世川行介放浪日記

日々の雑感。昔話。時事問題への言及。

まもなくここが映像コーナーになります

2018年05月16日 01時31分08秒 | 01 小沢一郎篇

予告

まもなくここが映像コーナーになります。
本当は7月1日開始を予定していましたが、
少し早くなりそうです。

録画テスト

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リップサービス  <小沢一郎事件>の深層にあったもの

2012年05月27日 07時09分11秒 | 01 小沢一郎篇

 最後のコメントである「珊瑚」さんという人のコメントを読んでいたら、
 フッと、懐かしい気持ちになり、彼女のために、新しい日記の一文を再掲したくなった。
 新日記では5月14日に掲載したものだが、よかったら読んでやってくれ。


       <小沢一郎事件>の深層にあったもの
 

 指定弁護士たちに控訴はされたものの、小沢一郎に無罪判決が下りた。

 控訴について、マスコミ世界では、いろんな人があれこれ語っているが、
 僕は、あんな控訴なんぞ、ちっとも気にしていない。
 あの控訴は、
 小沢一郎の総理就任をどうしても止めたい人間たちの最後のあがきだ、と受け止めていて、
「裁判所はあの控訴を受理したら、阿呆だな。
 マジに受理するのかい?」
 という思いが強いし、
 仮に受理されても、
 官民一体のあれだけの激しいバッシングをくぐり抜けた小沢一郎は、
 バッシングエネルギーをも吸収して、倍以上の強さを得たから、
 政治舞台で控訴が彼の政治活動のハンディとなることはあまりない、
 と思っている。
 谷深ければ山高し。だ。


 <小沢裁判>事件は、本質的には、終わった。
 ただ、それを酒の肴にしてきた連中が、
 (これは反小沢陣営も親小沢陣営もだが、)
 みな、小沢一郎が無罪になってしまって、他にしゃべることがなくなったから、
 暇を持て余して、ああだこうだとしゃべっているだけで、
 たいした意味を感じてやっているわけではないだろう。

 そんなことよりも、
 何故、「戦後最大の政治家だ」と評価された田中角栄は有罪判決で政治生命を失い、
 「師匠の角栄に比べたら小者だ」と揶揄され続けた小沢一郎は、
 司法官僚による撲殺死寸前のところで無罪判決を得て、復活できたのだろう。
 僕は、それを考えた。


 田中角栄と小沢一郎の置かれた状況を検証してみると、

 田中角栄の時代は、自民党の一党独裁時代で、
 いくら宗主国米国の意向を受けてのこととはいえ、
 元総理を陥れるのには、攻める側にも相当なエネルギーが必要とされた。
 実際、田中角栄が逮捕されてから病いに倒れるまでには、10年近い歳月が流れ、
 三角大福間で熾烈なつば競り合いが行われた上に、
 自民党内には、修復しがたい深い怨念が残った。

 一方の小沢一郎は、
 東西冷戦構造崩壊を受けて、
 自らの手で自民党一党独裁時代の幕を閉じ、日本政界を混沌の海に投げ込み、
 その後は、ほとんどを、野党の立場に身を置いた。

 東西冷戦構造崩壊で、この国で一番利を得たのは、高級官僚たちだった。
 政権慾だけに絡めとられていた自民党や社会党や公明党の無見識な議員を手なずけ、
 自分たちの思うとおりの国家運営に向い、
 この国は、旧社会主義国家群よりもひどいくらいの官僚社会主義国家となった。

 小沢一郎は、ずっと野党に身を置いていた政治家であったし、
 政権交代選挙で勝利したとはいえ、
 民主党内の権力争いで、その基盤は安定していなかったから、
 官僚たちが、彼を殺そう、と思うなら、
 田中角栄の時よりも、もっと簡単に殺せたはずだった。

 にもかかわらず、
 田中角栄は政治生命を失い、小沢一郎はすんでのところで生き残った。
 つまり、
 司法官僚たちが、どうしても、小沢一郎に「止めの一刺し」を刺すことができなかった。
 これだけが事実だ。
 だから、
 何故、司法官僚たちは、なり振りかまわずやれば出来たにもかかわらず、
 最後の最後、小沢一郎を殺す一刺しが出来なかったのだろうか?
 それだけが、最後の疑問として残る。


 僕の信頼する人に、Tさんという新聞記者氏がいて、
 『郵政』や『地デジ利権』を書いた頃は、頻繁に会って語らい、
 <政治>や<時代>について教えを請うてきたが、
 僕が小沢一郎支援運動をやるようになってからは、
「なんで、小沢なの?」
 と首をかしげられるものだから、
 いつしか疎遠になっていて、
 先日、無罪判決を機に、2年ぶりに彼に電話して、30分ほど講話を聴いた。

 その中で、彼が、
 国境の溶解。
 国家の溶解。
 人の溶解。
 ということを言っていて、
 興味深く聞いた。

 これについては、いつか丁寧に書かねばならないのだが、
 彼の言うところの<溶解現象>を前にして考えると、
 小沢一郎の存在の意味が見えてくるな、
 と思った。


 おそらく、
 東西冷戦構造が崩壊してからの20年間、
 官僚たちや経済人は、
 <溶解現象>の容認を前提として国家プログラムを組んできたのだ。
 例えば、
 政治理念のまったく異なる社会主義国であっても、
 もはや、中国無しの日本経済は成り立たないのであるから、
 社会主義にもすり寄らねばならない、
 といった風に、
 政治思想が溶解し、国境が溶解し、国家が溶解し始め、
 それを「善し」とする風潮が蔓延し始めたのだ。


「そうか。
 結局は、『日本改造計画』なのだな」
 と僕は思った。
 
 『日本列島改造論』と『日本改造計画』との違い。
 それが田中角栄が抹殺され、小沢一郎が生き残った一番の理由にちがいない。
 田中角栄の『日本列島改造論』は、右肩上がりの高度成長期に書かれた。
 そこに書かれたのは、
 安定した国家基盤の中での、「さらなる繁栄への夢と戦略」に過ぎなかった。
 それは角栄がいなくても進める道だったから、
 角栄びいきの大衆は数いても、
 角栄のために支援運動をおこそうという気持ちにまではならなかった。

 しかし、
 『日本改造計画』は、
 東西冷戦構造崩壊による<国家の溶解>を予感し、 
 それに歯止めをかけるべくして書かれた書であった。
 いま、もう一度、それを読み解くと、
 <溶解>への道を進もうとする日本国家に対して、
「それでも輪郭のはっきりとした国家が存在すべきだ」
 との主張こそが、小沢一郎の『日本改造計画』であった。

 おそらく、時代の深層を見つめたなら、
 自民党単独政権が終わってからの20年間、
 政治指針を失った自民党の連立政権体制は、<溶解>を推し進めるだけの存在となり、
 <溶解>を拒絶する小沢一郎に象徴される陣営との間に、
 熾烈な戦いが演じられてきたのだ。

 と書くと、政治家同士の戦いのように思えるかもしれないが、
 そうではない。
 小沢一郎の、あらゆる<溶解>を拒絶する立場、に賛同して、一緒に戦ったのは、
 政治家ではない。
 平成の政治家たちは、そんなことには気づきもしなかった。
 国境の溶解。
 国家の溶解。
 人の溶解。
 それらに拒絶反応を見せたのは、
 おそらく、現在50代後半からの「もう若くない平成大衆」であった。
 戦後という理念の輪郭が明確な時代を生きてきた彼や彼女にとって、
 国家が理念の境界を失い、溶けていく事態は、耐え難いものであったから、
 彼や彼女たちは、『日本改造計画』の著者である小沢一郎に期待をつないだのだ、と思う。
 だから、彼らは、
 苦境の自由党党首小沢一郎に一票を投じたし、
 民主党に移った小沢一郎への抹殺劇に激しい抵抗を見せることが出来た。

 この4月、
 <小沢一郎事件>で、民意を測定していた司法官僚たちは、
 まだ<溶解>の受け入れを拒絶する固い層が存在することを知って、
 この現状で小沢一郎を抹殺することに無理を感じた。
 だから、無罪判決で痛み分けにした。
 と見るべきなのではないか、という気がする。

 それはどういう意味を持つかと言うと、
 この国のロートルたちは、この度、
 法権力との戦いに、
 勝てなくとも、五分五分の戦いをした、ということだと思う。

 これは誇っていいのではないのか。


 ただ、
 <溶解>は今も続いているし、
 高級官僚は気が長い。
 何十年でも「申し送り事項」で懸案を引き継いでいく。
 59歳の僕が死ぬまでには、あと20年もあればいいから、
 30年後くらいには、
 この国は、理念国家としては、溶けてなくなっているかもしれないが、
 それはもはや、次の世代の選択の問題である。
 
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亜空間から (2)

2012年05月19日 15時05分39秒 | 01 小沢一郎篇

         亜空間から (2) 


 僕は元気でやっている。

 自分に課した「小沢一郎支援運動」が終わったので、
 マージャン三昧の日々だ。
 これが、また、毎日みたいに勝つので、やめられない。
 連日、深夜3時ごろまでマージャンに興じている。

 ある人から、
「世川さんの文章は、お金の取れるような文章ではない。
 会員制は失敗するだろう」
 と言われたが、
 どうも、その言葉通りの結果になっていて、
 以前は、読者が数千人いたみたいだが、
 結局、この読者の大半は、「けなしたいための読者」だったらしく、
 今は、
 わずか70人の会員相手の亜空間で細々と文章を書く毎日だ。

 生活不安解消のためのマージャン生活、ってとこかなあ。


 外界と接触をはかることがほとんどなくなった。
 支援運動の仲間だった人たちとも、
 会員でない人とは、連絡を取らないようになったし、
 特に、ネットは、ニュース以外を見ることがない。
 あのネットの勇者・藤島利久さんはどうしているのだろう?と思ったりするが、
 「阿修羅」を検索するのが面倒なので、見ていない。
 彼のことだから、相変わらず勇ましく暮らしていることだろう。
 僕は僕らしく、彼は彼らしく。
 それでいいのだ。


 二日に一回は気合いの入った文章を書くことを、自分に義務付けているが、
 これはなかなかの苦行であることを知った。
 勉強しなくちゃいけないし、
 頭をいったんは透明にしなくてはいけないし、
 文章も何度も練り直さなくてはならない。
 マージャン以外の時間は、作文に費やす日々だ。

 だけど、
 信用できて読解力のある相手に向かって全力投球できるというのは、
 これは物書きにとっては最高の幸せなので、 
 結構張り切って書きまくっている。


 毎日、
 一人くらい、
 会員申し込みが来ていて、
 わずかずつ会員ファイルが増えていくのを幸福感で眺めている。
 この調子で推移したら、
 1年くらい後には、<知の砦>らしくなるのだろうか?

 案外、
 数ヶ月後に、
「60歳の売れない物書き男。
 日記を閉じたら、収入源も閉ざされ、
 マンスリーマンションの小部屋で孤独死」
 なんて新聞記事が掲載されたりして、ネ。


 では、また来週。
 
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現在的<国家との対峙>としての小沢一郎裁判

2012年04月29日 16時44分44秒 | 01 小沢一郎篇


 連休明けからの会員制開始に向かって、
 少しまともな文章を書くトレーニングを始めたが、
 ふ〜む。なかなか難しいものだ。


 昨日、ある人が、
「世川さん。
 小沢系の人たちは、みんな、勝った勝ったとはしゃいでいるけど、
 あれは小沢の勝ちじゃないよ。
 今回、検察は赤っ恥を掻いたから、いま小沢を有罪にしたら大事になる、と読んだ。
 だから痛み分けの無罪にしただけのことで、あっちが敗けたわけじゃない。
 司法権力はいったん矛を収めただけで、また牙を磨(と)いで襲ってくるよ」
 と言っていた。


 僕は、この日記での小沢支援の最初から、
 人は、国家権力(=法)と戦って、誰も勝つことは出来ない。
 「国家権力に敗けないこと」、
 それが一番肝要なのだ、
 と主張してきた。

 だから、
 今回の小沢裁判で、小沢一郎は、国家権力(=法)と戦って、
 しかも、
 マスコミ、政治家たちのほとんども敵に回し、
 敗けなかった。
 引き分けで戦いを終わらせた。
 これは高く評価すべきだ、と思っている。


 僕は、かつて、郵政の小役人たちと戦った時、
 僕を犯罪者に仕立て上げて懲戒免職にして業界から追放しよう。
 とする彼らの意図を知って、
 人を一人この社会から抹殺する行為に何の痛みも覚えない役人精神に、
 闘争心を燃え上がらせ、
 裁判まで起こし、激しいつばぜり合いの結果、
 向こうの企図した懲戒免職ではなく、依願退職で辞めた。

 たかが依願退職の紙切れ一枚を手に入れるために、
 どれだけの意志と時間とお金がかかったか、
 そして、それを手に入れるためにどれほどのものを失わされたのか、
 それは、おそらく、
 当事者以外にはわからない。

 小沢一郎も、多くのものを失ったに違いない。
 この数ヶ月の間、
 電車の中の雑誌広告の見出しで、
 小沢一郎夫婦が別居しているだとか、
 隠し子がいただとかといった、
 私生活をこれでもかって暴かれるのを見、
 この男もつらいなあ、と痛ましく思った。

 男は、一番つらいことに泣き言を言ってはいけないから、
 あの男も黙って耐えるのだろうが、
 それにしても、これだけやられるのはつらいだろうな、
 と思った。


 余談になるが、
 僕は、最近、「SOBA」こと秋本何某というネットジジイが、
 <反世川>陣営の期待を担って(?)、
 季節外れの世川攻撃をやっているのを見て、
 しかもその片方で、小沢賛歌を書いているのを見て、 
 このジジイは、いったい、小沢一郎から何を学んできたのだろう?
 と苦笑いしてきた。
 やってることは、小沢潰しの週刊誌とまったく同じ手法だ。
 馬鹿じゃなかろうか。
 こんな馬鹿でも、「小沢バンザイ!」と叫んだら、
 いっぱしの小沢支援者と見てもらうことが出来るのだから、
 「阿修羅」というネット掲示板は、結構な世界だ。
 まことに、この人の世。類は友を呼ぶ。


 といったことはどうでもよくて、
 話を少し高次元に戻すならば、

 かつて、つまり、戦前、人が国家(=法)と対峙させられる例の一番は、
 「姦通罪」という犯罪に直面した時だった。
 法によって禁止されている男女間の性愛を犯した時、
 そこには、<愛>とは何か、<貞操>とは何か、<性>とは何か、
 といった本質が、国家(=法)との兼ね合いの中で問われた。
 しかし、戦後になって、「姦通罪」が廃止された時、
 <性>を媒介として国家と対峙することは不可能になった。
 それは、喩えて言うならば、
 夏目漱石の『それから』や『門』では、
 暗澹の明日であっても、その愛情を生き続けなければならないのだが、
 高橋治の『風の盆恋歌』や渡辺淳一の『失楽園』は、
 心中という個人的な死で小説を完結させる以外に、結末のつけようがなかった、
 という違いだ。
 

 戦後は、「姦通罪」に代わって、
 左翼思想が国家との対峙の媒介の主役になっていった。
 僕よりも少し上の世代は、左翼思想の実現をめざし、
 保守国家否定の思想を抱えて国家と対峙した。
 高橋和巳や大江健三郎の優れた小説群は、それをテーマにして書かれた。
 しかし、
 1990年前後の東西冷戦構造の崩壊によって、マルキシズムが消滅したから、
 左翼思想によって国家と対峙することは不可能になった。

 その後、
 宗教が国家と対峙する媒介になるかと思われたが、
 オウムサリン事件や、9・11で、
 その非論理性と暴力性は全世界から否定され、
 特に日本国内では、国家と対峙するほどのものになり得なくなった。

 つまり、
 この15年間くらいは、
 僕たちは、国家と対峙する何ものにも遭遇することがなく、過ごしてきた。


 そうした歴史を背景にして見渡した時、
 僕たちは、<小沢一郎事件>が、この国でたった一つ、
 国家と真正面から対峙した真剣な思想劇であることに気づいたのだ。

 多くの「小沢信者」は、たかだか、小沢が無罪かどうかだけに視線を集中させたが、
 実は、この事件の一番の核は、
 人一人を抹殺して恥じない平成の国家権力(=法)、
 これをどこまでも許容していいのか、
 という点から、国家権力(=法権力)と真正面から対峙したことであった。
 だから、この無罪判決には重い意味があり、
 敗けなかった小沢一郎に拍手を送りたい、
 と思っている。

 これから先、
 <小沢一郎事件>とは、何であったのか、を検証する論考が、多く出てくることを、
 望んで止まない。

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谷深ければ 山高し

2012年04月26日 17時55分58秒 | 01 小沢一郎篇


 株式市場に、

     谷深ければ 山高し

 という言葉がある。

 僕は、数年間の小沢一郎の軌跡を凝視してきて、
 最近、
 これからの小沢一郎には、この言葉が一番当てはまるようになるのではないのか?
 と思うようになっていた。
 今日の無罪判決を受けて、
 益々その思いを強くている。


 僕は、
 叩かれ蹴られても、耐え忍び、それをはね返す男、
 が大好きで、
 小沢一郎はそれができる男だな、と思ったから、
 小沢一郎に、これでもかってほどの声援を送ってきた。


 人にとって、一番の<地獄>は、
 それまで自分に甘い言葉を言っていた人間たちが、
 引き潮のように去っていく光景を目の当たりにする時だ。
 僕は、18年前に、
 郵政監察を軸にする旧郵政省の小役人たちによって。
 そんな<地獄>を、
 死を思わずにいられないほどに、体験させられた。

 余談になるが、
 あの時に比べたら、
 「〜国民会議」崩れの<悪態幽霊>や
 小規模デモバンザイ!の<ネット壮士>たちの誹謗中傷なんぞ、
 こけおどし、子供の喧嘩、の類のもので、
 日記にメリハリををつけるために遊んでやったくらいのことだ。


 この数年間の小沢一郎も、まさに<地獄>を生きていた。
 彼の内心は、いかに鬱屈したものであったろう。

 だからこそ、
 小沢一郎に、
 谷深ければ山高し
 のこれからを歩いてもらい、
 と切望してやまない、今日4月26日である。

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4月26日の日記

2012年04月26日 17時23分18秒 | 01 小沢一郎篇


 最近はだらけた生活なので、
 どうせ今日は朝早くから起きるのは難しい、
 と思って、
 昨日の夕方から、マージャン屋に出向き、
 朝まで、約16時間、マージャンに興じた。
 久しぶりのことである。

 僕は、さまざまな情報分析から、
 小沢一郎は無罪になる。
 と確信していたし、ここにもそのことを書いてきたから、
 「有罪判決が出たら抗議行動をやる」なんて読みの人たちを、内心笑っていて、
 今朝裁判所前に行こうみたいな気はさらさらなかったが、
 それでも、やっぱり、10時近くなると、気が落ち着かない。
 朝9時半に、研一郎ちゃんに電話して、
「判決が出たら、すぐに電話をくれ」
 と頼んで、しょっちゅう時計を見ながらのマージャンになった。


 しばらくして、
 メールの着信音が聞こえた。
「?」
 見ると、 
 順女(すんにょ)からだった。
「あの女が、こんな時間に、何のメールだ?」
 不思議に思って、メールを開くと、
 たった一行、

        おめでとうございます。

「そうか。
 無罪判決が出たのか!」

 僕は飛び上がって、研一郎に電話した。
「こら。何をのんびりしているんだ。
 早くテレビをつけて、知らせろ!」
「えっ?
 こんなに早く出たんですか?」
「ば〜か。
 急げ!」
 のんびり男の研一郎に、分刻みの仕事を頼んだ僕が、馬鹿であった。
「あっ。本当だ。無罪だ」
「よし。
 勝った」

 と、電話を切った途端に、
 僕の電話は、鳴りっぱなし状態に陥った。
「世川。
 うれいしいよ。涙が出そう」
 薫ちゃんと話している間にも、何本も着信音がする。
 一つを手短に切って、すばやく電話に対応していった。
「いま、裁判所前にいます。
 世川さん。無罪ですよ!
 こんな嬉しい日は、初めてだ」
 平松さんの晴れ晴れとした声。
「私、嬉しくて、嬉しくて…、」
 瀧夜叉さんの声は、涙で途切れた。

 ……、

 誰もが、今日の日の来るのを待っていたのだ。
 

「済まない。
 代わりにやってくれ。」
 僕は、店員にそう頼むと、電話にかかりっきりになった。
 一緒に打っていた客の一人が、
「小沢さんの裁判ですか?」 
 と問いかけてきて、
「そうだよ」
「どうでした?」
「無罪だ」
「ほおっ!」
「小沢無罪か」
「無罪ねえ」
 店内にも、小沢無罪の報が一瞬に伝わった。

 5年くらいのつきあいである店長が、
「世川さん。
 おめでとうございます。
 よかったですね」
 笑顔で僕にお祝いの言葉をくれた。
「ここにいると、電話で皆さんに迷惑をかけるから、
 もう、やめて帰るわ」
 僕は、そう断って、店を出た。


 僕は、
 一人の女に電話した。

「なによ…、」
 寝ぼけ声がした。

「今日、小沢一郎の判決が出て、
 小沢一郎は無罪になった」
「それ、世川がずっと言っていたんだら、当たり前じゃない」
「そうは言っても、判決が出るまでは、みんな心配だった。
 その無罪判決が出て、みんな大喜びしている。
 もちろん、僕も大喜びしている。
 会えなくなってもう2ヶ月が過ぎたが、
 一言お礼を言いたくて、電話した。

 「〜国民会議」の分裂や大震災でクサっていた僕が、
 ここまで頑張って戦って来れたのは、
 一年間、お前が隣にいてくれたからだった。
 殴り合いや罵り合いばっかりの毎日だったけど、
 それでも、お前がいてくれたから、僕は戦い続けることが出来た。
 戦う元気が持続できた。
 ありがとう。
 本当に、ありがとう。
 これだけは、どうしても、お前に、きちんとお礼を言いたかった」
「世川も、真面目なことが言えるんだね…、」
「ああ。
 このお礼だけは、きちんと言わなくちゃな。
 ありがとう。心から感謝している」
 僕は、それだけを言って、電話を切った。


 部屋に帰って、
 徹夜疲れの身体をベッドに横たえて、
 軽い眠りに入ったが、
 次から次にかかってくる電話に起こされ、
 結局、1時間半ほどしか眠れなかった。

 一面識もない人たちが、
「よかったですね。世川さん」
「嬉しくて、一言あなたに電話したかった」
「頑張ってくれて、ありがとう」
 そんな短い電話をくれる。
 怒りはどこかに発散したくなるものらしいだが、
 喜びは、おすそ分けがしたくなるものなのだろう。
  
 
 さっき、
 薫ちゃんに電話した。

「薫ちゃん。
 今日、夕方は何か用事があるかい?」
「何もないよ」
「食事しよう」
「世川と?
 なによ。それ」
「一等最初に、あんたと僕で相談して始めた「激励お散歩」だ。
 無罪判決が出た。
 最後のお祝いも、二人でしよう」
「そうか…。
 そうだね。じゃあ、行こう」

 ということで、
 まもなく、僕は、出かける。

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判決前日の雑感(1)

2012年04月25日 13時35分54秒 | 01 小沢一郎篇


 結局、わがまま女の深夜電話のお蔭で、久しぶりにイライラさせられ、
 朝9時まで眠れなかった。
 9時にようやく眠ったが、10時に電話で起こされ、
 再び眠りに入ったが、
 午後1時に、知人から、「2時に会いたい」、との電話が入って、
 「もう、観念しようか」
 起き上がって、シャワーを浴びた。


 どうも、小沢支持者たちは、明日の判決を前に、
 ピリピリ神経過敏状態に陥っているみたいだ。
 もう判決文は出来上がっているのだから、騒いでも仕方ないだろうに、
 と思うのだが、
 人の心というのは、そういうものでもないらしい。

 僕は、
 判決が出た場合、
 有罪なら何が変わり、無罪で何が変わらないか、
 を自分なりに検証して、自分なりの分析予測を出したので、
 あまり、判決にこだわっていない。
 司法が狂気の選択をしない限りは無罪であろう、と思っているが、
 有罪でも、小沢一郎の環境は、これ以上悪化しない、
 と思っている。 


 それよりも、
 同じカネヘン事件でありながら、
 田中角栄の時とは全く違う展開に持っていった小沢一郎の存在感の凄さに、
 僕は注目している。

 背景にあるのは、おそらく、
 潰されかけても消えない小沢一郎への根強い期待感であり、
 それは、驚いたことに、
 庶民宰相と親しまれた田中角栄に対する期待感以上の、
 「司法(=国家権力)と対峙することをも辞さないほどに強い期待感」、だったように思う。

 ここの分析を研ぎ澄ませば、
 結構見えてくるものがあるのではないだろうか?


 と書いたところで、時間が来た。
 続きは、今夜にでも。

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小沢一郎は総理の座に挑むべきである

2012年04月25日 06時49分47秒 | 01 小沢一郎篇


 僕は、半年以上前から、
「もう、小沢一郎支援運動は、
 デモのような攻撃的行動や、集会といった箱物行動では、駄目だ。
 これからは、
 自分の隣のもう一人に小沢一郎の存在価値を理解してもらう行動に変えるべきだ」
 と主張してきた。

 その手始めに、『角栄と一郎』という「小沢一郎入門書」を書き上げ、
 「激励お散歩」行動を提唱遂行した。

 僕の考えは、今も当時と同じで、1ミリと動いていない。

 
 26日の裁判で、無罪が出ようが有罪が出ようが、
 小沢一郎が、政治の表舞台に立って、その卓越した政治能力を発揮できるよう、
 自分のありったけを出して思索行動していこう、
 と考えている。

 僕のこの『放浪日記』は、
 『小沢一郎への想恋歌』という一文から、実質的に始まった。
 もっと強く言うと、
 この『放浪日記』は、逆境に陥った小沢一郎の支援のために開設した日記である。
 だから、
 この日記は、小沢一郎支援のために存在しているのであって、
 他の題材は、二義的な題材である。
 ここに詳細を書くと、阿呆な<悪態幽霊>たちがまた騒ぐので、今は書かないが、
 つまり、今回の「会員制」移行も、その支援構想の一環だ。


 僕の読者諸氏。

 仮に、小沢一郎が有罪になっても、
 この国の知的階層は、平成の司法に対して強い懐疑心を持つだけのことで、
 それはおそらく、「小沢一郎への同情」という反射の形をとるはずだから、
 小沢一郎の立場は、今より良くなっても、悪くなることはない。
 つまり、
 どのような判決であれ、小沢一郎は政治の表舞台に復帰できる可能性を大にする。
 と認識すべきである。

 僕は、これから、そうした見地に立った行動、
 つまり、「小沢一郎の存在価値を理解してもらうための行動」、
 を始めようと考えている。


 読者諸氏もご存知のとおり、
 僕は、4・20の「国民大集会」というイベントを激しく撃ったが、
 それは、
 他に見せなくてもいい、ネットを主軸とした小沢支援運動体の動員力の無さを、
 天下にわざわざ露呈させた、
 主催者たちの<戦略>の稚拙さに憤慨したからだった。
 あの「動員力の無さ」は、絶対に見せてはならないものであった。


 しかし、
 見せてしまったものは、仕方がない。
 僕たちは、戦略をまた練り直せばいいだけのことだ。


 こういうことを書くと、また<悪態幽霊>が大騒ぎするだろうが、
 この数年間のネット荒野を見た者として言わせてもらうと、
 小沢系「ネット壮士」たちは、
 勇ましさは人の3倍も4倍もあるが、
 実世界において、隣の誰かを味方に引き込む説得力や人望は、
 ほとんどない。
 と思える。
 それがあったら、小沢支援運動は、もっと違った結果になっていただろう。

 そうした実情を踏まえて、
 「小沢一郎の存在価値を認めてもらう行動」をイメージしようとする時、
 僕たちは、これから、何をせねばならいのか、
 そして、僕たちに何が出来るのか。
 それを沈思熟考すべきだと思う。


 僕は、何かを始める時は、まず自分独りで出来ることからやろう、
 と考える性質(たち)なので、
 自分の能力と行動力と表現力との組み合わせを、
 毎日毎日考えて、
 一昨日、やっと結論を出した。

 まあ、それは僕だけのことなのでどうでもいいことだが、
 今の僕は、小沢裁判闘争を見つめてきて、
「何があろうとも、小沢一郎は総理の座に挑むべきである。」
 という考えになっていて、
 これまでの在野の支援運動体は、これからは、的をそこ一本に集約すべきではないか、
 と思い始めた。

 と言っても、
「世川が言うならヤ〜だよ」
 とそっぽを向かれる嫌われ者の僕だから、
 他に向かって言う気などはないが、
 僕の読者諸氏に向かって言うのは許されるだろう。


 小沢一郎は総理大臣になるべきであり、
 在野の応援団は、それが実現するように行動すべきである。


 もし、僕と同じ考え方をする読者がいるとしたならば、
 皆さん。
 とりあえず、
 ネット主軸の小沢支援団体の支援行動への幻想を、一回、捨てよう。
 あっさり、ドブに投げ捨てよう。
 そして、
 捨てたところから、
 自分たちのような微力な存在で、どのような実効的行動が出来るのか、
 それを考えてみようではないか。


 そうした<砦>を作るために、
 僕は、連休明けの会員制移行に向けて、走っている。

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結局、「大阪夏の陣」だったのか

2012年04月22日 20時22分27秒 | 01 小沢一郎篇


 研一郎とお茶を飲んでいて、6時の時計を見て、
 電話をした。

「何人だった?」
 相手の女性が淋しそうに答えた。
「60人か70人…、」
「はあ?」
 ……、次の言葉が出なかった。

 しばらくして、藤島さんから電話があった。
「何人だった?」
「100人くらいでしたかねえ。
 まあ、大雨でしたから、」

 国民大集会は1220人。
 大阪デモは100人。

 サバの缶詰、だな。 


「最後の最後が、そんな体たらくのデモなら、
 何故中止しなかったのだ!
 これでは、あまりにも小沢一郎が哀れだろう!」
 怒鳴りつけてやりたかった。

 ……、


「とうとう、「大阪夏の陣」で終わってしまったな…。」
 僕は、激しい寂寥感の中で、そう思った。

 小沢一郎支援運動を思い立った時、
 僕は、この日記で、
「この戦いには、一人の真田幸村もいらない」 
 と書いた。
 小沢支持者がみんなで小沢一郎をこの窮地から救うのだ、と書いた。

 しかし、
 誰もかれも、
 戦いの過程で、小沢一郎のことなんか忘れ去って、
「我こそは真田幸村なり〜!」
 と叫びたい一心で、
 知恵も度胸も戦略もないのに、
 セクト主義に走り、
 見映えばかりを取り繕った戦いに終始し、
 勝てる戦いを敗け戦さにしてしまった。

 阿呆の限りだ。


 おのれを智将真田幸村に擬するなど、天に対しておこがましく、
 猛将後藤又兵衛にすらもなれず、
 結局、「ピエロの薄田隼人」になって、手柄稼ぎにうつつを抜かし、
 このざまだ。
 誰が総指揮官だったか知らないが、
 戦いに勝たずして、何の手柄だ。

 ……、
 つくづく嫌になった。
 

 読者諸氏。

 僕は、この『世川行介放浪日記』を、
 阿呆極まりない「小沢信者」たちの眼から隔離することを宣言する。

 これからは、「会員制」に変える。
 1ヶ月800円として、年会費1万円。
 それを送金してくれた人だけに対して、文章を公表するシステムを取る。

 もう、馬鹿や阿呆に、自分の文章をただで読ませたくない。
 これからも読みたい人は、
 年会費を送金の上、
 僕のメールアドレスに「会員申し込み」をしてくれ。
 5月の連休明けから中旬の間に閉鎖して、会員制に移行する。

 中には、
 「六甲」さんのように、
 正体を知らないままにつき合い続けたい人もいるが、
 今の僕は、阿呆な「小沢信者」たちに自分の文章を読まれることに、
 激しい嫌悪を覚える。
 <未知の読者>の整理縮小をしたいので、許してくれ。

 会員が、50人に減るのか、30人に減るのか、
 今の僕には想像もつかないが、
 それでいい。
 もう一度、1から<知のネットワーク>構築を始めよう。


 僕は、
 小沢一郎支援運動の最後の最後くらいは、
 運動体の花を咲かせてもらいたい。
 小沢一郎の存在感にふさわしい美しい最終場面であって欲しいと、
 それだけを願って、ここまで走りに走ってきた。

 しかし、そうした願いもむなしく、
 この数日間、
 唖然とさせられるような結果ばかり聞かされ、
 小沢一郎の胸中を想う時、
 世川行介、
 残念無念である。
 

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置手紙

2012年04月22日 14時36分29秒 | 01 小沢一郎篇


 今回の「国民大集会」の致命的な失敗を見て、
 もう、「馬鹿阿呆間抜け」と関わり合いを持つのが、芯から嫌になった。
 僕は、ネットでの生き方を変える。
 その手始めに、この日記を変えることにした。

 これまでは、小沢一郎理解のために出来るだけ多くの人に読んでもらおうと、
 <反世川>からの悪態攻撃覚悟で、
 オープンな場所での意見陳述をしてきたが、
 もう、「多くの読者」は望まない、
 と決めた。
 僕は、これから、読者を選ぶ。
 わざわざお金を払ってまで覗きにくる<悪態幽霊>は少ないだろう。
 近いうちに、この日記を「課金制(=有料)」に移すことにした。
 つまり、僕の思考と私生活は、いったん、外界から閉ざされる。

 知識は、元来、身銭を切って得るものだ。
 その代わり、僕も勉強して、有料書籍に匹敵する高質な内容にしてみせる。

 課金制の導入によって、多くの<未知の読者>は離れていくであろうけど、
 それでいい。
 小沢一郎だけで僕の日記を読んできた人たちとの訣別、
 いま、そこから始めよう、と思う。

 
 そうした僕の、大勢の小沢一郎ファンへの最後の置き土産に、
 一文をしたためたい。


 僕は、これまで、原則として、「政局」は書かない、と決めてきてきた。
 それを書くと、人様に迷惑がかかるのと、
 僕が、目先のことにはあまり関心のない男だったからだ。
 しかし、
 今は、小沢判決を前にして、様々な意見が氾濫していて、
 しかも、そのほとんどが無根拠な「希望的憶測」だらけで、
 僕の読者諸氏も、状況を判断しかねているのではないかと思うので、
 置き土産に、現時点での僕の判断を少し書き留めておきたい。
 ただし、阿呆たちがやかましいので、根拠はいちいち書かないから、
 疑問に思う方は、読むのをやめてくださって結構だ。


 結論から言うと、

 小沢一郎には無罪判決が出る。
 小沢新党はできない。
 解散はない。

 この3点だ。
 
 小沢裁判について言うと、
 もう、すでに判決文は書き上げられている。
 今頃になって「小沢一郎は無罪だあ!」と騒ぐのは、
 参加者たちの自己慰安のためだけで、
 何の実効もない無意味な行為だ。

 <法の威厳>の観点からの無罪論については、先日この日記で少し触れたが、
 それ以外にも、いくつかの理由がある。
 一番は、小沢弁護団の法廷闘争での論点だ。
 多くの情緒的小沢ファンは、そんなことを気に止めたこともないだろうが、
 ここを見つめたなら、小沢一郎は無罪にならなくては辻褄があわない。
 と書いても、「ネット壮士」たちには何のことかわからないだろう。
 それでいいのだ。
 騒ぎが好きな馬鹿たちには、何を言ったって通じやしない。
 とにかく、26日は無罪判決が出る。と信じることだ。

 それよりももっと大事なことは、
 仮に、有罪判決が出ても、
 小沢一郎の逆境は、この数年間で、すでにどん底まで届いていて、
 そのどん底を、小沢一郎本人も僕たちも見たわけだから、
 今まで以上の逆境場面はないし、今程度が続いても、しのげる。
 という点だ。
 これは強い。


 余談になるが、
 この数ヶ月、
 小沢陣営の司令塔(?)は、かなり意識的に悲観論を流していたように思う。
 危機感を抱かせることで、結束度を見極めようという作戦だったろう。
 しかし、本当は、無罪を前提に政局や支援行動を眺めていたはずで、
 僕の想像では、「国民大集会」の代表の平野貞夫などは、
 内部の無罪意識を十分に知っていて、
 今回は、無罪勝利後を睨んでの大集会であったはずで、
 だから、「小沢一郎の陸山会」の名も使えたわけで、
 だから、国会議員にも胸張って呼びかけができたわけだ。
 にもかかわらず、
 (僕も、ある人からも見せてもらったが、)
 100人200人の民主党国会議員に檄文を送りつけたのに、
 会場に来たのはガンガン小沢の11人だけ。
 一般参加者はたったの1000人。
 (いつも過大発表ばかりする人たちだから、正確な人数は知らない)
 何なのだ。この結果は。
 よせばいいのに、支援団体が、小沢一郎の後援会の名前まで借りて、
 小沢一郎に赤っ恥をかかせただけじゃないか。
 
 無罪判決を受けた後のネット主軸の小沢支援団体は、
 小沢陣営から、
 口先では、
「いつもお世話になっています」
 とお辞儀をされながら、
 「枯れ木も山の賑わい」ていどの価値に落下していくことだろう。
 
 
 次は、「小沢新党」があるかないかだが、
 これについては、
 小沢側近議員や小沢信者たちから、強い新党待望論があるが、
 「小沢新党」は、ない。
 と見るべきだ。
 あるとしたら、大掛かりな政界再編の嵐が起きた時だけだ。

 何故なら、
 新党結成には億にマルのつく多額のお金が必要で、
 この数年間、カネヘンで社会から叩きに叩かれてきた小沢一郎は、
 そのカネ遣いは社会の厳しい監視下にあるみたいなものだから、
 その小沢一郎が、使途不明金の割合の高い巨額の新党結成資金を作るわけがない。
 そんなことは、ちょっと考えてみればわかることだ。

 特に、小沢有罪の場合、そこで飛び出すような愚策は、誰もとらない。
 控訴して、時節を待つだろう。

 では、小沢無罪、が出た場合、
 政界再編の流れが強まって、小沢新党が出来るか、
 と言ったら、
 それはまったく逆だ。
 そうなったら、小沢一郎はもっと強気で民主党に残り、
 反小沢を追い出しにかかるだろう。
 それを怖れて党内融和に向かう反小沢もいるはずだから、
 小沢新党などというものは、出来るわけがない。
 と僕は思っている。


 最後は、解散だが、
 これこそ、あるわけがない。
 小泉退陣後、自民党で、政争が起きても、野党がどんなに騒いでも、
 結局、任期満了ギリギリまで自民党は総選挙に打って出なかった。
 あれが、政権党心理というのだ。
 しかも、初めて大勝したにわか与党民主党幹部が、
 わざわざ与党の座を捨てる選挙に向かうわけがない。

 ただ、
 もう一つ理由があって、
 いま、解散総選挙をすると、憲法違反になりかねない。
 それが何なのかは、ここに書く気もないが、
 そういうことだから、
 総選挙は、当面、ない。


 以上駆け足で書いたが、
 要は、これまでの政局論は、「小沢有罪」の前提でなされているものばかりで、
 小沢無罪の前提に立ったものではない。
 少しは、小沢無罪を前提とした政局観を語ってもいいではないか、
 ということが書きたかった。
 僕たちのお散歩や祈願祭は、そこに立脚してなされた。


 僕が、今回の「国民大集会」に怒りをあらわにするのは、
 主催者中枢の何人かは、小沢一郎の無罪感触をつかんでいながら、
 善良な小沢支持者(=一般参加者)の危機感を過度にあおり、
 しかも、あの程度の動員しかできなかった、
 その姑息さとドジぶりに対してだ。

 一般小沢支持者は、政治の駒でも玩具でもない。
 小沢周辺の阿呆たちが、支持者を見下した下衆手法を使うから、
 良質の小沢理解者が減っていった。

 あまり、<無言の知>を舐めてはいけない。
  

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もう、動くな。

2012年04月22日 10時01分30秒 | 01 小沢一郎篇

 

 この国の、在野の「小沢一郎支援運動」は、
 先日の『国民大集会』の大失敗をもって、最後の最後に、頓挫した。
 僕たちのこの数年間の行動は、すべて、無意味と帰した。
 これからは、
 どのような小沢一郎支援行動をやっても、
 もう、敵方から失笑しか買わない事態になり、
 ご満悦なのは主催者ばかり、ということになるだろう。


 僕の読者諸氏。

 もう、動くな。
 これから先は、動いても、何の意味もない。
 体力と精神とお金の無駄遣いになるだけだ。
 動かないことも、人間、大切だ。


       西日をうけて熱くなった埃だらけの窓の硝子よりも
       まだ味気ない生命がある。

       正体もなく考へに疲れきって、
       汗を流し、いびきをかいて昼寝してゐる
       まだ若い男の口からは黄色い歯が見え、
       硝子越しの夏の日が毛脛を照し、
       その上に蚤が這ひあがる。

       起きるな、超きるな、日の暮れるまで。
       そなたの一生に冷しい静かな夕ぐれの来るまで。

       何処かで艶(なまめ)いた女の笑ひ声。

                                  (石川啄木『起きるな』)


 誰に一番の責任があるか、と言うと、
 それは、まったく簡単な話だ。
 自分自身に自信のない主催者たちが、
 自らの名で戦うことに気おくれして、
 知名度や社会的立場のある人物を担ぎ、
 その名前に頼った運動をしようとした、その卑怯加減さだ。

 戦いは、
 名もない者であろうとも、
 戦う時には、自らの名をさらけ出して戦うものだ。
 他人の知名度に頼った戦いで、まともな戦いができるわけがない。

 だから、
 表向きは、この頓挫は、平野貞夫や二見伸明や伊藤章の責任だが、
 こんな人生の定年退職間際の老人を担ぎ上げて御輿にした阿呆たちが、一番悪い。

 大島楯臣、李ひとみ、小吹なんとか。
 お前たちがÅ級戦犯だ。
 全国の小沢一郎支持者から袋叩きにされても仕方のない失態を、
 お前達はやったのだ。
 しっかり肝に銘じておけ。


 僕の読者諸氏。

 すべては終わった。
 この半年をかけて、
 少しずつ、少しずつ、
 この国の小沢一郎期待感を底上げしようと努力してきた僕たちであったが、
 くだらない功名争いの果ての空疎イベントの大失敗のおかげで、
 僕たちの努力も水泡に帰してしまった。


 もう、本当に、市井に帰ろう。

 あんな連中が小沢一郎の名前に喰らいついている間は、
 もう、どうしようもない。
 老いた元国会議員、当選危うい現職国会議員、
 目立ちたがりの言論人、それらを操りたい主催者…、
 小沢一郎支援運動は、あの連中の功名心の餌にされただけだった。
 そして、最後の最後は、あの体たらくだ。


 在野の小沢一郎支援運動は、終わった。
 最後の最後、
 これまでのすべてを帳消しにするほどの惨めな結果で終わった。
 悪いが、
 こんな阿呆連中とつきあう気なんぞは、もうないので、

 僕は、次の戦地に転進させてもらう。

 

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そんなものが、「国民大集会」か?!

2012年04月21日 16時45分34秒 | 01 小沢一郎篇


 昨夜、久しぶりに貧乏マージャンを打っていたら、
 知人から電話があった。

 昨夜は、文京区かどこかのホールで、小沢支援集会があったという。
 (さっき、藤島さんの「街カフェTV」で調べたら、
  「STOP!権力の暴走」国民大集会」というタイトルだった)

 集会があることだけは知っていたが、
 僕は箱物企画には一片の関心もないから、参加する気もなく、
 お金をかき集めて、夕方から、たった5000円をかかえて、
 貧しい貧しいマージャンを打っていた。

 藤島さんから、
 呼びかけ人は親小沢の豪華絢爛たるメンバーで、
 元国会議員から言論人までが名を連ね、
 二階席もある1800人収容のホールで、当日満席の気配らしい、
 と聞かされていたので、
 その知人に、
「2000人いきましたか?」
 と尋ねた。
 すると、
「2階には、誰もいなかった。一階が7〜8割かな」
「はあ?」
「7〜800人かなあ」
「……、」

 肩から力が抜けた。


 僕は、僕独自の小沢支援運動を提唱遂行してきたが、
 それは、
 従来の運動手法に対するアンチテーゼとしての役割を果たそうとしたのであって、
 判決に向かって、小沢期待の支援気運が盛り上がることに何の異議もなかった。
 すべての支援運動体が、それなりの成果をあげて、
 民意の底上げをして欲しかった。
 現役の小沢派国会議員や元国会議員、ネットの親小沢著名人を結集して、
「国民大集会」、などと豪語するからには、
 それにふさわしい人数を集めて欲しかった。
 1800人収容のホールを満員にして欲しかった。


 僕からの電話を受けた「トシさん」がつぶやいた。
「世川さん。
 小沢陣営って、本当に動員力がないんだな」
「はあ…、」


 僕が一番恐れたのは、この言葉だった。

 これを周囲から言わせては駄目だったのだ。
 こういう「ぶざま」をやったら、
 もう、この国の、
 在野の小沢一郎支援運動を見つめてきた、味方も、敵も、無関心派も、
 在野の小沢一郎支援運動体を評価しなくなるだろう。


 名を連ねた主催者たちは、自分たちが今回どんな大ドジを踏んだのか、
 まったく理解していない。
 自分たちの行動に、満足すらしている。
「君たちは、何をやっていたのだ!」
 僕は怒鳴りたくなった。


 国民大集会、などと、世界に向かって大見得を切ったのなら、
 死んでもやり遂げるのだ。
 関係者全員が、這いつくばって、土下座をしまくって、
 1800人のホールを満杯にしてみせるのだ。
 それが、小沢一郎の名を借用して人に呼びかけた者の責任だ。
 それを、ムード頼りの安易な人集めで、
 たったそれだけしか集められなくて、何の自己満足だ。

 二見伸明さんも、
 平野貞夫さんも、
 伊藤章さんも、
 主催者は、小沢一郎の前に、土下座しろ。
「あなたの名を使わせてもらいながら、
 最後の最後、
 このような体たらくで終わらせてしまったことをお詫びする」
 そう土下座しろ。

 そして、
 言葉を心に押し隠して小沢一郎に無言の声援を送ってきた人たちに対して、
「国民大集会などとハッタリをかました我々を許してくれ」
 と、新聞でも、ネットでも、陳謝しろ。

 小沢一郎支援運動は、
 あなた方のような怠け者老人たちの気休めのためになされたものではない。
 小沢一郎を窮地から救うためだけになされたものだ。

 これに懲りたら、
 もう二度と、社会の表に、その怠惰な老残をさらすな。

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小沢裁判への雑感

2012年04月18日 17時34分02秒 | 01 小沢一郎篇


 1976年、
 田中角栄という優れた政治家が、
 5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕され、
 一審で有罪判決を受けて、控訴を重ね、やがて政治生命を失った。
 当時は、検察に象徴される「司法の正義」に、国民の多くは喝采をおくった。

 2011年になって、その弟子である政治家小沢一郎が強制起訴され、
 この4月26日に、判決が出る。


 無罪有罪は五分五分、というのが一般的な見方だが、
 僕は、これは無罪でなければならない、と思っている。

 それは、小沢支持陣営の立場から言うのではなく、
 「法の威厳」の立場から、そう思っている。
 戦いは、相手の状況と心理を読まなくては駄目なのだ。


 ネット荒野では、わめくだけが取り柄の「ネット壮士」たちが、
 論理性も何もない感情的刺激語を書き散らして与太をまいているが、
 僕が信頼に足る<知性>と思ってつき合って来て、
 かつては小沢一郎に好意的で、今は小沢一郎に懐疑的な人たち、
 (たとえて言うなら、「島根のI君」のような人たちのことだが、)
 彼らに、最近、「この裁判をどう思うか?」と訊いた。
 すると、
 彼らは、一様に、
「小沢一郎がどうとかこうとかではなく、
 これだけ証拠のない裁判で有罪を出すことは出来ないだろう。
 それをやったら、自分たちは、もう、この国の法を信じられなくなる」
 という回答を返してきた。

 やっぱりな、
 と思った。

 おそらく、
 ここが、この小沢裁判の判決において、一番の問題点なのだ。


 小沢一郎を抹殺するために、有罪判決を出すことは、
 それは、それほど難しいことではないはずだ。
 執行猶予付きの有罪判決。罰金刑。公民権停止。
 これは、出来る。
 田中角栄はこの抹殺手法で政治生命を剥奪された。

 あれから
 30年ほどの歳月が流れたが、
 おそらく、小沢一郎を強制起訴して、ある時期まで、司法官僚たちは、
 30年経っていても、まだ田中角栄の時の手法が使える。
 司法には、それだけの威厳と、国民からの信頼がある。
 と思っていたはずだ。

 しかし、今回の小沢裁判を冷静に検証すると、
 田中事件は宗主国米国の強い意向から始まったものであるが、
 今回の小沢一郎事件の発端にあったのは、
 小沢一郎が、戦後理念の一つである「三権分立」を重んじ、
 国会答弁に内閣法制局を出さない。と言ったことだ。
 ここは、決定的な相違だ。

 
 小沢一郎の主張は至極真っ当なものであった。
 三権分立は<戦後理念>の核の一つであり、戦後日本の骨格であった。
 著しい風化の中で、その実務担当者にすぎない法務官僚たちが、
 法を楯にとって国家運営に口を挟みすぎたのは、
 三権分立を損なう行動だった。
 だから、まず政治の場から三権分立の原点に戻せ、と主張する小沢一郎は正しかった。

 が、
 これまで法によってこの国の政治に深く関与していた法務官僚にとっては、
 小沢一郎は、いくら殺しても殺し足りないくらいに「憎い男」になった。
 そして、事実、
 法権力のありったけを駆使して、「小沢抹殺キャンペーン」を張った。
 つまり、今回の小沢一郎抹殺劇は、法務官僚たちの<我欲>である。

 しかし、
 司法官僚たちは、
 官僚機構、政界、マスコミ、言論界…、
 自分たちの息のかかった組織をすべて使って抹殺劇を企てたが、
 その司法の慢心を、市井にある<無言の知>の層の人々は、
 親小沢とか、反小沢とかいった立場の別に関係なく、
 推移をしっかりと見ていた。
 見て、
 判決次第では、司法の威厳が失われるぞ、
 とまで危惧するようになった。
 ここもまた、田中角栄事件と小沢一郎事件の決定的な違いだ。
 検察が「法の正義」の代行機関でなくなっていることを、
 この国の<知性>が見破ったのだ。

 <無言の知>の層の人々が気づいたのは、おそらく、次のようなことだ。

 小沢一郎裁判は、
 法務官僚だけでなく、
 本来はこの国の裏方(実務家)であるべき高級官僚たち全体の<我欲>、
 もっと言うと、利権保守本能、
 それにすぎない。
 その<我欲>が法によって保護されたなら、
 この国はもはや法治国家ではなくなってしまい、
 それは国家の危機につながる。


 彼らの多くは、ネットを闊歩する小沢支持の「ネット壮士」たちの野蛮無礼な言動を、
 侮蔑と嫌悪の眼で見ていたから、
 そうした壮士たちの抗議行動に組する気持ちにはならなかった。
 しかし、
 動きはしないけれども、
 小沢裁判の経過だけは、黙って、しっかりと、見つめてきた。


 一方の法務官僚たちは、
 この20年間ほどで、官僚支配に慣れつつある国民を、舐めきっていた。
 まさか、小沢一郎裁判が司法の威厳の危機に届く裁判になるとは、
 予想だにしていなかった。
 と思う。

 法務官僚たちの誤算は何だったかと言うと、
 平成に入って、確かに、国民の<知性>も劣化していったが、
 しかし、
 司法もまた、劣化の坂道を下っていた。
 自信家ぞろいの法務官僚たちは、おそらく、そこに気づいていなかった。
 これが大誤算であった。


 僕などが、今回の小沢裁判を無罪でなければならない、とするのは、
 この司法世界の知性と危機感に視線を向けるからだ。

 裁判官も、馬鹿ばっかりがいるわけではない。
 今回の判決の処置を一つ間違えたら、
 国民の司法に対する信頼が一挙に崩れ、
 法の威厳を失うかもしれない、
 と危惧する司法担当者もまだ多く存在しているはずだ、
 と思うからだ。
 そうした視線で小沢裁判を見つめてきた僕などからすると、
 司法の威厳を重視する司法担当者は、
 小沢一郎に対して、無罪判決しか出せないはずだ。
 という気がする。

 そうは言っても、
 小沢裁判は、無罪が出るかもしれないし、有罪が出るかもしれない。
 そんなことは、司法担当者しかわからないことだから、
 ネット壮士たちのように、勇ましいことを書く気にはなれないが、
 たった一つ言えるのは、
 仮に、有罪判決が出たとしたら、
「この国の<法>は、もはや信頼に足る<法>ではなくなったのであるから、
 法の遵守は無用である」
 と考える人間が出現しても、
 それを誰も非難することが出来なくなるだろう。
 ということだ。


 小沢一郎裁判は、
 法務官僚たちの<我欲>から始まった裁判ではあるが、
 意外な展開を見せ、
 平成の法の深部までを突き刺す錐(きり)にまでなってしまった。
 これを司法担当者たちがどうこなすのか。
 <無言の知>の層の人たちは、無表情を装いながら、
 26日の判決を待っている。

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『小沢一郎を激励する市井の会』解散の辞

2012年04月16日 19時15分12秒 | 01 小沢一郎篇


 昨日までの行動について、少し書き留めておく。


 よい戦いをした5ヶ月であり、
 有終の美を飾るにふさわしい昨日であった。
 率直にそう思っている今この時だ。


 昨日初めて言ったが、
 今回、僕たちは、戦いの中身を何一つ、ここにも広告にも書けなかった。
 理由は簡単だ。
 虎ノ門の金毘羅神社での集まりを、
 「小沢一郎無罪復活祈願祭」とは、絶対に書けなかったからだ。 

 いくつかの神社に出かけたが、
 「小沢一郎のため」と言うと、どこもかしこも境内使用を拒絶された。
 僕たちは、一般社会の小沢拒否の現状を、嫌と言うほど思い知らされ、
 真っ青になって会場確保に走った。
 仕方がないので、悩んだ挙句、
 「東北の復興を考える会」という「〜市井の会」とは別の団体を作り、
 そこの代表に「瀧夜叉」さんになってもらい、
「政治色を一切出さない集まり」ということで、
 使用を許可してもらった。
 しかし、
 事前にそれがわかると即座に使用拒絶になるので、
 まどっろしい表現で、読者諸氏にほのめかしてきた。

 一方では、
 阿呆な連中が、「世川のところには行くな!」なんてやるし、
 趣旨替えしたデモ隊出身のSさんの言動を信じられなくなったから、
 僕は、今回、
 僕の<未知の読者>諸氏だけを頼りにして、すべてをやってきた。
 僕の読者諸氏に向かって、個別にメールを出し、
 しかし、読者諸氏にでも全貌は書けないから、
 行動の中身の一部分を実にやんわりと知らせ、
 当日の参加を求めた。

 したがって、
 昨日の参加者350人中250人くらいは、僕の読者である。
 さっき会ってきた北海道の「紀子」さん。
 山形のゴトウさん。
 福岡から来た「朋子」さん。
 広島から駆けつけてくれた「残九郎」さん…。
 誰もかれも、
 僕のすっとぼけた文章をきちんと読み解いてくれた人たちの参加であるから、
 僕は、この数を誇りと思っている。

 よくぞ、そうした状況の中であれだけの人が集まってくれたものだ。
 感謝の念でいっぱいだ。


 当日の光景については、
 「日々坦々」さんや藤島さんが、自分の場所で流しているだろうから、
 それに付け加えるものは、何もない。
 特に、「日々坦々」さんには、
 お散歩の最中、数十分にわたり、あれこれと語らせていただいた。
 それは、すべて、僕の真情であるから、
 関心のある方は、そちらを覗いてやってくださいな。


 藤島大先生について言うならば、
 田舎育ちの彼は、前夜実地検分までしたというのに、
 当日道順を間違えて、
 60代の「老人予備軍」を、を30分も長く歩かせ、
 祈願祭の開催を、30分も遅らせて、スタッフをあわてさせた。
「酔って起きたら、きれいさっぱり道順を忘れていたんだよ」
 なんていい加減な男だろう。
 その罪、万死に値する。

 なんてね。

「いやあ。
 おれ。
 小沢さんのメッセージの代読が終わったと同時に、  
 がんばれ、東北! 敗けるな。一郎! と叫ぶ約束だったのに、
 すっかり忘れてしまってさあ。
 ごめんなさい」
「ば〜か」
「バ〜カ」
「ば〜か」

 何かをする時、前の日に藤島さんに飲ませるのはやめておこう。


 まあ、戦いは終わったのだが、
 結局、かなりの支払金不足状態となり、
 僕と「トシさん」は、今、その処理に頭を痛めている。
 「義援金送金口座」はしばらく開けておくので、
 哀れと思った方は、赤字援助送金をしてやってくださいな。
 などと書くと、
 また<悪態幽霊>たちが、ネットに書き散らすかな?
 


 昨夜。
 例によって、「残九郎」さん、平松さん、「soWhatだ」さん、
 「日々坦々」さんや、初めての女性が二人と男性が二人加わって、
 カラオケボックスに流れた。
 中に、
「世川さん。大好き〜」
 という女性がいて、
 なんと、一次会から、合計30回くらい、ほっぺにチュウをされ、
 気持ちいいような、よくないような、
 妙な気分の数時間であった。
 しかし、その彼女、
 途中からは、
「世川さんよりもこっちがいい」
 と、「日々坦々」さんにチュウの相手を移し、チュウ爆弾。
 最後は、二人でタクシーに乗って、
 深夜の街に消えちゃった。
 あんな時間、男と女、どこに行ったんだろう? 
 などと、少し思わせぶりな書き方をする僕である。


 今回、
 小沢一郎氏本人が、
 「東北復興祈願祭に寄せて」というメッセージをくださったばかりか、
 小沢一郎氏の名代として、
 樋高剛衆院議員が会場まで来て、代読をしてくださり、
 会場にいた人たちは、
 感激したのだった。

 また、
 佐藤公治参院議員
 藤原良昭参院議員
 牧義夫衆院議員
 石川知裕衆院議員
 黄川田徹衆院議員
 黒田雄衆院議員
 川島智太郎衆院議員、
 の方々からメッセージを頂戴した。

 山口拓都議会議員は、
 体調を不良をおして、会場まで駆けつけてくれた。

 僕たちのような名もない人間たちの勝手連的行動に、
 これだけの温かい配慮をいただいたことに、
 僕は、ただただ、感謝している。
 戦いは、後処理こそが大切なので、
 明日からは、出向いて御礼を申し述べてこよう、と思っている。


 僕たちの「小沢一郎激励お散歩行動」は、
 昨日15日で終了した。
 僕たち「小沢一郎を激励する市井の会」はこれで解散するが、 
 それは何故か、と言うと、

 僕たちは、小沢一郎の無罪を信じている。
 無罪にならなければ、戦後司法の信頼は地に堕ちる、
 と思っている。
 だから、
 小沢一郎は無罪でならなくてはならない。

 だからこそ、
 無罪判決後の、くだらない「手柄争い」に巻き込まれたくない。
 僕たちは、<さわやかさ>を標榜してここまで来た僕たちであるから、
 自分たちに課した一定の役割は果たしたので、
 市井に帰る。


 しかし、
 万が一、小沢一郎が有罪となり、
 彼に苦境が訪れたなら、
 僕たちは、再び、
 手を携えて、
 小沢一郎激励のために、姿を現すだろう。

 小沢一郎という政治家の軌跡は、<戦後知性>の軌跡の象徴である。
 彼の抹殺を許すことは、<戦後知性>の消滅を許すと同義だ。
 そう確信している人間が、この国に存在する限り、
 小沢一郎が苦境に立たされた時には、
 誰かが声をあげ、
 誰かが行動し、
 微力であろうとも、
 小沢一郎激励を持続していくだろう。

 どうか、
 願わくば、
 僕たちのような存在が現れなくてもいいような、
 理想的な小沢一郎環境が到来するように!


 以上が、僕たち「小沢一郎を激励する市井の会」の解散の辞だ。

 最後に、
 僕の読者諸氏。

 僕たちの行動は、
 少しくらいは、
 苦境の小沢一郎の役に立ったのだろうか?
 
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行って来る。

2012年04月15日 08時05分16秒 | 01 小沢一郎篇


 起きて、窓を開けた。

 よい天気だ。


 タバコを喫いながら、眼の前の小沢一郎のポスターを見た。
 煙の向こうの小沢一郎は、
 今朝は、なかなかいい笑みである。

「行くぜ」
 と、僕も微笑んだ。
「頼むよ」
 と、彼が言った。


 だから、
 今から、行って来る。

 僕たちの、「最後の戦い」だ。

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