世川行介放浪日記

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上野の店長が思い出させる記憶。

2017年05月20日 12時26分08秒 | 自選 放浪篇


   上野の店長が思い出させる記憶。




 未明に目覚めて、「コメント欄」を見たら、
 上野のマージャン屋の店長から、「コメント」が届いていた。
 あの頃32歳、今41歳。
 歳月が駆け足で流れ過ぎたのだ。


 それから、
 本が出て初めて、自分の本を自分で読んだ。
 2時間ほどかかって読み終えて、また眠ったら、
 目覚めたのは10時50分だった。


 僕の中では、
 書籍『~放浪日記』は、
 『貧乏歌舞伎町篇』と『愛欲上野篇』が対で一つ、
 となっていて、
 『貧乏歌舞伎町篇』を読んで、
「やっぱり、同時発売にした方がよかったな。」
 それを思った。

 対で書いた場合、
 ストーリー的にも、筆力としても、当然、後半部に重きが置かれるわけで、
 前半は、序走部分みたいなものだから、
 それだけで理解しようとすると、読者は消化不良をおこす。
「やっぱ、同時発売がよかったな。」
 それをしつこく思った。
 まあ、7月半ばまで待ってもらうしかないけどね。

 そういう意味では、
 店長の、
「愛欲上野篇が楽しみです。」
 の一行は、嬉しかった。


 この彼が10年以上店長をやっている店が、
 僕の日記の「安いレートの方のマージャン屋」で、
 上野界隈を流れていた頃は、
 毎日、元手が数千円しかない体たらくで、
 大きなレートのマージャン屋には行けないので、
 そのわずか数千円を握りしめて、
 「敗けたら野宿!」と自分に言い聞かせて、
 必死必死のマージャンを打ち、
 毎日何とか野宿を逃れたものだった。
 上野で野宿をさせられる羽目になったのは、
 2年の間に3回だけだったように記憶している。


 マージャンで毎日勝ち続けることがどんなに大変なことか、
 これは、
 小市民や素人には到底理解のできないことなので、
 丁寧に説明する気にもならないが、
 貧乏放浪者には、とにかく懸命汗だくの毎日で、
 店員たちから、
「勝つまでやめない世川さん。」
 とからかわれたものだった。


 この店で、僕は1万ゲームくらいを打っていて、
 1ゲーム30分として、30万分だ。
 日数に変換したら、何日だ?

 まあ、よく打ったものだった。
 あそこの店がなかったら、
 間違いなく、僕は、放浪半ばで飢え死にしていた。


 あの当時、周囲にいた人で、
 今も東京に生き残っている人たちを招いて、
 8月5日に、『愛欲上野篇』出版記念のささやかなパーティーをやる。
 店長41歳が、来てくれると書いて来てくれて、
 それもまた、嬉しかった。


 あれから10年――。

 僕も含め、
 いったい、何人くらいが、
 まだしぶとく東京の隙間で生き残っているのだろう?





 

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