世川行介放浪日記

日々の雑感。昔話。時事問題への言及。

おお、わが「妹」よ。

2012年02月24日 12時41分20秒 | 12 漫談篇


 昨夜はちょっとそれぞれの予定が狂って、
 4人になったのは10時前で、
 7時から10時までの3時間、僕は、「瀧夜叉」さんと二人で飲んだ。

 22日までは、ここに書けること書けないことが、沢山あったので、
 この数ヶ月、内緒の行動をする時は、
 彼女に了解をもらって、
 日記に彼女を登場させてごまかしてきた。
 つまり、一日の会話を、3回くらいに分けて書くやり方をした。

「世川さん。
 子供がネ、
 お母さん。お母さんは毎日世川さんと会っているの?
 って訊くんですよ。
 話半分に読んでおきなさいって言っているんですけどね」
 泡盛を飲みながら、「瀧夜叉」さんが微笑んだ。

 坊ちゃん。
 大丈夫ですから、安心してくださいね。
 紳士世川行介は、お母様を誘惑したりしておりません。

 と書きながら、
 あれっ、そう言えば、この三日間、毎晩一緒に飲んでいるんだ。
 と気がついた。

 ・・・・・・。

 ごめん。
 坊ちゃん。


 「瀧夜叉」さんは、なかなかお酒のいける口で、
 しかも、話題がよく合うものだから、
 いつも、あれこれしゃべっていると、あっという間に時が過ぎ、
 深夜の11時とかになる。
 だいたい会うのは飯倉片町の交差点付近だから、
 僕は、そこから吾妻橋に向かって、酔って帰ると、もう、フー。
 パソコンを開く元気もないままに眠りこける。


 ところで、
 昨夜、二人の到着を待っている間、
「で、ネ。世川さん」
「はい?」
「私の歳ですけどね、」
 突然の話題に、僕は、「瀧夜叉」さんの顔を、チラリ。

 僕たちに間では、「瀧夜叉」さんって何歳?というのがずっと謎で、
 「瀧夜叉」さん抜きで飲む時は、
 必ず誰かが、
「あの人、いくつだろう?」
 と口にするのが常だった。

「世川さん。
 私の生年月日はネ、
 XXXXのXXX・・・、」
「ええっ。そうだったの!
 ふ〜む。
 なるほど。
 そうか、そうだったのか」

「世川さん。
 もう絶対に、お姉さんなんて書きっこなしですからね」
「それは、もう。「瀧夜叉」さま。
 これからは、「わが妹分瀧夜叉」としか書きません。
 お約束致します」
 かたい指切りをした僕たちであった。

 お〜い。「トシさん」、藤島さん。
 「瀧夜叉」さんは、間違いなく、
「おい。妹よ」
 の年齢だったぞ〜。

 僕が心の中でそう叫んだ途端に、
 二人が示し合わせたように店に入ってきた。
 ふ〜む。これは単なる偶然か?


 話はコロリと変わる。

 今思い出したのだが、
 昨夜、どちらがXXに行くかを「協議」している際、
「藤島さん。
 ジャンケンで決めよう。
 負けた方が行こう」
 と、僕は何度も迫ったのに、
 あの、男の中の男と言われている藤島利久君は、
 とうとう、別れるまで、僕とジャンケンをしなかった。
 代わりに、
「幸子。
 捨てないでくれ〜。
 明日土佐に帰るから」
 そればっかりを言い続けた。

 案外男らしくない人だったな。

 ジャンケンの好きな僕としては、
 三回勝負で決着をつけて安眠したかったのだが、
 残念。


 毎日毎日、小沢一郎ネタばっかりを書き続けたので、
 放浪者世川行介、いささかゲンナリ気味。
 どこかのマンションのおっさんに引っ掻き回されたお蔭で、
 しばらくは「愛欲篇」のネタもなくなったし、
 捕まるやばいので、「マージャン篇」も書けないし、
 さあて、これから、何篇をメインに置くかな。

 小沢一郎のことをブログに書いてくれていた、
 「うさぎのなみ平」お嬢さまでも書こうかなあ、
 とも考えたが、
 22日、挨拶した時の、
「このジジイがこの間日記に馬鹿を書いていた人?」
 てな軽蔑の視線を思い出し、
 やっぱり、娘より年下の女の子のことは書くまい。
 と決めた僕であった。


 仕方ない。
 当分は、「瀧夜叉」さんネタと「薫ちゃん」ネタでやるか。

 でもなあ、
 でも、
 本心を言うならば、
 「もうちょっとだけでいいから若い女」ネタでこの日記を進めたいなあ。

 歳の頃なら42、3、
 情が深くて、見目麗(うるわ)しく、
 世川、あなたが命なの。
 貧乏だってかまわない。
 59でもかまわない。
 不細工なのもかまわない。
 あなたのためなら何でもするわ。
 ずっとお側においていて。
 そんなことを言ってくれる女が、どっかにいないかなあ。


 どうだ。「natsumi」さん。

 指導と嫉妬に狂っているような亭主には、とっとと見切りをつけて、
「せがわ〜〜!!
 愛してる〜〜!」 
 と叫びながら、吾妻橋を駆けてくるというのは。

 きっと、絵になるぞ。

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或る青年読者からの質問に

2012年02月24日 11時23分59秒 | 10 コメント回答篇


 あわただしい数週間が終わって、
 今朝は、久しぶりに、のんびりした気分で朝を迎えた。 

 部屋の中が、ゴミの山になっているので、
 今日は少し掃除や洗濯にかまけようかと考えているところ。

 「コメント欄」にはあまりコメントが来ていないので、
 読者の関心は薄れたのかなあ、と思っていたら、
 昨日、この日記は、168万ブログ中213位、
 と書かれていて、
 それは、「〜国民会議」設立時に匹敵する数値で、
「ほ〜っ」
 僕は驚き返った次第だ。

 「小沢一郎激励お散歩」が世の関心を浴びるということは、
 提唱者としては、とってもありがたいことなので、
 出来ることなら、一桁台にまで行ってひほしいが、
 いくらなんでも、それは無理か。   


 昨夜、僕の若くて誠実な読者から、こんな質問メールが来ていた。
 僕は、この彼が大好きなので、きちんと答えておく。


     世川さんの最近のブログによれば、依然として「皆で仲良く
     やろうよ」という考えを持つ人が、世川さんを批判している
     ようですね。
     世川さんも日常生活においてはこういった考えを否定はし
     ませんよね。
     ただ、小沢一郎支援運動については、もはや皆で仲良くと
     いった考えの下では結果が出せないということですよね。
     日常生活では時には馴れ合うこともが必要だが、小沢一郎
     支援運動については不要である。日常生活の感覚を持ち
     込んではダメだ。峻別せよ。
     世川さんの根底にある考えは以上のようなものでしょうか?


 おっしゃるとおり、日常生活(=私生活)においては、
 人は仲良くいとおしみ合って生きるのが一番だ、と思っている。
 まあ、喧嘩したって手をつないだっていいのだが、
 要は、私生活は人それぞれでいいのだ。

 しかし、
 「小沢一郎支援運動」は、お遊びや自己慰安でやっているのではない。
 自分以外に人に呼びかけ、行動を要請するわけだ。
 だから、提唱する者には、当然、責任と効果が求められる。
 そのために、提唱者は、
 支援論理を構築し、スケジュールを考え、運動資金の確保もする。
 それは当たり前のことだが、
 その時、何が一番必要かと言ったら、
 支援論理の確立だ、
 と、僕は思ってきたので、
 4年間かけて、小沢一郎の<存在の意味>を解き明かし、
 小沢一郎支援論理を構築してきた。


 僕は、どんな支援行動であれ、
 提唱者につき従って行動している人たちを批判したことは、
 ただの一度もない。
 僕の文章を読めない人たちは、味噌もクソも一緒にした読み方をするが、
 僕は、その運動体の提唱者に対してだけ批判を述べてきた。
 何故なら、改めて言うまでもなく、
 提唱者はつき従って来る人たちに対して、責任があるからだ。


 たとえば、

 仲良しグループが集って、
 自己慰安的な小規模な小沢支援デモを何十回やろうと、
 そんなことは、僕にはどうでもいいことだ。
 飽きるまでやればいい。何の文句があるものか。

 ただ、
 そうした運動体のリーダーは、
 自己慰安や自己満足の行為に、社会的に過剰な意味付はするんじゃない。
 と言いたいだけだ。
 それはそれだけの運動にすぎない、という醒めた自覚を持て。
 と言いたいだけだ。

 自分たちのしょうもない自己慰安行為に過剰な意味づけをする人たちが、
 僕の日記に、つまらない野次や、阿呆ない嫌味を投げつけてくるから、
 それじゃあ受けてやろうか。
 と、真正面から受けて立っているだけだ。


 Yさん。

 論理とは、冷酷なのだよ。非情なのだよ。
 「優しい論理」なんぞ、相田みつをの落書き詩の中にしかない。

 僕は、論理は冷酷非情さを内包している、と知っているから、
 自らの論理で、阿呆な世川空爆に立ち向かってきたのだが、
 そんな連中に限って、
 論理で負けそうになると、
 ゴシップみたいなものを引っ張り出してきて、
 からめ手からの悪態攻撃をかけてくる。
 そして最後には、人の和を壊す男だ、となじる。
 僕は、そういう卑劣な攻撃手法が大嫌いだから、
 やられたらやり返す、という僕の流儀に従って、戦わせてもらっている。


 Yさん。

 この連中は、ネ、
 論理も、生活思想も、人間社会も、
 本当のところは、一つも理解できていないのだ。
 ただ、言葉という凶器で人を刺してみたいだけの輩だ。
 そんな連中の落書きなんぞ、
 あまり真剣に受け止めなさんな。

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藤島さん。どっちが行く?

2012年02月24日 02時22分23秒 | 10 コメント回答篇


 飲んでいたら、
 藤島さんから電話があって、
「まだ東京にいるんです」
「えっ?
 じゃあ、すぐに出ておいで」
 ということで、
 10時を過ぎてから、4人の飲み会、となった。


「藤島さん。
 どうやら、
 次は、どちらかが警察のご厄介にならないといけないかもしれないなあ」
「そうですか?」
「ちょっと、集まりすぎたかな」
 「トシさん」が横から言った。
「で、ネ。
 藤島さん。
 二人で行くと支援運動が潰れちゃうから、
 どちらか一人にしようよ。
 行くまでに、マイクでの叫び方を僕に教えておけばいいじゃん」
「ふむ」
「僕って、高血圧と痛風をかかえているんだよね」
「ふむ」
「一晩だけだろうから、
 藤島さん、行ってくれない?」

「世川さん。
 私、昨日の「頑張れ小沢!」の時、
 小さな声で言ったんですよね」
「何を?
 僕は聞こえなかった」
「私は聞こえたわよ。
 たしか、 
 幸子。捨てないでくれ〜!って」
 「瀧夜叉」さんが僕の左隣りから、そう言った。
「世川さん。
 幸子って、私の妻なんです」
「僕の昔の彼女も幸子だし、
 読者に幸子さんって人もいるよ」
「幸子は、女房の名前ですっ!!」
「はいっ!」
「世川さん。
 <小悪魔>さんと別れたんでしょ?」
「うん」
「いま、独りなんでしょ?」
「うん」
「新しい彼女は?」
「まだ」
「じゃあ、いいじゃないですか。
 あなたが行ってくださいよ。
 私は、これが終わったら、幸子の待つ土佐に帰りたい」

「世川さん。
 この役は、あなたが一番の適任です」
 藤島さん。
 何か、声に冷ややかさが出てきたよ。
「そうよ。世川さん。あなたの代わりはいないわ」
 そうかい? 「瀧夜叉」さん。
「やっぱり世川さんだな」
 あら、「トシさん」。あなたまで。

 でも、
 この寒い冬、一晩ブタ箱ってのもなあ。

 ふ〜む。
 ふ〜む。

 結局、結論の出ないまま帰宅した僕である。
 

 といった馬鹿話は、ここいらにして、

 さっき、「愚民党」さんのコメントを見ていたら、
 こんなのがあった。


    ひとつ気になることは、世川さんが特定の個人名をあげて、   
    4、5人を執拗に誹謗している事です。
    世川さんの仲間だけが素晴らしい行動隊で他のデモや支援 
    活動はつまらないみたいに、ブログで書いてるのを見ると、    
    残念です。
    又痴漢未遂などと、ある方を異常に誹謗してるのもやめてい   
    ただきたいです。
    植草先生やその他の冤罪もあるし、ましてや起訴もされてな
    い人を誹謗するのは、やってはいけない事だと思います。


 こういうのを、僕のコメント欄に寄越さず、「愚民党」さんのところに流す心理がわからないが、
 他の読者も読んでいるだろうから、
 このコメント主さんに丁寧に答えてあげよう。


 まず、
 最初に僕を「執拗に誹謗」したのは、あっちの方だ。
 やったらやり返されるのは、この人の世の道理なのだ。
 甘ったれてはいけない。

 彼や彼女たちがあなたの「身内」なら、
 先に、向こうに、「おやめなさい」、と注意するのだよ。
 あなたの文章を読むと、まるで僕の方が先に「誹謗」しているみただ。
 そういう「嘘つき批判」をやっちゃいけませんよ。

 僕は、「ネットの喧嘩師」と言われているが、
 自分の方から喧嘩を売ったことは、ただの一度もない。
 僕の読者は、それを知っているが、あなたは知らない。
 それだけのことだ。

 こんな形で「党派性」を出すのはやめておきなさい。
 ダメなものは駄目。いいものはいい。
 それを言うことは当たり前のことで、「悪口」ではない。
 それを許さず、あなたの言うような「ナアナア」をやったから、
 小沢支援運動体は、醜くダラケていってしまったのだ。
 そのダラケを修正するために、僕たちは余分な努力をしなくてはいけなくなった。
 「身内」を厳しく叱咤指導することをしなかったあなたたちが悪い。

 もう一つ言うと、
 少しは、人の文章の、「一番高い論理」を理解する努力をするのだよ。
 文章の読めないことや思考力が足りないことは恥ではないが、
 読めない人が読んだ気になって賢しらを語ることは、
 それは、恥なのだ。
 少なくとも、僕の長年の読者たちは、それを知っている。 

 遠藤勝人や李ひとみや矢野健一郎は、それを知らずに、
 ネットに、臆面のないたわ言や悪態を書き続けたから、
 僕は、彼や彼女たちを、「阿呆」、と侮蔑し、批判してきた。
 それのどこが悪いのだろう?
 お聞かせ願いたい。


 と書いてきたけど、
 こんな「身内びいき人間」の相手をするのは、
 正直言って、もう、なんか、億劫だ。
 小規模デモでもネット攻撃でも、好きなことをやっておくれ。
 僕たちの運動の邪魔さえしなければ、何も言う気はない。
 
 
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