世川行介放浪日記

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生命が細っていく感覚。

2016年10月11日 05時40分55秒 | 彦根放浪篇


       生命が細っていく感覚。




 彦根に来てからの僕は、ずっと、パソコンの前のソファで眠っているのだが、
 今夜は結構疲れていたので、
 二日ぶりに、少しばかりの酒を呑み、
 二日間ほとんど何も食べずに過ごした空きっ腹もあって、
 かなり酔い、
 ソファではなく、ベッドに眠ったら、
 何度も何度も夢を見て、
 午前4時に眼が覚めた。


 三日間、あまりにも過激なマージャン三昧をやって、躰を酷使したせいか、
 躰中がだるく、
 夢の中なのか現実なのかわからないが、
 何度も何度も、両手両足を、これでもかってほど大きく伸ばすのだが、
 その度に、
 自分の手や足が、どんどん細っていき、
 肉体が縮み続け、
 生命そのものまでもが細っていくような、
 そんな感じに襲われ、
 高血圧という持病を抱えている身であるので、
「ひょっとして、僕はこのまま死ぬのかな?」
 そんな気がして、
 さっき、ベッドから起き上がって、
 血圧計で計測して、
 パソコンの前に座った。


 まだ、頭がボーッとしているが、
 その夢の内容に、
「これが、老人の「生命への本能的な恐怖」というものなのかもしれないな
 記録の価値があるな。
 書き留めておこう。」
 と思い、
 パソコンに向かった次第。


 それにしても、
 その夢の中で、
 自分が、
「僕は死ぬのかな?」
 と思いながら、死を恐れていないのが、
 僕には少し不思議だった。
 どうやら僕は、
 生物としての本能的な死への恐怖はあっても、
 精神的には、
 ここまで好き勝手をやってきた自分の20余年に満足しているらしい。


 考えてみたら、
 今の僕の存在というのは、
 この部屋で死んだならば、
 たまに訪れてくれる猪上一生か「京都のM」さんの二人しか、その死に気づくことはないわけで、
 それって、本当は、かなりの「存在の孤独」なわけで、
「ふ~む。」
 64歳の自分の置かれた場所を痛感させられた。


 20余年間、孤独な放浪をやり続けたが、
 その間、
 暴力沙汰や金銭的困窮で飢えて死ぬかもしれない、ということは何十度も思ったが、
 自分が肉体的な病いで死ぬということは、あまり考えなかった。
 というのも、
 こんな歳になるまで自分が生きているわけがない、と思っていたことと、
 自分の健康は信じて疑わなかったからだ。


 はからずも、64歳まで生き延びることが出来たけれど、
 僕は、本当は、もう、肉体的には十二分に「老人」の仲間入りをしていて、
 特に、高血圧というのがあるから、
 肉体の衰えの中で、
 「老人の生」ということに、真面目に取り組まなくてはいけない、
 そんな時期にさしかかっているらしい。


 僕は、「孤独」を厭うことなく、
 むしろ、「孤独の自由」を愛して生きてきたが、
 人が異性を求める気持ちというのは、
 生物としての「孤独からの回避」という本能的なものに、
 「愛情」という「意味」を付与したものなのかしれない。


 僕は、いま、
 執筆さえしていればいい彦根の生活に満足しているのだが、
 さっきの夢で目覚めて、
 高血圧の威力というのをあらためて考え、
 だからと言って、今さら煙草をやめるつもりなど全然起きないが、
「マージャンばっかりやって時間の浪費をせずに、
 突然死が訪れる前に、
 一文字でも多くパソコンを打て。」
 と、
 自分を諭したのだった。


       <付 記>


 さっき、「コメント欄」を覗いたら、
 「闇米トンビ」が、
「14時間のマージャンの結果が書いてないが、
 敗けたんだろう。」
 と書いてきていた。


 君ネ。
「この人は上手いぞ。」などと、
 あれだけの文章を書いたのだから、
 僕が、敗けているわけがないでしょ。
 いつも、「勝った。」と書くと、
 嫌がる人が多いから、書かなかっただけ。

 これは覚えておきなさい。

    勝つまでやめない世川行介。

 金額的に言うと、
 14時間マージャンの「勤務手当」は、
 約18000円でありました。

 よろしいかな?




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