世川行介放浪日記

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小沢一郎への想恋歌

2009年03月04日 23時11分07秒 | 自選 小沢一郎私論


       小沢一郎への想恋歌


 小沢一郎という政治家は、悲運を属性にしている男ではないか。
 そう思ったのは、
 今から十数年前、
 細川連立内閣が突然瓦解した時だった。
 政治理念よりも自分の立場や権利を重視する人たちのつまらない思惑によって、<理念の実現>という闘いの結晶が崩れていくのを眺めながら、
 この男は、いま、どんなに口惜しいのだろうか、
 と思った。

 あの時、
 世界の変革の本質にまるで無自覚だった旧社会党の代議士たちと、
 我欲だけで動き回って、当時一等高級だった保守理念を泥まみれにした武村正義とかいう代議士だけは、
 今思い出しても反吐が出そうになる。
 公明党や欲得勘定だけの自民党離脱組などは、論外だ。

 僕は、その直後から、政治などという大仰な世界とは全く無縁な男になり、
 特に、歌舞伎町に身を沈めている間は、
 世間の動向などに関心を持たなくなった。
 馬鹿な国民だらけの日本国家なんかどうにでもなればいい。
 日本国家よりも、歓楽街に潜むオーバーステイのクラブホステスの涙の方が、よっぽど重い。
 本心からそう思って生きた。

 ただ、
 時折、日本社会のニュースに接するとき、
 小沢一郎は、今、何をしているのだろうか、彼は何を考えながら政治にたずさわっているのだろうか、
 と思った。


 僕がこの日記を書き始めたのは、小沢民主党が参院選で勝利する直前だった。

 小沢民主党が勝利した後からでは、何でも適当なことが書ける。
 まだ勝利が見えていない時期にきちんと公言おくべきだ、
 と考え、
 2007年7月29日の日記に、
「彼が政治を見る眼は曇っていない」
「小沢一郎がいなくなったら、日本の保守政治はおしまいだな、と思ってきた」
 と書いた。

 今もそう思っている。

 印象批評のような、あるいは芸能人へのファン投票のような浅い認識で政治が議論されるこの国において、
 悪党面の小沢一郎たった一人が、不器用きわまりない表現で、<保守政治理念>を語り続けてきた。
 しかし、
 彼の言葉はいつも、マスコミや旧左翼、あるいは天敵自民党によって、曲解報道され、彼の真意が国民に伝わることはなかった。
 つまり、
 彼は孤独を生きてきた。

 最近の世論調査で、「首相にふさわしい人」で、小沢一郎が一位になったと聞いた時、
 一番苦笑しているのは当の小沢一郎ではないか、
 と笑った。

 僕が、小沢一郎のどこを一番評価するのか、と言えば、
 それは、
 彼が、「政治家に下りていった人間」だからだ。

 多くの政治家たちは、「政治家に昇っていこう」とする。
 吉田茂だって、田中角栄だって、小泉純一郎だって、結局は、政治家に上昇していこうとした人間ばかりだ。

 戦後、そういう上昇志向を棄てて、政治家に<下降>していこうとしたのは、小沢一郎ただ一人だった、と僕は理解している。

 この点について、きちんと書こうとするとかなりの注釈が必要となるんので、省略する。

 彼と同質の匂いを放っている人物を探すとしたら、
 おそらく、明治期の西郷隆盛だろう。
 西郷もまた、政治的リアリストの立場から、国家理想を語る場所に<下降>しようとした人間だった。

 それがわかるから、江藤淳は、小沢一郎を高く評価し、孤立無援になっていた小沢一郎に、
 産経新聞の一面を使ってまで、
「一度水沢に帰って隠遁しろ」
 と書いた。
 江藤淳は、その卓越した文学的嗅覚で、小沢から離れることのない悲運の匂いをも嗅ぎ取っていたのではないか。
 僕には、そう思えてならない。

 東京都知事石原慎太郎が、
 自分は、盟友江藤淳がなぜあんなに小沢一郎を高く評価するのかがわからない、
 と書いていたのを読んだ時、
 上昇志向を生きてきたお前にはわからないだろうな、
 と思った。

 政治家を、<下りていく職業>と規定する生き方は、そんな発想を持ったこともない多くの日本人から理解されようもない。
 しかし、
 小沢一郎は、
 それを自分に課し、愚痴もこぼさずに、一歩一歩着実に歩いてきた、ように思う。

 そして、今回の事件だ。

 これまで日本国家を支配してきた<自民党的>なるものが、最後の力を結集して、小沢一郎を撃ちに向かったのだ。
 生死をかけた政治闘争は熾烈なものだから、法を手中にした側の力によって、小沢一郎は無傷では済まなくなるかもしれない。

 ただ、
 今日、NHKニュースを見ていて、
 この最後決戦は、<自民党的>なるものが望むような結果には、すんなりとならないのではないか、
 という印象を受けた。

 小沢の反論に納得賛成する声があり、唐突な逮捕・強制捜査に、政治的策略の匂いを嗅ぎ取った国民も大勢いる。
 つまり、
 あっさり潰すには、小沢一郎という存在は、大きすぎる存在になっている。

 しかし、
 今回無傷で終わったとしても、小沢一郎なる政治家は、政治家という畳の上で大往生できる男ではなく、非業の末路を迎えるのではないか、という気がしてならない。
 ただ、
 僕たちには、
 それが彼の悲運に見えるのだが、
 おそらく、
 それこそが、
 彼が夢見てきた「政治家の生き様」であり、最大の勲章であるのかもしれない。

 だから、
 もし、
 まだ、
 僕がこの世にいたならば、
 彼が政治から退く最後の場面で、僕なりの大拍手を捧げたい、と思っている。

 今はまだ負けるな。小沢一郎。




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5 コメント

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Unknown (気づくことで救われる日本人)
2009-05-28 13:04:48
小沢一郎氏についての
多くの記事の中で、貴方の記事は
最も私の心の中に沈殿した。
日本も捨てたもんじゃない。 (まんぞう)
2009-05-29 12:43:23
いいっすね!!!!
小沢一郎擁護論者 (加藤よし)
2009-05-29 17:25:43
私も小沢一郎と結う政治家に哀れさと虚しさを感じる、何故なら彼は本当に日本の官僚体制を打破し国民目線の政治を願い、政権交代がちかずいた時、検察による国策捜査で小沢潰しに入った、此れが自公政権のやる国民無視の悪徳政治である、私は非常に危惧している、此れは国民も同じで、今の腐敗した官僚が作る予算配分いい加減国民は怒っているのである、ならば何故小沢一郎を擁護しないのか、国民に罪は無いメディア、評論家こぞって政権を取られまいとする、既得権益にすがって栄耀栄華に浸っている悪徳税金食い虫連中、こんな奴らに日本は食い荒らされてしまう、なんとしても小沢が指揮する選対で民主党に勝利させたい、此れが私の今一番の思いである。
いろいろとご教示を・・・・・ (豊後の小兵衛)
2009-05-29 19:43:47
世川さん

情感ただよう「小沢論」、こころ洗われる思いで読ませていただきました。

すでにお気づきかとは思いますが、ついでの折に、http://www2.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?Tcalling0904を訪ねてください。彼の時とは違い、いま若い人たちが声を上げ始めました。間違いなく、大きな戦力になりうると私は期待しています。
燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや (二見 伸明(元衆議院議員))
2009-05-29 19:47:26
二見伸明:燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや

二見伸明氏(誇り高き自由人、元衆議院議員)

 「小沢問題」の本質が矮小化されつつある。検察の捜査は、多くの識者が指摘しているように、民主主義の根幹を崩す問題である。マスコミは、そのことを知りながら黙過、黙認しようとしている。

 私は改めて、3月4日の各紙朝刊を読みなおしてみたが、読者に「小沢=悪」「代表辞任」「議員辞職」を強烈に擦り込み、「世論」化しようとする文字で溢れている。だが、「巨額な脱税、あっせん利得、贈収賄ならともかく、『なぜ、この時期』に、単なる形式犯に過ぎない政治資金規正法違反で、次期総理の呼び声の高い野党第一党の代表の秘書を、しかも、事前に任意の事情聴取をするという捜査の常道を無視して、逮捕したのか。検察は、麻生政権の救いの神になったのか。政権交代を阻止する検察ファッショではないのか」という、国民の素朴な疑問にこたえた論説、解説、論調、記事・情報は皆無であった。「検察ファッショ」に目をつぶったマスコミ各社は、いまでは「小沢院政」「小沢傀儡体制」と、金太郎飴のような論調で煽りたて、「小沢問題」の本質を、国民の目からそらし、問題の本質を矮小化している。私が、もっとも奇怪に思っているのは、軍国政権に弾圧された歴史をもつ日本共産党や宗教団体が、検察の捜査を容認していることである。

 二つには、マスコミ各社が、「小沢問題」による「国のかたち」と国民生活への影響を検証しようとしないこと、である。一般の人々は「どうも検察はおかしい。マスコミも偏っているのでは」と肌で感じている。私は、いろいろな機会に「自公の狙いは、小沢を潰し野党連立政権を阻止することにある。『年金改革、農業改革などは出来なくなり、より厳しい格差社会になる』」と説明している。検察は「新しい国のかたち」を否定したのである

 政党政治では「野党の最も重要な仕事」は、衆議院を解散に追い込み、政権を奪取することである。しかし、戦後の日本政治史で、本気で政権を狙う野党は存在しなかった。自民党の長期政権を暗黙のうちに是認し、与野党は「呉越同舟」という名の舟に、仲良しクラブよろしく同乗し、「泰平の眠り」をむさぼっていた。それを覚ましたのが「小沢丸」という蒸気船である。

 民主党と自由党が合併する以前の旧民主党の幹部が、私に「民主党は『や(野)党でもなければ、よ(与)党でもない。ゆ党だ』」と自嘲気味に語ったことを思い出す。民主党の全国会議員と秘書に選挙応援することを指示・命令し、勝利した千葉、山口の衆議院補欠選挙は、民主党の「ぬるま湯文化」を打ち壊し、政権獲得に執念を燃やす小沢の凄さを内外に示したのである。自身の秘書団を全国に派遣し、自らも先頭に立って政権交代を訴え、支持者獲得に東奔西走する野党党首は、小沢が「最初で最後」であろう。

 小沢が自民党を飛び出したとき「小沢に何ができるか」と高をくくっていた自民党と「霞ヶ関」は、細川護煕を担いで連立政権を樹立し、自民党を下野させた小沢の手腕と力量に恐怖心を抱き、さらに、一昨年の参院選で完敗させられて、骨の髄まで「小沢憎悪」と「小沢恐怖」で凝りかたまった。小沢を政治的に抹殺することは、いまや、自民党が生き延びるための至上命題になっている。石原伸晃氏が「小沢が選挙担当の代表代行に就任したのはおかしい。議員辞職すべきだ」と、5月24日のNHKテレビの日曜討論で発言したのも、その典型である。今後、6月19日の西松建設の初公判に的を絞って、小沢攻撃を仕掛けてくることが予想される。彼らが恐れているのは、民主党ではなく、小沢なのである。

 健全野党という耳あたりのいい言葉がある。「政局=解散を優先するのではなく、政府をチェックし、政策で競い、政府案を修正させるのが健全野党」だというのである。しかし、それは、野党の副次的な役割であって、耳あたりのいい言葉は、一歩間違えば、野党を政権の補完勢力化する、「民主ファシズム」になりかねない、危険な理論である。野党は、自己の政策・理念を実現するために、隙あらば解散と政権奪取を狙うのが、政党政治の王道である。解散を狙う手強い野党の存在は与野党間に緊張をもたらし、どちらが国の将来、国民の生活に利するか、競わざるを得なくなる。「モノわかりのいい『ゆ党』はファシズムの温床」なのである。

 世界大不況である。私は、「世界不況は、人間の身体にたとえれば、使い慣れた下痢止めでは効果がなく、体質を抜本的に改善する、新しい薬でなければ根治できない新型の悪性の下痢」と認識している。世界不況こそ「国のありかた、仕組み、しきたりを抜本的に見直し、人々がやすらかに生きられるようにせよ」という天の啓示だと受け止めるべきである。オバマ米大統領は、核廃絶や弱肉強食の新自由主義・ネオコン路線との決別を表明し、不況から脱却しようとしている。日本も、「15兆円のばらまき予算」程度の知恵しかない麻生自公政権との決別を宣言してもいいのではないだろうか。

 私の、九十六歳になる母の「七十の手習い」で始めた短歌『地に伏して機銃掃射を逃れたる戦の日々もはるかとなりぬ』が、3月26日の朝日新聞埼玉版の「歌壇」に入選した。選評に「六十数年前の出来事。遥かな事だが現実だった」とあった。母は助産婦の資格をもつ看護婦(師)だった。日中戦争に突入し、父が赤紙一枚で戦地に駆り出されたとき、官憲が母に、お国のために従軍看護婦として「支那」に行くようにと、強制しようとした。母は「非国民」のレッテルを貼られる恐怖を抑えながら、「夫は戦地にいます。私は乳飲み子(注:私のこと)を育てなければなりません」と拒否した。

 私は一国平和主義者ではない。かつて、自衛隊の将官と懇談したとき、彼らは異口同音に「死ぬかもしれない紛争に『行け』と命令するのは、外務省ではなく私たちだ」と語っていた。世界恐慌を機に日本は、二・二六事件、日中戦争、日独伊防共協定、太平洋戦争突入の道を転がり落ちた歴史をもっている。金融恐慌の最中、北朝鮮の「核の脅威」を口実に、「自衛のための先制攻撃」「日本も核武装」を声高に言いはじめた輩が悪夢のような歴史と二重写しになってくる。いまの自民党には,加藤紘一などほんの一握りの人々を除いて、タカ派ばかりで、しかも、「きのうのハト、きょうはタカ」のコウモリである。

 小沢は、多くの欠点を抱えた「The Man Who Wants To Save Japan」(タイム)である。しかし、小沢の生命とも言える民主党の旗印が、敵の毒矢で灰塵に帰するかもしれないと直感した時の小沢の憤りは、想像を絶するものがある。「ぬるま湯文化」の味が忘れられない一部の議員に、小沢は深い失望感も覚えたであろう。にもかかわらず、全身に槍キズ、刀キズを受けながら、敵陣に切り込む小沢に、私情を超えて、本物の政治家、サムライを見る思いがする。「平成維新」を待望する私たちは、広い視野、大きな度量で小沢を見る必要があるのではないだろうか。さもなければ、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」である。

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