予告
まもなくここが映像コーナーになります。本当は7月1日開始を予定していましたが、
少し早くなりそうです。
録画テスト
研一郎とお茶を飲んでいて、6時の時計を見て、
電話をした。
「何人だった?」
相手の女性が淋しそうに答えた。
「60人か70人…、」
「はあ?」
……、次の言葉が出なかった。
しばらくして、藤島さんから電話があった。
「何人だった?」
「100人くらいでしたかねえ。
まあ、大雨でしたから、」
国民大集会は1220人。
大阪デモは100人。
サバの缶詰、だな。
「最後の最後が、そんな体たらくのデモなら、
何故中止しなかったのだ!
これでは、あまりにも小沢一郎が哀れだろう!」
怒鳴りつけてやりたかった。
……、
「とうとう、「大阪夏の陣」で終わってしまったな…。」
僕は、激しい寂寥感の中で、そう思った。
小沢一郎支援運動を思い立った時、
僕は、この日記で、
「この戦いには、一人の真田幸村もいらない」
と書いた。
小沢支持者がみんなで小沢一郎をこの窮地から救うのだ、と書いた。
しかし、
誰もかれも、
戦いの過程で、小沢一郎のことなんか忘れ去って、
「我こそは真田幸村なり〜!」
と叫びたい一心で、
知恵も度胸も戦略もないのに、
セクト主義に走り、
見映えばかりを取り繕った戦いに終始し、
勝てる戦いを敗け戦さにしてしまった。
阿呆の限りだ。
おのれを智将真田幸村に擬するなど、天に対しておこがましく、
猛将後藤又兵衛にすらもなれず、
結局、「ピエロの薄田隼人」になって、手柄稼ぎにうつつを抜かし、
このざまだ。
誰が総指揮官だったか知らないが、
戦いに勝たずして、何の手柄だ。
……、
つくづく嫌になった。
読者諸氏。
僕は、この『世川行介放浪日記』を、
阿呆極まりない「小沢信者」たちの眼から隔離することを宣言する。
これからは、「会員制」に変える。
1ヶ月800円として、年会費1万円。
それを送金してくれた人だけに対して、文章を公表するシステムを取る。
もう、馬鹿や阿呆に、自分の文章をただで読ませたくない。
これからも読みたい人は、
年会費を送金の上、
僕のメールアドレスに「会員申し込み」をしてくれ。
5月の連休明けから中旬の間に閉鎖して、会員制に移行する。
中には、
「六甲」さんのように、
正体を知らないままにつき合い続けたい人もいるが、
今の僕は、阿呆な「小沢信者」たちに自分の文章を読まれることに、
激しい嫌悪を覚える。
<未知の読者>の整理縮小をしたいので、許してくれ。
会員が、50人に減るのか、30人に減るのか、
今の僕には想像もつかないが、
それでいい。
もう一度、1から<知のネットワーク>構築を始めよう。
僕は、
小沢一郎支援運動の最後の最後くらいは、
運動体の花を咲かせてもらいたい。
小沢一郎の存在感にふさわしい美しい最終場面であって欲しいと、
それだけを願って、ここまで走りに走ってきた。
しかし、そうした願いもむなしく、
この数日間、
唖然とさせられるような結果ばかり聞かされ、
小沢一郎の胸中を想う時、
世川行介、
残念無念である。
今回の「国民大集会」の致命的な失敗を見て、
もう、「馬鹿阿呆間抜け」と関わり合いを持つのが、芯から嫌になった。
僕は、ネットでの生き方を変える。
その手始めに、この日記を変えることにした。
これまでは、小沢一郎理解のために出来るだけ多くの人に読んでもらおうと、
<反世川>からの悪態攻撃覚悟で、
オープンな場所での意見陳述をしてきたが、
もう、「多くの読者」は望まない、
と決めた。
僕は、これから、読者を選ぶ。
わざわざお金を払ってまで覗きにくる<悪態幽霊>は少ないだろう。
近いうちに、この日記を「課金制(=有料)」に移すことにした。
つまり、僕の思考と私生活は、いったん、外界から閉ざされる。
知識は、元来、身銭を切って得るものだ。
その代わり、僕も勉強して、有料書籍に匹敵する高質な内容にしてみせる。
課金制の導入によって、多くの<未知の読者>は離れていくであろうけど、
それでいい。
小沢一郎だけで僕の日記を読んできた人たちとの訣別、
いま、そこから始めよう、と思う。
そうした僕の、大勢の小沢一郎ファンへの最後の置き土産に、
一文をしたためたい。
僕は、これまで、原則として、「政局」は書かない、と決めてきてきた。
それを書くと、人様に迷惑がかかるのと、
僕が、目先のことにはあまり関心のない男だったからだ。
しかし、
今は、小沢判決を前にして、様々な意見が氾濫していて、
しかも、そのほとんどが無根拠な「希望的憶測」だらけで、
僕の読者諸氏も、状況を判断しかねているのではないかと思うので、
置き土産に、現時点での僕の判断を少し書き留めておきたい。
ただし、阿呆たちがやかましいので、根拠はいちいち書かないから、
疑問に思う方は、読むのをやめてくださって結構だ。
結論から言うと、
小沢一郎には無罪判決が出る。
小沢新党はできない。
解散はない。
この3点だ。
小沢裁判について言うと、
もう、すでに判決文は書き上げられている。
今頃になって「小沢一郎は無罪だあ!」と騒ぐのは、
参加者たちの自己慰安のためだけで、
何の実効もない無意味な行為だ。
<法の威厳>の観点からの無罪論については、先日この日記で少し触れたが、
それ以外にも、いくつかの理由がある。
一番は、小沢弁護団の法廷闘争での論点だ。
多くの情緒的小沢ファンは、そんなことを気に止めたこともないだろうが、
ここを見つめたなら、小沢一郎は無罪にならなくては辻褄があわない。
と書いても、「ネット壮士」たちには何のことかわからないだろう。
それでいいのだ。
騒ぎが好きな馬鹿たちには、何を言ったって通じやしない。
とにかく、26日は無罪判決が出る。と信じることだ。
それよりももっと大事なことは、
仮に、有罪判決が出ても、
小沢一郎の逆境は、この数年間で、すでにどん底まで届いていて、
そのどん底を、小沢一郎本人も僕たちも見たわけだから、
今まで以上の逆境場面はないし、今程度が続いても、しのげる。
という点だ。
これは強い。
余談になるが、
この数ヶ月、
小沢陣営の司令塔(?)は、かなり意識的に悲観論を流していたように思う。
危機感を抱かせることで、結束度を見極めようという作戦だったろう。
しかし、本当は、無罪を前提に政局や支援行動を眺めていたはずで、
僕の想像では、「国民大集会」の代表の平野貞夫などは、
内部の無罪意識を十分に知っていて、
今回は、無罪勝利後を睨んでの大集会であったはずで、
だから、「小沢一郎の陸山会」の名も使えたわけで、
だから、国会議員にも胸張って呼びかけができたわけだ。
にもかかわらず、
(僕も、ある人からも見せてもらったが、)
100人200人の民主党国会議員に檄文を送りつけたのに、
会場に来たのはガンガン小沢の11人だけ。
一般参加者はたったの1000人。
(いつも過大発表ばかりする人たちだから、正確な人数は知らない)
何なのだ。この結果は。
よせばいいのに、支援団体が、小沢一郎の後援会の名前まで借りて、
小沢一郎に赤っ恥をかかせただけじゃないか。
無罪判決を受けた後のネット主軸の小沢支援団体は、
小沢陣営から、
口先では、
「いつもお世話になっています」
とお辞儀をされながら、
「枯れ木も山の賑わい」ていどの価値に落下していくことだろう。
次は、「小沢新党」があるかないかだが、
これについては、
小沢側近議員や小沢信者たちから、強い新党待望論があるが、
「小沢新党」は、ない。
と見るべきだ。
あるとしたら、大掛かりな政界再編の嵐が起きた時だけだ。
何故なら、
新党結成には億にマルのつく多額のお金が必要で、
この数年間、カネヘンで社会から叩きに叩かれてきた小沢一郎は、
そのカネ遣いは社会の厳しい監視下にあるみたいなものだから、
その小沢一郎が、使途不明金の割合の高い巨額の新党結成資金を作るわけがない。
そんなことは、ちょっと考えてみればわかることだ。
特に、小沢有罪の場合、そこで飛び出すような愚策は、誰もとらない。
控訴して、時節を待つだろう。
では、小沢無罪、が出た場合、
政界再編の流れが強まって、小沢新党が出来るか、
と言ったら、
それはまったく逆だ。
そうなったら、小沢一郎はもっと強気で民主党に残り、
反小沢を追い出しにかかるだろう。
それを怖れて党内融和に向かう反小沢もいるはずだから、
小沢新党などというものは、出来るわけがない。
と僕は思っている。
最後は、解散だが、
これこそ、あるわけがない。
小泉退陣後、自民党で、政争が起きても、野党がどんなに騒いでも、
結局、任期満了ギリギリまで自民党は総選挙に打って出なかった。
あれが、政権党心理というのだ。
しかも、初めて大勝したにわか与党民主党幹部が、
わざわざ与党の座を捨てる選挙に向かうわけがない。
ただ、
もう一つ理由があって、
いま、解散総選挙をすると、憲法違反になりかねない。
それが何なのかは、ここに書く気もないが、
そういうことだから、
総選挙は、当面、ない。
以上駆け足で書いたが、
要は、これまでの政局論は、「小沢有罪」の前提でなされているものばかりで、
小沢無罪の前提に立ったものではない。
少しは、小沢無罪を前提とした政局観を語ってもいいではないか、
ということが書きたかった。
僕たちのお散歩や祈願祭は、そこに立脚してなされた。
僕が、今回の「国民大集会」に怒りをあらわにするのは、
主催者中枢の何人かは、小沢一郎の無罪感触をつかんでいながら、
善良な小沢支持者(=一般参加者)の危機感を過度にあおり、
しかも、あの程度の動員しかできなかった、
その姑息さとドジぶりに対してだ。
一般小沢支持者は、政治の駒でも玩具でもない。
小沢周辺の阿呆たちが、支持者を見下した下衆手法を使うから、
良質の小沢理解者が減っていった。
あまり、<無言の知>を舐めてはいけない。
この国の、在野の「小沢一郎支援運動」は、
先日の『国民大集会』の大失敗をもって、最後の最後に、頓挫した。
僕たちのこの数年間の行動は、すべて、無意味と帰した。
これからは、
どのような小沢一郎支援行動をやっても、
もう、敵方から失笑しか買わない事態になり、
ご満悦なのは主催者ばかり、ということになるだろう。
僕の読者諸氏。
もう、動くな。
これから先は、動いても、何の意味もない。
体力と精神とお金の無駄遣いになるだけだ。
動かないことも、人間、大切だ。
西日をうけて熱くなった埃だらけの窓の硝子よりも
まだ味気ない生命がある。
正体もなく考へに疲れきって、
汗を流し、いびきをかいて昼寝してゐる
まだ若い男の口からは黄色い歯が見え、
硝子越しの夏の日が毛脛を照し、
その上に蚤が這ひあがる。
起きるな、超きるな、日の暮れるまで。
そなたの一生に冷しい静かな夕ぐれの来るまで。
何処かで艶(なまめ)いた女の笑ひ声。
(石川啄木『起きるな』)
誰に一番の責任があるか、と言うと、
それは、まったく簡単な話だ。
自分自身に自信のない主催者たちが、
自らの名で戦うことに気おくれして、
知名度や社会的立場のある人物を担ぎ、
その名前に頼った運動をしようとした、その卑怯加減さだ。
戦いは、
名もない者であろうとも、
戦う時には、自らの名をさらけ出して戦うものだ。
他人の知名度に頼った戦いで、まともな戦いができるわけがない。
だから、
表向きは、この頓挫は、平野貞夫や二見伸明や伊藤章の責任だが、
こんな人生の定年退職間際の老人を担ぎ上げて御輿にした阿呆たちが、一番悪い。
大島楯臣、李ひとみ、小吹なんとか。
お前たちがÅ級戦犯だ。
全国の小沢一郎支持者から袋叩きにされても仕方のない失態を、
お前達はやったのだ。
しっかり肝に銘じておけ。
僕の読者諸氏。
すべては終わった。
この半年をかけて、
少しずつ、少しずつ、
この国の小沢一郎期待感を底上げしようと努力してきた僕たちであったが、
くだらない功名争いの果ての空疎イベントの大失敗のおかげで、
僕たちの努力も水泡に帰してしまった。
もう、本当に、市井に帰ろう。
あんな連中が小沢一郎の名前に喰らいついている間は、
もう、どうしようもない。
老いた元国会議員、当選危うい現職国会議員、
目立ちたがりの言論人、それらを操りたい主催者…、
小沢一郎支援運動は、あの連中の功名心の餌にされただけだった。
そして、最後の最後は、あの体たらくだ。
在野の小沢一郎支援運動は、終わった。
最後の最後、
これまでのすべてを帳消しにするほどの惨めな結果で終わった。
悪いが、
こんな阿呆連中とつきあう気なんぞは、もうないので、
僕は、次の戦地に転進させてもらう。