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「自由と平等は両立するか?」№21 弱肉強食こそ真の平等

2017年05月06日 | 老人の知恵
 済みません、「自由と平等の定義づけ」なかなか良い考えが出て来ません。そこで少し視点を変えて「自由と平等」の現実を見てみることにしました。本来のテーマと少し離れるかも知れませんが、物事の真理に近づくための回り道と思ってお付き合い下さい。

 テレビなどで動物のドキュメンタリー番組を見ていると、肉食動物、例えば虎やライオンなどを主役としたドキュメンタリーでは、ライオンがシマウマなどの狩りをしていると狩りが成功することを期待し、狩りが成功したら良かった良かったと胸をなで下ろします。
 一方草食動物を主役にしたドキュメンタリーでは、虎やライオンの狩りから上手く逃れたら、良かった良かったと胸をなで下ろします。
 ライオンの狩りが成功した時の喜びが自由なら、ライオンからシマウマが上手く逃げ延びたことを喜ぶのも自由です。
 更に言うなら「狩りをする方も狩りをされる方も自然の摂理」とするなら、ライオンもシマウマも平等です。
 いやそれは平等では無いと言う人も必ず居ますが、それで自然が成り立っているのならそれはやはり平等と言うべきで有り、狩りをするのも自由と言うことになります。
 もしこれを否定して、ライオンなどの肉食動物を他の場所に移したら、草食動物は幸せか?もしそうなったら草原の草や木の葉を食べ尽くし、多くの草食動物は餓死するでしょう。そして他の場所に移された肉食動物も狩りが出来なくて飢え死にするでしょう。多くの野生動物が餓死するのを見てもこれが、自由で平等と言えるでしょうか。
 自由も平等もそもそも自分勝手な一面が有ると言う事は認識しなくてはいけないもののようです。
 脱線ついでに言うと「反捕鯨を訴えるのも自由なら、捕鯨で食料を得るのも自由の筈です。」しかし、問題は国に依って自由の定義も違うのですが、有る国は自国の定義で他国を非難します。また有る国も自国の定義を主張します。しかし、両国とも自由の定義に大きな差は無いのです。そこに有るのは「可愛いか、可愛くないか」の定義です。そこに「食べ物と認識するか、食べ物では無いと認識するか」の違いでも有ります。これはもう自由と平等の定義の問題では無く、国民性の問題でしょう。
 牛を神聖な動物としてあがめる国も有れば、豚を嫌う宗教もあります。犬をペットとして可愛がる国があれば、犬を食用と考える国も有ります。これらは国民性の問題で有り、また貧困の度合いから来る問題でもあります。
 少し脱線気味に検証を進めて来ましたが、更に「自由と平等の定義づけ」が難しいものになってしまいました。

 もう少し頭を冷やしてから検証を進めたいと思います。

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