世川行介放浪日記

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近藤真彦『青春』

2016年12月24日 20時12分33秒 | 自選 歌が呼ぶ思い出


         近藤真彦『青春』





 世川行介、
 本当によく眠る男だ。
 昨夜も9時間くらい眠ったのにもかかわらず、
 正午過ぎから、午後5時半まで、
 ソファで眠りこけていた。

 世間では、今日、クリスマス・イヴだそうだが、
 世川ルームだけは、そんな匂いは全くない。
 コーヒーを淹れ、煙草くわえて、パソコンを打ち、
 昨日となんら変わらない今日の光景だ。


 考えたら、
 この20余年間、
 盆と正月とクリスマスは、
 ほとんど、マージャン屋で過ごしてきた。

 夜が明けてマージャンが終わって、
 エレベータで東京の街に降り、
 世間の「宴の後」を別世界のように眺めながら、宿に向かったものだ。


 不思議なことに、
 そんな帰路に、心の中で鳴り響くのは、いつも、
 高橋研が作詞作曲して、近藤真彦がうたった、
 『青春』
 という歌だった。

 50にもなって、「青春」という言葉も陳腐な話だが、
 だけど、たしかに、その歌のフレーズが、
 決まって、心の中で鳴り響いた。


    錆びたナイフだね 青春ってやつは
    ぶつけ場所のない 哀しいエネルギー
    ろくでなしだったよ チンピラのようだった
    夢だけを食べて 生きていた頃  


 マージャンでエネルギーを使い果たした後の空虚な心に、
 渋谷道玄坂、
 そして、新宿コマ劇前、靖国通り、
 あるいは、上野公園前、
 何故か、あの頃、
 近藤真彦のあの歌声が、やたらと響いていた。


 マージャンばっかりやって生きていた。
 特に、盆や正月やクリスマスの時には、丸々一昼夜打ち続けた。
 パソコンを打つネットカフェの費用を稼ぐためにマージャンを打っていたのか、
 マージャンを打つためにネットカフェで躰を休めていたのか、
 今となっては、どっちがどっちだったかわからない気もするくらいに、マージャンを打って生きた。


 朝になって、
 それまで閉めていた雀荘のカーテンが開けられ、
 窓の向こうに、東京の朝の空が見える。
 徹夜マージャンで少し朦朧となった頭に、
 その空の光景が、 
 これまでのさすらいの途上、いつかどかで見たことのある光景、
 そんな光景に思えて、
「……。」
 瞬間、その光景に見とれ、
 躰の底から、懐かしさで涙があふれそうになったものだ。

 
    折れたナイフだね 青春ってやつは
    使うあてのない 激しいエネルギー
    あてどなしだったよ 野良犬のようだった
    愛さえも知らず生きてた頃


 僕も、60歳直前から、もう、本気のマージャンとはさよならして、
 気分転換マージャンしかしない男になった。
 そのエネルギーはアベノミクス相場の株式売買に向けるようになったが、
 たまには、
「あの頃のような、必死のマージャンが打ってみたいなあ。」
 と思う時がある。
 もう二度とそんな光景を取り戻すことは無理だとわかってはいるけれど、
「もう一度、巧いやつらに囲まれて打ってみたいなあ。」 
 そう思う時がある。


 僕は42歳にもなってから、
「人生をもう一回、ゼロからやり直すんだ。」
 と決めて、
 この国の最下層の世界に身を投じた。 
 40代50代を放浪に明け暮れた。
 だから、
 その時期が、僕にとっては、<青春>だった。
 同世代が、人生の熟成期を送っていた時期を、
 僕は一周遅れの<青春>をやっていた。


 いま、彦根に居を構え、 
 さしてお金に苦労することもなく、作文三昧の日を過ごしていて、
「もう、あの<青春>の季節は、確実に通り過ぎたのだな。」
 諦念に似た思いの中で、そう認める。


 なんてこたーない。

 僕もただのジジイに戻っただけのことだ。





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