世川行介放浪日記

日々の雑感。
昔話。
時事問題への言及。
歌謡曲篇。文学篇。
漫談。
たまに女篇。
2年に1度は愛欲篇

インデックス 

2021年07月11日 14時12分53秒 | 99 Weblog



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    会員制ブログ(2016年4月30日〜)
    『世川行介備忘録』
    (http://blog.hatena.ne.jp/segawakousuke/)



        旧・会員制ブログ
        『新世川行介放浪日記』
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本能寺奇伝(最終回)

2016年05月25日 01時34分20秒 | 自選 私的闘争篇


          本能寺奇伝(最終回)



           最終章  南海通信



 ジェファーソン帝国海軍副総督閣下

 凄まじい勢いでアジア侵攻を進めるイスパニアの力を削げ!という閣下の内命を受けて、わたしが本国を発ってから、早いもので、丸十年の歳月が流れました。
 年中うだるような暑さに、季節感を持つことすらできない異郷の地で、わたしも、この十二月には、四十歳を迎えます。
 この十余年、南米大陸の植民地に、アカプルコ、ポトシといった豊富な銀山を持つイスパニアの、財にものをいわせたアジア侵略は、勢いを増すばかりで、かれらは、ルソン群島を占領し、属国とした群島に皇太子フェリベ二世の名を冠したフィリピンなる名をつけ、ルソン島の港町マニラを拠点とした南海交易で、巨大な富を得てきました。
 イスパニアほどの銀も海軍も持たぬわが英国帝国は、心ならずも、南海侵攻においては、かれらの後塵を拝さなければなりませんでした。
 アジアを制した国が世界を制するという持論を抱く閣下におかれましては、さぞかしご心痛の毎日であったことと想像いたします。
 先行するイスパニアと正面きって戦うことができない以上、策をもってあの国の国力を削ぐしかなく、しかも、それはきわめて至難の業でありましたから、閣下の内命を受けて、とりあえず南アジアに渡ったものの、最初の五年間は、商人を装い、ジョホール、バンコク、ブルネイ、マカオと、南海の商港を渡り歩き、糸口を探し求めるばかりの日々でした。
  
 炎天下のマニラの町で行き倒れていた、スケサという名の、欲深そうな眼をしたジパングの青年を拾ったのは、一年半前でした。
 スケサは強欲で、知性も品性もない、未開の地の青年でした。
 しかし、ジパングで最も繁栄している商港サカイに生まれ育ったため、ジパングの情報が豊富でした。
 われわれは、スケサから多くの知識を得ました。
 それまでのわれわれは、三百年も前に記された、「ジパングは黄金の島である。」という、マルコポーロの書いたまったく根拠のない伝説を信じていましたから、ジパングが、実は、黄金の国ではなく、銀の宝庫であることを知った時の驚愕、そして、本来なら、アジアという未開の地には存在するはずもない、異能の王ノブナガの存在を知ったときの驚愕は、今でも忘れることができません。 
 ノブナガは、実に、異能の王でした。
 無学な土着民しかいないはずのアジアに、われわれユーロピアンと同じ思考法を持つ人間がいたことは、特筆に値します。
 ただ、その存在が、われわれにとって有益であるかどうかは、また別の話であります。
 ノブナガは、ジパングの外を見ていました。
 かれは、青くうねる大海の彼方を見つめていました。
 かれが十余年前から遂行してきたジパング統一が、後々の国外進出を視野に入れたものであることは、私には、すぐに理解できました。
 そして、選銭令という通貨統制令を発令して、金銀比率の安定化に乗り出したと聞かされたとき、早晩、かれが、銀の海外流出防止策を講じるであろうことも、容易に理解できました。
 辺境の地の王であるノブナガは、ロンドンやパリーの知識など、何ひとつ持ち合わせておりませんが、しかし、かれが目ざしていた国家の姿とは、間違いなく、われわれと同じ、海軍力を背景にした貿易国家の創設でありました。
 遠く海を隔てたマニラの町にさえも、ノブナガの率いる軍団は数千の鉄砲隊を主力とする部隊で構成されていて、向かうところに敵なしである、との噂が流れていました。
 もしも、軍事力を高めたノブナガが、その武力を海外に向けたら…、という想像は、わたしの心を震撼させました。
(眼前のイスパニアよりも、ノブナガの率いるジパングの方が、これから後、わが帝国にとって真の脅威になるのではないか――)
 いつしか、わたしはそんな不安を抱くようになりました。
 何故なら、信長のジパングは、元来は大西洋の小さな島国にすぎなかった、わが帝国の幼い日の姿であったからです。
 われわれができたことはノブナガにもできる。そう思わなければなりません。
 三年前。
 ノブナガの命を受けたと思われるジパングの若い男たちが、南海の商港に姿を見せ、われわれがそうしたように、かれらもまた、取引される産物の交換比率や、銀価格の動向を詳細に調査している様子だと聞いたとき、わたしの漠然とした不安は、確信に変わりました。
 それは、未開の地の暗愚な王では思いつくはずのない調査だったからです。
 あの時、危機感に駆られて、走り書きのような報告書を閣下に書き送った記憶があります。
 早急にノブナガを抹殺しなければ、それも、かれがジパング統一を実現する前に抹殺しなければ、わが帝国は、アジアどころか南海の雄になることすら不可能かもしれない、と危惧していた矢先、閣下から、
「ジパングとイスパニアの所有する銀を、価値なきものにするように。」
 との内命を受け、その時点で、われわれの作戦の骨格ができ上がりました。


 スケサの話を聞いたわれわれが想像したとおり、スケサの主人であるソエキは、スケサ以上に強欲な商人でありました。
 われわれは、スケサを通じて、銀を武器とした南海交易から得られる利潤の大きさを、ソエキに吹き込みました。
 そして、ノブナガを倒さなければ、それらの莫大な利潤はノブナガ一人のものになってしまうであろうことを、必ずつけ加えました。
 ソエキはうまく乗りました。
 奇妙なことに、欲深な商人にすぎない彼が、ジパングでは教養人として通っており、交友関係も広く、騎士団長(ジパングではれらをダイミョーと呼びます)たちから信頼されておりました。
 人は自分と同じ匂いのする者と群れを作るものです。
 きっと、ソエキは、ノブナガを疎ましく感じている愚昧で欲深な騎士団長を探しだすに違いない、とわたしは読みました。
 ソエキはその程度の男でした。
 間もなくして、スケサからの便りに、チクセンという男の名を頻繁に見るようになった時、わたしは内心ほくそえみました。
 文面から浮かび上がってくるチクセンという男のどこからも、知性の匂いが感じられなかったからです。いかにも未開の地の民たちが喜びそうな、淫と慾の匂いの充満する人物像でした。
 この男たちは、われわれの思い通りに動いてくれるに違いない。わたしはそう確信いたしました。
 そして、ただひたすら、待つことに決めました。
 欲にからめとられたソエキやチクセンが動くのを、海を隔てたこのマニラの町で待ちながら、あらゆる便を通じて、スケサに南海の情報を流し続けました。
 特に、以前かれらの宗主国であった明では銀の価格が高騰し、明は銀を大量に欲しがっていて、ここ数年が巨利を得る絶好の機会であること、その明の商人とわれわれは深くつながっており、われわれと結べば巨額の利が稼げることをほのめかし、かれらを激しく煽りました。


 そして一年半が経ちました。
 本日、ジパングから船が着きました。大量の銀を積み込んだスケサの交易船です。
 船主になったわが身がよほど誇らしかったのでしょうか、スケサは意気揚々とした顔で、われわれの前に現れました。
 かれは、チクセンから与えられたという、二十人ほどの野蛮そうな騎士(ジパングでは、かれらのことをサムライと呼びます)を引き連れていました。そして、われわれが待ち焦がれていた報告をくれました。


 ジェファーソン閣下。

 八二年六月未明、ジパングの王であるノブナガが殺されました。
 あのノブナガが、です。
「誰がノブナガを殺したのか。」
 と訊くわたしに、スケサは薄笑いを浮かべるだけでした。
 それだけで、わたしは、すべてを悟りました。やはり、かれらは、われわれの期待通りに働いてくれたのです。
 ジパングの王が、ノブナガであるか、ほかの誰かであるかでは、統一された国の姿に、天と地ほどの違いがあります。ノブナガ以外の誰も、統一ジパングに、国家としての生命を与えることはできません。  
 スケサの話には身贔屓が多すぎるとしても、ノブナガが殺された後にジパングの王座に就くのは、チクセンに間違いなさそうです。
 冷静に考えますと、すでにノブナガによって大方平定のなされたジパングは、ノブナガの突然の死によって一時的な混乱はあるかもしれませんが、何者が後継者になっても、国家統一は容易でありましょう。
 チクセンは、無能の王です。
 貧しい農夫の出であるチクセンは、われわれがこれまでにうんざりするほど出遭ってきたアジア各国の愚昧な王たちと同様、国家とはどうあるべきかなどと考える能力はなく、自身の欲望を充足させることだけを目的として生きている、未開人であります。
 ノブナガと違って、チクセンもその側近も、われわれユーロピアンが各国に設置しているマーケットの意味や、通貨によって国を動かす経済の重要性を、まるで理解することができません。
 つまり、ノブナガを失ったジパングは、無能な未開人たちの集合体にすぎず、あと何百年放置しておいても、われわれを脅かすことはない、と断言できます。
 それでよいのです。
 劣性の民は劣性の王に統治させるのが肝要です。
 おそらく、ここ数年のうちに、無能の王チクセンが、国中の銀をかき集めて、南海交易に向かうことでありましょう。
 行く手にあるのが地獄だとは知らず、欲に顔を光らせながら、大船団をしたてて海原を渡ってくる姿が、今から眼に浮かぶようです。
 そして、無制限なジパングの銀放出によって、わが帝国最大の敵であるイスパニアが大量に所有する銀の価格までもが、下落に下落を重ね、かの国は落日の坂を転がり始めるのです。


 ジェファーソン帝国海軍副総督閣下。

 以上のとおり、われわれの作戦は、つつがなく完了いたしました。
 間もなく、わが大英帝国の大船団が、アジアの海を群れなして航行する日が来ることでありましょう。
 長い十年が終わりました。
 この報告書を書き上げ、四十回目の誕生日をこのマニラの町で祝ったら、わたしも、懐かしい祖国に向かう船に乗るつもりであります。
 イスパニアに対抗できるほどの大量の銀を産出するジパングを、武力で征服するのではなく、その銀を南海に流出させることで、世界の銀価格を暴落させ、銀の威力を背景に南海に猛攻をかけてきたイスパニアの国力を削ぐという閣下の深謀は、余人の思い及ばぬものでありました。
 わが帝国は、閣下のような有能な指揮官を持ったことを、世界に誇るべきであります。
 この輝かしい報告書を、みずからの手で書く日を迎えたことを、大英帝国海軍の軍人として、何よりの誇りと感じております。
 わが大英帝国に栄えあれ。




          (『戦国倭人伝』第一部『本能寺奇伝』、了)
         



  参考文献 
  脇田晴子『大航海時代の世界経済と石見銀山』(『太陽』掲載)
   その他は、気ままな想像力に拠った。




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吉本隆明の文章から。 転載3

2016年05月24日 17時45分00秒 | 小沢一郎雑感


       吉本隆明の文章から。 転載3



 僕は、20数年前、
 吉本隆明と江藤淳の文章によって、小沢一郎への評価を大きく変え、
 それまでそれほどの関心を持っていなかった小沢一郎を高く評価する側に回り、
 放浪中も、小沢一郎の言動を遠望し、
 ついには、支援運動をやる場所にまで向かった。


 しかし、
 最近は、小沢一郎に対して批判的な文章を書き続け、
 小沢信者たちからは憎悪されている。


 昨日から、吉本隆明の『超資本主義』を読み返していて、
 いくつかの懐かしい文章を、また眼にしたのだが、
 その中に、小沢一郎に関する文章が何篇かあって、
 これが書かれたのは、新生党から自社さきがけ政権までの期間なのだが、
 ここ数年の小沢一郎に対しても、十二分に適用される評価なので、
 簡単に紹介する。

 この文章で吉本隆明が言っていることは、
 今の僕の小沢批判と、根底を同じにしている。


   わたしは小沢一郎を政治家にはまれな率直な言動の持ち主で、
   わたしたち一般の国民大衆ところまで人間を感じさせることが
   できる近来にない政治家だとおもってきた。

   これほど率直で平気で人柄どおり発言してみせる政治家は珍しい
   とおもっている。


   小沢一郎に欠陥があるとすれば、
   一般の国民大衆からみたらじぶんの政治的な挙動が
   どうみえるかという複眼のイメージをたえず繰り込ん
   で判断できなかったことにあるとおもう。


   早急さのあまり一般の国民大衆の願望がどこにあるかを
   見失ってしまっている。

   
   一般の国民大衆から理解できるイメージを失ってしまったら、
   政治家や政治運動家としての意味は半減してしまうのだ。
   もっときびしくいえば政治家(政治運動家)失格なのだ。


   一般の国民大衆は政党のイデオロギーの差異については
   第二義以下の大ざっぱな判断しかもっていない。
   だがどんな立派な政治基本方針やイデオロギーを掲げても、
   実際にじぶんたちのところまで響きが伝わってこない行動
   をすれば、即座に第一義的な判断ができる存在だという
   ことは忘れてはならない。


                   以上。


 僕は、
 25年ほど前のこの指摘が、今でも適用されて、それに僕たちが驚かない小沢一郎の現状に、無念を感じる。
「とうとう人心を分からない政治家で終わってしまったな…。」
 そんな無念だ。


 いま、小沢一郎周辺にたむろしているのは、
 これは、小沢ファンクラブの会員たちで、
 ファンクラブの会員というのは、この人たちは、まず、「小沢さん、大好き!」だから、
 小沢一郎の政治主張など、最初から関係なく、
 小沢一郎がどっちを向いてもついていく人たちだ。
 この手合いは、放っておけばいいだけの話だが、
 問題は、吉本隆明いうところの「国民大衆」の気持ちだ。


 政治の節目でいつも小沢一郎が読み間違える「人心」。
 あれは、何が原因なのだろうか?

 不思議だ。




         『反核異論』からの抜粋



 1982年に出版された、
 吉本隆明の『反核異論』を、
 流し読みで読み返した。
 その中に、少し、「懐かしいな。」と思った個所がいくつかあったので、書き写しておくことにした。


 残九郎さん。両国のUさん。北上の平野さん・・・・、
 読む気のある若い読者は、読んでやって見て欲しい。
 その気になって精読したならば、
 30年前の反核運動と今の安保関連法案反対運動との類似性が見えて来るかもしれない。


 以下、吉本隆明の文章。


 (文学者の反核声明に関して)

 ああいうやり方はいちばんいけないことなんですよね。
 それは社会ファシストのやり方だということね。
 つまり、戦時中の文学報国会の裏返しだということで、それは歴然としているわけですよね。
 

 こんなのは『機動戦士ガンダム』とか『宇宙戦艦ヤマト』がとうに言っていることなんですよ。
 それをあの連中は、文学者づらしているくせに平気で言っているのね。
 ばかじゃないかと思う。
 どうしてそういう言い方をするかというと、
 だれからも避難されないような、全き正義の言葉みたいなものを所有したいからなのです。


 「反原発」というばあいの「核」は核エネルギィの利用開発の問題を本質とする。
 かりに「政治」がからんでくるばあいでも、あくまでも取り扱い手段をめぐる政治的な闘争で、核エネルギィそのものにたいする闘争ではない。
 核エネルギィの問題は、石油、石炭方は次元のすすんだ物質エネルギーを、科学が解放したことを問題の本質とする。
 政治闘争はこの科学の物質解放の意味を包括することはできない。
 既成左翼が「反原発」というときほとんどが、科学技術にたいする意識しない反動的な倫理を含んでいる。
 それだけではなく「科学」と「政治」の混同を含んでいる。
 黒古一夫にいたっては、原子力の研究さえしてはならないとほざいている。
 こんな中世的な暗黒主義で、反核などとはおこがましいのだ。


 自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギィを解放したということは、即自的に「核」エネルギィの統御(可能性)を獲得したと同義である。
 また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を奨めたことを意味する。
 これが「核」エネルギィにたいする「本質」的な認識である。
 すべての「核」エネルギィの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥るしかないのだ。


 ここまで。




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世川周辺、今日のあれこれ。

2016年05月24日 10時09分21秒 | 近況報告篇


        世川周辺、今日のあれこれ。



 未明に起きて、パソコンを覗いたら、
 「絶交トンビ」から「内緒コメント」が入っていた。
 相変わらずのユーモア混じりの名文で、
 独り小さく微笑んだ。


 阿呆な<悪態幽霊>たちとは、
 文章力が格段に違う。
 皆にも披露してやりたいが、
 「内緒」が原則なので、それはやめている。
 「保留処分」でとっておいて、
 いつか、生意気なことを書いて来た時には、
「どうだ〜。
 皆さん。読むか〜!」
 と、
 今までの「内緒コメント」を全部公開してやろう。
 「人質」ってやつだ。
 これがある限り、あの傍若無人な「絶交トンビ」といえども、
 あまり横暴な振る舞いはできないだろう。
 そうされたくなかったら、僕には頭を垂れよ。


 フフ。
 なんて頭のいい僕だろう。


 僕は、その手のことは不案内なので、よくわからないが、
 もう、「裁判ユース」は公けになっているだろうか?


 主戦場は裁判所に移ったので、
 僕は、この件に関しては、
 あまりここには書かないようにしているが、

 一つだけ断わっておくと、
 この裁判、
 訴えられたのは僕、
 みたいに思っている人が多いだろうが、
 そうじゃないからね。
 その点については、
 多分、「裁判ニュース」にも、きちんと記載されているはずなので、
 どうかお間違えのないように。


 後のことは、書かない。


 『〜備忘録』に連載中の『戦国倭人伝』の加筆が、なかなか前に進まず、
 ここのところ、2〜3回、掲載中断をやっている。
 一言で言うなら、僕の想像力の欠如が原因で、
 自分の頭を叩くのだけど、
 ペンが前に進まない。
 困ったものだ。


 ここに連載して来た『本能寺奇伝』は、明日で終わる。
 どこかの<悪態幽霊>が、「くだらない小説なんか書くな。」と言って来ていたが、
 それは、僕も同じ考えで、
 よくぞ皆さま読んでくださったと、感謝している。

 65回というと、2か月間の連載だったわけで、
 よくぞ続いたものだ。

 その連載終了後を考えて、
 『新日記』掲載文の転載を決めた。
 阿呆が読んでも理解できな文章が多いと思うが、
 最近、阿呆読者は減少傾向にあるみたいなので、
 転載して見る気になった。
 そのうちに、『〜備忘録』からの転載もしようかとも考えているが、
 それはまだまだ先の話だ。


 自慢させてもらうと、
 現在の『〜備忘録』の読者は、
 知性豊かな上に、「澄んだ視線」の持ち主ばかりで、
 とてもいいよ。
 送られて来る「コメント」の質が違う。


 うん?

 ああ。2〜3人は、「情実入学組」もいる。
 だけど、
 彼らもまた、「向上心」は旺盛なので、
 すぐに他の人に追いついていくことだろう。


 「絶交トンビ」君にも、是非それらを読ませてやりたいのだけれど、
 あいつ、姓名を名乗らないから、
「書面調査で失格!」
 という現状。


「私、我孫子建造。
 本名です。
 株式売買で相談したいです。メールください。」
 こんな「本名」よりは、「絶交トンビ」のHNの方がまだマシだけど、
 これは僕たちの必須条件だから。


 今朝の転載文章あたりには、また阿呆の悪態が入って来るだろう、
 と待っているのだが、
 まだ入って来ない。
 なので、退屈だ。


 東京株式市場は、100円安くらいでダラケている。
 僕の感触では、
 昨年12月下旬の戻り高値の時点での信用取引の期日が、
 この25〜6日に到来するから、
 それをこなしてからだな。
 という気がするのだが、
 果たしてどうだろう?


 ということで。




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恥ずべき記憶 転載2

2016年05月24日 07時29分49秒 | 自選 生活思想篇


         恥ずべき記憶 転載2



 1年前まで、
 「経済バブル」、という言葉を呟く時に、
 きまって僕の中に蘇って来る「恥ずべき記憶」が、一つあった。


 20数年前の経済バブルの時期、
 僕は、株式投資で、サラリーマンにしては法外な利益を得ていた。
 日経ダウ採用銘柄を買っていたのではない。
 主として、
 天才相場師加藤嵩のグループの仕手戦に便乗して、利を得て暮らしていた。
 Y運輸、T車両、本州製紙、T銀行、日本カーボン・・・、
 よく儲かった。

 特定郵便局長の年収が700万円くらいの時に、年に2000〜3000万円の売買益を得ていたから、
 生活も豊かだった。
 おそらく、貧しい島根県のサラリーマンとしては、上位の収入を得ていたのではないか、と思う。


 バブル期に、皆が、新日鉄や日立を買うのを見て、
「証券会社の言葉に乗ってあんな儲けの少ない株を買ってどうするんだろう?」
 と笑い、
 そういう銘柄を一切触らずに、加藤銘柄だけを売買していたから、
 バブル崩壊も、全然痛手を負わなかった。
 暴落する日経ダウ採用銘柄に投資していた人間たちが恐怖にうろたえる姿を、
「あれだけ上がったんだから、下がるのは当たり前じゃないか。
 あんな株を買ったお前らが悪いんだよ。」
 冷ややかな眼で嗤っていた。


 そんなある日。


 まだ小学生だった長女が、僕に訊いた。
「お父さん。
 なんでうちはこんなにお金持ちなの?」

 僕は、その時、
 大真面目な顔と声で、長女に答えた。

「あのな、
 東京に、兜町って街があってな。
 そこの空からお金が舞って、
 お父さんのところに落ちて来るんだよ。」
「お金がうちに舞って来るの?」
「ああ。うちにだけ舞って来るんだ。
 だからうちはお金持ちなんだよ。」
「ふ〜ん。すごいなあ。」


 そんなことを、
 僕は、
 年端もいかない実の娘に、真顔で語っていたのだ。

 僕の人生最大の恥ずかしさは、ここにある。


 人はいくらでも狂うことのできる存在である。
 そのことを、
 この記憶は、20年間、僕に突きつけ続けた。
 その記憶がよみがえる度、
 僕は、恥辱で心の顔が赤らみ、
「そうだ。
 僕は、この世の誰かに偉そうなことの言える人間ではないんだ。」
 そう思った。
 そして、
 その思いが、僕を「経済バブル」にこだわらせ続けた。


 あの時期、
 他の誰かではなく、この僕が、
 人として大切な<何か>を放り出したのだ。

 あの日々とは何であったか。
 あの経済バブルで、僕は何を得て、何を喪ったのか。
 喪ったものはどれほどの重量のもので、
 得たものはどれほどの重量のものであったか。
 この20余年間、
 それを考え続けて生きてきたような気がする。


 僕は、いま、
 あの頃ほどの投資規模ではないにしても、
 相場に深く身を乗り入れている。
「あの時の轍だけは、絶対に踏まないぞ。」
 と、自分に言い聞かせながら日々株式投資に精を出しているのだが、
 しかし、
 時として自分を襲って来る、ある種の傲慢、あるいは将来の生活イメージに、
 心の顔面が赤らむことがある。
 たしかにある。


 そんな時、
 自分を戒めながら、
「人というものは、弱くて愚かな生き物だな。」
 と痛感する。


 これから、あと2年か3年、
 上昇相場は続き、
 仮に下降相場になったとしても、
 今の僕の相場観なら、
 僕は、少なくないお金を得つづけるのだが、
 金銭的豊かさの中で、
 また僕は狂うのだろうか?


 それを見届けてみたい気持ちが、
 僕を今回、一層の株式投資に向かわせる。



              (2015年3月23日掲載文)




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本能寺奇伝(64)

2016年05月24日 05時08分46秒 | 自選 私的闘争篇

 連載小説(ただし、三日後には削除)



              本能寺奇伝(64)



「お久しゅうござるな。」
 五右衛門が笑みを投げた。
 お玉は五つ違いの五右衛門の顔を懐かしそうに見た。
 幼女時代、石見の奥山で一緒に過ごした頃の五右衛門と同じ、涼やかな眼をした今の五右衛門だった。
 父光秀を失ってから、心細さに負けまいと張り詰めていた心が、その笑顔に緩んだ。
「何があったのですか。」
 お玉は訊ねた。
「さよう、話せば長い話になりまするが、」
 そう切り出すと、五右衛門はお玉と対座する形で胡坐をかき、これまでの経緯を語り始めた。
 直道の構想、光秀の行動、羽柴兄弟のたくらみ、長岡藤孝の裏切り、それらのすべてを、包み隠さず、五右衛門は語って聞かせた。
 その話に耳を傾けるお玉は、時には驚き、時には怒り、時には哀しみの深淵に投げ込まれた。
「それでは、私は、父を憎んでいる長岡の言葉に誑かされて、忠興さまの元に嫁がされ、二人の子をもうけ、今は邪魔者として、この山里に幽閉されているのですか?」
 お玉は、哀しげな眼で、五右衛門に訊ねた。
「お玉さまには気の毒だが、事実としてはそのとおりだとしか言えぬ。 長岡藤孝は、あなたさまを息子の嫁にもらうことで、光秀の殿を油断させようとしたのだ。」
 五右衛門は、痛ましそうに答えた。
「そうですか…、」
 お玉は、唇をかみ締めて、うつむいた。
「……、」
 沈黙が続いた。
 深夜の森では梟の鳴く声がした。
 お玉が面を上げた。
「私の五年を返して!」
 小さく叫ぶと、五右衛門を見つめた。
 小さな瞳が、激しく燃えていた。
「私の五年を取り戻してください。
 あの五年間が全て偽りだったとしたら、このまま生きることはできない。
 私には、どうしてもできない。」
「……。」
 五右衛門が、無言のまま、優しい視線を、お玉に返した。
 十五年前、五右衛門は幼い恋をした。もちろん、その相手はここにいるお玉だ。
 月日が経ち、織田の重臣となった光秀の元に頻繁に通うようになって、成長したお玉とも口をきく機会が増えると、幼く淡い恋は、本物の恋心に変わっていった。
 自分が望めばその恋が成就することは、五右衛門にはわかっていた。それくらいに、光秀は、自分のことを可愛がっていた。
 しかし、五右衛門の前には、大人たちの思い描く壮大な構想が立ち塞がっていた。それは新王朝創設という山の民千年の悲願だった。
「信長と光秀の子供たちの婚姻によって、新王朝の骨格を強固にするのだ。」
 祖父の直道は、得意そうに、五右衛門にそう教えた。
 それを聞いたとき、自分の恋心にお玉が気づいていないのを幸いに、五右衛門は、お玉への恋情を心のうちに封じ込め、長岡忠興に嫁ぐお玉を、黙って見送った。
「必ず取り戻してみせる。約束する。」
 五右衛門は低い声で答えた。
 それから再び重い沈黙の時が続いた。
「……、」
「……、」

 やがて、どこかで夜明けの鳥の声がした。
「朝が来る。
 そろそろ退散いたす。」
 五右衛門は立ち上がった。
 お玉も立ち上がった。
「五右衛門さま。
 必ず父上の恨みを、」
 そう言いかけると、突然、お玉は五右衛門にしがみつき、その胸に顔を埋めた。
 五右衛門は振り払うこともせず、お玉のするがままに任せていた。
 お玉のうなじの辺りから、淡い香料の匂いが漂い、五右衛門を息苦しくさせた。
「ここからお玉さまを連れ出すくらいは造作のないことですが、今は時期尚早。しばらくは辛うございましょうが、忍んでくだされ。」
「ええ。」
 お玉は、五右衛門の胸の中で、幼女のように素直にうなずいた。
「俺は羽柴一族を葬るために、しばらく徳川家康を助けねばならぬ。
 しばらくは忙(せわ)しない日々が続くが、必ずお迎えに参る。
 お玉さまは、高山右近という吉利支丹大名から眼を離さないようにしてくだされ。」
 その香料の誘惑から逃げようとするように、五右衛門はお玉の耳にささやいた。
「あの方も?」
 お玉が面を上げ、意外そうな声で訊いた。
「高山さまは細川屋敷に頻繁に出入りしておられますよ。
 私も何度かお会いして、吉利支丹のお話をお伺いいたしたことがございます。」
「いつも土壇場で光秀の殿を裏切ってきた男だ。」
「そうですか…、」
 そう呟くと、再び、お玉は、五右衛門の胸に、顔をうずめた。
 荒い吐息がした。
 また香料の香が五右衛門を包み込んだ。
 このまま二人して床に崩れ落ちれば、それなりの新しい世界が始まるかもしれぬ、と五右衛門は思った。
 今であれば、それはそれほどに難しいことではない、とも思った。
 しかし。
 光秀の無残な死に様が、鮮明な記憶として五右衛門の心と肉体をとらえて、放さない。そういう人生を選んでもいいのだと思いながらも、どうしても、五右衛門はそれができなかった。
 彼の背には倭の裔千年の憎悪が覆いかぶさっている。それは、一人の女に対する恋情で蹴飛ばすことなどできないくらい重かった。
 彼は、お玉に抱きしめられるまま、初心な少年のように無言で突っ立っていた。
 突然、
「口惜しい!」
 お玉が、低く叫んだ。
 それは、大名夫人として深窓に生きてきたお玉には、似つかわしくない叫びだった。
 しかし、
「口惜しい!」
 もう一度叫ぶと、お玉は、両眼からポロポロと涙を滴らせ、五右衛門の背に、爪を食い込ませた。
 その叫びが、五右衛門の心を刺した。
 五右衛門は背の痛みを黙って受け止めながら、
「お玉さま…、」
 お玉を強く抱きしめた。
 その弾みで、二人は均衡を失い、床にくずれて落ちた。




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太宰治のアフォリズム集 転載1

2016年05月23日 18時35分06秒 | 太宰治雑感


      太宰治のアフォリズム集



 <文学>が自分の「生きている意味」だった時期、
 あれこれ考えるのが億劫になると、
 畳に寝っ転がって、
 太宰治のアフォリズム(箴言)を流し読みに読んだものだ。


 芥川龍之介にも『侏儒の言葉』という箴言(しんげん)集があるが、 
 ちなみに、侏儒(しゅじゅ)とは、小人とか知恵の足りない人、といった意味だが、
 僕は、太宰治の箴言の方が自分の嗜好と合っていて、
 『もの思う葦』や『如是我聞』を何十度も読み返した。


   民主主義の本質は、
   それは人によっていろいろに言えるだろうが、
   私は、「人間は人間に服従しない」
   あるいは、「人間は人間を征服出来ない、
   つまり、家来にすることは出来ない」
   それが民主主義の発祥の思想だと考えている。


   芸術に於ては、親分も子分も、また友人さえ、
   無いもののように私には思われる。


   重ねて問う。世の中から、追い出されてもよし、
   いのちがけで事を行うは罪なりや。


   最後に問う。弱さ、苦悩は罪なりや。


   も少し弱くなれ。文学者なら弱くなれ。柔軟に
   なれ。
   おまえの流儀以外の者を、いや、その苦しさを
   解るように努力せよ。


 こういう太宰の言葉が、僕の嗜好に合っていた。


 僕は、かなり多くの文学書を読み漁ったが、
 膨大な文学書を読んで、考えに考えた結果、
 つまるところ、
 文学とは、
 作為的にではなく、
 相手の苦悩や哀しみの傷を、「思わず優しく撫でてしまう」心に存在するのではないのか?
 と思うに至った。


 僕が、「残九郎」さんや「両国のU」さんや、「
 減量おめでとう!」の便りもくれない恨みはあるけれど、「北上の平野」さんを愛するのは、
 彼らは、
 たとえ一冊の文学書を読まないとしても、その生の根底が、僕の思い描いている文学に通じている。
 と思うからだ。
 こういう人は、そう何処にでもいるものではなく、
 よくぞ身近に3人もいたもんだ。と、感心したことがあった。


 太宰治も、山本周五郎も、吉本隆明も、江藤淳も、
 そういうことがよくわかった文学者だった。
 自意識を生きて死んだ中原中也には、それは希薄だった。


 僕の好きな山本周五郎の短編『釣忍』に、以下のような場面があって、


   「ほんとうのことは自分しかわからないって
    いうんでしょ、えらいわよ、あんたはえらい
    ことよ」
   「えらかあないさ、おれはただ傷の痛さを知っ
    ているだけだ」と定次郎は云った、「自分の
    傷が痛いから、人の傷の痛さもわかるんだ、
    それだけのこった」
     おはんは片手を畳へついて、がくっと頭を
    垂れた。


 僕には、時代小説としてかかれたこの光景が、太宰の上のアフォリズムとまったく同質同重量であるように思えた。
 片方は東大文学部卒、片方は尋常小学校卒。
 文学には学歴など何の関係もないのだな。と知らされた。


 太宰治は、それが出来なかったが、
 僕が、吉本隆明と山本周五郎と死んだ父親から徹底的に教えられたのは、
 男のやさしさは、こっそりと出すもんだ。
 ということだった。
 これは全然今風な表現姿勢ではないし、
 相手に理解されることがほとんどないけれど、
 僕は好きだった。
 蛇足として書くなら、
 ある時期の小沢一郎には、その匂いがあって、
 僕は好感を抱いた。


 この「新日記」の読者諸氏は、
 文学よりも政治に関心の強い人が多いけれど、
 文学というものも、馴染んでみるとなかなか味わい深いものだ。
 言葉一つに膨らみや陰影を感じとることは、人に向かい合う時のそれによく似ていて、
 自分の<想像力>を豊かにさせてくれる。
 ように、僕は思う。


 まあ、
 今からどうぞ。と言ってみても、
 老い先短い人がほとんどだから、
 ちょっと無理か。
 ネ。XXさん。



     心の裏側を撫でる視線



 文学も、思想文学から大衆文学まで、さまざまにあるが、
 僕は、自分自身の、
 文学とは何か?
 という問いに対して、
「心の裏側を撫でる視線のことだ。」
 と、自分に答えてきた。


 先日は、走り書きみたいな文章を書いたが、
 僕が、北上の平野さん、残九郎さん、「両国のU」さんと語らって得た感触は、
「この三人は、
 それぞれ境遇も生き方も異なるけれど、
 心の一番奥底に、
 人の心の裏側を撫でることの出来る視線、
 それを持った人たちだな。」
 というものだった。


 人は様々な生き方が許されているのだから、
 どんな生き方をしようがその人の勝手であって、
 僕のように、「人は人。彼女は彼女。僕は僕。」という考えの持ち主には、
 無関係な他人の生き方には、
「世の中、さまざまな人がいるな。」
 くらいのことで、あまり好悪も関心もないけれど、
 文学、
 というものを軸に据えた時には、
 そうではなくなる。


 僕は、若い日、
 立松和平に、
「世川さん。
 あなた、何か書きなさいよ。
 あなたみたいに文学知識の豊富な人は、栃木県にはいないよ。
 もったいない。何か書くべきです。」
 と、文筆活動への誘いを受けた時、
 僕には、父親との約束があったから、そうした生き方は断念していて、
 彼に、
「僕はね、
 一生、一行も書かない詩人になりたいんです。
 そんな生き方を生き抜きたいんですよ。」
 と答えた。


 だから、僕は、 
 「一行も書かない文学者」という存在を認めていて、
 62年の人生の間には、そういう人と少なからず出逢い、
 さまざまなことを学ばせてもらった。


 その「一行も書かない文学者」が大切にしているものが、
 あるいは、天賦の才として携えているものが、
 人の心の裏側を撫でることの出来る視線、
 それであると、
 僕は理解してきた。


 自惚れでもなんでもなく、
 僕は、心に「浅くない棘」を刺したままの女たちから、愛されて生きてきた。 
 その女たちが、何故僕を愛するのか、その理由を一番知っていたのは、当人の僕だ。 
 僕自身、心に「浅くない棘」を持たない女には、まるで興味も好意も感じなかった。
 漱石の言葉に、「行人」という言葉があるが、
 そんな、心に傷のない女は、僕にとっては、ただの行きずりの人にしかすぎなかった。
 そんな女は、僕のような男とはかかわりを持たず、
 もっと自分に似合った男と幸福になればいい。
 そう思ってきた。


 そういう姿勢で生きてきた僕なので、
 僕は、自分が関心を持った女たちの、心の裏側を眼で撫でながら、
「これが僕の文学だ。」
 そう思って、密かに誇ってきた。


 北上の平野さんや、残九郎さんや、「両国のU」さんには、
 強弱の差はあっても、その視線がいつもある、
 と僕は思った。
 だから、彼らに好意を抱いて来た。


 62年生きて来て、正直な思いを言うと、
 そんな視線を持った男は、
 処世上は、あまり楽な生は送れない。
 余計な荷物をしょい込むのに似ているから、
 その余計な重さ分、生きるのがつらくなる。
 しかし、だからと言って、それを放擲できる彼らではないので、
 これから先、ちょくちょく、「大変だ〜。」が襲って来るのだろうな、と同情する面があるが、
 しかし、
 僕流に言わせてもらうと、
 それこそが、「一行も書かない文学者」の勲章であり、
 その勲章は、そう誰にでも与えられるものではない。


 昨日今日、お三方から、丁重な便りをいただいた。
 それぞれに返事を書かなくてはいけないのだが、
 このとおりの怠け者なので、
 三人まとめての一文で通させてもらう。
 ごめんなさい。


              (2015年1月14日掲載)




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『新日記』掲載文章の転載について

2016年05月23日 18時31分11秒 | 近況報告篇


    『新日記』掲載文章の転載について



 僕は、3年間ほど、この『世川行介放浪日記』とは別に、
 『新世川行介放浪日記』という会員制の日記をやっていた。
 それは、
 人さまの実名が出たりするので、
 人さまに迷惑をかけないためだった。


 この4月、
「もう、「新日記」は役目を終えたな。」
 と考えるに至り、
 4月末で「新日記」を閉じ、
 僕の書く文章を「積極的に」読みたい。という人たちだけのために、
 『世川行介備忘録』を開始した。


 会員制だからといって、会費寄越せ。なんてことはない。
 そんなものはどうでもよく、
 ただただ、
 <文学>のわかる人たちに多く読んでもらいたい。
 そう思っての「〜備忘録」開設だ。


 それに伴い、『新世川行介放浪日記』は、間もなく焼却処分するのだが、
 (実際には、青山敏夫たちとの裁判資料になるので、
 裁判が済むまでは、完全焼却にはできない。)
 中には、忘れがたい文章もいくつかある。

 で、
 そうした文章の中から、人さまに迷惑のかからない文章だけを、
 ここに転載することにした。
 多くは、書物と政治についての文章だ。


 僕は、昔も今も、一貫した角度で物を書いて来たので、
 1年前の文章であろうと、いま書いているものとの間に、ほとんど誤差はない。

 良ければ読んでやって下さいな。



 心配するな。青山敏夫。それから、ムニャムニャ。

 お前たち関連の文章の公開は、
 裁判が終わってからだ。




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本能寺奇伝(63)

2016年05月23日 10時22分20秒 | 【連載小説】本能寺奇伝(三日後に削除)

 連載小説(ただし、三日後には削除)



              本能寺奇伝(63)



                    



 天正十年九月の終わり、憂い顔の若い女が一人、縁側に腰を下ろし、西方の山脈を眺めていた。
 陽が落ちるにはまだ間があって、澄み切った青空では、はかなげな薄い雲が風に流されている。
 丹後半島、味土野(京丹後市弥栄町)の里の粗末な一軒家だ。
 近隣には人家はない。
 それどころか、家の周辺は太く高い竹垣で囲ってあり、出入り口には頑丈そうな錠前がかかっていて、その前に見張り小屋がある。番士は腕の立ちそうな武者三人で、暇さえあれば家の周りを歩いている。
 それが侵入者から女を守るためなのか、それとも、この女が逃亡するのを防ぐためなのか、その真偽のほどは、女にも定かではない。
 部屋の奥には侍女が二人だけいて、一人は部屋の掃除を、もう一人はまもなく訪れる夕餉の支度をしている。
 ポトッ。
 突然、風もないのに、その女の膝あたりに、紫色をした五弁の花が一輪、落ちてきた。
「?」
 垂髪の女は、何気なく、その花を手にした。
 桔梗の花だった。
「……!」
 桔梗の花に思い当たることがあるらしく、女は、思わずあたりを見渡した。
 しかし、どこにも人の姿はない。
 女は、もう一度、桔梗の花を手に取った。
 この地方では、桔梗の時期はとうに過ぎている。今の時期なら、もっと北方の土地か、奥深い山にしか咲いていないはずだ。
 花びらの一枚に、墨で、五、という文字が小さく書かれてあった。
「……!」
 その文字の意味が理解できたらしく、女は黙ってうつむいた。
「後ほど、夜になりましたら、」
 天井付近から、男の声が小さく聞こえた。
 女は無言でうなずくと、後は何ごともなかったかのように、ふたたび西方の山脈に視線を戻した。

 夜になった。
 寝所に入った女に、天井から声がした。
「お玉さま。
 五右衛門でござる。」
「はい。承知いたしておます。」
 細川忠興夫人お玉は、声を潜めて答えると、畳に座した。
 五右衛門――。
 それは、母煕子を亡くしてしばらくの間、石見の奥山で三年ほど一緒に過ごしたことのある男の名だ。
 五つ年上だったが、自分も両(ふた)親のない境遇でありながら、母を亡くし父と離れて慣れぬ山で暮らすことになったお玉と姉の倫子を慰めようと、あれこれ気遣いをしてくれた優しい少年だった。
「侍女も見張りも眠らせましたからご安心を。
 いま下りていきまする。」
 五右衛門はのどやかな口調で言った。
「こんなところにお一人で来られては、危険ではないのですか?」
 お玉は不安げに訊いた。
「なーに、大丈夫。」
 五右衛門は天井で小さく笑った。
「それより、お玉さまにはつらい知らせです。
 光秀の殿が殺されました。」
「存じております。
 父上は信長公に御謀反なさったとか、」
 お玉は、義父長岡藤孝から聞かされたことを言葉にした。
 あれは宮津城の藤孝の茶室だった。
 藤孝は窪んだ眼で、お玉を睨むように見つめながら、本能寺の異変を説明し、「そなたは謀反人の娘となったのだ」、とまで言い放った。
 恥辱で身が強張った。
「そのために、しばらくの間、そなたを幽閉しているように見せかけねばならなくなった。
 ほとぼりが冷めれば、じきに宮津の城に呼び戻すゆえ、しばらくの間だけ辛抱してくれ。」
 藤孝を隣にした夫の長岡忠興は、沈痛な表情でそう言った。
「明智の父のせいでご迷惑をかけてして、申し訳もございませぬ。
 仰せのとおりにいたします。」
 わずか二十四歳の嫁は、心の底から、義父と夫に詫び、この幽閉生活に入った。
「ふん、いかにも藤孝の言いそうなことよ。」
 五右衛門が鼻先で笑った。
「お玉さま。
 そんなことは、全て嘘でござる。
 光秀の殿も信長も、きたならしい謀にかかりました。わが祖父の直道も、京の町で殺されました。
 三人とも、無慚な死に様でありましたぞ。
 光秀の殿を信長殺しの謀反人に仕立て上げて殺したのは、羽柴筑前守秀吉と、信長の茶頭である千宗易。
 そして、あなたさまの義父の長岡藤孝。
 それをお知らせしたくて参上した。」
「長岡の御義父上が?」
 義父と五右衛門、二人の話が違いすぎている。お玉は驚きの声を上げた。
「さよう。
 謀反人の一軍の中に、長岡の者がいるのを、俺のこの眼で確かに認めた。
 理由は定かではないが、長岡藤孝は光秀の殿に以前より深い恨みを抱いていた様子。われら山の民のしろがねの秘密も、長岡の手の者によって暴かれました。」
 お玉は、信じられぬ、という表情になった。
「ただ、この一件に、忠興殿は絡んでおりませんな。あのお方は、父の藤孝から何も知らされてない様子。」
「そうですか…、」
「倫子さまも、光秀の殿の奥方様も、お玉さまのご弟妹も、明智の一族の方はことごとく亡くなられました。
 この世で光秀の殿の血を引くお方は、お玉さまただ一人(いちにん)だけとなりました。
 この度のことについては、わしらにはわしらの存念がありますが、お玉さまのご意向もお聞きしておきたいと思いまして、本日こうして参上した次第。」
「五右衛門さま。
 とにかく、お姿を見せてください。」
 お玉が懇願した。
「では、」
 声とともに、天井の板が外され、五右衛門が降りてきた。





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やっぱり、菊地研一郎!

2016年05月23日 10時18分23秒 | 近況報告篇


       やっぱり、菊地研一郎!



 午前9時50分に、研一郎から電話があった。

「お〜い。待ってたぞ。」
 無聊を囲っていた僕は、感激の声をあげた。
「世川さん。
 ルーター使用のパソコンは、そうしたことがおこりやすいんです。
 いったん電源を切って下さい。」
 僕は言われたとおり、電源を切り、
 再び電源を入れた。


「研一郎。
 また妙てこりんな画面が出て来て、動かなくなったぞ。」
「だったら、
 もう一回電源を切ってみてください。」
「わかった。」
「電源を入れたらどうなります?」


「け、研一郎。
 直ったよ。
 いつもの画面に戻ったよ。」
「またWindows10への移行処理が始まったら、同じことが起きるかもしれませんけど、
 とりあえずはそれで大丈夫でしょう。」
「ありがとう。
 本当にありがとう。」
「じゃあ。」
 恩着せがましい自慢話など一言もなく、
 研一郎は電話を切った。


 菊地研一郎は、やはり、僕の神さまであった。


 さあ、これで、何の不足もない状態になった。
 日経平均は300円もさげているけど、
 そんなものなんだ!って感じ。


 では、
 とりあえず、
 『本能寺奇伝』の掲載にかかろうか。




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メインパソコンが休憩に入った。

2016年05月23日 08時39分33秒 | 近況報告篇


        メインパソコンが休憩に入った。



 7時に目覚めたら、
 3台あるパソコンのうちのメインパソコンに、


    アップグレードしてます。
    32%


 という表示が出ていて、
 その後、ピクリともしない。
 そのパソコンにつながった2台のモニターが使用不可で、
 そのモニターの中に、『本能寺奇伝』の原稿が置いてあるので、
 掲載ができない。
 『〜備忘録』も、「お気に入り」でパスワードを知らないままそこに置いてあり、
 ここが開かなければ、『〜備忘録』も書けない。
 マイッタマイッタ状態だが、
 この時間に僕の神さま菊地研一郎を起こすのも悪いので、
 時の過ぎるのを待ちながら、
 サブのパソコンで、日記を書いている。
 

 このサブパソコンの方も、つい数日前に、Windows10に変わったばかりで、
 使い勝手に慣れておらず、
 操作が大変だ。
 特に、文字拡大の方法がわからず、
 字が見づらくて、「フ〜。」の現在。


 今日は、パソコン操作に苦労させられる一日になりそうだ。


 こういう状態になると、
 パソコン音痴の僕は、
 しみじみと、
 研一郎と猪上一生のありがたさを痛感する。
 あの二人だけには、臍を曲げられないように、常に三顧の礼を尽くそうではないか。
 あれも、これも、美味しそうなものは何でも食べてくれよ。猪上一生。


 一昨日、昨日と、大酒を呑み、
 僕の部屋の台所は、
 酒瓶とペットボトルの山となっている。
 よく食べよく呑んだ僕たち4人であった。
 結局、松坂屋地下で買った1キロの豚肉では足りず、
 昨日、マックスバリューに400グラム買い足しに行った。

 昨日のキムチ鍋は、僕ではなく猪上が作ったが、
 僕が作ったよりも美味しかった。


 話題には、青山俊夫との裁判の話、「我孫子健三」一派の話と、こと欠かなかったので、
 二日続けての楽しい語らい酒となったのであった。
 こんなにも楽しい話題を提供してくれて、
 青山俊夫君。ありがとう。
 「我孫子建造」君。ありがとう。
 いつかどこかで会えたらいいね。
 楽しい出会いにするためには、
 やっぱ、弁護士同伴くらいがいいかな。


 よく眠ったので、
 実にさわやかな月曜日の朝だ。
 ベランダの花壇では、
 ハイビスカスを筆頭に、20近い花が咲き乱れている。
 昨夕、しおれた花を摘んでやったので、
 どの鉢植えの花も、色鮮やかだ。


 今に研一郎から電話があるだろうから、
 それまでは、DVDでも観て過ごそう。




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森進一『女がひとり』

2016年05月22日 22時41分23秒 | 阿久悠雑感


        森進一『女がひとり』



 9時半に、猪上達3人が部屋を出て、
 僕は、独りになった。

 で、
 酔っぱらいのたわ言を書いてみる気になった。


 僕は、8年くらい前からの4年間、
 「ネットの売文業者」
 と名乗って、
「いい文章を書いていると思ったら、
 購読料を送ってくれ。」
 という生き方をした。


 3年前くらいに、株式売買で儲け出したので、
 それをやめた。


 中には馬鹿がいて、
 「コメント欄」に、
 「井上君。」
 などと、
 僕の本名を書いてきて、
 それで僕の弱みでも突いているみたいに思っているらしいが、
 こいつらは、昨日今日のモグリで、
 そんな本名は、4年間、毎日、送金口座に書いていたので、
 誰に隠すことでもなく、
 わざわざ、「これがお前の本名だろう。」とやって来る奴らを、
「馬鹿じゃないか?」
 と笑って来た。


 その売文業をやめて、約3年が経つ。
 「新日記」も、「備忘録」も、
 格別、「会員料を寄越せ。」としたこともない。
 だから、
 僕の「放浪日記」も、「世川行介備忘録」も、
 今は、ジジイの道楽だ。


 そうした環境の中で、
 たった一人だけ、
 今でも、
 僕が、
「今日は得心のいくいい文章を書いたぞ。」
 と、心密かに思う時、
 (それは「放浪日記」ではなく、
  きまって、「新日記」や「備忘録」だったが、)
 明くる日、
 5000円の購読料、を送ってくれる人がいて、  
 僕は、その5000円に、
 <知に拠って立つ人間>を維持しようとする自分を正当評価されたような気がして、
 嬉しかった。


 まあ、
 これは、
 そこいらの阿呆にはわからない話なので、
 ここに書くのは嫌だが、
 そう思って、感謝して来た。


 その人の名は、
 「SACHIKO」さん、という人で、
 僕よりも一歳年上だが、
 出た大学も立派なら、
 頭脳も、僕の数倍も若く明晰な人だ。


 その「SACHIKO」さんは、
 北海道室蘭の生まれで、
 僕は、数年前、2度室蘭に立ち寄ったが、
「この街は好きだな。」
 と思った。


 僕は、3年前、北海道に行って、
 半年ほどを過ごし、
「もう北海道には一生行きたくない。」
 そう思って帰って来たけれど、
 このSACHIKOさんの故郷である室蘭だけは、
 その限りではなかった。


 阿久悠が、室蘭市に頼まれて書いた。
 という歌があって、
 『女がひとり』
 というタイトルで、
 森進一がうたっていたが、
 それは、僕が21歳くらいの時の歌で、
 僕は好きだった。
 彩木雅夫のメロディも、優しくやわらかだった。


    旅人に似合いの終着の駅からは
    一人ずつ哀しい
    さだめ背負った人が降りる
    女の命一つに賭けて
    室蘭のこの街へ
    荷物も持たず私は来た


 僕は、二度と、札幌界隈なんてとこには足を踏み入れたくはないけれど、
 この室蘭や日高地方なら行ってもいいかな、
 そう思う。


    北国の室蘭 あの人が住むところ
    今日からは私も
    そっとあなたの側で眠る
    女の意地でつかんだ恋を
    いつまでも壊さずに
    夜霧よどうか 包んでいて


 僕は、何を書いているのだろう?

 きっと、
 最高の読者であるSACHIKOさんに、
 5〜6年間の厚意に対する御礼、
 それを言ってみたかったのに違いない。


 たまにはこんな日記があってもいいだろう。




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もう、日曜日も夕方だ。

2016年05月22日 18時28分20秒 | 近況報告篇


          もう、日曜日も夕方だ。



 結局、
 午後3時から、
 猪上一生と、「尼崎のN」さんとで呑み始めた。
 よく呑む僕たちだ。


 それだけならいいけれど、
 あの「我孫子建造」ご推奨の「京都の人」、
 というよりも、
 「我孫子建造」一派が、その全てに、嫉妬して、嫉妬して、嫉妬してやまない「京都の人」、
 まあ、僕たちは「京都のM」さんと呼んでいるけれど、
 その「女性」が、


「あらまあ、
 猪上さんに「尼崎のN」さんですか?
 楽しそうですわねえ。
 私も今からお邪魔しようかしら。」


 そんな電話がかかって来て、
「嘘でしょう?」
「いいえ。
 今から名古屋に向かいますわよ。」


 ということになって、
 最近ここに入り浸り気味で父君の不興を買っている猪上一生は、
 今夕は、その父君と「笑点」を鑑賞しながら一杯やる予定だったのだけれど、
 他ならぬ「京都のM」さんの来訪ということで、
「世川さん。
 今から家に帰って、
 親父の相手を軽く済ませ、
 Mさんが到着する6時半までには、ここに戻ってきます。」

 「尼崎のN」さんは、
「では、
 帰りは、僕が責任持ってお送りします。」

 ということになった。


 また今夜も、
 大笑い「我孫子建造」ネタと、
 猪上が大大大好きな世界の無学者「昭和郵便局の宮村」ネタで、
 新幹線最終までの数時間が過ぎるのか。

 いくら酔って神経が緩んでいるとはいっても、
 4人の腹の皮がよじれなければいいのだが。


 一昨日、
 「花清」でハイビスカスを一鉢買って来たが、
 そのハイビスカスが、今日、一輪咲いた。
 赤い花だ。


 ハイビスカス。
 夏の花。
 なんでこんなに可愛いのだろう。


 昨日今日は、名古屋も真夏日近い二日間で、
 僕のお花たちも、
 太陽に向かって、大きく花を開かせ続けている。
 さっき、一週間ぶりの「肥料入り水」を、20鉢に撒いた。


 美しい花々に囲まれた名古屋市昭和区生活。
 これからが楽しみだな。


 さっき、
 といっても、午後2時くらいだが、
 京都の佐賀千恵美先生から、
 5月19日実施の、対青山敏夫裁判の報告が届いた。


    何も言わないでちょうだい
    黙ってただ踊りましょ


 遠い昔、倍賞千恵子がうたった『さよならはダンスの後に』、
 それを生きている僕ではあるが、

「あ〜。しゃべりたい。
 あれも、これも、それも、
 しゃべりたくって、しゃべりたくってたまらな〜い。」

 悶々悶の日々に耐えている。


 早く僕を証人席に招待してくれないかなあ。


 うん?

 そうか。
 僕よりも、青山敏夫の証人席誘致の方が、絶対に先だな。


 では、
 今からまた、「尼崎のN」さんが待っている酒のテーブルに戻る。




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<通俗>スレスレの<文学性>  『〜備忘録』から転載

2016年05月22日 10時53分51秒 | 自選 文学篇


      <通俗>スレスレの<文学性> 



 「神戸のN」さんから「コメント」が来て、


   世川さんは、時々、
   推理小説や大衆小説を軽視するような発言をされ
   ますよね。
   推理小説好きの私には、ちょっとカチンときます。

   「文学」を愛する人たちは、
   えてして推理小説を馬鹿にするような発言を
   することが多いのですが、
   「世川さん、あなたもか」と思いました。


 と書かれていた。


 「神戸のN」さんは、
 大きな勘違いをしている。


 僕は、「その手の小説は自分は書かないよ。」とは言ってきたが、
 「読まないよ。」と言ったことは一度もない。


 事実として書くと、
 ここ20年間くらい、
 芥川賞受賞作なんてものを読んだことは一度もない。
 直木賞受賞作は、何作も読んだ。


 何故そういうことになるのかというと、
 文学もまた<溶解>を始めていて、
 <純文学>と<通俗小説>の境界線が融け始めているからだ。
 純文学と呼ばれるものを書いている連中は、
 芥川賞受賞作を<純文学>で高尚だと思っているみたいだが、
 今の社会の中で、そうした<純文学>作品が、何か格別な意味を獲得しているかというと、
 そうではない、と僕は思っていて、
 むしろ、そちらの方の作品を読む気がしない。


 ここの部分については、いつか詳細な文章を書かねばならないが、
 駆け足でいくつか要点だけを書く。


 優れた文学作品は、必ずと言っていいほど、
 <通俗性>と背中合わせの世界で書かれている。
 夏目漱石の作品群がそうであり、太宰治の作品群もそうだ。
 詩歌でいうなら、
 中原中也の詩もそうだし、
 石川啄木や福島泰樹の短歌も、
 ひとつ間違えたら<通俗性>の地獄に堕ちかねない危険な均衡状態を維持した場所で書かれている。


 僕は、ある時期まで、
 日本の推理小説は、ほとんど全部読んだ。
 横溝正史から、松本清張から、森村誠一、佐野洋、
 宮部みゆき、白川道、横山秀夫…、
 これでもかってくらい読んだ。


 大衆小説も、たいがい読んだ。
 半村良、つかこうへい、西村寿行、藤沢周平、
 阿佐田哲也、結城昌治、生島治郎、源氏鶏太、
 隆慶一郎、永井路子、司馬遼太郎、鎌田敏夫…、
 ここいらあたりは、全作品を読んだのではないのか?

 他にも、
 連城三紀彦、宮本輝、高橋克彦、五木寛之、逢坂剛などは、
 僕が42歳まで、あるいは、「こいつはもう駄目だな。」と見切りをつけるまでの作品は、全作読んだように記憶している。

 この数年は、
 浅田次郎の、人情本書きの達者さが気に入って、
 読書時間があると、彼の短編を読むようにしている。


 これらの作品は、
 何と言っても、
 読んでいて、面白い。
 面白いのはとってもいいことで、
 大切だ。


 ただ、
 彼らの難点は、
 自分に設定した「自らのポジション」から一枚抜け出ようという努力が欠けていて、
 自らの設定したポジションの中で作家生活を無難に全うしてしまうことだ。
 たとえば、山本周五郎が、「大衆小説」の枠を借りながら、
 『おさん』、『あとのない仮名』と、
 一歩の坂道を昇ったような努力、
 それが見られない。
 それを僕は惜しんでいる。


 浅田次郎だって、
 人情本作家としては、当代一流だが、
 しかし、そこまでで、
「泣かしゃいいってもんでもないだろう。」
 と、僕などは思ってしまう。


 そういう観点から言うと、
 阿佐田哲也のマージャン小説や、
 隆慶一郎の「まつろわぬ民」の歴史小説は、
 通俗小説の衣を着た<何か>であった、
 と理解している。

 といった風に、


 「神戸のN」さん。


 僕は、大衆小説や推理小説が大好きで、
 あなたと同様(…?)、歳をとって来ると、
 読みやすさから、それが一層になって来る。


 ただ、

「じゃあ、お前はそういう作品を書きたくはないのか?」
 と訊かれたなら、
「折角ですが、
 42歳の時に、「この世の一番卑小な場所にまで降りよう。」と決めた僕には、
 その種類のものは、書く気がまったくありません。」
 としか答えようのない生き方をして来たので、
 そう答えるしかない。
 ということなのですよ。


 あとは、今度。


           (『世川行介備忘録』から転載)





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アイドル刺傷事件に思う。

2016年05月22日 08時15分52秒 | 自選 時々への発言
 

         アイドル刺傷事件に思う。



 昨夜はしたたかに酔っぱらって、
 11時過ぎに眠って、
 今朝7時に目覚めた。
 隣の部屋では、「尼崎のN」さんが眠っている。


 ネットニュースを見たら、
 まだ20歳のアイドル女性が、
 どこかの馬鹿男に、20か所も刺されて重体になっている、
 と書かれていた。
 痛ましい事件だ。
 刺した男は、まだ27歳だそうだ。


    東京都小金井市の建物の敷地内で、
    アイドル活動をしている冨田真由さん(20)が
    男に刃物で首や胸などを刺された。
    冨田さんは病院に運ばれたが20カ所以上を
    刺され意識不明の重体。
    富田さんは警視庁に、ブログやツイッターに
    執拗(しつよう)な書き込みをされていることを
    相談をしていた。


 この刃物男の姿は、
 僕のこの日記に執拗に悪態落書きを書いて来てやめない阿呆たちと同じ根を持つ人間の姿だ。
 つまり、
 <悪態幽霊>というやつらは、
 この女性のブログに執拗な書き込みをした刃物男の予備軍であり、
 この刃物男と似た行動をとりかねない輩は、この国にごまんといる。
 ということだ。


 <悪態幽霊>というのは、
 今は、凶器が「名無しの文字」だが、
 本質的には、
 「こいつらの心」は、僕の肉体を刺そうとしていて、
 そんな自分を「正義だ。」と思い込んでいる。
 これが実状だ。
 僕たちは、そこを冷静に理解しなくてはならない。


    現場近くの店員は
    「事件直後“俺がやった。俺がやった”と叫ぶ
    男の姿を見たという人がいる」
    と語った。


 この、“俺がやった。俺がやった”。
 これこそが、平成ネット荒野のダニたちの象徴的な言葉だ。
 僕の日記を呆れるほどに襲ってくる、無学で、卑怯で、倫理観を持たない<悪態幽霊>たちが、アイドルに向かったなら、
 間違いなくこうなることだろう。
 まあ、或る種の思惑を抱えて襲って来ている「我孫子建造」一派は例外だが、
 それとても、
 自分のためなら何をしても許されると考えている甘ったれの卑怯者たちのやることだ。


 本名での自分の非違を指摘されたら、
 被害者面して、「名誉棄損だ!」とか叫び狂うが、
 自分自身は、平気で、名無しの権兵衛で他者攻撃を繰り返せるゆがんだ精神構造、
 こうした姿に、
 僕たちは、
 ネットの普及が誘引した「人の我がままと卑怯」の実態を読み取り、
 そのような人間を育てた「親たちの教育」を想像し、
 現在の「日本の家庭教育」の困難に思いを馳せるべきなのだ。


 痛ましい刺傷事件のニュースを見ながら、
 そんなことを思った。




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