
 その無念をバネにして、
 歯を噛んで、その事態をくぐり抜けた。
 彼こそが、僕がこの世を生きる支えだった。


 僕が、この「世川行介放浪日記」を書き始めたのは、今から10年ほど前、
 極貧の放浪者としては、山場をというのか、どん底をというのか、
 その地点を通り過ぎてからだ。


 僕は、一番つらかった記憶など、ここには書く気などなかったから、
 たまの思い出話としてしか書かないで来た。


 今回、書籍化を考えるにあたって、
 <四駅先の女>と呼んできたオーバーステイの韓国女との16年間にわたる交情の歴史を描きたい、
 と思った。
 あの女は、僕の放浪の最初の最初からの女で、
 最初三カ月間、一緒に暮らしたりしたが、
 残りの15年何カ月は、指一本触れることなくつき合った。
 そして、僕が、『泣かない小沢一郎が憎らしい』という本を書き上げ、
 その出版記念パーティをやった三日後に、
 オーバーステイをやめて、韓国に帰った。
 まさに、僕の放浪の象徴のような女だった。


 日記の書籍化なので、
 加筆や訂正は絶対にやらない、と決め、
 行削除だけで、一冊を構成したが、
 これは、正直、かなりの大仕事だった。
 しかし、
 その過程で、
 <四駅先の女>と<島根のI君>の顔を、何度も何十度も思い起こし、
「いい本にしてみせるぞ。」
 そう思った。


 出来上がった原稿を見て、
「これなら、<島根のI君>に捧げてもいいな。」
 書いてあるのは、韓国女たちとの愚にもつかない会話ばっかりだが、
 この日記を始めるまでの僕の志のようなものを、底流には敷いたぞ、
 と思ったので、
 そうした。


 昨年3月末日、彼は特定郵便局長職を辞した。
 僕は、最後の電話をした。
「伊藤さん。」
 彼の名を読んで、
 何かをしゃべろうとした。
 しかし、
 口から出てきたのは、
「伊藤さん。
 俺は、あんたがいたから…、
 俺は…、
 俺は…、」
 それだけだった。
 涙があふれ、
 後は、どんな言葉も出てこなかった。

「おい。泣くな。
 いいよ。お前の気持ちはわかっているから。
 いいよ。もう泣くな。」
 彼の声は、20数年前と同じく、優しかった。


 この彼がいたから、生きてこられた。
 この彼への恩返しは、<何か>を書き上げることだと思ったから、
 ずっと、書くことにしがみついて来た。
 まだ、そんな本は書けてはいないが、
「死ぬまでには書きたいな。」
 そう念じてやまない。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ネットはこん... 時給380円。 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
 
この記事のトラックバック Ping-URL
 
 
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。