思いつくまま

時事、社会現象、その他・・・
何を書くかはわかりません。

タイトルどおりの「思いつくまま」(^^)

「絶歌」 18年前の元少年A手記

2015-06-19 01:14:15 | Weblog
あれから18年過ぎたのか。校門の近くに子供の首を置くという猟奇事件。
少年Aは32歳となった今、手記を出した。

表紙をめくると、祖母とその膝に抱かれた幼児の写真が出ている。この幼児は元少年Aだ。
なぜ、この写真が掲載されているのかは手記を読み進めると理解できる。
元少年Aにはこの祖母が大きく影響を及ぼしている。

おばあちゃんっ子だったらしい。おばあちゃんの死をきっかけに彼は「死」の哀しさを学んでいる。
どんな相手とも、生と死、この二極で別れなければならない無常さを体験している。
にも関わらず、なぜ、あのような残虐な殺人を行ったか?
手記には状況が述べられているが、やはり私が以前想像したとおり、
彼は被害者幼児のなかに自らの「善なる部分」を見つけていたようだ。

彼は自虐的・自罰的な思考のようで、「自分は受け入れられない存在、精神的奇形児」である事に一種のエクスタシーと安心感を感じていたようである。

しかし、幼児・淳君は彼に懐き彼を受け入れた。彼は淳君を「髪には天使の輪が出来て、大きな瞳の虹彩は僕の邪悪さを映し出す」と形容している。

彼は怖かったのだ。その純粋無垢さが、その清らかさが。自分の邪悪な部分を溶かしてしまいそうな瞳が。
そして、加えて彼の征服欲。
この清浄な魂をこの手で掌握したいという想いに駆られて、この子を生から切り離した。
・・・わかるような気がする。屈折した愛情だ。

ちなみに、彼は阪神神戸大震災の影響を受けた人である。復興のため、エネルギッシュに動く人々を見て、
そのパワーに感心するという、極めて「まともな感覚」も持ち合わせている。

と同時に死亡者の数を聞くと、「死というのは数字でしかない」とこれまた虚無的な想いも述べている。
同年のオウム真理教の毒ガス事件も然り。「死というのは数字でしかない」。

彼は述べている。
「阪神大震災と地下鉄毒ガス事件。このふたつは『死は死であって、それ以上でもそれ以下でもない』という
僕の考えに大きく影響を与えた」と。

しかし、この元少年Aとやら、文章がうまい。(ゴーストライター作でなければだけど)

風景や心理状態の描写の叙情豊かな事!そのときの情景が浮かんでくるわい。そして読者を引っ張り込む筆力、読んでいると自分がこの少年になったかのような錯覚が起こり、少年と気持ちを共有しそうになる。
これだけの文章が書けたら大したもんじゃ焼き。

そういえば、事件当時の「バモイオモド神」とかいう彼の作は、
読んだ人が「げっ!これ中学生が書いたん?めちゃうまいやないか」と評していたというのを聞いた事もある。

さてさて、この書籍は書店取り扱いしていないようである。全国10万部だそうだが、今朝の新聞では、「出版社は増版予定している」となっていた。図書館は貸し出し制限しているそうだし、被害者の弁護団は回収を要求の方向だそうである。
今後はいかなる事か?

神のみぞ知る!
にぱ~☆