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『世川行介放浪日記 貧乏歌舞伎町篇』のご案内



        5月18日発売。



  『世川行介放浪日記 貧乏歌舞伎町篇』





     



     




  著 者   世川行介
  出版社    彩雲出版
  価 格   1400円(税別)






      第二弾『愛欲上野篇』


      7月中旬発売予定



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インデックス 



小説『本能寺奇伝』  彩雲出版 税込み価格1944円



    

     直接僕にご意見のある方は、
      以下のメールアドレスに送信ください。


         segawakousuke@gmail.com
           会員制ブログ(2016年4月30日~)     『世川行介備忘録』     (http://blog.hatena.ne.jp/segawakousuke/)

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どこに<溶解>の影を見るか   同時掲載



    どこに<溶解>の影を見るか   同時掲載




 先日岡山の妹尾さんと一献傾けていた時、
 彼が、
「私たち60代70代が財布の紐を締めているのは、
 今が不景気だからじゃないんですよ。
 将来自分の財産が目減りするかもしれないという不安があるからですよ。
 政府の経済政策で将来資産が増えるという可能性があったら、財布の紐は緩めますよ。」
 と言っていて、
 生活実感を持たずに生きてきた放浪者の僕は、
 現在は年金生活者である彼の言を興味深く聞いた。


 もう一つ、
 この間、青年1500人だかが東京でデモをして、
 その中の一人が、
「時給1500円にしてくれたら何とか生きていける。」
 と言っているのをネットニュースで読んで、
 こいつにはちょっと驚いた。


 僕は昭和57年から14年間、特定郵便局長をやっていて、
 毎月臨時雇(アルバイト)の給料を出していたのだが、
 経済バブル序走期での末端国家機関の最低賃金は、600円超で、
 経済バブルの絶頂期に1000円になった時、
「すごい時代になったもんだな。」
 と思ったものだった。

 そんな僕から見たら、
 経済バブルの崩壊から経済音痴の民主党政権を経て、
 やっとここまで回復した段階で、
「時給1500円を!」
 とデモる青年たちは、「いい気な兄ちゃんたちだねえ。」としか思えず、
 まあ、そんなのはそれで、ご愛敬だからいいのだが、
 それを「ニュース」として取り上げる側の意識を疑った。


 今日、時事通信が、
 16年度の失業率が、3%と、22年ぶりの低水準になり、
 有効求人倍率は、26年ぶりに1.39倍になった。
 と報告していて、
「反自民はなんだかんだと自民党を批判するけれど、
 庶民の側に立つならば、
 これだけ庶民経済を浮揚させた安倍政権の実績は認めざるを得ないだろうな。」
 と思った。


 この数年間の反自民、わけても、民進党の政府批判の無残さは、
 経済政策を打ち出せず野に下った面々が、自民党の経済政策は真正面から批判できず、
 仕方がないので、
 生活感の希薄な「永久倫理」を引っ張り出してきての理念闘争に明け暮れたためだ。
 一番真剣に論じ合わねばならない箇所での論議を避けての卑怯者戦略は、
 国民から政治というものへの関心を希薄にさせた。
 つまり、
 現在の白茶けて融けかかっている状況は、
 与党自民党がもたらしたものではなく、反自民たちが招いたものだ。
 現在民進党代表の蓮舫の、折々の発言を見ると、
 何一つ庶民経済の向上には言及していない事実に気づくはずだ。
 明けても暮れても、
 政府の細かな瑕疵を、それが致命的欠陥であるかのように責めて過ごしているだけだ。
 ここのところの認識をきちんとしておかないと、
 <時代>を正確に読み解くことができなくなる。


 朝日新聞と日本共産党が手を組んで、
 とにかく右傾保守政権である安倍内閣を倒そうと、
 くだらないとしかいいようのない発言や紙切れを、「証拠」かのように針小棒大に国民に掲げるが、
 もう、この手法で踊る国民はほとんどいないだろう。
 放言男籠池何某が、財務省の役人に向かって安倍晋三のバカ女房の名を出したからといって、
 それが何なんだ?
 安部側が、「勝手に使ったんだろう。けしからん。」と否定したら、
 籠池は、ただの恐喝罪じゃないか。


 この、ひょっとしたら恐喝罪になりかねない男の発言を「100%の証拠」として使おうとする朝日新聞や日本共産党の姿勢の奥底に、「融けつつある日本」を読み解くことが、
 いま僕たちには求められている。


 と書いても、
 多くの人は、そんなことには気づきもしないが、
 皆さんくらいは、それを肝に銘じていただきたいな、
 と、僕は願っている。



                (「~備忘録」との同時掲載)




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読み取るべきを読み取る努力



      読み取るべきを読み取る努力

      



 僕は、かなり疲れているみたいだ。
 6時過ぎに仮眠をとろうと、ソファに横になったのだが、
 目が覚めたら、もう、9時だった。
 眠りが深かったらしく、躰中が芯までしびれたような感じで、
 起き上がるまでに、15分くらいかかった。


 パソコンを見たら、
 午後にコメントをくれていた「川瀬保吾」さんというHNの方が、また、コメントをくれていた。


 そう。
 この騒動は、「週刊誌劇場」の極めつけとして楽しめばそれでいい類の事件だと、
 僕も思う。


 僕が、この騒動光景を遠望していて、一番感じたのは、
 <法>の現在、
 ということだった。


 マスコミや民進党や共産党が、
 必死になって「<法>を超えた<正義>」を自分たちに与えようとするその姿に、
 僕などが重視してきた<法の迂遠の価値>が溶解していくのを感じ、
「この平成日本において、庶民の中の<法>はどう変質していくのだろう?
 今に、裁判官も弁護士も不要な即刻判決社会にでもする気かい?」
 それを思いながら、彼らの言動を眺め続けた。


 僕たちは、40年くらい前に始まった、
 テレビのワイドショーによる「人民裁判」に強い不快感を覚えた世代なので、
 今回の騒動を見ていて、
 あのワイドショー的攻撃が民進党やマスコミにあからさまに出ているのを感じ、
 言うべきことは言わなくてはならないという僕の<生きる流儀>に従って、
 とりあえず、異議申し立てを書いている次第だ。


 書いたからと言って、多くから賛同を得られるなんぞ、思ってもいない。
 この日記を書きだしてから今日まで、 
 そんな甘ったれた「ないものねだり」は考えたこともない。
 「書き残しておくこと」。それが僕の務めだ。


 この数年、
「溶解の時代に入った。」
 と書いている僕だが、
 社会の溶解がどんな形や経路を見せるのか、
 それはまだよく見えていないので、
 眼(まなこ)を開いて、じっくり凝視し続けたいと思っている。





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「コメント」に。



       「コメント」に。


 おっしゃるとおり、
 どっちもどっちの阿呆な「痴話喧嘩」ですよ。
 真面目に眺める気にもならない。


 「掌返し」というのが事実かどうかさえ、
 もう、わからなくなっているし、
 どっちがどう「掌」を返したのか、
 それも、もう、闇の中でしょう。


 ただね。
 籠池という男、あの男は「男の子」ではありませんよ。
 あれは、放言好きのただ強欲な小心者。
 それ以外の何ものでもありませんよ。
 あんなのが「男の子」と呼ばれたら、
 全国の「男の子」が、「冗談じゃないよ。」と苦笑することでしょう。


 放言籠池と安倍晋三のバカ女房、
 いい手合いじゃないですか。

 そして、
 悪事がばれた時には、
 権力のある側がない側に罪をおっぶせる、
 そんなの、江戸期からずっとの光景でしょう。
 そんなこともわからずに悪事に乗った籠池が馬鹿なんです。


 この騒動を遠望していて、
 僕などが思うのは、
「脇の甘いやつらが、脇の甘いことをやった結果だな。」
 ということだけです。


 この騒動の光景を鳥瞰して、
 マスコミや反自民も含めて、
 この戯画的光景の背後に存在しているものは何か、
 この人たちが動いている地面に在るものは何か、
 それを考察することが一番大切だと、
 僕は思います。





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久しぶりに氷川きよしの唄を聴いた。



      久しぶりに氷川きよしの唄を聴いた。




 やっと原稿の構成文章が決定したが、
 今日からGWの終わりまでかけて、
 それらの文章の語句訂正や文字削除、行替え、といった作業を完了させなくてはいけない。
 少し風邪気味だが、そんなことで気を緩めているゆとりはない。
 風邪薬の効力だけを頼りに、朝からパソコンの打ちっ放しだ。


 いま僕が編集している時期というのは、
 僕が、東新宿から上野へ、さらに吾妻橋へ、と流れた時期の文章群で、
 さっき、氷川きよしの『浅草パラダイス』という、浅草に流れて覚えた歌を聴いて、
 あの時期を懐かしんだ。


 氷川きよしという演歌歌手は、
 それまでの自覚的な演歌歌手なら誰でも試みた、
「演歌のそれまでの壁を破る冒険」というのを、
 歌詞の面からもメロディの面からも、
 一回もやらずにスターを続けた稀有な演歌歌手だ。
 多くの人が、「これが演歌だ。」と軽くイメージする枠の中での作品ばかりを出し続けたので、
 それなりのヒットは出し続けたが、
 人がハッとするような新鮮な作品は、とうとう今日まで出さずじまいで来ている。

 僕は。けっこう歌謡曲に関心を持ってこの歳まで来て、
 ある時期までの歌謡曲の歌詞はほとんど記憶している自慢の男だったが、
 氷川きよしの代表曲は?
 と自分に問うと、
 曲名が出てこない。
 デビュー曲の何とかいうコミック演歌か、
 なかにし礼が作詞した『櫻』、
 わりかし好きだった『虹色のバイオン』、
 それに、この『浅草パラダイス』、
 それくらいだが、
 歌詞を覚えている作品が、一曲も、ない。
 これは演歌歌手にとっては悲劇のように思える。


 あと20年くらいしたら、
 日本国民の頭の中には、
 氷川きよしの唄は消えているのではないのか?


 きっと、
 この歌手のスタッフが、「演歌とは何か?」なんてことを全然考えない人たちで構成されているのだろう。
 そんなスタッフで、あれだけ長い間人気歌手が続くのだから、
 これも平成日本ならではの話だ。


 いつか、
 僕などがハッとするようなすごい歌詞の唄を出すといいな。





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あの事件と同じだな。



      あの事件と同じだな。  




 経済バブルの頃、
 コーリン(光進)という仕手集団があって、
 わが世の春を謳歌していた。

 そこの総帥の小谷何某というのが、
 財務省だがどこかに乗り込んで、
「俺が(国会の)階段を駆けのぼったら、
 政界のてっぺんまで…、」
 とかなんとか言って役人を脅し、
 それで、
 恐喝罪かなにかで捕まって、
 その仕手集団は崩壊した。


 昨日からの、籠池の録音データに関する記事を眺めていて、
 あの事件を思い出した。


 小谷と籠池、
 やってることは、まったく同じじゃないか。

 こんな恫喝行為が一言も責められず、
 名前を引き合いに出された側だけが責められねばならないのか?
 好き嫌いの感情の問題じゃないだろう。


 録音データ報道を流し読みする限り、
 籠池のやっていることは、
 これは明らかに「恫喝」であって、
 共産党から朝日新聞、何とかテレビまで、
 それに一言も言及しない感覚の異常さに、
 僕などは、
「?」
 と思わざるを得ない。

 報道世界、
 どっか、狂ってるんじゃないのか?





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また、朝日・共産連合軍か?

 

      また、朝日・共産連合軍か?




「民進党代表を、
 辞めて済む、謝って済む話ではない。」
「あまりにも国民をバカにしている。」
「おごり、緩みのレベルではない。任命責任が厳しく問われる」


 今村とかいう失言大臣の更迭に対して吐いた民進党代表蓮舫の言葉の一番上に、
「民進党代表を、」と付け加えたら、上のようになる。

 阿呆すぎる蓮舫を党代表に担いだ野田佳彦や岡田克也への一番の批判になるし、
 どんなに非難されても辞任しなかった蓮舫に比べたら、
 辞任した今村は、政治家としてまだマシだったな、
 という世論を喚起するには、いい発言だ。


 自分のことを棚に上げて、
 よくシャーシャーと言ってるよ。
 他の政治家が言うならともかく、
 この女が、他人のことを偉そうに非難できた柄か。


 籠池という放言男が、
 また、共産党経由で、録音データなるものを出してきた。
 朝日新聞が嬉しそうに報じていた。

 森友学園が民事再生をやる羽目になって、
 社会的に葬られた腹いせなのかもしれないが、
 阿呆らしくて聞いちゃいられない。


 財務省の役人が安倍晋三の女房の名前でも口にしたのかと思って読んだら、
 籠池が、相手に向かって安倍の女房の名を出した録音で、
 それで、安倍の女房の関与が強くなった、と言っている。
 馬鹿としか言いようがない。
 こんな主張に国民が拍手でもすると思っているのだろうか?


 音声データ?
 共産党といい、朝日新聞といい、どっかのテレビ局といい、籠池といい、
 こいつらは、
 法において「証拠」とは何かを知ってやっているのか?

 こんな週刊誌ネタにしかなりようもないものを、
 100%証拠かのような貌で出して来る根性があさましい。


 社会から信用をまったく失うくらいに放言癖ある籠池何某が、
 かつて人との会話に安倍総理大臣のバカ女房の名を出したからと言って、
 それは、安倍のバカ女房が悪いのか?
 お偉いさんの名を引き合いに出さないと何もできないはったり男のさもしい根性こそが責められるべきだろう。


 もう、日本中の大人が、
「こいつの言は眉に唾をつけなきゃ聞けないな。」
 と思っている籠池何とかをまたぞろ引き合いに出してくる阿呆さ加減。

 これが、政党や新聞社のやることか。




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一休みの短い日記。

 

       一休みの短い日記。





 彦根は、さすがに今日は、朝から雨だ。
 東向きの窓に向けて机を置いている僕には、
 雨の日は眼が痛まずに済むので、大助かりだ。
 今朝から、休みなしのパソコン三昧だった。


 たまに株価ボードを覗くと、
 今日は、
 世川推奨銘柄Bであったクラリオンが、15円高して飛んで来て、
 380円台の安値を見せて、弱気の提灯筋を投げさせた後、
 一気に60円近く戻した勘定だ。
 すごいことをやる。

 それにしても、
 昨日の東武といい、今日のクラリオンといい、
 戻す株は戻してくるものだなあ。
 感心する。

 昨日は売り物を誘ったソニーも、
 今日は澄ました顔で、3740円をクリアしてきている。


 日経平均は、現在198円高で、19277円。
 あっという間に戻したな。
 弱気筋に投げるだけ投げさせるという、1カ月の調整期間が、無事終了したみたいだ。
 素人投資家は、結構投げたんだろうな。
 連休明けからが楽しみな今日の相場光景だ。


 昨夜、午前一時にもなって、
 気分転換に流し台に向かい、
 金山寺味噌がなくなったので、
 柚子味噌を使って蕗の薹の「蕗味噌」をつくったら、
 これは、見事な失敗作で、
 食べれたもんじゃなかった。


 やっぱり僕は、作る人ではなく、食べる人をやっていた方がいいみたいだ。




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<官僚社会主義>化は止められない。



     <官僚社会主義>化は止められない。





 僕は、この「放浪日記」を書き始めてから、ずっと、
 この国に浸透定着しつつある<官僚社会主義>化への批判的言及を続けてきた。
 僕は、平成日本庶民の抵抗の威力など、まるで信じてはおらず、
「この国は、いずれ、世界でも比類のない<官僚社会主義国家>になるだろう。」
 と思っている。
 この国の民は、
 上部に管理統制され、思考施策しなくても済む生活が好きなのだ。


 ただ、
 僕個人は、そんなものは真っ平ごめんだったから、
 <野垂れ死にをも許される自由>を希求して、
 42才からの20年ほどを、
 国内にいながら国家権力とは無縁の<放浪者>として、「社会のくぼみ」を生き続けた。
 たまに書く本は、<官僚社会主義>化への疑義の書ばかりだった。


 その手の本を書いていた頃、いつも思ったが、

 省庁の息のかかった民営企業は、この日本にどんどん増えた。
 特に、
 かつて現業と蔑まれた国営事業が、いま、ほとんど民営化され、民間企業として存在しているが、
 それらは、どれも、完全な民間企業ではなく、
 体質的には、官庁と同じものを持っていながら、名前だけは民間企業となっている。
 JR然り、NTT然り、郵政三事業然りだ。
 他には、道路公団を親とする変形民営会社もある。


 これらの企業が生粋の民間企業とどこが違うかというと、
 一つは、役人の天下りに非常に寛容であること。
 もう一つは、
 入社試験のランクによって、
 入社時に、社員はすでにランク付けされて、将来が限定されている、
 という点だ。
 僕には、これは、民営会社のあるべき姿ではないと思うのだが、
 官公庁主導で民営化された企業は、この形態が多い。


 こうした疑似民間企業は、現在、その収容人数を増やすばかりだ。
 元々が人手の必要な現業部門だったから、
 当たり前と言えば当たり前の話で、
 これに、警察や自衛隊を加えたら、膨大な数になり、
 その家族親族を加えたら、もっともっと膨れ上がる。

 そうした人数を計算すると、
 この国で、国家に逆らっての革命など、夢のまた夢の現状なのだが、
 反自民は、根が馬鹿だから、そんな計算もできず、
 理念で政権が転覆できるという幻想を振り撒いてやめない。


 今回の民営「日本郵政」の巨額損失は、
 そうした、民営化企業におけるお役所体質が露わにされた一例だ。
 僕は、もう、郵政事業に関して書くのは飽きが来ているので、詳しい説明など面倒で嫌だが、
 一言でいうなら、「根っこは同じ物語だよ」ということだ。


 僕は、この数年、
 日本は<溶解>の時代に突入した、と書き綴ってきたが、
 <溶解>を促進するのは、高級官僚たちの<官僚社会主義>への強い意志と、
 それをたやすく受け入れる国民の無意識だ。


 日々の週刊誌劇場でお祭りをやっている間に、
 国民生活は、融けてドロドロになっていくことだろう。 
 しかし、
 その頃には、僕は死んでしまっているだろうから、
 社会のことなんか、どうでもいい。
 自分の<野垂れ死にをも許される自由>を守るだけで手いっぱいだ。





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日本郵政の赤字転落に。



      日本郵政の赤字転落に。



 日本郵政が、
 日本郵便の豪子会社買収事業に伴う巨額損失のため、
 連結最終で400億円の赤字に転落する、
 という。


 郵便事業は、その事業内容から、利益率の薄いものであった。
 しかし、全国津々浦々に通信の恩恵を付与するためには、どうしても必要なものだった。
 郵政民営化が騒がれた際、
 僕などは、
 郵便事業だけは赤字覚悟の国営事業で維持されるべきだ、と思っていたが、
 国民の絶大な支援を得た小泉純一郎によって、
 郵政三事業は、根こそぎ民営化になった。


 それは、時代の必然なので、僕などはただその後を見つめるだけのことだったが、
 今日、記者会見の中で、社長が、
「固定資産の一部の計4003億円を減損損失として計上する」
 と軽く言っているのを眼にして、苦笑した。


 ムードに酔ってばかりで、詳細な検証をするのは苦手な馬鹿にはわからないだろうが、
 その「固定資産」というものは、
 民営日本郵政が自力で得た資産など、ほとんどない。
 それらは、かつては「国家財産」で、
 民営化と同時に民営日本郵政に払い下げられたものだ。
 こんな国家財産の無駄遣いが、どこにあるのだ?


 民進党あたりは、くだらない政局ごっこをする暇があったら、
 こうした国家資産が、民営化の名のもとに軽く流失していくことの疑念を世に問うてはどうか。


 僕は、
 国内の郵便局の局員たちが、わずかな郵便収入を紡ぎ出すためにどれほどの苦労をしていたかを、よく知っているので、
 役人商売のこんな阿呆みたいな赤字転落記事を読むと、
 彼らの口惜しさを思って、憤懣やるかたない気分になる。





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「相場局面の変化」ということについて。



   「相場局面の変化」ということについて。


 さすがに、眼が疲れ果て、3時前から5時半まで眠りこけていた。
 頭がガチガチになっていたが、2時間半の睡眠で、少し柔軟になったみたいだ。
 また今からパソコン打ちに専念しよう。


 昨夜、手すき時間に、
 越後湯沢から送られてきた蕗の薹を使って、「蕗味噌」をつくったら、
 それが、また、味わい深い苦味があって、
 格別に美味く、
 つくった分をたちどころに全部食べ終わるというのを2度も繰り返した。
 すると、今日は体重が1.4キロも増えて、
 73.4キロにまで戻ってしまった。
 今夜は何も食べずに一晩を過ごそう。


 この一週間ほど、
 もう、あまり深く書きたくはなかった心を抑えて、
 東京株式市場の今後の方向性について言及し続けた。


 本日、東京株式市場は、あっさり19000円台を奪回して、19079円で終わった。
 僕の眼には、なるべきしてなった結果だ。


 僕は、ここ一カ月くらい、
「相場の転機」や「局面の変化」ということについて、かなり大切なことを親切に指摘してきたつもりだが、
 まあ、政治でも株式でも目先の動向に囚われるのが得意な人たちばかりだから、
 真面目に読んだ人は、きっと少ないことだろう。
 儲けそこなうのは人の勝手だから、僕にはどうでもいい。
 僕は、折に触れ株式市場に言及してきた人間としての責任感で書いただけだ。
 僕としては、自分の門下生たちが僕の教えを素直に守って儲けさえすれば、それでいい。


 昨日今日の市場の力強い反騰で、
 卑近な例を挙げるなら、

 今日の引け値で、
 僕の門下生たちの信用取引の利用枠が、
 これまでのマイナス評価が消え、プラスに転じたばかりか、
 利用枠の金額が大きなもになっている。
 つまり、
 彼らは、明日から買い攻勢に出ることが可能になったのだ。


 この変化は、とっても大切だ。
 こういう反騰の恩恵を受けた人は、僕の門下生以外にも少なからずいるだろうから、
 これは、きっと明日からの相場には強い援軍になることだろう。


 この一か月くらいの下落場面を見ていて思ったが、
 僕の門下生たち(破門者たちのことは知らない)は、
 昨年末からの利益金を、最高でも、半分くらい損金に充てて追証をしのいだだけで終わった。
 ここが昨年とは全然違っている。
 昨年ならば、儲けを吐き出した上に足が出ていた。

 昨年と今年のこの違いを正当に判断する能力を、
 個人投資家たちは持つべきであろう。





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お~い。青山俊夫。東武が上がってきたぞ~!



    お~い。青山俊夫。東武が上がってきたぞ~!




 ちょっと早いが、
 煙草買いのついでに、がんこ堂に寄って立ち話をして帰ってきてパソコンを見ると、
 今朝書いておいた東武株が、非常に健闘していて、
 いま、577円買いの6円高になっている。
「その調子で頑張れよ。」
 声援を送った僕だ。


 この東武株は、
 ナイルスナイルオーナーの青山俊夫(敏夫)君の二枚証文裁判で、
 青山俊夫君から、
 時価550円の計算で、5000株、仮差押えを食っている。
 ぴったり275万円分。
 まだ裁判が決着ついていないので、
 仮差押えのまんま。両者見合って待ったなし状態。


 しかし、
 そろそろ15万円の余剰金が生まれる。
 裁判所が管理しているから、
 仮差押えはしても、余剰金まで持って逃げることはないだろう。
 ここからどこまで上がるのかなあ。
 楽しみだよ。世川行介。


 あと300円くらい上げたら、
 275万円出して、
 株券を引き取ろうかなあ。





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今朝も彦根は朝陽が眩しい。



     今朝も彦根は朝陽が眩しい。




 今朝の彦根も快晴だ。
 窓越しの朝陽で目覚めたのは8時半、
 躰中が、だるい。


 今ちょっと見たら、
 東京株式市場は、予想どおり、
 昨夜のニューヨーク高に支援されて、
 目先の目標である日経平均19000円奪回に向けて、
 それほど重圧感の感じられない反騰基調を強めている。


 世川推奨銘柄Aである東武株が、先日から力強い反騰相場をやっていて、
 今日は576円まで戻してきた。
 材料株相場が終わった後は日経平均採用銘柄相場が来る!
 その時のダークホースは、スカイツリーを持っている東武だ。
 と推奨してきた僕としては、
 今回の下落場面で下げ幅も少なく、戻り足の早い東武の動き、
 それに喜んでいる。


 しかし、
 今の僕には、基本的には、そんなことにはほとんど関心がなく、
 期限までがあとわずかになったパソコンに向かうばかりだ。


 今コーヒーを淹れて、
 誰がうたっている分かは知らないが、「サマータイム」という懐かしい歌を聴きながら、
 短い憩いの時間を過ごしている。
 僕は、この「サマータイム」という歌は何人かのシンガーの声で保存しているが、
 ヴィッキーのものが一番好きで、
 若い日、よく聴いた。
 夏のどうしようもないような気だるさと、夕暮れの哀愁のようなものが、
 作為的ではなく、声そのものの中に感じられて、好きだ。


 1ページを17行に設定して、290ページくらいにまで削除したのだが、
 1ページを14行に直したら、また350ページくらいに戻ってしまい、
 一昨日から、50ページの削除作業に入って、 
 ヒーヒー言っている。


 今回の書籍『世川行介放浪日記』は、
 「歌舞伎町篇」と「上野篇」の二巻で一対、という内容構成なので、
 第二部にあたる「愛欲上野篇」の編集には、かなり汗タラタラの毎日だ。
 しかし、泣き言は言っていられないので、
 今から、また、作業に入る。
 自分で言うのもなんだが、
 これまでの日記文章を時系列で編集してつくったものの割には、
 それなりのドラマになったような気がしている。


 元々が、
 古い読者に読んでもらえればそれでいい、と思って出版を考えたので、
 初版発行部数も少ないが、 
 新しい読者諸氏の皆さんも、よろしければ、読んでやってくださいな。
 書籍代1500円くらいの読後感は付与したつもりです。





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<大衆の無意識>の方向   同時掲載



     <大衆の無意識>の方向   同時掲載




 腰を落ち着けた話を二つの日記に別々に書いている時間的余裕が、今の僕にはないので、
 本来なら「~備忘録」に書くべき話だが、
 同時連載させてもらう。


 時代の大きな潮流を自分の知の中に確保したいと願う人間にとって、
 避けて通れないのは、<大衆の無意識>の方向性への考察だ。


 僕たちが時代の区切りとして、身をただして<大衆の無意識>を注視し始めたのは、
 1990年前後の世界的な東西冷戦構造の崩壊と、国内的には経済バブルの崩壊、
 その二つの事件だった。
 この二つの事件は、地続きだった戦後昭和という地層を、大ハサミで、バッサリ断ち切ったくらいの重みを時代に与えたから、
 時代を読み解こうとする者たちとっては、
 そこから起こる<大衆の無意識>の流れの変化には、眼を凝らして注視せざるを得なかった。


 あれから30年ほどの歳月が経つが、
 この国の知性は、あの二つの時代的事件を論理的に乗り越えたとは思えない。
 週刊誌劇場化されたネットニュース世界や、馬鹿しか立候補してはいけないのか?と思えるほどの政治現場光景を見ていると、
 あの崩壊の一番低級な残滓を引きずってきているようにしか、見えない。


 その一方で、  
 時代錯誤の教育勅語礼讃者が出てくるかと思うと、
 今はボロ雑巾でしかない亡霊左翼論理に化粧を施して<正義>の旗を振る馬鹿も後を絶たない。
 この、知の戯画光景は、<大衆の無意識>の負を反映した現象だ、
 という風に受け止めるところから、僕たちは、考察の歩みを進めなければならない。


 こうした「時代のくぐり抜け方」として、
 僕などが一番納得できたのは、
 吉本隆明が言った「その都度のイエス・ノーの時代」という処し方だった。
 「絶対の正義」がなくなった状況にあっては、それで時代をかいくぐるしかないではないか、 
と、僕などには思えた。


 しかし、
 それを一番考えねばならなかったはずの左翼陣営に所属する人間たちは、
 自分をいったんニュートラルな場所に移行させることがどうしてもできず、
 すでに正義ではなくなっている亡霊左翼論理を、「現在でも通用する正義」であるかのように振舞い続け、
 特にこの数年は、戦争法案反対!原発反対!と、
 あの二つの崩壊前と変わらぬ<正義>を叫び続け、盆踊りをやり続け、
 <大衆の無意識>の側から、捨てられた。
 だから、
 民進党という野党第一党の無残無様な現状は、
 <大衆の無意識>の方向性を読み解こうともしなかった知的怠け者たちに対する、<大衆の無意識>からの刑罰だ。
 この刑罰は苛烈で容赦がないから、
 ここしばらくの日本社会は、「週刊誌劇場」に甘んじて過ごさなければならないのかもしれない。

 本当に、
 阿呆の限りのネットニュース欄だこと。


 うん?
 <大衆の無意識>って何だ?って?

 そんなことは、自分で勉強しろ。




           (「~備忘録」と同時掲載)






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