世川行介放浪日記

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西条八十『侍ニッポン』 2017

2017年02月12日 04時57分06秒 | 自選 歌が呼ぶ思い出
 

       西条八十『侍ニッポン』 2017




 昨日は、夕方になって、やっと、『五右衛門奇伝』の書き出しの部分の構想が決まり、
「これで書き直しだ。」
 と、
 必死こいて作文をしていたら、さすがに眼が疲れて、
 午後8時からソファにぶっ倒れ、
 さっき(午前3時)まで、眠りこけていた。


 起きてパソコンを覗いたら、
 今日は、「只野トンビ」からではなく、「闇米トンビ」から、
 「内緒コメント」が届いていて、
 そこに、


     反小沢 ごうご してるんだから
     親小沢 は だーれも 買わない し


 と、
 僕の本の売れない理由が書かれてあって、
「フ~ム。
 今の世川行介は、反小沢一郎か。」
 苦笑いしながら煙草をふかし、
 昔好きだった歌の一節を、深夜の部屋で、独り口ずさんだ。


     昨日勤王 明日は佐幕
     その日その日の出来心
     どうせおいらは裏切り者よ
     野暮な大小 落とし差し


 西条八十作詞の『侍ニッポン』という歌だが、
 僕は原作を読んだことがないので知らないけれど、
 死んだ父親から聞いた話では、
 この歌、
 彦根藩主井伊直弼の隠し子新納鶴千代の物語をうたった歌だとのことだった。


 原作は知らないが、この歌はよかった。
 「どうせおいらは裏切り者よ
野暮な大小 落とし差し」
 なんて歌詞は、西条八十にしか書けない文学的素養と詩的センスに裏打ちされた歌詞だった。
 特定局長を辞め、郵政民営化闘争を生きていた頃、
 この歌詞が、よく、口からこぼれた。
 組織的な世界から離れて<単独の放浪者>になってからは無縁の歌詞となったが、
 今もパソコンに歌は保存してあって、
 たまに聴くと、あの頃を思い出して懐かしい。


 この歌は、
 ここの部分の歌詞よりも、


     命取ろうか 女を取ろか
     死ぬも生きるも五分と五分


 この歌詞が、
 放浪前から放浪の最初の10年間くらいまで、
 僕の心をいつも突き刺した。


 どこで野垂れ死にしたっていい身だから、
 このまま女と堕ちて行こうか。
 という思いと、
 このままじゃ、死ねないな。
 という思いと、
 二つの思いの狭間で揺れながら、
 この一節をカラオケでよくうたった。


 どの女も僕に言った。
「あなたはプライドの高い人だから…、」
 その度に、僕は、
「それは、プライドなんかじゃなくて、
 このままじゃ死ねないという口惜しさだけだよ。」
 そう答えたかったが、
 面倒なので、いつも黙って通り過ぎ、
 気がつくと、女は、もう、僕の後ろを歩いてはいなかった。
 僕は、後戻りすることも、立ち止まることもせず、
 後ろを一瞥した後は、自分の道を前に歩き続けた。
 だから、この一節は、僕には忘れがたい一節になった。


 ここの長い読者は承知しているだろうが、
 僕は、<ネットの児>を生きようと決心してからは、
 自分の行く手をさえぎろうとする誰に対しても、
 一歩もひるむことなく、蹴散らしてきた。
 僕にとって、そんな連中はものの数ではなかった。
 いつも、心の中で、
「お前らと俺じゃ、背中に背負っているものが違うんだよ。
 お前らごときに屈している暇はない。」
 そうつぶやいてきた。
「俺がここで倒れたら、 
 背中に背負っている、死んだ父親や別れた女たちの<無念>が泣く。」
 そう信じてきた。

 だから、


     泣いて笑って 鯉口切れば
     江戸の桜田 雪が降る


 この描写は、 
 僕にはよくわかる。





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