予告
まもなくここが映像コーナーになります。本当は7月1日開始を予定していましたが、
少し早くなりそうです。
録画テスト
思えば、
よく4年間、飽きもせずに、<小沢一郎>に関する文章ばっかり書いてきたものだ。
4年間というのは、結構長い歳月だから、
千葉から阿呆臭を放ち続けた「私狂ってます・家旧来澄夫」から始まって、
遠藤勝人・李ひとみ・矢野健一郎の「馬鹿デモ卑怯デモいいじゃない三羽烏」、
いつも喧嘩に乗り遅れ専門で、「背中に罵声」の秋本SOBAじいさんまで、
読解力のない<悪態幽霊>たちの愚にもつかない罵詈雑言も、
今となっては、懐かしく思う。
人というものは、実に面白いものだ。
まあ、僕の人生で、あれほどの低級人間たちとつき合ったのは初めてのことだから、
あれこれ、結構、勉強になった。
たまには異次元に降りてみるも悪くない。
人には、知性も躾(しつけ)も必要である、と痛感した。
どうか、僕の別れた娘たちよ。
子供はきちんと育てるのだぞ。
子供は母親で決まる。
頼むから、あんな人間をこれ以上この世に送り出すなよ。
もう、読者諸氏が、この日記で僕の<小沢一郎>を読むことはないだろうから、
<小沢一郎>に関して、最後に高級な世川節を書いてみようか、
と思って、パソコンに向かったのであるが、
もう、無罪判決も下り、
僕が自分自身に課した役目は終わったから、
休憩時間にまだネットで意気(粋じゃないぞ)がっている理解力のない阿呆たちに、
僕の名文(!)を読ませるのは、いかにも勿体ないので、
「大切にしましょう。有料会員。
これからの本拠地は、「おねだりブログ」で〜す」
ということで、
それも、「新放浪日記」に持っていくことにした。
なにせ、今度の『新放浪日記』には、「悪態退治篇」がない。
昨夜、名無しの阿呆が落書きを寄越していたので、今日が最後の「悪態退治篇」だ。
半村良が『妖星伝』で言っていた。
「不要なものは消滅する。
消滅したものを人は恋しがり崇拝し、
それが、いつか、宗教とまでなる。
つまり、
無いものねだり」
ひょっとしたら、
僕の『新放浪日記』では、
<悪態幽霊>は、
読者諸氏の「無いもねだり」によって、<神>にまで昇格するかもしれないな。
おいらが大将矢野権現。
目立ちたいのよSOBA稲荷。
勃起不能は李明神。
「勃たないお前が疎ましい」が念仏だったりして。
遠藤…、
え〜と、遠藤…、
……、
駄目だ。
こいつはどうしても神にはなれないわ。
『世川行介放浪日記』最後の「悪態退治篇」でした〜。
新しい日記では少し正統派の作家論を連載したい、と考えて、
その第一弾として、「山本周五郎私論」を執筆にかかり始めた。
かれの文庫本は、吾妻橋に住むようになってから少し買ったので、
引用に困らない。
ただ、
もう一度読み直さねばならない作品がいくつかあるので、
今日はもう少ししたら、松屋の中の本屋に行ってこようかと思っている。
この日記が、そうした営みと重なり合う日が来るとは、
これまで想像していなかったので、
今度の会員制移行は、僕にとって、理想的なものとなった。
僕は、小沢一郎の正当な理解者を数多く欲しい、と思ったことはあったが、
自分のための数を欲しがったことは、ただの一度もないので、
この30人からの再スタートには、少し意気込んでいる。
もう日記を閉鎖してネット世界から姿を消させてもらうので、
正直な気持ちを言わせてもらうと、
いつも最後に出てくる「秋本SOBAじじい」がその典型的存在だが。
「ネット壮士」という種族は、本当に、無知丸出しの馬鹿ばかりだった。
おそらく、子供の時分に勉強なんぞしたことのない人間ばかりではないだろうか。
学校の勉強だけでなく、
青年期の思索、
大人になって、実生活上での人との誠実な対応、
自己研鑽、
そんなこととは無縁で過ぎてきた人間たちばっかりだったろう、と思う。
名を隠して他を謗(そし)って恥じない卑怯――。
この病毒に侵された輩(やから)が我がもの顔に闊歩している間は、
無料公開ネット世界に正常な言論エリアは定着しないだろう。
僕は、小沢一郎に関しては、そんな場所ででも論陣を張らねばならなかったので、
<悪態幽霊>や「〜国民会議」崩れの悪態合戦もやって見せたが、
判決直前の小沢支援運動体の「動員力の無さ」を確認して、
ネット世界に何の幻想も抱かないことに決めたから、
もう、悪態合戦の必要すらなくなったので、
あっさり、本格的な自己研鑽の場所に帰ることにした。
これからは、
僕の文章を読み解ける読者相手に書くだけの、わがままなもの書きに戻る。
そうした僕にとって、
昨夜、坪川昭治さんからメールがとどいたのが、
何よりも嬉しい。
読者も物書きを選ぶ。
83歳のこの大先輩の心に届く文章を書き続けるんだぞ、と、
開設を前に、自分を激励しているところだ。
会員制に移行したことで、
おそらく僕は、食うに事欠く生活に陥ることだろう。
何人かの人が、「どうして生きていくつもりだ?」、と、
懸念と叱責の言葉をくれたが、
僕は元来、<野垂れ死にをも許される自由>を希求して生きて来た男だ。
その<自由>を得るためなら、金も名誉もいりゃしない、
と、本気で思ってきた男だ。
そんな自分を捨てたら、今までこの背中に背負ってきた女たちの思い出が、泣く。
僕は僕らしく。
7日からは、
自分の生活思想を裏切らない物書きの一貫性を生き抜こう、
と決意している。
だらしない風化を重ねる平成の世に、
そんな偏屈な貧乏物書きが一人くらいいたって、
ご愛嬌、というものだ。